鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/
992:避難民のマジレスさん[]:2022/04/03(日) 18:09:34 ID:ehQV/BTA0 [15/15]
ありがとうございました。
993:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/03(日) 21:38:23 ID:1d4drIFg0 [310/311]
↑ どういたしまして、またおいでなさい。
994:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/03(日) 22:04:21 ID:1d4drIFg0 [311/311]
5ちゃんねるに書けなくなったのじゃ。
プロキシが不正とかいうのじゃ。
またバグかもしれん。
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 – したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/
763:避難民のマジレスさん[]:2022/04/02(土) 22:27:19 ID:gUkKzeYA0
147.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)~SRI H.W.L.POONJA
第13章 自由 ☆Part3②
Q:愛とは何か知りたくて仕方がありません。
この愛に対する熱望が100%充分ではないので、愛に関する質問が起こってくるのだ。河の水面から頭が突き出しているときだけ話すことが出来る。頭を愛の河に沈めたまま話そうとしてごらん。話せるかね?
話すときは頭がいつも河の水面から突き出て河の両岸にいる人々に話しているのだ。頭が完全に愛の河に沈み込めば、愛について質問することはない。
愛は身体の毛穴を通じてそれ自体で話す。
口を開けて離す必要はない。
愛には言葉がない。
愛について話すことや経験することができるものは愛ではない。
考えや饒舌は哲学で愛ではない。
愛すると愛になる。
誰が誰に話すというのか?
ただ見つめてごらん、すると愛が起こる。
全てが偽りだ、人工的だ、愛以外の全てが。
愛するとどのように愛するかが分かる。
分からないというのなら愛ではない。
愛は内からひとりでにやってくる。
それを妨げることは出来ない。
愛があるとき残りの全てが終わりだ。
他のものに対する執着は落ちる。
愛だけが、愛することだけが存在する。
時間がかかるというのは延期していることだ、
愛のほかに興味があるのだ。
愛は自発的でハートの住人だ。
Q:「私である」私が宇宙の踊り手に見えます。ありがとうございます。
私はこの経験を祝福しよう、実際にはそれは経験ではないが。これはここで起こって、あなたは真理への最後のステップに入る。これがあなたの人生の目的だ。
真理を実現した後は全てを目撃する。良い悪いの判断はない。全てがゲームだと悟る。もし誰かがキスするならOK。誰かがあなたを打ったなら、彼の手が傷つかなかったか確かめなさい。
昔、ある聖人がいて、水を飲むために川に降りて行った。川の中にサソリが押し流されているのに気づいて、助けようと手を差し伸べたら指を噛まれた。サソリに噛まれるとそれは痛いものだ。
それでも彼は何度もサソリを助けようと試みて、その度に指を噛まれた。これを近くで見ていた人が聖人に尋ねた。
「あなたを噛もうとしているサソリをなぜ助けようとしているのですか?」
聖人が言うには、「習性である噛むことをサソリがやめないのに、なせ私の奉仕の習性をやめるべきかね?」
だから、演じるには難しいゲームであるかも知れない。あなたに噛みつく多くのサソリはいるし、うじ虫が餌になるあなたを待っている。死があなたを待っている。
だから、あなたの息が続く限りこのゲームを演じなさい。まわりで起こっていることを全て目撃していなさい。そうするとあなたは賢人だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
764:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/04/03(日) 21:46:39 ID:1d4drIFg0 [347/347]
愛についての知識は愛ではないのじゃ。
むしろ愛から遠ざかる障害になるものじゃ。
知識とは記憶であり、過去のものであるからのう。
記憶に囚われていては今ここにある愛は感じられないのじゃ。
言葉もイメージもない愛は、自他の分別がなければただあるものなのじゃ。
オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/
307:避難民のマジレスさん[]:2022/04/02(土) 22:32:04 ID:gUkKzeYA0
16.
大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号16-17)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号39-40)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。
*テキストに依って表記の異なる箇所には*印を付した
▲六種ノ染心
染心者六種。云何爲六。
一者執相應染。依二乘解脱。及信相應地。遠離故。
染心(ぜんしん)とは六種有り。云何(いかん)が六と爲す。
一には執相應染(しふさうおうぜん)。二乘(にじょう)の解脱と、及び信相應地とに依り、遠離(をんり)するが故に。
二者不斷相應染。依信相應地修學方便。漸漸能捨得浄心地。究竟離故。
二には不斷相應染 信相應地(ぢ)に、方便を修學するに依り、漸漸に能く捨して、浄心地(ぢ)を得、究竟(く
きゃう)して離するが故に。
三者分別智相應染。依倶戒地漸離。乃至無相方便地。究竟離故。
三には分別智相應染。倶戒地に依って漸(やうや)く離れ、乃至無相方便地に究竟(くきゃう)して離するが故に。
四者現色不相應染。依色自在地。能離故。
四には現色(しき)不相應染。依色自在地(ぢ)に依り、能く離するが故に。
五者能見心不相應染。依自在地。能離故。
五には能見心不相應染。自在地に依り、能く離するが故に。
六者根本業不相應染。依菩薩盡地得入如來地能離故。
六には根本業不相應染。菩薩の盡地に依り、如來地に入るを得て、能く離るるが故に。
不了一法界義者。從信相應地。觀察學斷。入浄心地。隨分得離。乃至如來地。能究竟離故。
一法界を了せざる義〔と〕は、信相應地より、觀察學斷して、浄心地に入り、分に随って離るるを得、乃至如
來地に、能く究竟して離するが故に。
言相應義者。謂心念法異。依染浄差別而知相緣相同故。
不相應義者謂即心不覺。常無別異。不同知相緣相故。
相應の義と言ふは、謂はく、心と念法と異なり(なるも)、染浄の差別(しゃべつ)に依って、知相と緣相と同じきが
故に。
不相應の義とは、謂はく、心に卽するの不覺は、常に別異無し。知相と緣相とを同ぜざるが故に。
(´・(ェ)・`)b
308:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/04/03(日) 22:02:45 ID:1d4drIFg0 [159/159]
染心は六種あるというのじゃ。
その六とは、
一つ目は執相応染なのじゃ。
二乗の解脱と、大乗の信相応地により厭離されるのじゃ。
二つ目は、 不断相応染なのじゃ。
信相応地に、方便を修学するに依って、次第に捨てることが出来て、浄心地を得て究めれば厭離できるのじゃ。
三つ目は、 分別智相応染なのじゃ。
具戒地に依ってようやく離れるのじゃ。
或いは無相方便地を究めて厭離できるのじゃ。
四つ目は、現色不相応染なのじゃ。
依色自在地に依って、厭離できるのじゃ。
五つ目は、能見心不相応染なのじゃ。
自在地によって厭離できるのじゃ。
六つ目は根本業不相応染なのじゃ。
菩薩の最終境地から更に如来の境地に入って厭離できるのじゃ。
一法界を修了していないという意味は、信相応地より観察学習して浄心地に入り、
修業の進み具合に応じて厭離も次第に出来るからなのじゃ。
そして最後に如来地によってのみ究めて厭離できるからなのじゃ。
相応の意味とは、心と念法は異なるが、染、浄の差別によって知相と縁相が同じだからなのじゃ。
不相応の意味とは、心に即する不覚は、常に別異がないからなのじゃ。
知相と縁相が同じではないからなのじゃ。
鬼和尚 2022/04/03(日)

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