鬼和尚 2022/04/23(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

73:避難民のマジレスさん[]:2022/04/23(土) 13:26:58 ID:7SCyK0dQ0
悟りを開いた人は常に気付いているというのは間違いではないでしょうか?
気づきの意識すら仮設されたものに過ぎないと思うのですが。

74:避難民のマジレスさん[]:2022/04/23(土) 22:49:27 ID:ehQV/BTA0 [19/19]
ありがとうございました。

75:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/23(土) 23:26:41 ID:1d4drIFg0 [21/21]
>>73 そうじゃ、。気づくということも観念があるからなのじゃ。
 間違っていた観念に気づくのじゃ。
 正しい観念を見出すから気づというのじゃ。

 観念を完全に離れれば気づくこともないのじゃ。
 ただありのままにあるだけなのじゃ。

>>74 どういたしまして、またおいでなさい。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

795:避難民のマジレスさん[]:2022/04/23(土) 07:30:32 ID:hu6VhfHg0
ラマナ・マハルシとの対話 306

質問者
 瞑想するためには具体的な何かが必要です。
 どうやって「私」に瞑想すればいいのでしょうか?

マハルシ
 私たちは完全に形に根ざしてしまっているので、瞑想するための具体的な形が必要なのです。
 私たちが黙想するものだけが、最終的に残ります。
 あなたが黙想するとき、他の想念は消えてしまいます。
 あなたが黙想する必要がある限り、他の想念が存在します。
 あなたはどこにいるのでしょうか?
 あなたは、あなたが存在するからこそ、黙想するのです。
 なぜなら、黙想する者が黙想しなければならないからです。
 黙想は、彼が存在するところにしかありえません。
 黙想は、他のすべての想念を遠ざけます。
 あなたは自分自身を源に融合させるべきです。
 時には、睡眠、死、気絶などのように、私たちは無意識に源に融合します。
 黙想とは何でしょうか?
 それは、意識的に源に融合することです。
 そうすれば、死や気絶などに対する恐怖が消えるでしょう。
 なぜなら、あなたは意識的に源に融合することができるからです。

 なぜ死を恐れるのでしょうか?
 死が非在を意味することはありえません。
 なぜあなたは眠りを愛し、死を愛さないのでしょうか?
 あなたは今思考していないのですか?
 あなたは今存在していないのですか?
 あなたは眠っている間に存在しなかったのでしょうか?
 子供でさえ、よく眠れた、幸せだったと言います。
 しかし、それは無意識のうちに、眠りの中の自分の存在を認めているのです。
 つまり、意識こそが私たちの真の本性なのです。
 私たちは無意識のままではいられないのです。
 しかし、私たちは、制限された意識に注意を向けているため、「私たちは睡眠中に無意識だった」と言います。
 世界や身体などが私たちの中に深く入り込んでいるため、この相対的な意識が真我であると見なされるのです。
 寝ている間に「自分は無意識だ」と言う人がいるでしょうか。
 彼は今そう言うのです。
 これは相対的意識の状態です。
 したがって、彼は抽象的な意識ではなく、相対的な意識について話しているのです。
 意識は相対的な意識や無意識を超えているのです。

再びティルヴァーチャカムの話に戻り、シュリ・バガヴァンはこう言った。

マハルシ
 四大聖人はみな、最初の一節で自分の体験を述べています。(1) 無分別な崇拝 (2) 絶え間ない想起 (3)想念の生じない状態 (4) 自我はなく、真我がある。

すべて同じ意味です。

質問者
 しかし、この真理は実現されていません。

マハルシ
 いずれは実現されるでしょう。
 それまでは、「ほんの一瞬でさえも、あなたは私の心を離れることはありません」という献身(バクティ)があります。 
 彼が一瞬でもあなたのもとを離れるでしょうか?
 あなたの心がさまよいだすのを許すのは、あなたの方です。
 彼は常に変わりません。
 あなたの心が定まったとき、あなたはこう言います。
 「彼は一瞬たりとも私の心を離れることはありません」と。
 なんとばかげたことでしょう!

796:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/04/24(日) 00:01:07 ID:1d4drIFg0 [361/361]

 黙想とは意識的に源に融合することであると、マハリシは説いたのじゃ。
 それは誰の心の中にもあるものじゃ。
 むしろそれこそが全ての存在の本体なのじゃ。
 全てはそこから起こったものなのじゃ。
 それに身を委ねることが全ての瞑想の目的なのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

366:避難民のマジレスさん[]:2022/04/23(土) 00:30:03 ID:Dnnbff0c0
36.
大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号37)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号57-58)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。

●正宗五分第四 修行信心分

 巳説解釋分。次説修行信心分。
 是中依未入正定聚衆生故。説修行信心。
 何等信心云何修行。
 畧説信心。有四種云何爲四(上來ハ大乘ヲ明シ今ハ正シク起信ヲ明ス)

      巳(すで)に解釋分を説けり。次に修行信心分を説かん。
      是の中(うち)、未だ正定聚(じう)に入らざる衆生に依るが故に、修行信心を説く。
      何等の信心を、云何が修行するや。
      略して信心を説くに、四(し)種有り。云何が四と爲す。

●四種ノ信心 

 一者信根本。所謂樂念眞如法故。

     一には、根本を信ず。所謂、眞如の法をするが故に。

 二者信佛有無量功徳常念親近供養恭敬發起善根。願求一切智故

     二には、佛に無量の功徳有りと信じ、常に念じて、新近(しんごん)し、供養し、恭敬(くぎゃう)して、善根をし、一
切智を(ぐわんぐ)するが故に。

 三者信法有大利益。常念修行諸波羅蜜故

     三には、法に大利益有りと信じ、常に念じて、諸(もろもろ)の波羅蜜を修行するが故に。

 四者信僧能正修行自利利他常樂親近諸菩薩衆求學如實行故

     四には、僧は、能く正しく、自利利他を修行すると信じ、常に樂(この)んで、諸の菩薩衆に親近し、如實行を求
學(ぐがく)するが故に。

▲五門ノ修行 

 修行有五門能成此信。
 云何爲五。一者施門。二者戒門。三者忍門。四者進門。五者止觀門

      修行に五門有り、能く此の信を成(じゃう)ず。
      云何が五と爲す。一には施門(せもん)、二には戒門、三には忍門、四には進門、五には止觀門なり。

(´・(ェ)・`)b

367:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/23(土) 23:45:02 ID:1d4drIFg0 [194/194]
 既に解釈分を説いたのじゃ。
 次は修行信心分を説くのじゃ。

 これを読む者の中で、まだ正定摂、つまり悟りをひらくことが定まっていない者のために修行信心分を説くのじゃ。

 どのような信心を、どのように修行するのか。
 略して説けば四種在るのじゃ。

 その四つとは、

 一つ目は根本を信じるのじゃ。
 いわゆる真如の法を安楽に観察し念じるからなのじゃ。

 二つ目は仏に無量の功徳があると信じて、常に念じて親近し、供養し、うやうやしく敬って善根を発起するのじゃ。
 一切智を願い求めるからなのじゃ。

 三つ目は法に大きな利益が在ると信じるのじゃ。
 常に念じてもろもろの波羅蜜を修行するからなのじゃ。

 四つ目は僧は正しく修行して自他の利益をもたらすと信じるのじゃ。
 常に好んでもろもろの菩薩衆に親近し、如実の行を求め学ぶからなのじゃ。

 そしてまたその修行にも五つの門があるのじゃ。
 この五門によって信心も成就するのじゃ。

 どのような門なのか。

 一つ目は布施の門なのじゃ。

 二つ目は戒の門なのじゃ。

 三つ目は忍耐の門なのじゃ。

 四つ目は精進の門なのじゃ。

 五つ目は止観の門なのじや。

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