鬼和尚 2022/07/05(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

603:おさかなくわえた名無しさん[]:2022/07/04(月) 22:46:20.74 ID:YvtzLsOJ [4/4]
>>602
分かりました!この型に囚われずやれる事を実践で続けていきます

604:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/05(火) 00:27:37.32 ID:QWRsA9ob [1/2]
>>601
鬼和尚の普段の食事を教えてください。

止観って常にやらないと効果ないように思うんですけど、その辺はどうなのでしょうか?
その時々で、要所要所で自分の心を観て、自分の心に気付いていればいいのでしょうか?

そのような観念がない全てとは、一体、どういうものなのでしょうか?
言語化できるようでしたら、是非教えてください。

観念にはとらわれまくっています。どうすればいいでしょう?やはり止観でしょうか?

悟りを得れば知れる、実践あるのみ。とかもったいぶらずに是非教えてください。

608:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/05(火) 22:34:38.44 ID:voUMy8fZ [1/2]
>>603 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>604 朝はなしなのじゃ。

 昼はそうめんなどをたべるのじゃ。
 
 夜はやきそばだったのじゃ。

 毎日五分でもやるとよいのじゃ。
 そうすれば上達していくのじゃ。

 観念とは言葉とイメージによるものであるから、それがない状態を言葉で表すことはできないのじゃ。
 
 止観なのじゃ。
 わしのブログなどを参考に実践するとよいのじや。

605:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/05(火) 00:36:11.01 ID:QWRsA9ob [2/2]
現在の鬼和尚が完成されたのは何年前ですか?
そのとき鬼和尚は何歳でしたか?

606:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/05(火) 01:46:13.99 ID:D3R3mpls
鬼和尚さんは悟りの如来としてここや専用スレなどネット上で教えを説かれてますね
弥勒下生の世により、他の菩薩もネットのどこかで教えを説かれているようですか?

607:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/07/05(火) 16:07:25.39 ID:88HOFZdO
鬼和尚、アインシュタインは誰もが何かしらの天才であると言ったと聞きますが、
自分が何の天才か知る良い方法があったら教えて下さい。

609:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/07/05(火) 22:38:09.44 ID:voUMy8fZ [2/2]
>>605 今のわしが完成されたのは今なのじゃ。
 すでにさっきとも違うのじゃ。

 もはや年はないのじゃ。

>>606 おぬしがそうじゃろう。
 菩薩とは悟りを求める者たちなのじゃ。
 そのように質問することでも他の菩薩たちを助けているのじゃ。

>>607 まずは能力試験をうけてみるとよいのじゃ。
 地方自治体で無料でやっているところもあるのじゃ。
 自分がどの分野で優れているのかわかるのじゃ。
 それからさらにその得意分野で自分を試すとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

420:避難民のマジレスさん[]:2022/07/05(火) 07:06:19 ID:aoFe30dE0
(つづき)    p215
  また、ここで、附託と日常的表現(経験)という二種の行為から推論される行為主 体は、同一である。従って、[両行為の]行為主体が同じだから、附託し・・・日常的表現 (経験)であると[いう文が]成り立つのである。すなわち、[接尾辞ktv?・(adhysya のsya)は、附託が日常的表現(経験)より]時間的に先であることを示しており、附 託が日常的表現(経験)の原因であることを示している52。〔このことが]誤った認識 に基づく日常的表現(経験)[と述べられているのである]。誤った認識とは附託のことである。それに基づいて[日常的表現(経験)がある]。すなわち、日常的表現(経験)の存在・非存在は、附託の存在・非存在に基づいているという意味である。
  さて、以上のように、[「私」という観念の]本質である附託とその結果である日常的 表現(経験)について述べたのち、[『註解』は次に]その原因について、互いの無識別 (無相違)によってと述べているのである。[無識別(無相違)(aviveka)によってとは]相違(viveka)に対する無理解によってという意味である。
   [反対主張]どうして、無識別(無相違)を文字通りにとらないのか。そして、・もし文字通りにとれぱ[両者が同一となり]、附託は存在しない。
  [答論]だから、完全に異なる諸属性および[その]基体をと述べられているのであ る。相違(vivekm)とは、本来は、基体間の場合には非同一性(at?・d?・tmya)を、諸属性問の場合には混同しないこと(asamk?・rnata)を意味する。
   [反対主張]「異なる二つの実在(Vastusat)を同一であると誤認するのは、両者の相違を理解しないことによる」というのは確かに理にかなっている。[それは]ちょう ど、真珠母貝を銀と同一であると誤認するのは銀との相違を理解していないことによ るのと同じである。しかし、この(今問題となっている)場合には、究極的実在である純粋精神アートマン以外に53、実在するもの、たとえば身体等は存在しない。従って、 アートマンと[それ以外のものと]の相違に対する無理解がどうしてありえようか。ど うして、同一であるとする誤認がありえようか。

脚注
52 接尾辞ktv?・が、行為の時間的前後関係を示す
53
(´・(ェ)・`)
(つづく)

421:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/07/05(火) 23:19:58 ID:1d4drIFg0 [223/223]

 誤った認識とは附託であり、それから日常的な表現があるというのじゃ。
 それは無識別、互いの相違に対する無理解によるものというのじゃ。

 反対するのじゃ。

 無識別、無相違を文字通りにとれば同一であり、付託はないというのじゃ。

 答えたのじゃ。

 それは完全に異なるものごとの基体と諸属性を理解していないからというのじゃ。
 基体の非同一性を理解せず、諸属性を混同しているのが無識別だというのじゃ。

 反対するのじゃ。

 アートマン以外には存在はないから身体はないというのじゃ。
 ないものとの非同一性もないはずだというのじゃ。

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