鬼和尚 2022/03/22(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

946:みかんちゃん[]:2022/03/22(火) 00:44:08 ID:5YJWkK5g0
>>939
こんにちは。みかんちゃんの経験としてのお話をします。
初禅に入る少し前まで、自律神経失調症のようなのがどんどん悪化していました。それが少しずつ少しずつ良くなってきました。
もちろん自我の変化もあります。初禅の直前は人と会話をするだけで雑念がぐるぐるアタマに回って疲労していました。
気分転換に公園へ散歩に出かけて、他人を見かけるだけでイライラしていました。
ネットで成功してる人や可愛らしい人を見かけるとムカムカしていました。
その後、無闇矢鱈に他人に投射するのはなくなりました。成功してる人は良かったねえ、と思い、可愛らしいひとは、可愛いなあと素直に思えるようになりました。
(しかし、反面、潜在意識の苦が見えるようになると、禅定以前になかったような猛烈に腹が立つことも出てきました。また人から何と思われても気にしなくなってきているので、周りからは気狂いと思われてるかもしれません)
更に今は猛烈に腹が立つこともなくなり、他人に対して良いも悪いも思うことも少なくなりました。それはもちろん苦(原因)も減ったからです。
世間的に良いところは、仕事に物凄く集中できるようになりました。みかんちゃんは集中しか取り柄がないのだと思います。

947:避難民のマジレスさん[]:2022/03/22(火) 23:35:37 ID:cdOHTtl.0 [2/2]
>>946 943
詳しく教えて頂きありがとうございます。
大変参考になりました。
進んでいる方のお話を聞けて、希望になりました。

948:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/22(火) 23:42:14 ID:1d4drIFg0 [296/297]
大乗には二つの説法の方法があると言うのじゃ。

 一つは法であり、
 二つは義なのじゃ。

 その法とは衆生の心だというのじゃ。
 全ての法は世間の法も仏教の法も、心で行われるからなのじゃ。
 その心で大乗もまた実践されるのじゃ。

 なぜならばその衆生の心には最初から真如が宿っているからというのじゃ。
 それこそが大乗の本体を示すものなのじゃ。

 その心の生滅因縁の相は、大乗の自体と相用を示すというのじゃ。

 
 二つ目の義には三種あるというのじゃ。

 一つ目は体大、一切法は真如平等にして増減しないからというのじゃ。
 二つ目は相大、如来蔵は無量の功徳をもっているからというのじゃ。
 三つ目は用の大、世間と修業においてよい因果を生ずるからというのじゃ。

 このように大乗の法は諸仏の本来の乗り物であるから、諸仏は皆大乗で如来になったというのじゃ。

949:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/22(火) 23:42:59 ID:1d4drIFg0 [297/297]
真如とは涅槃であり、仏性であり、オショーのワンネスでもあり、わしがいう不死の意識でもあるものじゃ。
 それは本来衆生の心の中にあるものじゃ。
 それを説き明かすのが大乗の法の本体だというのじゃ。

 仏になれる性質や、目覚めて至る如来の境地とは、本来悟っていない衆生の心の中にあるものじゃ。
 目覚めるとか、仏陀になるということは何か人間ではない別の者になるということではなく、むしろ本来の人間のありように還って行くこととも言えるのじゃ。
 そうであるから自分は仏陀になれないのではないかとか、思う必要は無いのじゃ。
 衆生は本来仏陀なのじゃ。

 このようなことは確かに今までの仏教では説いて来なかったことなのじゃ。
 お釈迦様も毒矢の例えで説いた通り、仏教には論はなく、ただ実践によって知ればよいという説き方だったのじゃ。
 それでは理解できず実践も出来ないもののために大乗は真如を説いたと言えるのじゃ。

 それこそが大乗の本体であり、真髄といえるのじゃ。
 そして大乗の存在意義も、衆生の心にこの真如があり、衆生本来仏であると説き明かすことにあると言えるのじゃ。

 そうであるからこれからもこの真如はこの論文の至る所に出てくるのじゃ。
 宝珠の例えとか、海と波の例えとか、いろいろに例えても説いているのじゃ。
 それを知れば大乗起信論を読む意義もあったと言えるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  33 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597157592/

965:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/22(火) 20:05:56.96 ID:vTdtv4WZ
鬼和尚。
ラーメンかうどんで迷ったとき、身体に負担の少ないものを選ぶとしたら
うどんになりますか?

うどんは月に大体何食くらいなら食べても負担にならないですか?

966:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/22(火) 22:51:12.96 ID:wHc7f46k
>>965 そうじゃ、うどんがよいじゃろう。
 毎日一食は食べても負担にならないじゃろぅ。
 小麦粉が主成分であるからのう。
 野菜も入れれば完璧なのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 55
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1643336428/

187:178[sage]:2022/03/21(月) 22:32:42.31 ID:QWO6rY1j [2/2]
検討してくださってありがとうございます!
とても嬉しいです!
はい、気長に待ちます。
また修行のことなどで分からないことなどありましたら、よろしくお願い致しますm(_ _)m

188:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/22(火) 21:26:08.74 ID:OrwwfYUC [1/2]
「子供を持ってはじめて真の愛を知る」と言う趣旨の意見を聞くことがあります。
私は子供がいませんので、このような意見が気になるのですが、鬼和尚さんはどう思いますか。

189:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2022/03/22(火) 21:27:07.77 ID:OrwwfYUC [2/2]
子供の有無と慈悲深いかどうかは関係がありますか。

190:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/22(火) 22:54:48.74 ID:wHc7f46k
>>187 どういたしまして、またおいでなさい。

>>188 そのようなことはないのじゃ。
 真の愛とは自分の意志で行うものであるからのう。
 自分の意志によらないものであれば、真の愛ではなく執着になるのじゃ。
 
>>189 それも関係ないのじゃ。
 生まれつき慈悲深いものも居るからのう。
 子供を持っても虐待で殺してしまうものもいるのじゃ。
 自らの意志による愛が無ければ感情に振り回されるからそのようなことにもなるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 –  したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

739:避難民のマジレスさん[]:2022/03/21(月) 23:09:37 ID:Cbeq53zc0
135.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/22(火)SRI H.W.L.POONJA
第12章 巧みに世界で生きること ☆Part3②
死と死ぬこと(2)

Q:私は死にたい!

 それは不可能だ。肉体は無くなるかもしれないが、あなたは死ぬことはできない。あなたは肉体ではないのだから死ぬことはない。これが経験としてここで得ることだ。

 あなたは誕生と死を越えたものだ。肉体の死が起こる前にこれを見つけ出しなさい。誕生と死とは何か理解しなさい。

Q:私にとって「私は肉体ではない」という考えは完全に理論にすぎません。それを実際に示してくれますか?

 死は肉体に起こって、決して死なない「それ」があなただと知らねばならない。

 唯一の息子を失くし悲嘆にくれた夫婦が、息子の死体を仏陀の所に持ってきて「生きかえらせて下さい」と頼んだ。

 仏陀は「それは簡単なことだ。死人を出したことのない家から一握りの土をもってきなさい。」と言った。

 夫婦は死人を出さなかった家を探し求めて村の至る所を走り回った。もちろん、彼らはそんな家を見つけ出すことはできない。どこにいってもみんな愛する人の死を経験していた。

 遂に彼らは、生まれるものは死ぬ為に生まれて来るのだ。死は名前と形のあるものに起こるのだと悟った。彼らは死についての知識を授けられて仏陀の元に戻ってきた。

 サットサンガがあるところに死は存在しない。サットサンガにいる人は、死は肉体に起こるもので、自分は肉体ではないと知っているからだ。

 死は名前と形のあるものに対して存在する。形のないもの、名前のないものは決して死なない。それを知っている人は肉体、マインド、エゴ、感覚、対象に執着しない。

 あなたの人生の目的を理解してこの理論を実践に移しなさい。執着を楽しみたいのか、自由になりたいのか? その時、あなたの目は開いて死を恐れることはない。

 あなたの目の中に他の恐れがある、それは何かね?

Q:私は今すぐ死ぬだろうという恐れです。ラクナウを去らなければ私は死ぬ、しかし私は去ることができないという感じです。

 この死の恐れは本物だ。それはマインドの死を暗示しているからだ。マインドの死をあなたが死ぬと勘違いしないことだ。マインドが死ぬとあなたは生きるのだ。あなたは自由だ。マインドがあなたにこの恐怖を与えて逃げ出すようにし向けているのだ。

 なぜなら、それは永遠のマインドの死であるからだ。サットサンガでは死への欲望が起こるが、これはマインドだけに起こることだ。恐れないことだ。強くなりなさい。

 ここにいてマインドを死なせなさい。ここにいて死に打ち勝ちなさい。マインドと一緒にいないことだ。臆病であってはいけない。死を招待し、やって来させなさい。あなたは永遠だと分かる。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

740:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2022/03/22(火) 23:10:54 ID:1d4drIFg0 [335/335]

 悟りを得たものはもはや死はないと知っているのじゃ。
 誰もが不死の意識と繋がっているのじゃ。
 全ての消滅である死という観念はありえないのじゃ。
 そうであるから誰も死ぬことは不可能なのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

279:避難民のマジレスさん[]:2022/03/21(月) 23:05:22 ID:Cbeq53zc0
4.大乗起信論 : 漢和両訳(漢訳)(コマ番号6-7)国訳大藏経. 論部 第5巻(和訳)(コマ番号28)
*漢文、章割は漢和両訳に従い、和文、段落分けは国訳大藏経に従った。
*テキストに依って表記の異なる箇所には*印を付した

●正宗五分第二立義分

已説因緣分。次説立義分。摩訶衍者。總説有二種。云何爲二。一者法。二者義。所言法者謂衆生心。是心則攝一切世間出世間法。依此心顯示摩訶衍義。

   已(すで)に因緣分を説けり。次に立義(りふぎ)分を説かん。
   摩訶衍(まかえん)とは、總じて説くに二種有り。云何(いかん)が二と爲す。
    一には法。
    二には義。
    謂ふ所の法とは、謂(い)はく衆生心なり。是の心は則ち、一切世間出世間の法を攝す。此の心 
   に依って、摩訶衍の義を顯示す。

何以故。是心眞如相。卽示摩訶衍體故。
是心生滅因緣相。能示摩訶衍自體相用故。
所言義者則有三種。云何爲三。
一者體大。謂一切法眞如平等不増滅故。
二者相大。謂如來藏。具足無量性功徳故。
三者用大。能生一切世間出世間善因果故
一切諸佛本所乘故。一切菩薩。皆乘此法到如來地故。 

   何を以っての故に。是の心眞如の相は、卽ち摩訶衍の體を示すが故に。
   是の心生滅因緣の相は、能く摩訶衍の自體・相用を示すが故に。
   言ふ所の義とは、則ち三種有り。云何(いかん)が三と爲す。
   一には體大。謂はく、一切法は眞如平等にして、増滅せざるが故に。
   二には相大。謂はく、如來藏は無量の性・功徳故を具足するが故に。
   三には用大。能く一切世間・出世間の善因果を生ずるが故に。
   [此の法は]一切諸佛の本所乘の故に。一切の菩薩は、皆此の法に乘じて、如來地に到るが故に。

脚注;主に 国訳大藏経より抜粋。

 因緣分:論を造る緣由
 立義分:論の根本要素
 摩訶衍:大乘を概説して、(1)その實體は。如何なるものかを示すを「法」とし、(2)其の有する意義、如何を説くを「義」とす。 
 出世間:世間(世俗)に對して超世間的なる聲聞、緣覺、菩薩佛の境をいふ。
 眞如:(Bhutatathata)眞實にして虚妄を離れたるを眞、常住にして不變なるを如といふ。
 相:意義をいふ。是の心眞如の相とは、吾人の有する衆生心の實體たる眞如の至純なるを指していへる。
 心生滅因緣の相:かの衆生心の起滅する現象的方面をいふなり
 體と相と用を三大といふ。
 體大:實體といふ程の意なり。
 一切法:(Saravadharma).。現在にあらはれたる現象を該羅していふ。(該羅:すべてに精通している)諸法、萬法。
 眞如平等不増滅:一切諸法は、もと唯一眞如に外ならず、故に迷ひて衆生となり、悟りて佛となるも、時空を超越せざるものなり。
 粗大:實體に具有する屬生なり。
 如來藏(Tathagata-gabha) 眞如の相大〔屬性〕に名づけたる名。衆生心の本性の、清浄不變なるを云ふ。
 性・功徳:性は性能、功徳(Punya)はたらきといふ程の意。
 用大:屬性(相大)の有するはたらきをいふ。
 本所乘:本とは因本。卽ち諸佛が尚ほ菩薩因位に在りし時、この法を乗りものとして修行せられたるをいふ。
(´・(ェ)・`)b

280:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/22(火) 23:23:32 ID:1d4drIFg0 [145/146]

 大乗には二つの説法の方法があると言うのじゃ。

 一つは法であり、
 二つは義なのじゃ。

 その法とは衆生の心だというのじゃ。
 全ての法は世間の法も仏教の法も、心で行われるからなのじゃ。
 その心で大乗もまた実践されるのじゃ。

 なぜならばその衆生の心には最初から真如が宿っているからというのじゃ。
 それこそが大乗の本体を示すものなのじゃ。

 その心の生滅因縁の相は、大乗の自体と相用を示すというのじゃ。

 
 二つ目の義には三種あるというのじゃ。

 一つ目は体大、一切法は真如平等にして増減しないからというのじゃ。
 二つ目は相大、如来蔵は無量の功徳をもっているからというのじゃ。
 三つ目は用の大、世間と修業においてよい因果を生ずるからというのじゃ。

 このように大乗の法は諸仏の本来の乗り物であるから、諸仏は皆大乗で如来になったというのじゃ。

281:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2022/03/22(火) 23:41:04 ID:1d4drIFg0 [146/146]

 真如とは涅槃であり、仏性であり、オショーのワンネスでもあり、わしがいう不死の意識でもあるものじゃ。
 それは本来衆生の心の中にあるものじゃ。
 それを説き明かすのが大乗の法の本体だというのじゃ。

 仏になれる性質や、目覚めて至る如来の境地とは、本来悟っていない衆生の心の中にあるものじゃ。
 目覚めるとか、仏陀になるということは何か人間ではない別の者になるということではなく、むしろ本来の人間のありように還って行くこととも言えるのじゃ。
 そうでるあから自分は仏陀になれないのではないかとか、思う必要は無いのじゃ。
 衆生は本来仏陀なのじゃ。

 このようなことは確かに今までの仏教では説いて来なかったことなのじゃ。
 お釈迦様も毒矢の例えで説いた通り、仏教には論はなく、ただ実践によって知ればよいという説き方だったのじゃ。
 それでは理解できず実践も出来ないもののために大乗は真如を説いたと言えるのじゃ。

 それこそが大乗の本体であり、真髄といえるのじゃ。
 そして大乗の存在意義も、衆生の心にこの真如があり、衆生本来仏であると説き明かすことにあると言えるのじゃ。

 そうであるからこれからもこの真如はこの論文の至る所に出てくるのじゃ。
 宝珠の例えとか、海と波の例えとか、いろいろに例えても説いているのじゃ。
 それを知れば大乗起信論を読む意義もあったと言えるのじゃ。

【天空寺】悟りをひらいた人のスレ647【仏教】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1638616972/

658:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/22(火) 23:45:56.15 ID:UvpX3kmf [1/2]
大乗には二つの説法の方法があると言うのじゃ。

 一つは法であり、
 二つは義なのじゃ。

 その法とは衆生の心だというのじゃ。
 全ての法は世間の法も仏教の法も、心で行われるからなのじゃ。
 その心で大乗もまた実践されるのじゃ。

 なぜならばその衆生の心には最初から真如が宿っているからというのじゃ。
 それこそが大乗の本体を示すものなのじゃ。

 その心の生滅因縁の相は、大乗の自体と相用を示すというのじゃ。

 
 二つ目の義には三種あるというのじゃ。

 一つ目は体大、一切法は真如平等にして増減しないからというのじゃ。
 二つ目は相大、如来蔵は無量の功徳をもっているからというのじゃ。
 三つ目は用の大、世間と修業においてよい因果を生ずるからというのじゃ。

 このように大乗の法は諸仏の本来の乗り物であるから、諸仏は皆大乗で

659:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2022/03/22(火) 23:46:50.54 ID:UvpX3kmf [2/2]
真如とは涅槃であり、仏性であり、オショーのワンネスでもあり、わしがいう不死の意識でもあるものじゃ。
 それは本来衆生の心の中にあるものじゃ。
 それを説き明かすのが大乗の法の本体だというのじゃ。

 仏になれる性質や、目覚めて至る如来の境地とは、本来悟っていない衆生の心の中にあるものじゃ。
 目覚めるとか、仏陀になるということは何か人間ではない別の者になるということではなく、むしろ本来の人間のありように還って行くこととも言えるのじゃ。
 そうであるから自分は仏陀になれないのではないかとか、思う必要は無いのじゃ。
 衆生は本来仏陀なのじゃ。

 このようなことは確かに今までの仏教では説いて来なかったことなのじゃ。
 お釈迦様も毒矢の例えで説いた通り、仏教には論はなく、ただ実践によって知ればよいという説き方だったのじゃ。
 それでは理解できず実践も出来ないもののために大乗は真如を説いたと言えるのじゃ。

 それこそが大乗の本体であり、真髄といえるのじゃ。
 そして大乗の存在意義も、衆生の心にこの真如があり、衆生本来仏であると説き明かすことにあると言えるのじゃ。

 そうであるからこれからもこの真如はこの論文の至る所に出てくるのじゃ。
 宝珠の例えとか、海と波の例えとか、いろいろに例えても説いているのじゃ。
 それを知れば大乗起信論を読む意義もあったと言えるのじゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました