鬼和尚 2021/10/27(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

342:避難民のマジレスさん[]:2021/10/27(水) 05:12:16 ID:/twCFiPU0 [31/32]
私は鬼和尚のいう観察をやっていた際にある程度まで観察して厭離したら厭離した直後に自分という感覚、世界と分離してる私という感覚が抜け落ちたんです。
その後10秒ほど経ったら私が戻ってきて私対世界という主客の感覚が戻ってきてしまいました。
鬼和尚はそれを忘我の体験とおっしゃいましたが、あれは鬼和尚のいう観照だったのではないかと何となく思っているのです。
というのも一度私という分離感がすとーんと消え去って二度と私が戻らない不可逆的な目覚め体験よりも(ラマナマハリシが典型例)、私という分離感が消えてもしばらくして私という分離感が戻ってきてしまう目覚め体験である場合の方が圧倒的に多いと色んなところで聞きます。

であればラマナマハリシのような不可逆的な目覚め体験だけを観照と呼ぶのではなく私のあの10秒くらいの体験も観照なんじゃないかと思うのです。なにせ観察が成功して厭離が起きた直後に私という感覚が抜け落ちたというのもあるからです。だから突発的な単なる忘我体験というより鬼和尚のおっしゃる観照なんじゃないかと思って。

そしてなぜ私があの体験以降も観察をしまくったのになぜ私という分離感がまだあるかというと、これは私の仮説なんですが、私は未だに悟りたい、座禅をして悟りたいという思いが強くあるのです。500億円か悟りかどっちか貰える。というなら迷わず悟りを選びます。
だからそのような悟りへの強い欲望が底流で常にザワザワと波をなびかせて悟りの認識から遠のかせているのではないかと思うのです。だから「悟りたい」がなくならない限り「私」という分離感もなくならないのではないかと。
「悟りたい」が邪魔して悟れない。というケースもあると鬼和尚は思いますか?

345:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/10/27(水) 22:25:00 ID:1d4drIFg0 [105/106]
>>342 そのようなこともあるじゃろう。
 一度そのような体験をすると、それを再現しようとして記憶を追ってしまうこともあるのじゃ。
 それは記憶による観念に囚われていることになるのじゃ。
 
 悟りも捨ててただひたすらに以前のように集中と観察に専念すると善いのじゃ。
 そうすれば悟りは向こうからやってくるのじゃ。 
 初心に戻って精進あるのみなのじゃ。

344:避難民のマジレスさん[sage]:2021/10/27(水) 21:46:19 ID:.tofT0a20 [13/13]
善事をしようと思うのも心の機械的な反応だと観察しました

346:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/10/27(水) 22:25:47 ID:1d4drIFg0 [106/106]
>>344 よい観察なのじゃ。
 それもまた反応なのじゃ。 
 しかしそれでも善事を積むと善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 80 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1613875666/

619:マジレスさん[sage]:2021/10/27(水) 09:51:43.86 ID:P5q4qaq9
神社で交通安全のお守りを
買ってつけた次の日に逆走車
と事故。神社の崇敬会に25万円
寄付した次の日にリストラ警告。
宗教系政治団体に110万円寄付した
次の日に関係者が家まで来たので
面倒なので居留守を使ったら
玄関先で大声で
「あんた、休眠信者だろ!信者だろ
いるんだろ」
とわめきたてて
大騒ぎ。

これらは大難を小難にしていただいている
以外に、どんな意味がありますか?

621:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/10/27(水) 21:57:37.26 ID:nODopGol
>>619 不安とかもあるからいろいろな宗派の神仏に頼ったりするのかもしれんが、そのように宗派も異なる神仏に出入りしてはいかんのじゃ。
 意識が引っ張られるからのう。
 それぞれ戒律や規則も違うから心が乱れるのじゃ。
 心が乱れれば世界も乱れるのじゃ。

 ただひたすら自分の心を統一して乱れなければ、世界も乱れないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

874:避難民のマジレスさん[]:2021/10/26(火) 22:58:59 ID:fjWy3EZo0
570
四睡圖     四睡図
老禪饒舌笑中愁 老禪のねう舌笑中の愁
虎尾搦來跨虎頭 虎びぢゃくし來って虎頭にまたがる
月元不識寒山意 月は元しらず寒山の意
夢愕淸光萬里秋 夢はおどろく淸光萬里の秋

くま訳
四睡圖
老禅師の饒舌には、笑いの中に愁いがあるのだ。
時に、虎の尾をからめ取ってきて、虎の頭にまたがるような、大力量を発揮する。
しかし、月は寒山の心など端から知らんことでありましょう。
夢で清光を見て、悟ったと勘違いした秋だったのではありますまいか。

*四睡図:豊干、寒山及び拾得が虎と共に睡る姿が描かれた禅画。禅の真理、妙理、境地を示すとされる。
豊干禅師と寒山、拾得は親しい関係にあったが、この三人と虎を一緒に描くことの根拠となる文献は見つ
かっていない
*くま的には寒山さんたちは、たいへん魅力的だと思うのでありますが、シティーボーイの一休さんとは正 
反対でありますので、一休さんは批判的に見ていたのではないかという視点で、訳してみたであります。

*寒山さんの月の詩の一つ。Taro-恵山のつれづHP先生訳・解説抜粋
吾心似秋月 吾が心秋月に似たり
碧潭清皎潔 碧潭清うして皎潔
無物堪比倫 物の比倫に堪えたるは無し
教我如何説 我をして如何が

自分自身に向き合い、心の奥底に見入るとき、その凛として澄み切った清らかさは、まるで秋の月のよう
だ...
わたしたちの心、碧の水を深く湛える湖、碧に見える湖の水面を覗き込むならば、その湖底は、あくまでも
清らかに澄んでいるのです。・・その清らかに澄み切った湖の底を、秋の月のように皎皎と冴え渡る「吾が
心」が、白く照り輝かせる心とは、本来はそうしたものなのだ...わたしたちの心の本当のあり方は、本
来は、一点の曇りもなく澄みきったものなのだ...その透き通った有り様は、実は秋の名月の比ではない
...はるかに素晴らしいものなのだ...
わたしたちめいめいの心の本当の姿を、この世界の、どのような素晴らしいものにたとえようとしても、と
てもたとえることなどできない...それは比較を絶したものなのだ。ああ、そのありさまを、何と言葉に
すれば良いのだろうか...それは言葉にすらできないのだ.

*昨夜一聲鴈 昨夜一声の雁、
清風萬里秋 清風万里の秋あき。

芳賀幸四郎先生訳・解説
昨夜、月明の空を北から南へ数行こうの雁が鳴きながら渡っていった。もう雁の渡ってくる頃になったのか
と、しみじみ聞きながら、いつか寝入ってしまったが、
今朝起きてみると、すがすがしい風が吹きわたって、見わたす限り秋の気配が充ち満ちている。(中略)悟
りが開けてみると、これまで立ちこめていた一切のもやもやがきれいに消散し、清風万里の秋にも比すべき、
なんとも爽やかですがすがしい境涯が開けた」

*跨虎頭:「碧巌録」第54則 雲門展両手 虎頭虎尾 一時に収む:虎の頭も尾も手中に収める。大力量
を発揮する。
(´・(ェ)・`)つ

875:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/10/27(水) 22:46:57 ID:1d4drIFg0 [429/429]

 それでよいのじゃ。

 老禅師の饒舌には笑いの中にも愁いがあるものじゃ。
 虎の尾に耽溺して、虎の頭に跨るのじゃ。
 月は元より寒山の意などしらないのじゃ。
 清い光が万里を照らす秋の夢に愕然とするのじゃ。

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