鬼和尚 2022/03/27(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

958:みかんちゃん[]:2022/03/26(土) 22:22:11 ID:GfXrRocY0 [1/2]
>>952
おっしゃりたいことが分かりました。
瞑想の最高地点というのは無色界禅定、非想非非想処のことですね。
はい、禅定は悟りではありませんので、お釈迦様が悟る前にこれでは悟れないと察したのは正しいでしょう。
一般的に伝えられているのは(ただしみかんちゃんは経典に全く詳しくありません、出典知りません)
お釈迦様は少年の頃に初禅に入られたということです。初禅に入ればいずれ無色界まで行きますので。その意味では子供の頃禅定に入ってたというのは、お釈迦様の才能だったのかもしれませんね。
そして出家して二人の仙人のところにいき、すぐに無色界禅定まで極めたという話も特におかしくありません。
しかしこれは悟りではないとお釈迦様は理解し、次に苦行を試されていたのです。
禅定は悟りではないのです。それだけ集中力が高まったという現状を知るに過ぎません。瞑想とは進めばどこにいるか自分で解るようになっているのです。
しかもそこからが苦滅の修行の始まりで、禅定を極めても全く偉くはありません。

さらにお釈迦様は苦行も違うと後に理解されて、倒れてるところをスジャータさんに助けられ、ヴィパッサナー瞑想に入られ、悟られたという話です。

959:みかんちゃん[]:2022/03/26(土) 23:18:21 ID:GfXrRocY0 [2/2]
何を言いたいのか分からなくなったので追記

おそらく観念には人に(時代や地域に)共通のパターンがあるとみかんちゃんは思うのです。集合的無意識が関係してるのでしょう。心理学にも観念のパターンは研究されており、元型とよばれるのです。

なので、お釈迦様が現れて以降、人には瞑想の過程で似たようなパターンの現れ(禅定)が起こるのでしょう。しかし、これは5000年後には違うことになってるかもしれません。
そして、パターンであれど観念に過ぎませんので、最初から執着しないほうが良いのです。

960:避難民のマジレスさん[]:2022/03/26(土) 23:58:04 ID:ehQV/BTA0 [11/11]
「実際にはない」というのは禅定の段階というのは全部嘘っぱちということですか?

961:避難民のマジレスさん[sage]:2022/03/27(日) 15:11:17 ID:hgXw9DFU0
かまいたち現象について教えてください
真空で斬れるのではないと最近知りました
なぜ皮膚が斬れるのか
なぜ出血しないのか

963:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/27(日) 21:26:18 ID:1d4drIFg0 [301/302]
>>959 そうじゃ、法にも執着せずに進むのじゃ。
 それもまた方便であるからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>960 そういえるじゃろう。
 言葉は全て嘘であるがのう。
 おぬしも瞑想している時、ここから二禅じゃ、とか今三禅に入ったとか感じることはでないじゃろう。
 後から思考がなかったから初禅だったようじゃとか思うだけなのじゃ。
 それもまた修行者の迷いを緩和するためのおおまかな指標に過ぎないのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>961 風で小さな石が高速で皮膚に触れると切れるとかいうのじゃ。
 或いは寒すぎると皮膚が縮んでさけるというのじゃ。
 寒いと毛細血管が縮んで血が出ないこともあるじゃろう。
 いろいろ調べてみるのじゃ。

962:避難民のマジレスさん[sage]:2022/03/27(日) 21:05:36 ID:dpdf9/zw0
紙やスマホのメモ帳に鬼和尚の長文悪口書けば内容は100%鬼和尚に伝わりますか?
布団の中で鬼和尚に独り言ヒソヒソ話すれば内容は伝わりますか?
また脳内だけではどうですか?

964:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/27(日) 21:27:43 ID:1d4drIFg0 [302/302]
>>962 伝わらないのじゃ。
 みんな伝わらないのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 55
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1643336428/

199:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/27(日) 00:08:21.59 ID:QADZci1A
>>198
音声は聞こえませんか?

200:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/27(日) 06:42:18.05 ID:uG6zNKXI
音声で名前わかるのか?

201:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/27(日) 19:38:56.73 ID:JxSu89qJ
鬼和尚。
左足のふととも裏あたりが、じんわりしびれているような感覚があります。
痛いというより、じわっと充血?してるような感覚です。
病院で診断を受けていませんが、坐骨神経痛かもしれません。
なにか治療法はありませんか?
仕事は立ち仕事です。

202:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/27(日) 21:30:41.69 ID:9WqFfY2L
>>190 聞こえないのじゃ。
 聞こえる者もいるというがのう。
 
>>200 名前をよぶものがいればわかるじゃろう。
 よばなければわからないがのう。

>>201 立ち過ぎたのかもしれんのじゃ。
 マッサージがよいじゃろう。
 膝から心臓に向けてさするのじゃ。
 さすった後に揉んだりするのじゃ。
 また最後には心臓に向けてさするのじゃ。
 痛むところがあれば重点的にやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

749:避難民のマジレスさん[]:2022/03/26(土) 23:00:27 ID:hkY/YFiY0
140.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)~SRI H.W.L.POONJA
第13章 自由 ☆Part1②

Q:いつが悟りに熟したときですか?

 功徳のパワーが悟りへとプッシュする。神聖さに接するようにプッシュする。神聖さに触れたものは全て神聖になる。

      神聖な人が真理を実現する。
      神聖さが重要な条件だ。
      マインドの純粋さ、欲望からの解放が自由だ。

 何か一つのことでもマインドが記憶していると悟りの機は熟していない。真の幸福を得るには、感覚の対象物への欲望から自由にならねばならない。対象物に依存する幸福から自由にならねばならない。無欲が唯一の幸せだ。

 幸福感を与える感覚の対象物がやってくるならやってこさせなさい、やって来ないなら幸福を期待して待つのは止めなさい。この世界で何もあなたを幸福にするものはないのだから。

 無が幸福をもたらすのだ。これは確かなことだ。真我以外に誰も誰からも幸福を得ることはない。欲望がないときにこれが手に入る。非常に簡単だ。

Q:目覚めた人と目覚めていない人の物事の見方の違いは何ですか?

 見方が違う。目覚めた人は観察者と観察される物の背後から物を見るのだ。目覚めていない人は観察者として物を見る。目覚めた人は観察者はエゴであると知っている。目覚めた人は観察者・観察の対象・観察を超越している。

 目覚めた人以外、誰が観察者で誰が観察者の背後から見ているのか誰も知らない。だから観察者を見ているその人に顔を向けなければならない。
感覚の対象がある、その前は感覚、感覚の前は感覚に命令するマインド、マインドの前は決定を下す知性、知性の前はエゴ。

 今、エゴを越えて行きなさい。どの意識がエゴに気づいているのか? これはどこから起こって来るのか? 「ここ」から全てが起こってくる。「ここ」は何も影響されない。「ここ」ではあなたはやり手ではないし、あなたが達成したものは何もない。

 これがカルマを越えた悟りであり自由だ。以前に私達が話していたカルマは全てマインドの枠の中にある。マインドの記憶の中でカルマの活動が起こっている。マインドを越えると何も起こらない。

 助言は知的レベルにいる人々に与えられるが、この知的レベル、すなわちマインドを越えてしまったら、かって何も存在しなかったということが分かる。これが根本的な真理だ。何も存在しなかったし、何も存在するものはない。これが究極の真理だ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

750:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/03/27(日) 21:32:51 ID:1d4drIFg0 [340/341]

 観念が小さなことでも浮かばない時が来れば、悟りも近いのじゃ。
 そのような時をできるだけ多くするのじゃ。
 サマーディに度々入れるようになれば、それも可能なのじゃ。
 観察して観念を滅することでもできるようになるのじゃ。
 記憶による観念がない状態でも意識があると気付けば、悟りも近いのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

293:避難民のマジレスさん[]:2022/03/27(日) 00:50:48 ID:bGH6hMPY0
9.大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号11)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号33-34)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。
*テキストに依って表記の異なる箇所には*印を付した

▲隨染本覺二種ノ相

復次本覺隨染分別生二種相。與彼本覺不相捨離。云何爲二。一者智浄相。二者不思議業相。 

    また次に、本覺隨染(ほんがくずいぜん)、分別するに、二種の相を生ず。彼(か)の本覺と、相捨離せず。いかんが
   二と爲す。一には智浄相、二には、不思議業相。

智浄相者。謂依法力薫習如實修行。滿足方便故。破和合識相。滅相續心相。顯現法身。智淳浄故   
  
    智浄相とは、謂はく、法力薫習に依って、如實に修行し、方便を滿足するが故に、和合識の相を破し、相續心
   の相を滅して、法身を顕現し、智淳浄なるが故に   
  
 此義云何。
 以一切心識相。皆是無明。無明之相不離覺性。非可壌非不可壌。如大海水因風波動水相風相不相捨離。而水非動性。若風止滅動相則滅。濕性不壊。如是衆生自性清浄心因無明風動。心與無明倶無形相。不相捨離。而心非動性。若無明滅相續則滅。智性不壊故。

    此の義云(いかん)。
    一切の心識の相は、皆是れ、無明なるを以て、無明の相は、覺性(かくしょう)を離れず、壌(え)すべきに非ず、壌
   すべからざるに非ず。大海の水、風に因って波動じ、水相と風相と相捨離せず、而も水は動性(どうしょう)に非ず。
   若し風、止滅すれば、動相は則ち滅するも、湿性(しっしょう)は、壊せざるが如くなるが故に。かくの如く、衆生の自
   性(じしょう)清浄心も、無明の風に因って動じ、。心と無明と、ともに形相(ぎょうそう)無く、相捨離せず、而も心は
   動性に非ず。若し無明滅すれば、相續は則ち滅し、智性(ちしゃう)は壊せざるが故に。

 不思議業相者。以依智浄相能作一切勝妙境界。所謂無量功徳之相。常無斷絶。隨衆生根自然相應。種種而現得利 益故。

    不思議業相とは、智浄相に依るを以て、能く一切勝妙の境界を作(な)す。所謂(いはゆる)、無 
   量功徳の相は、常に斷絶すること無く、衆生の根に随って自然(じねん)に相應し、種種(しゅ 
   じゅ)に現じて、利 益(りやく)を得せしむるが故に。
    
(´・(ェ)・`)b

294:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/27(日) 21:53:08 ID:1d4drIFg0 [152/152]

 本覚随染は分別すれば二種の相を生じるというのじゃ。
 本覚と離れたものではないのじゃ。
 
 一つは智浄相なのじゃ。

 二つ目は不思議業相なのじゃ。

 智浄相とは法力の薫習、つまり日々の実践によって如実に修業し、方便を満了した故に、和合識の相を破り、
 観念が相続するという心の作用を滅して、法身を顕現して智慧が純粋清浄であることなのじゃ。

 その意味とは一切の心のありようは皆これ無明であり、しかも無明であっても覚性、仏性、真如というものから離れていないからなのじゃ。
 実らせるべきではなく、実らせないべきでもないのじゃ。
 
 大海の水は風によって波が生じるが、水と風が共に離れずにいるからなのじゃ。
 そして水が動いているのではないのじゃ。
 もし風か止まれば波は動かなくなるが、水の性質はなくならないのじゃ。

 このように衆生も本来は自性清浄な心をもっているが、無明の風で動じるのじゃ。
 心と無明は共に形あるものではなく離れたものではないようなものじゃ。
 しかも心は動くものではないのじゃ。
 もし無明が滅すれば、心の相続する観念はないが、知恵を持つ性質は滅しないのじゃ。

 不思議業相とは智浄相によって、一切に打ち勝つ妙なる境界をなすことから不思議というのじゃ。
 いわゆる無量功徳の相は常に断絶する事無く、衆生の心根にしたがって自然に相続し、いろいろに現われて利益を得させるのじゃ。

【天空寺】悟りをひらいた人のスレ647【仏教】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1638616972/

668:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/27(日) 21:53:50.57 ID:B2rx/Q2B
 本覚随染は分別すれば二種の相を生じるというのじゃ。
 本覚と離れたものではないのじゃ。
 
 一つは智浄相なのじゃ。

 二つ目は不思議業相なのじゃ。

 智浄相とは法力の薫習、つまり日々の実践によって如実に修業し、方便を満了した故に、和合識の相を破り、
 観念が相続するという心の作用を滅して、法身を顕現して智慧が純粋清浄であることなのじゃ。

 その意味とは一切の心のありようは皆これ無明であり、しかも無明であっても覚性、仏性、真如というものから離れていないからなのじゃ。
 実らせるべきではなく、実らせないべきでもないのじゃ。
 
 大海の水は風によって波が生じるが、水と風が共に離れずにいるからなのじゃ。
 そして水が動いているのではないのじゃ。
 もし風か止まれば波は動かなくなるが、水の性質はなくならないのじゃ。

 このように衆生も本来は自性清浄な心をもっているが、無明の風で動じるのじゃ。
 心と無明は共に形あるものではなく離れたものではないようなものじゃ。
 しかも心は動くものではないのじゃ。
 もし無明が滅すれば、心の相続する観念はないが、知恵を持つ性質は滅しないのじゃ。

 不思議業相とは智浄相によって、一切に打ち勝つ妙なる境界をなすことから不思議というのじゃ。
 いわゆる無量功徳の相は常に断絶する事無く、衆生の心根にしたがって自然に相続し、いろいろに現われて利益を得させるのじゃ。

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