鬼和尚 2022/05/10(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

137:避難民のマジレスさん[sage]:2022/05/10(火) 05:05:14 ID:3/vh0iKQ0 [11/11]
>>122
ありがとうございます。
やはりそうですよね。
世界にはあらゆることがあり、問題はそれを受け止める自分の心にあると思います。
これでも何年かかけて少しずつ自分の中の原因を追求してきて、「自分を守るために一生会わない。せいせいする」と思っていたところから、「やはりできることをしたい。プレゼントや言葉をかけたい」と思えるところまで変わりました。

最近また心臓の状態が悪化し、入院するかもしれません。
今無理やり連絡をとり、命の危険にさらされるよりも、やはり誕生日には間に合わなくても、心の中の原因を解明していくことが根本的な解決かと思います。
これも楽な方への逃げでしょうか?
自分では、仕方ないのかなと思っています。

138:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 20:25:01 ID:ehQV/BTA0 [28/28]
わかりました、やってみます。
座禅中、雑念に悩まされてます。
雑念が発生する理由は何なんでしょうか?
原因は自我かと思いますが雑念が発生する理由がわかりません。

139:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 20:46:37 ID:HEaYpSkM0 [1/5]
>>135
自分をそのような者と認識し受け入れているのですね。

「私はネガティブだ」などの自己認識している要素は沢山あるのですが、そのようなことでしょうか?
「自分は〇〇」の沢山言葉は出てきますが、それを調べたら良いでしょうか?

それとももっと言葉以前の体感的な感覚やイメージなのでしょうか?

それを調べる方法は自分の姿を思い浮かべることでしょうか?

140:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 20:56:01 ID:HEaYpSkM0 [2/5]
私は自分の事が思い浮かぶと嫌な感覚になるようです。
他者を見ても自分が連想されて嫌な感覚になる時があります。
自分というのは頻繁に思い起こしやすいので、それで嫌な感覚が起こる事が多いようです。

141:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 21:26:17 ID:HEaYpSkM0 [3/5]
特に他人の言動で惨めな自分というイメージになると凄く嫌で耐え難いような苦痛の感覚が起こります。

144:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/10(火) 23:19:56 ID:1d4drIFg0 [42/43]
>>137 それは逃避ではないのじゃ。
 むしろ本道と言えるのじゃ。
 常に自分を知る努力を怠ってはいかんのじゃ。
 あらゆる機会に自分を知るように勤めるべきなのじゃ。
 自分は心によって作られ、心によって観られているものであるから、心を観ることが肝心なのじゃ。
 実践すると善いのじゃ。

 胸椎を整骨したり、胸をマッサージすると善いのじゃ。
 心臓の上を丸くさすったりするのじゃ。
 西式健康法の毛管運動とかもするとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>138 記憶が蘇るからなのじゃ。
 気にせずに流していれば、それもいずれは止まるのじゃ。
 止めようとしてはいかんのじゃ。
 ただひたすらに集中だけをしていれば、止まる時が来るのじゃ。
 実践在るのみなのじゃ。

>>139 そのような言葉が自然にうかんでくるならば、それを観察してみるとよいのじゃ。
 イメージも自然に浮かんでくるならば、観察すると善いのじゃ。
 自力で思い浮かべてはいかんのじゃ。
 自然に心に起こってくる言葉とイメージをありのままに観察してみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

142:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 21:37:25 ID:HEaYpSkM0 [4/5]
惨めな自分とかを認識すると凄く嫌な感覚になる事はわかるのですが、それが何故なのかはわかりません。

ただただそのイメージと感覚が苦痛なので、怒りや逃避をしたくなります。(あまり強いと逃避も上手く行きません) それに留まっていてもとても嫌な感覚が続くだけです。どうしたら良いでしょうか。

143:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 21:41:42 ID:HEaYpSkM0 [5/5]
あともうひとつなのですが、
嫌な感覚に飲み込まれているうちに、原因があって嫌な感覚なのか、
それとも単に嫌な感覚だけがあるのか、わからなくなってきます。

嫌な感覚が暫く続くと、その感覚自体が独立してそれを続けているような(自転車を漕ぐのを辞めても勝手に進んでしまうような?)感じがしてきます。

145:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/05/10(火) 23:24:39 ID:1d4drIFg0 [43/43]
>>142 逃避したら逃避したと観察すれば善いのじゃ。
 逃避もできなかったら、逃避もできなかったと観察すると善いのじゃ。

 それもまた原因から起こるものじゃ。
 子供の頃に親などから植え付けられた言葉やイメージであることが多いのじゃ。
 ただひたすらに観察あるのみなのじゃ。

>>143 原因があるから起こるのじゃ。
 それに同化していると、自動的に進んで行くのじゃ。
  珍しい現象を見るように、ただ眺めていれば消えて行くじゃろう。
 実践して確かめるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

835:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 15:58:33 ID:AuK7e.NA0 [1/2]
ラマナ・マハルシとの対話 323

アルナーチャラ・アシュタカムの第6連を説明しながら、シュリ・バガヴァンは次のように述べた。

マハルシ
 前の連の最後の言葉は、「一者は在るのか?」と問いかけています。
 今回の連の最初の言葉は、「そうだ、一者は在る……」と答えています。
 そしてこう続きます。
 「それは唯一なる一者であるにもかかわらず、その素晴らしい力によって、無知、あるいは潜在的傾向の集合体としても知られる小さな点である『私』(自我)の上に投影されるのである。
 この投影された光が相対的知識である。
 これは、人のプラーラブダ(今結実している過去のカルマ)に従って、内部の潜在的傾向を外部の粗雑な世界として現し、粗雑な外部の世界を微細な内部の世界として引き入れる。
 外界の粗雑な傾向を内界の微細な傾向として顕在化させ、外界の総体的な傾向を内界の微細な傾向として退出させる。
 そのような力は精妙な次元では心と呼ばれ、物理的な次元では脳と呼ばれている。
 この心や脳は、その永遠の一なる存在に対する拡大鏡として機能し、それを拡大された宇宙として外へ示す。
 目覚めと夢見の状態では心は外向性であり、眠っているときは内向性である。
 心を媒体として、一つの至高なる存在が、目覚めと夢見の状態では多様に見られ、睡眠状態や卒倒などでは引き入れられたままである。
 ゆえに、あなたはただそれであり、それ以外にはありえない。
 どのような変化があっても、同じ一つの存在があなた自身として残り、あなた自身以外に何もないのである。」

 前の連にはこうあります。

 一度太陽光を浴びると、もはや感光板は画像を映すことができない。
 同じように、心(感光板)も、あなたの光にさらされた後は、もはや世界を映すことができなくなる。
 さらに、太陽はあなたに他ならない。
 その光線が像の形成を妨げるほど強力であるなら、あなたの光はさらにどれほどであろうか?
 このように、唯一なる存在であるあなた自身から離れた何ものも存在しないと言われるのだ。

 今回の連では、小さな点=自我、暗闇でできた小さな点=潜在的傾向からなる自我です。
 見る者、主体または自我が立ち現れると、それは自身を、見られるもの、客体またはアンタハカラナ(内的器官)として拡大します。
 自我が立ち現れるためには、光は薄暗くなければなりません。
 白昼では、縄は蛇のように見えません。
 真っ暗闇では縄そのものが見えないので、それを蛇と間違えることはありません。
 薄明かりの中、夕闇の中、影で暗くなった光の中、薄明かりに照らされた闇の中においてのみ、縄が蛇に見えるという間違いが起こるのです。
 同様に、純粋な光を放つ存在が自我として立ち現れるのも、それは、闇を通って拡散するその光の中でこそ可能なのです。
 この闇は、原初の無知(原罪)としても知られています。
 それを通過する光は、投影された光と呼ばれます。
 投影された光は、その真価に基づいて、純粋な心、イーシュヴァラ、あるいは神として一般に知られています。
 イーシュヴァラがマーヤーと一体化されていることはよく知られています。
 つまり、投影された光はイーシュヴァラです。

 もう一つの名前である純粋な心は、不純な心をも暗示します。
 これは、ラージャシックまたは活動的な心、あるいは自我のことです。
 これもまた、別の投影を通してのみ、元のサートヴィックな心から映し出されることができるのです。
 したがって、自我は第二の闇(アヴィディヤー)の産物です。
 次に来るのは、アンタハカラナ(内的器官)の形をとったターマシックまたは不活発な心です。
 これが世界として現れるのです。

 粗雑な身体の立場からすれば、脳を介して、世界として外部に輝いていると言えるかもしれません。

 しかし、粗雑な身体は、心に他なりません。
 心は、四つの内なる器官、あるいは想念からなる原理、あるいは第六感からなるとも言えます。
 あるいは、知性を自我に、チッタを心に(すなわち記憶機能を思考機能に)組み合わせて、二つの部分(自我と心)からなるとすることもできます。
 後者の場合、ヴィジュニャーナートマン(知的自己)、自我、あるいは見る者が主体を形成し、心の鞘あるいは見られる者が客体を形成します。

 覚醒、夢、睡眠の状態は、原初の闇(ムーラ・アヴィディヤー)にその起源があります。
 目覚めているときと夢の中では、心は外に出てその様態から体験を引き出し、眠りの中では、マーヤーの様態を用いて体験しながら内に引き込まれます。
 独自の力が個人と宇宙のすべての活動を制御しているのです。
 これらはすべて、自ら光りを放つ存在の基底に投影された光を通過する現象に過ぎません。

836:避難民のマジレスさん[]:2022/05/10(火) 15:59:38 ID:AuK7e.NA0 [2/2]
 白昼に蛇が縄に見られないように、また濃い闇の中では縄そのものが見られないように、自ら光り輝く純粋な存在の三昧状態にも、深い眠りや卒倒などにも、世界は現れないのです。
 投影された光(闇と混ざった光、無知によって汚された知識)の中でだけ、その源から独立していない世界は、現れ、栄え、滅びるように見えるのです。
 その多様性もまた、本来の源である実在から排除されることはありえません。
 ここでは、一つの単一の存在が多様化し、客体化され、そして撤退する、という芝居が繰り広げられているのです。
 それを行うシャクティ(力)がなければならず、また、見事なものです!
 彼女は、自分の起源から独立していることはできません。
 自ら光り輝く純粋な存在の中では、このシャクティは見られません。
 それにもかかわらず、彼女の行動はこのうえなく有名なのです。
 なんと卓越しているのでしょう!

 彼女の卓越した本来の活動(すなわち振動する力)からサットヴァに満ちた投影が生じます。
 そこからラージャシックな自我、次に一般に知識として知られているタマスの想念形態、あるいは拡大レンズに相応する光が生じます。
 人工の光がレンズを通してスクリーンに映し出されるように、投影された光も想念(拡大鏡)を通過してから、その先にある世界へと広がっていきます。
 さらに、想念は ── それ自体が種子の形態をとった世界であり ── 、広大な外界であるかのように見えます。
 それは並はずれた力です!
 このように、イーシュヴァラも個人も世界も、自ら光り輝く単一の存在を基底に投影された光でしかないのです。

 さて、この「私」という想念(自我)とは何でしょうか?
 成り立ちから見れば、主体なのでしょうか、客体なのでしょうか?

 覚醒状態や夢の状態で他のすべての客体を目撃している以上、あるいは、少なくとも私たちがそう思っている以上、それは主体であると考えられなければなりません。
 しかし、純粋な真我を実現すれば、それは単なる客体でしかありません。

 この「私」という想念(自我)は誰のものなのでしょうか?
 この究明がヴィチャーラを形成します。

 「私」という想念と「これ」という想念は、どちらも同じ光からの放射です。
 それらは、それぞれラジョーグナとタモーグナに関係します。
 ラジャスやタマスから解放された、投影された光(純粋なサットヴァ)を得るためには、それは、「これ」という想念によって断たれることなく、「私-私」として輝きを放たなければなりません。
 この純粋な状態は、一時的に睡眠と覚醒の間に介在します。
 それが長引けば、宇宙意識、あるいはイーシュヴァラにさえなります。
 これが、自ら光り輝く至高の存在の実現に至る唯一の道なのです。

 また、「私は幸せに眠った、何にも気づくことなく」と、目覚めた後に回想される深い眠りには、二種類の体験があります。
 幸福と無知がその体験です。
 このように、私たちはその力が、1. アーヴァラナ(闇)と 2. ヴィクシェーパ(多様性)に改変されるのを見ます。
 心はヴィクシェーパの結果なのです。

837:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/05/10(火) 23:04:03 ID:1d4drIFg0 [378/378]

 自我はただの観念であり、名前とイメージの連結したものに過ぎないのじゃ。
 それを主体で在ると認識してしまうことが、無明なのじゃ。
 そこからさまざまな苦が起こるのじゃ。
 それはただの謬見なのじゃ。
 観察ができればそれが消え去るのじゃ。
 縄が蛇ではないと気付くように、名前とイメージが自分ではなく、自分のものでもないと気づけば無我になるのじゃ。

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