鬼和尚 2022/04/25(月)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

78:避難民のマジレスさん[]:2022/04/25(月) 16:18:46 ID:rlAecqNg0
鬼和尚様

鬼和尚様的には大麻の使用はどうお考えなのでしょうか?
小児喘息に苦しむ子どもがCBDという日本では違法ではない大麻の成分で喘息の苦しい症状から解放されたなどがありますが

79:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/25(月) 22:25:35 ID:1d4drIFg0 [23/23]
↑ 薬として少し使うには善いのじゃ。
 実際に昔は薬として使われていたものであるからのう。
 娯楽として使っていれば、肉体には悪いものなのじゃ。
 薬は何でも使いすぎはよくないのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

799:避難民のマジレスさん[]:2022/04/25(月) 07:08:24 ID:slvVrXSM0
ラマナ・マハルシとの対話 308

1936年12月31日

不可触性に関する質問があった。

マハルシ
 非自己は触れることができません。
 社会的な不可触性は人間が作り出したものですが、他の不可触性は自然で神聖なものです。

質問者
 不可触民は、私たちの寺院に入ることを許されるべきでしょうか?

マハルシ
 それを決めるのは、他の人たちです。

ヴィシュヌのアヴァターに関する質問があった。

マハルシ
 私たち自身のアヴァターを知りましょう。
 他のアヴァターの知識は後からついてきます。

再び、イーシュヴァラについての質問があった。

マハルシ
 イーシュヴァラの存在は、私たちのイーシュヴァラに対する観念に従います。

 まず、イーシュヴァラが誰の観念であるかを知りましょう。
 その観念は、それを思い描いた人に従っているだけでしょう。
 あなたが自分が誰であるかを見いだせば、他の問題は自ずと解決されるでしょう。

800:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/04/25(月) 22:28:36 ID:1d4drIFg0 [363/364]

 どのような質問にも、マハリシは自分自身の内側に目を向けるようにと誘導するのじゃ。
 それこそが言葉で伝えられる唯一の教えなのじゃ。
 他の知識はいらないのじゃ。
 全て観念遊戯であるからのう。
 観念を優先させて自己の探求を忘れないようにと、マハリシは常に注意するよう説くのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

370:避難民のマジレスさん[]:2022/04/25(月) 00:26:17 ID:ZMugjDbA0
39.
大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号40-41)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号60-61)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。

 復次依是三昧故則知法界一相。謂一切諸佛法身。與衆生身平等無二即名一行三昧。當知眞如是三昧根本。若人修行漸漸能生無量三昧

     復次に、是の三昧に依るが故に、則ち法界一相なりと知る。謂はく、一切諸佛の法身と衆生とは、平等無二
    なり。卽ち一行三昧と名づく。當に知るべし、眞如は是れ三昧の根本なり。若し人、修行すれば、漸漸に能く、
    無量の三昧を生ず。

 或有來生無善根力。則爲諸魔外道鬼神之所惑亂。若於坐中現形恐怖。或現端正男女等相。
 當念唯心境界則滅終不爲惱

     或(ある)は衆生有り、善根の力無ければ、則ち諸魔・外道・鬼神の爲に惑亂せらる。若くは坐中に於て、形(か
たち)を現じて恐怖(くふ)せしめ、或(あるひ)は端正(たんしゃう)の男女(なんにょ)等の相を現ず。 
     當に唯心を念ずべし。境界は則ち滅して、終(つひ)に惱を爲さず。

 或現天像菩薩像亦作如來像。相好具足。或説陀羅尼。若説布施持戒忍辱精進禪定智慧。或説平等空無想無願。無怨無親。無因無果。畢竟空寂是眞涅槃。
 
     或は、天像・菩薩像を現じ、亦は、如來像を作(な)して相好具足し、或は陀羅尼を説き、若くは、布施・持
戒・忍辱・精進・禪定・智慧を説き、或は平等・空・無想・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂なる、是
れ眞の涅槃なりと説く。

或令人知宿命過去之事。亦知未來之事。得他心智辯才無礙能令衆生貪著世間名利之事。
 
     或は人をして、宿命・過去の事を知り、亦は未來の事を知り、他心智・辯才無礙を得せしめ、能く衆生をして、
世間名利の事(じ)に貪著(とんぢゃく)せしむ。
   
 亦令使人數瞋數喜性無常準。或多慈愛多睡多宿多病其心懈怠。或率起精進後便休廢生於不信。多疑多慮。或捨本勝行。更修雜業。若著世事種種牽纏。
 
     又令使人をして、數(しばしば)瞋(いか)り・數喜びて、性に常準なからしめ、或は多く慈愛し、多睡(たすゐ)・多
宿・多病にして、其の心を懈怠ならしむ。或は卒(にはか)に精進を起こし、後便(のちすなは)ち休廢(くはい)して、
不信を生じ、多疑・多慮ならしめ、或は本(もと)の勝行(しょうぎょう)を捨て、更に雜業(ざふごふ)を修し、若くは世
事に著(ぢゃく)して、種種に牽纏(けんてん)せらる。
     
 亦能使人得諸三昧少分相似皆是外道所得非眞三昧 或復令人。若一日若二日若三日乃至七日。住於定中。得自然香美飲食身心適悦不飢不渇。使人愛着。

     亦能く、人をして、諸の三昧の少分の相似を得せしむ。皆是れ外道所得にして、眞の三昧に非ず。或は復、
人をして、若くは一日、若くは二日(ににち)、若しは三日(さんにち)乃至七日(しちにち)、定中(ぢゃうちう)に住して、
    自然の香美(かうみ)の飲食(おんじき)を得て、身心適悦(しんじんちゃくえつ)して、不飢・不渇ならしめ、人をして
    愛着せしむ。

  或令人食無分齊。乍多乍少顔色變異。
  以是義故行者常應智慧觀察勿令此心。堕於邪網。當勤正念不取不着則能遠離是諸業障

     或は人をして、食に分齊なく、乍(たちま)ち多くし乍ち少くし、顔色を變異せしむ。
     是の義を以ての故に、行者は常に應(まさ)に、智慧もて觀察し、此の心を邪網に堕せしむることなかるべし。當
    に勤めて正念にして、不取・不著(ふぢゃく)ならば、則ち能く、是の諸の業障(ごふしゃう)を遠離すべし。

 應知外道所有三昧皆不離見愛我慢之心。貪着世間名利恭敬故
 眞如三昧者。不住見相。不住得相。乃至出定亦無懈慢。所有煩惱漸漸微薄。

     應に知るべし、外道所有の三昧は、皆不離見愛我慢の心を離れず。世間の名利恭敬に貪著(とんぢゃく)する
    が故に。
     眞如三昧とは、見相に住せず、得相に住せず、乃至定(ぢゃう)を出づるも、亦懈(げ)慢無し。所有の煩惱、漸
    漸に微薄(みはく)なり。
     
 若諸凡夫不習此三昧。法得入如來種性。無有是處
 以修世間諸禪三昧多起味着依我見。?壓屬三界。與外道共。若離善知識所護則起外道見故

     若し諸の凡夫、此の三昧法を習せずして、如來の種性(しゅしゃう)に入るを得(う)る、是の處(ことわり)有ること
    無し。
     世間の諸禪三昧を修すれば、多く味著(みぢゃく)を起こし、我見に依って、三界に?壓屬(けぞく)するを以て、外
    道と共(とも)なり。若し善知識の所護を離るれば、則ち外道の見を起こすが故に。

(´・(ェ)・`)b

371:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/25(月) 23:35:57 ID:1d4drIFg0 [196/198]
 また次にある人が信心して修行しても、前世からの多くの重罪悪業の障害がある故に、邪魔諸鬼のために悩乱させられることもあるじゃろう。
 或いは世間の仕事等のために、種々に時間を縛られ、或いは病苦に悩まされたりする者達もいるじゃろう。
 このように多くの障害があったりするじゃろう。

 このようなことがある故に、まさに勇猛精進して、昼夜常に諸仏を礼拝し、誠の心で懺悔して、教えを請い願い、教えを受けたら歓喜して菩提に回向するのじゃ。
 このように常に実践して休まず、止めなければ、もろもろの障害も免れるのじゃ。
 善根が増長するからなのじゃ。

 第五の止観門なのじゃ。

 どのように修行するのか。

 言う所の止とは、一切の境界の想念を止めて、シャマタの観に随順するのじゃ。
 
 言う所の観とは、因縁生滅の相を分別して、ヴィパッサナー観に随順するのじゃ。

 どのようにして随順するのか。
 この二つの法を少しずつ実践して、互いに離れる法ではないから、並べて現前するのじゃ。

 もし止を実践したいという者が居れば、静かなところに住んで、座禅して意を正すのじゃ。
 そして呼吸に依らず、形色に依らず、空に依らず、地水火風に依らず、乃至見る聞く等の知覚に依らないようにするのじゃ。
 一切の諸法も憶念に従って皆除き、一切の想念を除く実践をするのじゃ。
 一切の諸法は皆本来無想にして、刹那に生まれず、刹那に滅することもないと念じるのじゃ。

 また常に心の外の世界においては境界は無で在ると念じ、心によって除くことの出来ない心に至るのじゃ。
 心がもし乱れたら、すぐに集中し直して、正しい念に戻るのじゃ。
 この正しい念とは、唯心であり他に境界がないと正に知るべきなのじゃ。
 そしてまたこの心も自らの特徴はなく、刹那に得ることの出来ないものじゃ。

 もし座禅から立って、去来進止の動作をすることがあれば、全ての時において方便を念じて、ありのままに観察するべきなのじゃ。
 その実践に習熟すれば、その心は止まるのじゃ。
 故に少しずつ功徳が増大し、真如三昧に入れるのじゃ。
 煩悩を征服して、信心も増長して、ついに不退転の境地になるのじゃ。

 ただ疑惑や不信や、誹謗や、重罪の業障、我があるという慢心、怠けるというような煩悩を持つ者は除くのじゃ。

372:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/26(火) 00:01:59 ID:1d4drIFg0 [197/198]

 以上のような煩悩のある者には入れない境地なのじゃ。

 また次にこの三昧に入れば、法界は一相と知れるのじゃ。
 なぜならば一切諸仏の法身と、衆生の心とは平等で一つであるからなのじゃ。
 それをすなわち一行三昧と名づけるのじゃ。
 真如は正に三昧の根本と知るべきなのじゃ。
 もし人がそれを修行すれば、少しずつできるようになり、無量の三昧を生じるのじゃ。

 あるいは善根の力がない衆生がいれば、即ち諸々の魔、外道、鬼神に惑乱させれられるのじゃ。
 もしくは座禅の最中に、魔が形を現して恐れさせ、あるいは美男美女の心象を表したりするのじゃ。

 そのような時にはまさに唯心を念じるべきなのじゃ。
 そうすれば境界は即ち滅して、悩まされることも無くなるのじゃ。

 そのような魔はあるいは天人、菩薩の心象を現したり、相好を備えた如来を現し陀羅尼や、布施、持戒、忍耐、精進、禅定、智恵の完成を説いたりするのじゃ。
 あるいは平等、空、無相、無願、無怨、無親、無因、無果、畢竟空寂であるこれが涅槃であると説いたりするのじゃ。
 あるいは人に宿命通や過去未来のことを知ったり、他人の心を知り、自由な弁才を得さしめて、名声に執着させたりするのじゃ。

 あるいは人に喜怒の念をたびたび起こらせて、平静な心をなくさせるのじゃ。
 あるいは愛着を多くさせて、多く眠り、多く宿り、多く病を得させて怠けさせるのじゃ。
 あるいは人をいきなり精進させて、次には実践を休ませたり止めさせて不信を生じて、疑いや慮りを多くさせるのじゃ。
 あるいはもともとの優れた法わ捨てさせ、つまらぬ法を修行させて、あるいは世間の仕事に執着させて、いろいろに惑わせるのじゃ。

373:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/26(火) 00:18:34 ID:1d4drIFg0 [198/198]

 また人にもろもろの三昧に似た境地を得させるのじゃ。
 そのようなものは外道の得るものであり、真の三昧ではないのじゃ。
 あるいは人に数日の三昧において自然の香味を得させて、心身を喜ばせて飢えず渇せず、愛着させるのじゃ。
 あるいは人の食欲を際限なくして、多食や小食にしたりして病で顔色を悪くするのじゃ。
  
 このような魔があるから、修行者は、常に正に智恵を持って観察して、心を邪見の網に落ちないようにするのじゃ。
 正に勤めて正念を保って、何も取らず、何にも執着しないならば、このもろもろの魔の業障を遠離することができるのじゃ。
 
 外道の教える三昧は皆、見愛、我慢の心を離れられないと知るべきなのじゃ。
 世間の名利や尊敬の心を貪り執着するからなのじゃ。

 真如三昧とは、見る相に心を止めず、得る想念にも心を止めず、定を出ても怠け心や慢心が無いのじゃ。
 もっていた煩悩も少しずつなくなっていくのじゃ。

 もしもろもろの凡夫がこの三昧を習得しないで、如来になることはないのじゃ。
 
 世間の諸三昧を修得すれば、多くが三昧に執着して、我見をもって三界に縛られるから外道と一緒なのじゃ。
 もし善知識の守りから離れれば、すなわち外道の見解を起こすからなのじゃ。

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