鬼和尚 2022/07/06(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

325:避難民のマジレスさん[]:2022/07/06(水) 00:06:03 ID:dgpH0b.k0
鬼和尚は犬派ですか?それとも猫派ですか?

326:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/07/06(水) 22:33:31 ID:1d4drIFg0 [101/101]
>>325 どちらでもないのじゃ。
 もはや好き嫌いはないのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 55
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1643336428/

610:607[sage]:2022/07/06(水) 05:10:13.82 ID:ef5chcla
>>609
能力試験ですね!
ありがとうございます!

611:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/06(水) 11:34:16.83 ID:Y2JwM7ch
>>609
おみそれしました。
確かに私も過去のスレを読んで理解したり参考にしたりしています。
そしてこのスレも書き込む人よりROM専が多いと思います。
質問が思いつかない人もいると思います。
そのような人のために、質問を思いついたときは質問するようにしています。行とは思わず、なんとなくやっていたことです。
道を目指す菩薩はそれだけでも多くの人にいつの間にか影響を与えているのですね。

612:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/06(水) 12:22:48.63 ID:4KDndA8t [1/2]
>>608
鬼和尚が観念ではない全てと一体である、とはどういうことでしょうか?
鬼和尚の体感や感覚上の全てと一体ということなのか、全てであるが故に修行によって私たちにも鬼和尚を感じることはできるのか。

>>609
もはや年齢はない、とはどういうことでしょうか?
悟りを得て不死身の存在になった、ということでしょうか?
鬼和尚の中で年齢を気にする観念がなくなった、ということでしょうか?

613:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/06(水) 12:27:33.64 ID:4KDndA8t [2/2]
>>612
⭕感じることはできるということなのか。

614:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/06(水) 23:02:12.77 ID:00ifeiG4
>>610 そうじゃ、やってみるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>611 そうじゃ、おぬしも菩薩なのじゃ。
 人々を助けているのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。

>>612 全てが全てであるという意味なのじゃ。
 もはや言葉では説けないのじゃ。

 おぬしもわしなのじゃ。
 わしもおぬしなのじゃ。
 観念にとらわれていては感じられないのじゃ。

 年齢も架空の観念だからなのじゃ。
 本来ないものじゃ。
 無なのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1613875666/

956:マジレスさん[sage]:2022/07/04(月) 22:08:26.71 ID:UCAXp6T2
外で遊んでいる子供の騒ぎ声がやかましいとの苦情が年々増えてきているとか。
昔はこんな苦情はあまり目にしたことは無かったのに、どうして最近の人はこんなクレームを言うようになったのでしょう?

957:マジレスさん[sage]:2022/07/05(火) 08:19:31.86 ID:ry5Jbo+4
なぜ人に受け入れらると快楽が伴うのでしょうか?

959:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/06(水) 22:37:09.07 ID:jm9JEjxX
>>956 ストレスがたまっているからじゃな。
 都市ストレスというものじゃ。
 人々があまりに密集して暮らしているとそれだけでもスレトスになるのじゃ。
 少しの騒音もうけいれられなくなるのじゃ。
 
>>957 それを望んでいるからじゃな。
 幼児のころには親に受け入れられるかどうかが生死をわかつものであったから、受け入れられることは生きる喜びにつながっていたのじゃ。
 それを大人になってもひきずっているのじゃ。
 自らの心を観察して確かめるのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

422:避難民のマジレスさん[]:2022/07/05(火) 23:36:43 ID:bM1Ezd960
つづき)    p215-216
  [答論]だから、真実と虚妄とを混淆してと述べてあるのだ。すなわち、[真実と虚妄とを混淆して、両者の]相違が分からないために附託して、というのが[本文の脈略なのである]。[また]真実とは純粋精神アートマンのことであり、虚妄とは統覚機能・器官・身体等のことであり、これら二つの基体を混淆してすなわち結びつけて、というのが[この句の]意味である。また、本来は、現象的存在と究 極的実在とが、実際に混淆されることはない。だから[混淆して (mithun?・krtya)という語に、本来]混淆されないものが混淆されるという意味を示す 接尾辞cvi(mithun?・krtyaの?・)54が用いられているのである。その趣旨は、「[被附託 者(aropya)は]、認識されていなければ、附託されることはありえない。従って、[附 託に]用いられるのは、被附託者の認識であって、[被附託者という]実在[自体]で はない」という点にある。
  [反対主張]被附託者(非アートマン)が認識されている時に、以前に経験されたも の(非アートマン)が[アートマンに]附託される。そして、そ[の被附託者である非 アートマン]の認識は、[非アートマンのアートマンヘの]附託に基づいている。従っ て、[認識と附託とが]相互に依存しあう(paraspar?・?・raya)[という理論的誤謬を]ま ぬがれないことになる。
  [答論]だから、生得の(naisargika)と言っているのである。この日常的表現(経 験)は、本源的(sv?・bh?・vika)であり、無始である。[この]日常的表現(経験)が無 始であるから、その原因である附託も無始であると言われているのである。従って、そ れぞれ前の誤った認識から生じた統覚機能・器官・身体等が、それぞれ後の附託に用 いられるのである55。こ[の過程]は、種と芽のように無始であるら、[認識と附託が]相互に依存しあうことはない。これが、[この生得のの]意味するところである。

脚注
54原文は「XでなかったものがXになること(あるいはXでなかったものをXにすること)」という意味である。例えば、白くなかったものを白くするという意味で、この接尾辞cviが用いられる。本文の場合、mithunam karotiというと、本来混淆し合って当然のものを混淆するという意味になるが、mithun?・karotiが用いられているので本来混淆されないものが混淆されるという意味になる、というのが本文の趣旨である。
55非アートマンのアートマンヘの附託Aから非アートマンAが生じ、その非アートマンAがアートマンに附託(附託B)される。その附託Bから非アートマンBが生じ、その非アートマンBがアートマンに附託(附託C)される…。このような過程が無始であるといわれているのである。
(´・(ェ)・`)つ

423:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/07/06(水) 23:41:16 ID:1d4drIFg0 [224/224]

 答えたのじゃ。

 それは真実と虚妄を混淆しているというのじや。
 それらの相違がわからないから付託しているというのじゃ。

 反対なのじゃ。

 アートマンでないものがアートマンに付託されるというのじゃ。
 アートマンでないものの認識は、アートマン゛ないもののアートマンへの付託に基づいている。
 それでは認識と付託が相互に依存しあっているという誤謬があるというのじゃ。

 答えたのじゃ。

 それらは無始であり、生得のものというのじゃ。
 誤った認識から生じて意思とか、器官とか、身体がそれぞれ後の付託に用いられているというのじゃ。
 それは無始であるから、相互に依存しあうこともないというのじや。

コメント

タイトルとURLをコピーしました