鬼和尚 2022/07/31(日)

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 55
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1643336428/

809:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/31(日) 11:36:16.21 ID:B+un7VGt
お釈迦様は人間は誰でも悟れる(仏性がある)と仰ってたと聞きます。

犬猫猿など、畜生は仏性はない。

お釈迦様の言う人間って誰なんでしょうか?
日本だと戸籍謄本や住民登録してる人でしょうか?(否、これは仮設・架空の住所なので違います)

言語で意思疎通の取れる人でしょうか?たまに植物状態の人もいますが、その人は言語意思疎通のある人から生まれ、意思疎通のある誰かに見守られてるので、病気や障害で言語意思疎通できなくても人間なのだと私は思ってます

でも鬼和尚さんは言葉はすべて嘘だと仰ってました。
つまり、言語で意思疎通取れているというのはお互い錯覚で、
What time is it now?が
掘った芋いじンな~!に聞こえて、
お互い聞こえたままに通じてると思ってるのかもしれないだけですよね。

それで言語も嘘だとしたら、仏性のある人間の定義がわからなくなりました。
悟りを目指さないと悟れないから、悟りを目指さない人は人間ではないとも言い換えられます。
でもそれではそのへんにいる世間の人は人間じゃないんでしょうか?

そもそも、お釈迦様のいう人間とは私も含まれてますでしょうか?

811:おさかなくわえた名無しさん[]:2022/07/31(日) 14:44:01.07 ID:Dq5G8L2F
夏に水風呂ってデメリットなんかある?

816:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/31(日) 22:12:48.44 ID:vBh/tJ1S [1/2]
>>809 おぬしじゃ。
 おぬしの世界に人間はおぬし一人だけなのじゃ。
 おぬしが悟りを得られなければ、誰も悟りを得られないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>811 心臓の弱い者はいきなり死ぬこともあるじゃろう。
 弱くなければ特にないのじゃ。
 
813:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/31(日) 19:36:44.65 ID:bYL42HnC
政治や宗教に加えて、その周辺で巻き起こる社会問題も無視して大丈夫ですか?
保守だのリベラルだのが毎日のように論争を繰り広げていますが、こういう論争に参加したり
社会問題を分析して論評する(ジャーナリズム)事が本当によりよい社会を築くことになるのでしょうか?

そもそもジャーナリスト達の言ってることが人によってバラバラで何が真実なのかわかりません。
もしこのような事に時間を使うのが無意味であるなら、その理由は?

817:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/31(日) 22:27:02.16 ID:vBh/tJ1S [2/2]
>>813 無視してよいのじゃ。

 ならないのじゃ。
 同じことを繰り返しているだけなのじゃ。
 
 同じことを繰り返しているうちに時間を費やして死んでしまうからなのじゃ。
 それより自分を知ることに勤めた方がよいのじゃ。
 そうすれば永遠に至福の境地に到達することもできるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1656425706/

39:マジレスさん (ワッチョイ 3f93-Uk+b [14.9.42.64])[sage]:2022/07/29(金) 23:59:44.56 ID:PeDMAucv0 [4/4]
追記になりますが、「自分の全ての固着観念を一度疑ってみる」ことが必要なのかなと思いました。

40:マジレスさん (ワッチョイ a793-hlGx [14.9.42.64])[sage]:2022/07/30(土) 14:38:27.05 ID:SuftrF7T0 [1/3]
「自分の全ての固着観念を一度見直してみる」という表現の方がいいかもしれません。

41:マジレスさん (ワッチョイ a793-hlGx [14.9.42.64])[sage]:2022/07/30(土) 14:43:35.98 ID:SuftrF7T0 [2/3]
(訂正)「自分の全ての固着観念を一度見直してみる」という表現の方がいいのかもしれません。

42:マジレスさん (ワッチョイ a793-hlGx [14.9.42.64])[sage]:2022/07/30(土) 18:36:03.17 ID:SuftrF7T0 [3/3]
固着観念も基本的価値観や信念から生まれると思います。
全てが基本的価値観や信念から生まれるような気がします。
「自分の全ての基本的価値観や信念を一度見直してみる」
といいのかもしれません。

44:マジレスさん (ワッチョイ a793-7nF4 [14.10.59.64])[sage]:2022/07/31(日) 20:09:05.53 ID:RNPxRmbm0
砂糖を大量に含んだ食べ物をたくさん食べる人はキレやすいという話を聞いたことがあります。
特定の食べ物を多量に食べることで、肉体だけでなく精神に影響を及ぼすことってあるんですか?

肉を食べると興奮するというのは前に聞きました。
つまり精力をつけたければ、行為前に肉を食べるのが合理的でしょうか?
そんな単純な話でもないんですかね。

45:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ e767-8WuL [60.75.252.23])[sage]:2022/07/31(日) 21:56:23.57 ID:H4JBQEBD0
>>42 そうじゃ、常にそのようにするとよいのじゃ。
 それが自分を知ることになるのじゃ。
 見直す自分も見られたら無我にもなるのじゃ。
 実践あるのみなのじや。

>>44 そのようなこともあるじゃろう。
 脳も体の一部であるから、肉体に吸収したものに影響されるのじゃ。
 
 そんなに早くは効果がでないのじゃ。
 吸収される時間も必要であるからのう。
 前日とかに食べるとよいのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

475:避難民のマジレスさん[]:2022/07/31(日) 00:17:34 ID:DaoHRgDo0
(つづき)   p250-251
   [答論]このように考える人に対して、[師シャンカラは]、それ(無明)を滅する手段を[次のように]述べている。それ(非アートマン)を識別することによって実在そのもの(アートマン)を確知することを、すなわち疑間の余地のない知識を、賢者た ちは明知と呼ぶと。実に、内的アートマンは、統覚機能等とは完全に異なるのに、統覚機能等と異なるとは理解されていない。そのため、統覚機能等の本質と諸属性が内的アートマンに附託されるのである。この場合、[ウパニシャッドの教えを]聴聞・思惟・[瞑想]144することによって、[内的アートマンと統覚機能等とを]識別する認識が[生ずれば]、そ[の認識]によって[内的アートマンと統覚機能との]違いに対す る無理解が取り除かれる。[その時]実在そのものの確知(その本質は附託を拒斥するところにある)、すなわち明知一[それは]純粋精神であるアートマンそのものである一が、本来の姿を現わすのである。
   [反対主張]無明は、根が深くて頑強な潜在印象と結びついている[ので]、たとえ明知によって拒斥されても、自らの潜在印象の力に上って再び生じてくるだろう。そし て、自己にみあった結果一たとえば潜在印象等一を[さらに]生み出すであろう。
  [答論][これに対して、師シャンカラは]答えて言う。このような場合、すなわち 実在そのものがこのように確知された場合、XがYに附託された時、YはXに由来する欠点や美点によってほんのわずがでも影響を受けることはない。すなわち、純粋精神であるアートマンが内官等のもつ欠点である飢え等によって影響されることはないし、 また内官等が純粋精神であるアートマンの特質(美点)である精神性・歓喜等によっ て影響されることもないのである。この(「註解』本文の)趣旨は以下の通りである。 [確かに]、誤った観念は無始であり、かつ、根が深くて頑強な潜在印象と結びついてい る。しかしそれでも、それ(無明)を取り除くところに、実在そのものを確知することの本質があるのである。というのは、認識(dh?・)の本質は、真理の側に傾くところに あるからである。たとえば、他学派の人々でさえ[次のように]言っている。「事物の本質は錯倒による影響を受けていなければ拒斥されることはない。というのは、認識(buddhi)は努力しなくてもそ(事物の本質)の側に傾くからである」145と。だが。[ヴェーダーンタ学派の場合には]特に、「真理の認識は、純粋精神であるアートマンを本質とし、完全に内的(直接的)なものである[のに]、どうして、[実在であるとも非実在であるとも]表現し得ない無明によって拒斥されているのか」という[問題が 残る]。
  [先に『註解』で]真実と虚妄とを混淆し、[両者の]相違が分がらないために[それらを相互に]附託して、「これが私である」「これは私のものである」と[言う。これ が]([文字通りには]というのが)世俗的な日常的表現(vyavah?・a)である146と言 われていたが、そこでは、明らかに、日常的表現という意味でのvyavah?・raのことが 説明されていた。[一方、ここでは、先に「これが私である」「これは私のものである」というのがという箇所で]というのが(iti)という語が暗に意味していた、脊俗的な 日常的経験(活動vyvah?・ra)のほうを説明して、認識根拠・認識対象[等の区別に基 づく日常的経験(vyavah?・ra)はすべて…[相互附託に基づいている]と言っている のである147。この箇所の意味は自明である。

脚注
144
145 出典不明。
146 本訳214頁参照。
147 「日常的表現」と「日常的経験(活動)」という二義に区別しているという点に関しては、脚注51参照のこと。
(´・(ェ)・`)つ

476:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/07/31(日) 23:19:04 ID:yOmlILwI0
 シャンカラは無明を滅する手段を説いているというのじゃ。
 アートマンではないものを識別することで、実在するアートマンを確知するのじゃ。
 それを賢者たちは明知と呼ぶのじゃ。
 
 内的アートマンは、統覚機能等とは完全に異なるのに、統覚機能等と異なるとは理解されていないのじゃ。
 それゆえに統覚機能等の本質と諸属性が内的アートマンに附託されてしまうのじゃ。

 ウパニシャッドを聴聞し、思惟して瞑想4することによって、内的アートマンと統覚機能等とを識別する認識が起こり、それらの違いへの無理解が取り除かれるのじゃ。
 そうすれば実在そのものの確知、明知である純粋精神のアートマンが本来の姿を現わすというのじゃ。

 反対なのじゃ。
 無明は根が深くて頑強な潜在印象と結びついているから明知によって拒斥されても、自らの潜在印象の力に上って再び生じるじゃろう。
 一度はなくなっても潜在印象等が再び起こってくるというのじゃ。

 答えたのじゃ。

 それにもシャンカラは答えているというのじゃ。
 実在そのものが確知された場合は、附託によってほんのわずがでも影響を受けることはないというのじゃ。
 そもそも認識の本質は、真理の側に傾くからなのじゃ。
 他学派の人々でさえ事物の本質は錯倒による影響を受けていなければ拒斥されることはないといっているのじゃ。
 なぜならば認識は努力しなくても事物の本質の側に傾くからなのじゃ。

 しかしそれならば、真理の認識は純粋精神であるアートマンを本質とし、完全に直接的なものであるのになぜ無明によって拒斥されているのかという問題があるのじゃ。
 それは人々が認識主体と認識対象を混同して、相互付託しているからだというのじゃ。

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