鬼和尚 2022/04/20(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part20
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1649249411/

63:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 00:04:35 ID:ehQV/BTA0 [14/17]
目の前の壁としてみえる「それ」。壁と名付けられる前の「それ」は感じられますよね?

見てる壁が白い場合、白さという感覚すら知覚しないんですか?白いと名付けられる以前の白さの「あの感じ」は知覚されますよね?

そうでなければ何も見えない、かといって真っ暗でもない、完全に視覚が機能を停止しているということになります。
全盲の人は何も見えませんがだからといって真っ暗という「暗さ」も感知しません。通常生きている人間には想像もつかない感覚です。
無色界禅定では全盲の人と同じ感じになるということですか?何も見えてないなら。

64:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 02:05:41 ID:ehQV/BTA0 [15/17]
一度だけ無色界禅定まで至って自分は肉体じゃないとわかったら今後一切、肉体の死の恐怖に苦しまなくてよくなりますか?
勿論、肉体以外への自己同一化から生じる自己消失の恐怖は残存するかもしれませんがそれは置いといて。

言い換えると、
ほとんどの恐怖の根っこには肉体の死の恐怖があると思いますが無色界禅定に至ることでその根っこはすっかり取れますか?

65:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 02:23:46 ID:ehQV/BTA0 [16/17]
鬼和尚って結跏趺坐出来るんでしたっけ?
結跏趺坐で何分くらい座ってられますか?

69:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/20(水) 22:54:05 ID:1d4drIFg0 [18/19]
>>63 意識として感じられるのじゃ。
 自分と離れたものではない意識なのじゃ。
 
 白とか壁とかの観念が間違いなのじゃ。
 真の本質を持つ意識だけが感じるられるのじゃ。
 実践して確かめるしかないのじゃ。

>>64 それが真実と気付けばなくなるのじゃ。
 禅定の時だけの感覚とか思っていればなくならないのじゃ。
 何でも気づくことが大事なのじゃ。
 それが進歩なのじゃ。

 深い瞑想に入っても気づくことがなければ、寝ているのと同じなのじゃ。
 夢の中で神様になったと感じても覚めればもとどおりなのじゃ。
 それと同じように瞑想でどれほど深い禅定に入っても、覚めればもとのように感じるだけなのじゃ。
 禅定によって感じた自己のありようを真実と気付けば、苦痛もなくなっていくのじゃ。

>>65 やればできるのじゃ。
 五秒じゃな。

66:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 03:51:44 ID:ehQV/BTA0 [17/17]
質問多くてすいません。
座禅で魔境に入ったことってありますか?
どんな感じでした?

67:避難民のマジレスさん[sage]:2022/04/20(水) 05:47:06 ID:czRftzgI0 [2/2]
>55
確かめられるようがんばります

68:みかんちゃん[]:2022/04/20(水) 22:38:07 ID:myl6vubs0
みかんちゃんは魔境に入ったことがあり、まだ魔境に入っています。
魔境は魔境と気づかないので魔境なのですが、みかんちゃんは最初の強烈なサマーディの期間にいたある時、気づきの啓示のような(神がかったスピリチュアル的な)現れ方をしたので、最初魔境だと思ってませんでした。
しかし、現れたことに関することでずっと執着があったので、おそらくこれは魔境だろうと思い、執着をやめたいと必死で祈っていました。
しかし、執着はおさまらず、何がなんだかわからなくなり、執着の対象も魔境の現れもとりあえず放置して瞑想修行を続けていました。
執着はあるものの、別にそれが思い通りになる状況ではないので放置していました。
そしてそれから一年後くらいに、突然、執着していたことに関して過去に起こっていたある出来事について思い出しました。
みかんちゃんはその出来事に関して点と点と点と点としか捉えていなかったったのです。
しかし、記憶の点と点が繋がり、みかんちゃんはある人に(その時のみかんちゃんの視点から表現すれば)陥れられていた事に気がついたのです。
みかんちゃんの潜在意識では出来事の当時すでに、陥れられていたことは知っていたのですが、それを認めるのがあまりにも辛いことだったので、点と点としか認知できていなかったのです。
とてもつらい事実でしたが、みかんちゃんはそれを受け入れなければなりませんでした。
また、点と点としか認知できなかった時分は、心の器もそれだけだったということで
心の準備なしに魔境が見えていたら大変なことになっていたと思いました。そして、点と点としか認知できなかったので、当時、人前で卑屈や自暴自棄にならずにその出来事の関係者の前で天然に振る舞い、出来事を終えることができました。
魔境は執着しているが見てないものがあることの知らせだと分かりました。

みかんちゃんはその執着に対して、何度も何度も観察を終えて、世間的な捉え方ではもう執着はなくなっているのですが、
未だに執着の対象に対して思いや思い出しが勝手に湧いて出てきており、厭離されてないことに気がついています。まだ魔境は続いているようです。
なんで出てくるのか分かりませんが、厭離されれば記憶はあっても思い出そうとすれば端から消えていくので、一連の記憶として捉えらるのが難しくなることは知っています。

70:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/20(水) 22:55:41 ID:1d4drIFg0 [19/19]
>>66 体が横に曲がったように感じたのう。
 目覚めてみれば曲がっていなかったのじゃ。
 それも囚われれば障害になるのじゃ。
 囚われなければ障害にならないのじゃ。

>>67 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

788:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 06:36:25 ID:1f0uHof.0
ラマナ・マハルシとの対話 303

K.R.V.アイヤール氏は、ナーダ(音)についてさらに光明を求めた。

マハルシ
 それに瞑想する者はそれを感じるのです。
 ナーダには10種類あります。
 最後の雷鳴のようなナーダの後、人はラヤ(一時的な没入)を得ます。
 それが彼の自然で永遠の状態です。
 ナーダ、ジョーティ、あるいは探究は、このように人を同じ地点に導きます(前者は間接的、後者は直接的)。

質問者
 心はしばらくの間穏やかになりますが、再び現れます。
 どうしたらよいのでしょうか?

マハルシ
 たびたび得られる平穏は、他の時にも覚えておかなければなりません。
 その平穏は、あなたの自然で永遠の状態です。
 継続的な修練によって、それは自然になります。
 それは「流れ」と呼ばれています。
 それがあなたの本性です。

 ナーダやビジョンなどは、トリプティ(認識するもの、認識、認識されるものの三位)の存在を暗示します。
 真我への探求から生じる流れは、シュッダ・トリプティまたは純粋な三位……つまり、未分化の三位なのです。

789:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/04/20(水) 23:33:34 ID:1d4drIFg0 [358/358]

 ナーダとはヨーガで体内の音に集中する瞑想なのじゃ。
 呼吸の音とか、心音等に集中するのじゃ。
 熟練すれば神秘的な音が聞こえるようになるというのじゃ。
 しまいには雷鳴のような音がするというのじゃ。
 それを実践する者には聞こえるものなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

358:避難民のマジレスさん[]:2022/04/20(水) 00:12:28 ID:KBYeStX60
33.
大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号34)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号55)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。
*テキストに依って表記の異なる箇所には*印を付した

○解行發心者當知轉勝。以是菩薩。從初正信巳來。於第一阿僧祇劫將欲滿故。於眞如法中。深解現前所修離相。

     解行(げぎゃう)發心とは、當(まさ)に知るべし、轉(うた)た勝(しょう)なり。是の菩薩は、 
    初(しょ)の正信(しょうしん)より巳來(このかた)、第一阿僧祇劫に於いて、將(まさ)に滿ぜん
    と欲するを以ても故に、眞如の法中に於て、深解(じんげ)現前して、所修、相を離る。
 
 以知法性體無慳貪故。随順修行檀波羅蜜

     法性の體は、慳貪(けんどん)無しと知るを以ての故に、随順して檀波羅蜜を修行す。

 以知法性無染離五欲過故。随順修行。修行尸羅波羅蜜。    

     法性は染無くして、五欲の過を離ると知るを以ての故に、随順して尸(し)羅波羅蜜を修行す。

 以知法性無垢離瞋悩故随順修行?婀提波羅蜜

     法性は苦無く、瞋悩(しんなう)を離(はな)ると知るを以ての故に、随順して?婀提(せんだい)
    波羅蜜を修行す。

 以知法性無身心相離懈怠故随順修行。毘黎耶波羅蜜

     法性は身心の相無く、懈怠を離ると知るを以ての故に、随順して毘梨耶(びりや)波羅蜜を修
    行す。

 以知法性常定體無亂故随順修行禪波羅蜜

     法性は常に定にして、體に亂無しと知るを以ての故に、随順して修行禪波羅蜜を修行す。 

 以知法性體明離無明故。随順修行般若波羅蜜

     法性は體明(あきらか)にして、無明を離ると知るを以ての故に、随順して般若波羅蜜を修行  
    す。
 (´・(ェ)・`)b

359:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/20(水) 23:52:53 ID:1d4drIFg0 [189/189]

 解行発心とはとても優れた発心なのじゃ。
 このような発心を持つ菩薩は、初心で正しい信仰を持ち、一あそぎ劫で修行を終えようとするのじゃ。
 それ故に真如の法の中において深く理解して、観念の相を離れるのじゃ。

 法性の本体はけちくさいものではないから、それに随って布施の完成を修行するのじゃ。

 法性は染がないから、五欲の過ちを離れていると知って、それに随って戒の完成を修行するのじゃ。

 法性は苦がなく、怒りや悩みも離れていると知っているから、それに随って忍耐の完成を修行するのじゃ。

 法性は心身の観念がなく、怠けることもないと知っているから、それに随って精進の完成を修行するのじゃ。

 法性は常に定であり、本体に乱れがないと知って、それに随って禅定の完成を修行するのじゃ。

 法性は本体が明らかであり、無明を離れていると知って、それに随って智恵の完成を修行するのじゃ。

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