鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 – したらば
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890:避難民のマジレスさん[]:2022/05/31(火) 20:18:29 ID:cILxtfkc0
ラマナ・マハルシとの対話 344
質問者
ヴィチャーラ・サーガラは、真我実現への4つの障害について述べています。
マハルシ
なぜ4つだけなのですか?
9つあるという人もいます。
眠りはそのうちの1つです。
眠りとは何でしょう?
それは目覚めの裏返しでしかありません。
それは目覚めから独立することはできません。
眠りは純粋な真我です。
自分が目覚めていると考えてはいけません。
眠りはあり得ませんし、3つの状態もあり得ません。
ただ真我を忘れているために、あなたは夢を見たというのです。
真我が不在の状態で、何かが存在できるでしょうか?
なぜ、あなたは真我を捨てて、非真我を保持するのでしょうか?
心が外に出ようとするとき、その場で直ちに心を内側に向けなさい。
心は、自身の外側に幸福を求める習慣があるために、外に出てしまいますが、外側のものが幸福の原因ではないという知識が、それを抑制してくれます。
これがヴァイラーギャ、あるいは無執着です。
完璧なヴァイラーギャの後でのみ、心は安定します。
心は、知識と無知、あるいは睡眠と覚醒の混合物に過ぎません。
それは5つの状態で機能します。
クシプタ(活発な)
ムーダ(鈍い)
ヴィクシプタ(混乱した)
カシャーヤ(潜在的な)、そして
エーカーグリャ(一点集中した)です
このうちカシャーヤは、傾向の潜在的なものでしかなく、執着や反感などの傾向そのものではありません。
あなた自身がアーナンダ(至福)であるのに、どうしてあなたは「ああ!なんという至福だ!」と言ってそれを楽しむのでしょうか?
これがラサースワーダ(至福の味)です。
結婚式の間、処女は、男性に抱擁された経験がないのに花嫁として幸せを感じます。
これがラサースワーダです。
質問者
ジーヴァン・ムクティ(存命中の解脱)そのものがアーナンダである……
シュリ・バガヴァンが口を挟んだ。
マハルシ
シャーストラ(聖典)を当てにしてはいけません。
ジーヴァン・ムクティとは何でしょうか?
アーナンダとは何でしょうか?
解脱そのものが疑わしいのです。
これらすべての言葉は何なのでしょうか?
それらは真我から独立していることができるのでしょうか?
質問者
私たちはこれらすべてを経験したことがないのです。
マハルシ
ないものは常に失われ、あるものは、今ここに常に存在しています。
これが万物の永遠の理法なのです。
(例:首の周りのネックレス)
891:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/31(火) 22:24:34 ID:1d4drIFg0 [401/401]
聖典の言葉は全て実践のための手引きに過ぎないのじゃ。
それを覚える打では、何の意味もないのじゃ。
実践の妨げになるならば、有害にさえなるものじゃ。
実践して聖典の意味を知ったならば、初めて役に立ったと言えるのじゃ。
鬼和尚 2022/05/31(火)

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