鬼和尚 2022/08/05(金)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

377:避難民のマジレスさん[]:2022/08/05(金) 12:14:42 ID:BSdGEadw0
いつも教えていただきありがとうございます。
最近特に、世間一般に流布されていることと、自分の世界との相違がどんどん大きくなり、
世界は人それぞれ違うと言葉で知っていても、心から納得できないことから苦しみが生じています。
皆、なぜそんなことを信じているの?と。
たった一つの確固とした世界があるわけではないのだ、と強いて納得しようとしますができません。

仮に自分はブッダの生まれ変わりであると称する教祖を心から信じている信者がいるとします。
ブッダは生まれ変わらないからこそブッダなのではないか、と思うのは私の世界なのであって、
その信者の世界では教祖は確かにブッダの生まれ変わりなのでしょうか?

378:避難民のマジレスさん[]:2022/08/05(金) 21:10:22 ID:qILOEfpY0
>あると言えるのは意識だけなのじゃ。

では意識はどうして生じたのですか?

379:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/08/05(金) 22:20:09 ID:55Qf8oCo0
>>377 そういえるじゃろう。
 他人の信じることを自分がどうこうすることはできないのじゃ。
 人はだ自分の道を歩むことができるだけだけなのじゃ。

>>378 生じていないのじゃ。
 観念があるから生じたとか、死んだとか思うのじゃ。
  おぬしにわかるようにあると説いているだけなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 55
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1643336428/

837:ウサ[sage]:2022/08/05(金) 00:12:09.16 ID:F3flBTKB
>>836
鬼和尚さん、ありがとうございました。
策を練っても悟らぬ者の浅知恵で裏目に出るような気がしてきました。
悟れば新人類も超えられると思うので、ウサはそっちの実践にします。

838:おさかなくわえた名無しさん[]:2022/08/05(金) 05:03:06.11 ID:SFezEhXP
鬼和尚、地球温暖化や人の欲から推察すると、人類はあと100年ぐらいで滅亡する
かもしれません。
それはそれで仕方ない事なのですか?
自分は一向に人類が向上しないのを感じています。

私は毎日、早朝座禅をして、生きてるのが奇跡だと思っています。
明日、亡くなっても仕方ないとも思います。

839:ウサ[sage]:2022/08/05(金) 10:53:29.51 ID:2ihvM2k8
ウサから鬼和尚さんに質問です。

最近、華厳経の理事無礙法界、事事無礙法界という言葉を知りました。

理事無礙法界というのは、事事は未だ無礙ではないものの、
事と事の道標が見えたような状態でしょうか?

840:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/08/05(金) 22:29:57.54 ID:IHn2Vhd0
>>838 仕方ないことなじゃ。
 おぬしが全人類をコントロールできるわけではないからのう。
 自分がコントロールできる心身を磨くとよいのじゃ。

>>839 そのような解釈でもよいのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。
 実践によってその境地までたどり着かなければ、無意味であるからのう。
 実践が全てなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

485:避難民のマジレスさん[]:2022/08/05(金) 05:35:15 ID:xFpRaH6I0
2.10.世俗的な日常経験には入間と動物の区別はない  p256-257

  そして、動物等と区別がないからである。動物たちは聴覚等が音声等[の外界の対象]と接触し、不快な音声等の知覚が生ずると、それから退き、また快よい[知覚が生ずる]と、[それに向かって]前進する。[また]棒を持った手を振り上げた男を目の前に見て、「この男は私を打とうとしている」と考えて逃げ始める。[他方]手に青草を一杯持った[男]を見て、その男に向って行く。それと同様に、人間も、たとえ知性が発達していても、恐しい目付きをし、わめき、手に刀を振りかざしている、力の強い男を見て、その男から遠ざかり、そうでない男に向って進んでゆく。それ故に、認識根拠・認識対象[等の区別に基づく]日常的経験に関しては、人間は動物と同じなのである。また、動物等のもつ直接知覚等の日常的経験は、周知のように、[アートマンと 非アートマンとを]識別しないことに基づいており、たとえ知性が発達していても、人間の直接知覚等の日常的経験は、[動物の]それと等しいことが経験されるから、当面163、[動物の日常的経験と]同じである、と結論付けられる。

  [反対主張]愚かな人々の場合には、その通りであるとしておこう。だが、学識ある 人々は、聖典と諭理に基づいて内的アートマンという真理を理解しているが、その人た ちの場合にも、認識根拠・認識対象[等の区別に基づく]日常的経験が認められるのである。従って、認識根拠は、無明をもつ者のみに関係しているなどということがどうしてあり得ようか。
  [答論]これに対して[師シャンカラは]、そして、動物等と区別がないからであると答えているのである。確かに、[学識のある人々は]聖典と論理に基づいて、内的アー トマンが身体・器官とは異なる、と認識しているかもしれない。だが、認識根拠・認識対象[等の区別に基づく]日常的経験の際には、[彼らもやはり]生命体にすきない のであって、[生命体としての]諸属性を超越することはないのである。というのは、 学識ある人々でも、[日常的経験に関しては]獣や鳥など一[それらが]愚かであることには異論の余地がない一の日常的経験と同様であることが経験されているからである。従って、それ(獣や鳥などの日常的経験)と同じであるから、彼ら(学識あ る人々)も、日常的経験の際には、無明を持っているのだ、と推論すべきなのである。 [『註解』本文中の]そしてという語は、[これまで述べてきた理由と以下の論議を]結 びつける意味で[用いられているので]ある。[すなわち。反対主張者の]提示した疑問を退ける根拠としてこれまで述べてきた理由が、[以下の論議でも]認識根拠が無明を持つ者に関係していることを確定するのであるというのが、[そしてという語の]意 味するところである。まさにこのこと(認識根拠が無明を持つ者に関係しているとい うこと)が、動物たちは以下で具体的に論じられているのである。このうち、聴覚等が音声等[の外界の対象]と接触し[という箇所]では、直接知覚という認識根拠がとり あげられており、音声等の知覚が生ずると[という個所]では、その(直接知覚の)結果が述べられており、不快な[という箇所]では、推論の結果が[述べられているのである]。詳論すれば以下の通りである。[動物等は]音声等[の外界の対象]それ自体を知覚し、その種[の音声等]が不快であったことを思い出す。そして、現在知覚している[音声等]はそれと同類のものであるから、不快であると推論するのである。[そして、さらに]例をあげて、捧[を持った手を振りあけた男を云々]と述べているのである。その他[の箇所]の意味については、極めて明瞭である。

脚注
163「当面」を「附託が行なわれているまさにその時の[日常的経験]」と解している。
(´・(ェ)・`)つ

486:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/08/06(土) 00:17:39 ID:55Qf8oCo0
 認識根拠や認識対象等の区別に基づく日常的経験に関しては、人間は動物と同じだというのじゃ。
 
 反論なのじゃ。

 おろかな人間はそうかもしれんが、聖典などでアートマンという真理を理解している者は違うはずというのじゃ。

 答えたのじゃ。

 学識のある人々は聖典と論理に基づいて、内的アー トマンが身体や器官とは異なる、と認識しているかもしんが日常的な経験では同じというのじゃ。
 ただ知識だけではアートマンを実現したことにならないからなのじゃ。

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