鬼和尚 2021/11/25(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

461:避難民のマジレスさん[sage]:2021/11/25(木) 13:09:52 ID:QWnvuCVw0
鬼和尚様のおっしゃる意識とはマハルシ等によって真我と表現されてきたものですよね?
鬼和尚様のおっしゃる意識を気づきと表現してる方々がいるように思いますがああいうのは間違いですか?
意識に性質がないなら気づくこともないと思うのですが気づきはあくまで自我の範疇ということでよろしいでしょうか?

それとも意識には気づきと表現できるなんらかの性質のような何かがあるのでしょうか?
例えば意識は気づくことすらないと言うとそれはそれで間違いでしょうか?

462:避難民のマジレスさん[sage]:2021/11/25(木) 18:15:12 ID:DDnig7ss0 [10/10]
>>460
教えていただきありがとうございます。
もし、生きとし生けるものの全てが、意識の境地に至ったならば、
二度と記憶や認識は起こらないのでしょうか?

463:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 19:31:45 ID:eVTZKWeo0 [1/4]
今日、対人恐怖を観察していて、
少しの間だけ自己受容的な気持ちになることが出来る瞬間があり、
そこといつもの否定的な心境を
行ったり来たりしています。

少しわかってきたのが心の中に浮かんで強く影響するのは、
自分自身をどう思うかの直接的なイメージというよりも、
人が自分に向けた表情とかのイメージでした。

人と接する時に、今まで失敗と感じた場面や相手の否定的な表情などを思い出してしまいととても辛くなるのですが、
笑顔や、過去の親しい友人が自分を受け入れてくれた事などを思い出すと
気が楽になり、「ダメでも良い」と思える心境が現れました。

まだ完全には掴めていないですが、
自己受容、自己肯定感というのは、この「ダメでもいい」の感覚なんだと思いました。

今は「だめな自分」を受け入れてくれるような親しい友人は居ないのですが、
それでもそれを思い出すだけでもその時の気持ちを少し再現出来ます。

全て自分の中で起こっているだけの観念遊戯だとは頭ではわかっているのですが、
他人の笑顔や受容的な態度をイメージすると気が楽になります。

464:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 19:33:41 ID:eVTZKWeo0 [2/4]
しかし毎回上手く行くわけではなく、
そのようにイメージを試みて、
たまにふっと上手く行きます。

そしてそれも短時間でまた元に戻ってしまいます。

469:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/25(木) 21:43:13 ID:1d4drIFg0 [140/143]
>>461 そういえるじゃろう。
 気づきは自我だけでなく、観念があれば起こるのじゃ。
 観念の範疇といえるじゃろう。
 観念が無ければ気づきもないのじゃ。

 もはや気づくという観念も無いからのう。
 ただ意識が在ると言えるだけなのじゃ。
 それも観念の言葉による慣習でいうだけなのじゃ。

>>462 起こそうとすれば起きるのじゃ。
 それもまた仮説のものに過ぎないがのう。
 仮説のものとしりながらしようとすればできるのじゃ。

>>463 それが原因といえるじゃろう。
 その原因がある時、対人恐怖が起こり、それがなければ恐れも起こらないことを観察するのじゃ。
 そうすれば消えて行くじゃろう。

465:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 20:13:31 ID:eVTZKWeo0 [3/4]
近々、色々な用事がありとても憂鬱なので、
どうにか気を楽に出来るように助言頂きたいです。

466:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 20:53:52 ID:/twCFiPU0 [51/51]
座禅をする際背筋を伸ばすのはブラフマランドラに気が昇る以外にどんなメリットがありますか?

470:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/25(木) 21:56:01 ID:1d4drIFg0 [141/143]
>>465 それには長大な時間と空間を見るとよいのじゃ。
 例えばおぬしが住む国は地球の上にあり、地球は太陽系にある。
 太陽系は銀河系にあり、銀河系もまた無数の銀河団にある。
 さらにそれらの銀河団も寄り集まって、泡状の組織を作っているのじゃ。
 
 それができるまでに百億年ぐらいかかっているのじゃ。
 そんな風にどこまでも続いている時間と空間を眺めれば人の世界の小さな用事などはほとんど意味がないと知れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>466 バランスをとれば長い間座っていても疲れないじゃろう。
 むしろ体は楽になるじゃろう。
 健康にも善いのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

467:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 21:33:30 ID:/zJOcwlU0 [1/3]
鬼和尚、ラマナ・マハルシの「私は誰か?」という問答の解説をお願いしてもいいでしょうか?



生きとし生けるものは、いつでも幸福であることを願い、不幸でないことを願っている。
誰にとっても、そこには自分自身への至上の愛が見られる。
そして幸福だけがその愛の源なのである。
それゆえ、人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで体験される幸福を手に入れるために、人は自分自身を知らねばならない。
そのためには、「私は誰か?」という問いで探求する知識の道が最も重要な方法である。

468:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 21:39:49 ID:/zJOcwlU0 [2/3]
英語版

As all living beings desire to be happy always, without misery,
as in the case of everyone there is observed supreme love for one’s self,
and as happiness alone is the cause for love, in order to gain that happiness
which is one’s nature and which is experienced in the state of deep sleep where there is no mind, one should know one’s self.
For that, the path of knowledge, the inquiry of the form “Who am I?”, is the principal means.

472:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/25(木) 23:12:07 ID:1d4drIFg0 [142/143]
>>467 人間だけでなく、生き物は皆苦しみから逃れ快楽を得ようとしているものじゃ。
 それが本能なのじゃ。
 それも全ての根源である意識から来ているのじゃ。
 そこに戻るのが悟りなのじゃ。
 自分を知ることは、悟りへの最も近い道なのじゃ。

471:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 22:49:48 ID:eVTZKWeo0 [4/4]
ありがとうございます。
464も質問したかったのですが、
なぜ上手く行く時と行かない時があるのでしょうか?

また、すぐ戻ってしまうのは何故でしょうか。
恐怖感を無くして戻らないようにするには
どうしたら良いのでしょうか。

原因が正しく見れていても
何度も訓練する必要があるのでしょうか。
それともまだ何かズレていて
明確に出来ていないからなのでしょうか。

473:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/25(木) 23:16:40 ID:1d4drIFg0 [143/143]
>>471 観察がまだ完全ではないからなのじゃ。
 知識としてわかっただけではまだ完全に厭離できていないからなのじゃ。
 何度も観察して心からその反応を取り除かなければならんのじゃ。

 例えば部屋が汚れていて、掃除をしなければならないとか頭で思っているだけでは綺麗にならないようなものじゃ。
 実際に部屋を掃除して、酷い汚れがあるところは何度もふかなければならんじゃろう。
 
 そのように心の汚れにもにた苦しみは何度も観察して取り除かなければならんのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

961:避難民のマジレスさん[]:2021/11/25(木) 08:14:18 ID:E1BUQSis0
くま訳改
第2句:艶歌清宴の曲はもっとも斬新である。

22.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)~SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c③
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:時々静寂がひとりでに私の前に現われますがそれを保持しようとすると消えてしまいます。

 この静寂を恐れているのか、それともこの静寂に困らされているのかね?

Q:いいえ。

 それなら、なぜ平和の代わりに混乱を選ぶのか? あなたは平和を望むと言っているが、それなら
なぜあなたのマインドを騒がせる場所に束縛されるのを許すのかね。
 たとえば、ラクナウは夏はとても暑くて気温が48Cまで上がるときがある。ここに留まることが難
しいのならどうして他の場所に行かないのかね?
 一晩の夜行列車に乗ればアルモラ、ムスリ、ナイニタールに行ける。次の朝には震え上がる。状況
や環境をどのように利用するかはあなたしだいだ。あなたはここに留まるように束縛されていない。
あなたにとって快適なところに行くことができる。
 これは天候に関してだがマインドに関しても同じことだ。もしマインドの平和を望むなら、なぜあ
る事情に関わってマインドを騒がせるのかね? マインドを何か美しい思考に切り替えなさい。これ
をするのに何が問題なのか? 考えなければならないときはあなたを騒がせるものを考えるのではな
く、マインドにとって何か良いことを考えなさい。
 たとえば「私はいつも問題を引起す肉体ではない、私は真我、私は魂、私自身が神だ」と。マイン
ドを利用しなければならないときはこのようにして役立てなさい。「私が死ぬ前に平和であらねばな
らない。」と固い決心をしなさい。そうすると成功するだろう。

Q:すべてを手放そうとしたら、恐ろしくなりました。

 すべてを手放すのは難しい。その理由はすべての人が彼ら自身の選択によって事が起こるように望
むからだ。しかし、世界中でこのダイヤモンドより価値のあるものが他にあるだろうか? 永遠に、
決して去っていかないものがこの世の中にあるだろうか? この肉体でさえ去って行く。だから手放
しなさい。

  不安定で永遠でないものは手放しなさい。
  そうすると、たった一つだけ残るものがある。
  世界や神は消えてしまうが、これは消え去らない。
  いつもこれを思い出して、それから目を離さないことだ。
  それを手に入れようとする意図なしで、ただ存在するということだ。
  あなたがほしいと思うものはすべて「手放し」の範疇に入る。
  家、妻、肉体、両親、神、手放しなさい。
  何が残っているか? 何を手放すことができないのか?
  あなたであるもの。あなたである「それ」!
  あなたは決してやって来なかったのだから去ることはできない。
  やって来るものは行かねばならない。
  やって来なかった「それ」は何か見つけ出しなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

慧日有憎愛   えにち憎愛あり
一段多情栗棘愁 一段多情りっきょくの愁ひ   
囘光返照晦心頭 廻光(えこう)返照しんとうをくらます
工夫長養不徳怠 工夫長養怠ることを得ず
動静起居春又秋 どうじょうききょ春又秋

慧日には分別心が残っていた。
一挙に何もかも取り入れてしまおうとして、移り気に見えるのが、栗の棘のようで残念だ。
自己の心のうちに光をあてて見るこにより。言葉で考えることなど晦(くらま)ましてしまえ。
修行に励み、養い育てることを怠ってはならない。
一日中いつでも、一年中いつでも、(常に怠ってはならない。)

*慧日:インドで修行、719年帰唐後、禅浄戒合行思想を主張し、実践

クリシュナムルティが言ってる、「見ること」「常に注意していること」と言うのは、まさにこの
「廻光返照」のことでありましょうか?
光を廻らし、照らし返して、心のあり様を見よと言ってるのでありましょうか?
鬼和尚が本心を見ろと言うのが、これでありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

962:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/26(金) 00:08:38 ID:1d4drIFg0 [481/483]
全てを手放せば、全てが手にはいるのじゃ。
それを恐れる必要は無いのじゃ。
いずれは全てを捨てることになるのであるからのう。
死に拠って人は全てを捨てて独りゆかなければならないのじゃ。
そうであるから今ここで全てを捨てるのが賢い選択といえるのじゃ。

963:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/26(金) 00:10:27 ID:1d4drIFg0 [482/483]
↑廻光返照とはそう言えるじゃろう。
 外に向いていた注意、注目を自分の心の中に向けるのじゃ。
 それが修業の全てなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

964:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/11/26(金) 00:14:49 ID:1d4drIFg0 [483/483]

 それで善いのじゃ。

 慧日には憎愛が有ったのじゃ。
 一段と多情であるのは栗のとげのように愁いあるものじゃ。
 廻光返照によって心頭をくらますのじゃ。
 工夫長養を怠らなかったのじゃ。
 春であろうと又秋であろうと、動静起居実践していたのじゃ。

【天空時】悟りをひらいた人のスレ630【鬼・和尚】 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1629215086/

320:神も仏も名無しさん[]:2021/11/25(木) 07:17:23.47 ID:t+ZKSXxq
浅い知識で鹿野園のように頑張っとるなあ、
鬼ゴッコ

321:鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe [sage]:2021/11/25(木) 13:58:00.42 ID:MhaZYLLb
>>316
>経典の中身が無い

ここでしょうね。

お経の真に有難いところはそこにあると思います。

322:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/11/25(木) 23:37:37.40 ID:bzAqND7q [2/2]
 いよいよ法華経に入るのじゃ。
 最初の序章でお釈迦様は前述の無量義経を説き終わって、サマーディにはいったというのじゃ。
 周りは菩薩や阿羅漢や天人や弟子達が囲んでいたというのじゃ。
 すると地震が起きて、お釈迦様の眉間からいきなり光が放たれたというのじゃ。
 その光は東の世界を照らして、そこにある仏国土を照らしたというのじゃ。

 その光に拠って遠くの仏国土は周りのみんなによく見えたというのじゃ。
 その場に居た弥勒菩薩は不思議に思って文殊菩薩に聞いたのじゃ。
 すると文殊菩薩はみんなにこれは自分の昔の経験からみて、お釈迦様が法華経をとく前兆であるといったのじゃ。
 次につづくのじゃ。
 
 二章にはいるとお釈迦様はサマーディから立ち上がり、仏陀の智慧はすごいとか自慢したりするのじゃ。
 菩薩も知恵者も何人束になってもかなわんとかいうのじゃ。
 そんなわしがもっている法門もすごいからみんなにはわからんじゃろうとかいうのじゃ。
 しかし勧請されて舎利仏を相手に法華経を説き始めるのじゃ。

 それによれば今まで大乗経典で説いてきた声聞乗、辟支仏乗、大乗は実は方便であり、ただ一乗の大乗だけがあるというのじゃ。
 ここまでが法華経の最も大事なところなのじゃ。
 後は付け足しなのじゃ。

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