鬼和尚 2022/05/28(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

233:避難民のマジレスさん[sage]:2022/05/28(土) 11:24:17 ID:sskB6J8c0 [5/6]
>>231
ありがとうございます
「自我も観念も超えて観察でき」ればそれが大悟ですか?

「観察も方法であるが、意識によって行われる」とのことですが、
意識とは何かを行うようなものなのでしょうか?

お聞きしたい要点としては例えばマハルシやアドヴァイタの教師がスクリーンの例えをよくしますが、
全てが映し出されるスクリーンのような何かが最終段階でも感知されるのかどうかというところです
スクリーンなのだとわかるならそれも現われている感覚であって対象ですよね

意識が何かを行っているのだとわかるのならそれらは認知上の対象ということで無常ということになると思うのですが

よく涅槃は対象とならないという説明で議論になるところだと思いますが実際のところ対象とならないまま明らかになることがあるのでしょうか?
それとも対象とならないものは対象とならないがゆえに明らかにはならないのでしょうか?

対象への観察が進むと自分は対象でも観察者でもなく、観察者である自分と対象という主客双方は対象とならずあるでもないでもないスクリーン(アートマン)上に現われているだけ、
という観照が起こると思いますが、
例えばその対象とならないスクリーンも対象にできて観察できるのでしょうか?

意識とは対象が現われたときにそれが映し出されるだけで意識自らは何をするわけでもないという解釈は合ってますか?
それとも全ては意識であるから何かをすることもまた意識であるというような言い方になるのでしょうか?

234:避難民のマジレスさん[sage]:2022/05/28(土) 11:34:09 ID:sskB6J8c0 [6/6]
分からない点がいくつか相互に関連してて質問自体が複雑になってしまって申し訳ありませんが
一番お聞きしたいのは、

対象とならないもの(全てがそれに現われる何でもないそれ)は対象とならないままに明らかになるのか、
それとも○○だと分かるようなことはみな現われた対象に過ぎず、対象とならないものは決して明らかにはならない(分かることはない)のか?
ということです

235:避難民のマジレスさん[]:2022/05/28(土) 17:33:04 ID:qnUfmUvw0 [8/8]
いつも教えていただきありがとうございます。
ここ数ヶ月、毎日のように鼻がムズムズして困っています。
鼻うがいをしていますが、完治いたしません。
そこでスートラネティという鼻孔にヒモを通す方法に興味を持ったのですが、
これを見様見真似でやるのは危険だと思われますか?

237:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/28(土) 23:12:59 ID:1d4drIFg0 [70/71]
>>233 おぬしは悟りの方法と、悟りの過程と、悟りの境地が混乱しているようじゃ。

 それは大悟ではなく、大悟が始まる過程なのじゃ。
 
 それは過程において無意識に起こるものじゃ。

 対象が全くないならば、もはや何かをすることもない無為なのじゃ。
 それによって最終的な境地と知れるのじゃ。

 スクリーンなどないのじゃ。
 何をスクリーンと言っているのか、見極めるのじゃ。

 意識には対象はないのじゃ。
 もはやすることもないのじゃ。
 
>>234 対象がないことによって気づくのじゃ。
 全てが一つであると感じるのじゃ。

>>235 危険なのじゃ。
 インドの人に習ったほうがよいのじゃ。
 紐も蝋を塗ったりして作る特殊なものらしいからのう。
 つぼを押すとよいのじゃ。

236:避難民のマジレスさん[]:2022/05/28(土) 18:46:13 ID:Uyqn4ylU0 [12/12]
ありがとうございます!

238:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/28(土) 23:13:39 ID:1d4drIFg0 [71/71]
>>236 どういたしまして、またおいでなさい。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

883:避難民のマジレスさん[]:2022/05/28(土) 20:00:57 ID:FJGUaaFc0 [1/2]
ラマナ・マハルシとの対話 341

ジェニングス婦人
 シュリ・バガヴァンは、実現の状態とは想念の圧制からの解放だと仰います。
 想念は、より低い次元においてかもしれませんが、物事の仕組の中で役割をもっていないのでしょうか?

マハルシ
 想念は「私」という想念から生じますが、その「私」という想念は次に真我から生じます。
 したがって、真我は「私」という想念や他の想念として現れます。
 想念があるのかないのか、それがどうしたのでしょうか?

質問者
 良い想念は実現に役立つのでしょうか?
 それは本物の中道ではない、つまり実現への低い階梯ではないのでしょうか?

マハルシ
 はい……このように。
 良い想念は悪い想念を遠ざけるのです。
 それは、実現の状態の前に自ら消えなければなりません。

質問者
 しかし、創造的な想念は、実現の一面であり、それゆえ役に立つのではないでしょうか?

マハルシ
 役に立つのは、先ほど述べた点においてのみです。
 それらはすべて真我の中で消えなければなりません。
 想念は、良いものであれ悪いものであれ、あなたを遠くに連れて行き、近くには連れて行かないのです。
 なぜなら、真我は想念よりも親しいからです。
 あなたは真我ですが、想念は真我にとって馴染みのないものなのです。
 
質問者
 では、真我は最終的に、その実現を助けてきた、自らの創造物を吸収するわけですね。
 一方、文明はその前進を助けてきた自らの創造物を誤って崇拝し、分離し、ショートさせるのです。

マハルシ
 あなたは想念と異なっていないのですか?
 想念がなければ、あなたは存在しないのでしょうか?
 そうではなく、想念はあなたなしで存在することができるでしょうか?

質問者
 文明は一般的に、ゆっくりと、しかし確実に、この真我実現に向かって正しい方向に進んでいるのでしょうか?

マハルシ
 文明は物事の条理の中にあります。
 それは最終的に、他のすべてと同じように、真我の実現の中に自らを帰すでしょう。

質問者
 模範的な原始人は、知性と思考に支配された文明人よりも、実現に近いのでしょうか?

マハルシ
 実現した人は、未開人に見えるかもしれませんが、未開人は実現した人ではありません。

質問者
 私たちに起こることは、すべて神の定めであり、したがって善のみであると考えるのは正しいのでしょうか?

マハルシ
 もちろんそうです。
 しかし、他のすべてや神は真我から離れているわけではありません。
 あなたが真我のままでいるときに、どうしてそれらに対する思いが生じるというのでしょうか?

質問者
 「明け渡す」とは、蟻、蚊、蛇などのあらゆる物理的な煩わしさを受け入れ、そして、受け入れることで、それらによって実際に傷つくことを厭わない、あるいは傷つかなくなるということでしょうか?

マハルシ
 それが何であれ、それは見る者や考える者であるあなたから離れているのでしょうか?

聴衆のパールシー教徒の女性が口を挟んだ。

質問者
 もし、離れていないのなら、私たちは蟻に刺される痛みを感じないのでしょうか?

マハルシ
 誰を蟻は刺すのでしょうか?
 それは身体です。
 あなたは身体ではありません。
 あなたが自分自身を身体と同一視している限り、あなたは蟻や植物などを見ます。
 もしあなたが真我のままであれば、真我を離れたどんな他者も存在しません。

質問者
 身体は刺された痛みを感じます。

マハルシ
 身体がそれを感じるのであれば、身体に尋ねさせましょう。
 身体に任せておけばいいのです。
 あなたにどんな関係があるというのですか?

884:避難民のマジレスさん[]:2022/05/28(土) 20:01:45 ID:FJGUaaFc0 [2/2]
再び、アメリカ人女性。

質問者
 完全な明け渡しとは、瞑想中であっても、周囲のあらゆる騒音や妨害が受け入れられなければならないということでしょうか?
 それとも、孤独を求めて山の中の洞窟へ行くべきでしょうか?
 バガヴァンはこのようになさらなかったのでしょうか?

マハルシ
 行くことも帰ることもありません。
 真我は元素に影響されず、無限であり、永遠であると言われています。
 それは動くことができません。
 真我にとって移動する場所など存在しないのです。

質問者
 しかし、真我を見つける過程で、このように外部の助けを求めることは、霊的に妥当なのでしょうか?

マハルシ
 その誤りは、真我を身体と同一視することにあります。
 もしバガヴァンが身体であるなら、あなたはその身体に尋ねることができるでしょう。
 しかし、あなたがバガヴァンと呼ぶ人物を理解しなさい。
 彼は身体ではありません。
 彼は真我なのです。

それから、彼女はハリジャンについての記事を紹介し、そこには、すべては神であり、何も個人に属するものはない、などと述べられていた。

マハルシ
 万物、個人、神、そしてすべてが真我に他なりません。

それから彼女はシェリーの詩行をいくつか読み、シェリーは実現した魂ではないのかどうか尋ねた。

 「人の未踏の霊の洞窟の中に
  玉座に就いた極めて美しい像
  その近くをさまよう冒険的な思考は
  崇拝し、ひざまずき、震え、恐れる
  その存在の輝きと光は
  それらの夢のような枠組に浸透する
  燃えるような力で満たされるまで」

マハルシ
 はい。
 その詩行は秀逸です。
 彼は自分が書いたものを実現していたのでしょう。

その女性はシュリ・バガヴァンに礼を言い、退いた。

885:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/29(日) 00:02:38 ID:1d4drIFg0 [398/398]

 どのような観念も自己追及の役に立つならば、使ってもよいのじゃ。
 真我の実現とか、涅槃とかもまた実践のための観念に過ぎないのであるからのう。
 神も詩人も役立つならば、用いてよいじゃ。
 どこまでも実践していけば、全ては幻影であったと気づくのじゃ。

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