鬼和尚 2022/04/22(金)

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

793:避難民のマジレスさん[]:2022/04/22(金) 07:39:01 ID:LzPV8th.0
ラマナ・マハルシとの対話 305

訪問者同士が話していて、その中の一人が言った。

「我々は、我々の伝統的な教えに慣れ親しんでいるが、これらの教え(シュリ・バガヴァンの教えのこと)に従うができない。我々のやり方に不慣れな外国人が、どうしてそんなに簡単にシュリ・バガヴァンの教えに従うことができるというのか?」

彼は、ハンディキャップがあるにもかかわらず、我々を理解しようとする彼らの試みに共感し、また適切な知識を持たない彼らを哀れんでいるようだった。

シュリ・バガヴァンは最後にこう言った。

マハルシ
 ビジョンはないよりはあったほうがいいのです。
 彼らはそうやって興味を持つのです。
 彼らは異国の思想になじめません。
 しかし、一度なじめば、続けていきます。
 メリットはこれくらいのものです。

シュリ・バガヴァンはその後、シヴァプラカーシャム・ピライ*のビジョンについて言及した。

「ビジョンは外的なものではありません。それらは内面にのみ現れます。もし、外的なものであれば、そこに見る者がいなくても現れなければなりません。その場合、その存在の根拠は何でしょうか?見る者しかありません」。


(福間巌氏註* : シヴァプラカーシャム・ピライのヴィジョン)

シヴァプラカーシャム・ピライは1902年にマハルシに出会い、「私は誰か?」の質疑応答を記録した最も初期の弟子。
以下は彼のヴィジョンの体験である。

シヴァプラカーシャム・ピライは座るとマハルシを見つめた。
すると、突然頭の周りに目も眩むような光の輪が現れ、マハルシの頭から黄金の子供が出現したかと思うと再び戻っていった。
彼はあふれくる恍惚感に満たされた。
長い間抱えてきた疑いと優柔不断からくる緊張が破れ、彼は純粋な解放感の中でむせび泣いたのだった。
次の日の夜、マハルシの前に座ると、彼は再びヴィジョンを見た。
このときマハルシの身体は朝日のように輝き、その周りには満月のときに見える光輪があった。
それからマハルシの全身は聖灰に覆われ、目は慈悲で輝いているのを見た。
2日後、彼は再びヴィジョンを見た。
このときは、マハルシの身体はあたかも純粋な水晶のように見えた。
恐怖に圧倒されて、彼はそこから立ち去った。
さもなければ、彼のハートの中でこみ上げていた喜びさえも消えてしまっただろう。

『ラマナ・マハルシの伝記』(ナチュラルスピリット刊)より。

794:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/04/23(土) 00:34:15 ID:1d4drIFg0 [360/360]

 伝統がなくとも不可思議なビジョンを見れば信じるものもいるというのじゃ。
 しかしそれもまた自分の心の中の観念から現われるものじゃ。
 見る者がいなければビジョンもないのじゃ。
 見る者という原因がないからなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

363:避難民のマジレスさん[]:2022/04/22(金) 17:05:55 ID:xzr0rbR60
35.
大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号36.)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号56-57)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。

▲一切種智ノ問答

 問曰虚空無邊故。世界無邊。世界無邊故。衆生無邊。衆生無邊故。心行差別亦復無邊。如是境界不可分齊。難知難解。若無明斷。無有心想云何能了名一切種智

     問うて曰はく、虚空無邊なるが故に、世界無邊なり。世界無邊なるが故に、衆生無邊なり。衆生無邊なるが
故に、心行の差別も亦復(またまた)無邊なり。是くの如く、境界は分齊すべからず。知り難く解(げ)し難し。若し無
明斷ぜば、。心想有ること無し。云何ぞ能く了するを一切種智と名づくるや。
 
 答曰一切境界本來一心。離於想念以衆生妄見境故。心有分齊。以妄起想念。不稱法性故不能決了。

     答へて曰はく、一切の境界は、本來一心にして、想念を離る。以衆生妄(みだり)に境界を見るを以ての故に、
心に分齊(ぶんざい)有り、妄(みだり)に想念を起こし、法性(ほっしょう)に稱(かな)はざる以ての故に、決了する能
(あた)はず。

 諸佛如來。離於見想無所不?衆心。眞實故即是諸法之性。自然顯照一切妄法有大智用無量方便随諸衆生所
應得解。皆能開示種種法義是故得名一切種智

     諸佛如來は、見想を離れて、?衆せざる所無し。心、眞實の故に(なるが故なり)。卽ち是れ諸法の性(しゃう)な
り。自體〔は〕一切の妄法を顯照し、有大智用(ゆう)・無量の方便有り。諸の衆生、應(まさ)に解(げ)を得べき所
に随って、皆能く種種の法義を開示す。是の故に、一切種智と名づくるを得。

▲自然業智ノ問答

 又問曰。若諸佛有自然業。能現一切處。利益衆生者一切衆生。若見其身。若覩神變若聞其説無不得利云何世間多不能見。

     又問うて曰はく、若し諸佛に、自然業有り、能く一切處に現じ、衆生を利益(りやく)せば、一切の衆生、若しは
其の身を見、若しは神變を覩(み)、若しは其の説を聞いて、利を得ざること無けん。云何ぞ、世間多く見ること能
(あた)はざるや。

 答曰。諸佛如來法身平等?衆一切處。無有作意故而説自然但依衆生心現衆生心者。猶如於鏡。鏡若有垢色像。不現如是衆生心。若有垢法身不現故

     答へて曰はく、諸佛如來の法身は、平等に一切處に?衆じて、作意(さい)有ること無きが故に、自然と説く。但
衆生の心(しん)に依って現ず。衆生心は、猶ほ鏡の如し。若し垢有れば、色像は現ぜず。是くの如く、衆生の心
も、若し垢有れば、法身は現ぜざるが故に。

 (´・(ェ)・`)b

364:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/23(土) 00:11:58 ID:1d4drIFg0 [192/193]
 また聞いたのじゃ。
 
 虚空は無辺であるから、世界も無辺なのじゃ。
 世界が無辺であるから、衆生界も無辺なのじゃ。
 衆生界が無辺であるから、観念の差別もまた無辺なのじゃ。

 このように境界は量る事ができないものじゃ。
 知り難く、理解もし難いものじゃ。
 もし無明が断たれれば、観念はないのじゃ。
 とのようにして全てを知ることを、一切を知ることのできる智恵と名づけられるのか。

 答えたのじゃ。

 一切の境界は本来一心であり、観念を離れたものじゃ。
 衆生は妄りに境界を見るから、心に量ることも在るのじゃ。
 妄りに観念を起こして、法性に適合しないから、理解も出来ないのじゃ。

 諸仏如来は観念を離れて、遍く存在するのじゃ。
 真実であるからなのじゃ。
 それがすなわち諸法の本性なのじゃ。
 
 自体は一切の妄法を明らかにして、大智恵の用いる無量の方便があるのじゃ。
 もろもろの衆生が理解できるように、いろいろに法の意味を開き示すのじゃ。
 この故に一切種智と名づけられるのじゃ。

365:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/23(土) 00:23:02 ID:1d4drIFg0 [193/193]
更に又聞いたのじゃ。

 諸仏に不可思議な技があるというのじゃ。
 一切の場所に現われて、衆生に利益を与える事が出来るのじゃ。
 姿を現してみせたり、神通力を見せたり、説法したりすれば衆生は必ず利益を得るじゃろう。
 世間ではそのようなことを聞かないのはなぜなのか。

答えたのじゃ。

 諸仏如来の法身は、平等に一切の場所に遍く在り、作意がないから自然と説くのじゃ。
 ただ衆生の心によって現われるのじゃ。

 衆生の心は鏡のようなものじゃ。
 もし鏡に汚れた垢があれば何も写らず形は現われないのじゃ。
 衆生の心も同じく、心に垢があれば、仏も現われないのじゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました