鬼和尚 2021/09/19(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

177:避難民のマジレスさん[]:2021/09/19(日) 07:05:02 ID:xzKhUJQ.0
>ただ単に知りたかったのじゃ。 死とは何かとか、死んだら人はどうなるのかとか知識欲が勝ったのじゃ。

だったら、道徳的に正しい人が悟りに近いとかではなく、知識欲の塊である科学者とかの方が悟れる可能性が高いのではないでしょうか?

178:避難民のマジレスさん[]:2021/09/19(日) 13:13:11 ID:/twCFiPU0 [9/12]
観察を続けてかなり自分という感覚が薄くなりました。
でも世界との一体感や、全ては一なる意識があるだけだと思えているかと言われると自信を持ってそうだとは言えません。
まだ見ていない同一化の観念が潜んでるということでしょうか?
それから、悟りの探究に対する執着がものすごいんです。
どうしても悟らないといけない、そのためには座禅をしなければいけないというドロドロとした執着心がまだ残存しています。
自己という観念だけじゃなくそうした執着心も観照が起こらない要因になっているのでしょうか?

179:避難民のマジレスさん[sage]:2021/09/19(日) 18:31:35 ID:WLFfbdpw0 [1/2]
悟りを得ることは幸福なのですか?
悟りを得た後の人生はどのようになるのでしょうか?
執着も欲も恐れも無くなって、自我も無くなれば、
どんな風に生きるのでしょうか。

181:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/09/19(日) 21:55:53 ID:1d4drIFg0 [56/57]
>>177 学者でも本当に知識欲がある者は少ないのじゃ。
 知識より金とか名声を求める者が多いのじゃ。
 道徳は関係ないのじゃ。
 本来の意味の道徳は悟りに近いがのう。

>>178 そうじゃ、あるじゃろう。

 座禅をしなければならないと、本当にそう思えるならば、座禅をするとよいのじゃ。
 サマーディも悟りへの手段の一つになるからのう。
 
 中途半端にあれもやろうこれもやろうと思うのがいかんのじゃ。
 一つの法に専念するのが一番の近道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>179 真の幸福と言えるじゃろう。
 人生は祝福になるじゃろう。
 毎日遊んでいるようなものじゃ。
 もはやこの世界の全てが観念遊戯と知れるからのう。
 実践で確かめるのじゃ。

180:避難民のマジレスさん[sage]:2021/09/19(日) 19:07:37 ID:PsiKsdoE0
鬼和尚さん

感情を自分だと思っている場合、感情が自分ではない証拠のようなものはありますか?

182:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/09/19(日) 21:57:55 ID:1d4drIFg0 [57/57]
>>180 感情も対象を必要する機能の一つに過ぎないのじゃ。
 それが自分と言う事はありえないのじゃ。
 哀しい時は哀しい者であり、怒りの時は怒りになる変化する機能なのじゃ。
 それは自動的に起こるものであるから、主体ではないのじゃ。
 よく観察して見極めるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 78 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1618136809/

751:マジレスさん[sage]:2021/09/18(土) 22:18:42.76 ID:Ib8oi4GM
鬼和尚 ありがとうございました

752:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/09/19(日) 21:45:50.90 ID:BznwPo59
↑どういたしまして、またおいでなさい。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

787:避難民のマジレスさん[]:2021/09/18(土) 23:25:15 ID:AK2QRmX60 [1/2]
くま訳改
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
第二句:宗乗を説かずただ世間話をするのだ。

533
佛眼遠禪師三自省曰  佛げんをん禪じ三自省に曰く
報縁虚幻不可彊爲   報縁虚幻しひて為すべからず
浮世幾何随家豊儉   ふせいいくばくぞ家の豊儉に随ふ
苦樂逆順。道在其中。 苦樂逆順。道其のうちに在り。
動静寒温。自?込自悔  動じゃう寒温。みずからはじ自ら悔ゆ

自悔自慚温與寒 自ら悔ゆ自ら慚づ温と寒と
看看三界本無安 看よ看よ三界もと無安
愚迷正是衆生樂 愚めいはまさにこれ衆生の樂  
嘗蜜猶忘井底難 蜜をなめて猶ほせい底の難を忘る

くま訳
仏眼清遠禪師の顕した三自省に曰く
幻想的な仏縁を強いて求めてはならない。
浮世での在り様は、家の豊かさ貧しさにある程度関係するのである。 
苦あれば樂あり、楽あれば苦あり。仏道は其中にあるのである。
動と静、寒と温。自らを省みて愧じ、悔いてみるのである。

温寒を自省してみれば、
見よ、元から、現世は、心安らぐことがない。
愚迷で真理を知らぬことが、衆生の楽というものだ。
蜜をなめて、井の底の困難を忘れようとしているのだ。

*仏眼清遠(1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧勲とともに東山の三仏と称さ
れ、仏眼派の派祖。三自省:おまけ 参
*法縁:仏法に会う縁。仏縁。法を縁とする慈悲。
*虚幻(中国語):形容詞 〔非述語〕幻の,幻想的の,実体のない.
*浮世(ウキヨ・ふせい)1《もとは「憂き世」の意》仏教的厭世観から、いとうべき現世。つらいことの 
 多い世の中。無常のこの世。2 死後の世に対して、この世の中。現実生活。人生。3 つらいことの多い 
 男女の仲。4 《漢語「浮世(ふせい)」を「うきよ」と解して》定めのない、はかない世の中。はかない 
 世なら、浮かれて暮らそうという俗世の気持ちを含む。5 《近世初期から、現世を肯定し、享楽的な世 
 界をいう》遊里。また、遊里で遊ぶこと。6 他の語の上に付いて、当世風・今様の、または好色・風流 
 などの意を表す。[補説]本来は、形容詞「憂(う)し」の連体形「憂き」に名詞「世」の付いた「憂き世」 
 であったが、漢語「浮世(ふせい)」の影響を受けて、定めない人世や世の中をいうように変化し、「浮き 
 世」と書かれるようになった。はかないこの世の中。うきよ。
*随家豊儉:暮らし向きが豊かなら豊かなりに、貧しければ貧しいなりに。
*三界無安(さんがいむあん):現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になる 
 ことはないということ。「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。
「無安」は心が安らぐことがないこと。
*愚迷(ぐめい): 真理の道を知らず、愚かで迷いの多いこと。また、そのさま。
(´・(ェ)・`)つ

788:避難民のマジレスさん[]:2021/09/18(土) 23:30:09 ID:AK2QRmX60 [2/2]
おまけ1
*仏眼清遠(長谷川昌弘先生解説抜粋) (1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧
勲とともに東山の三仏と称され、仏眼派の派祖
禅風は静的で言句にとらわれることのないものであったことが窺われる。一方で古来より彼の「坐禅銘」が
禅門では著名であり、坐禅を重視したことも明らかである。これらの点で既に虎丘派や曹洞宗との思想的近
似性は充分感じられるのである。・・・・

仏眼の「坐禅銘」は・・・「標指六偶井叙」に・・迷悟」、「坐禅」、「入道」、「見聞」、「水月」、
「語黙」の六篇の内の一つであり、元来はそれ自体独立したものではない点である。さすれば仏眼の「坐禅
銘」はやはり他の五偶とともに総合的に理解されるべきものであろう。しかるに「坐禅」においては・・
分別心の起滅は自然のままにせよという悪くいえば無事禅的雰囲気も感じられるが、起滅は「自心」より現
ずるとして「自心」の追求に重点が置かれている。・・・
仏道は元々きずが無いとして本来仏であるからあらゆるものが悟りのあらわれであるという本覚門的な現成
公案を強調し、言句に対して否定的態度を表明している。そしてそれは徹底した「自心」において可能であ
るとしている。・・・
仏眼の六偶の主眼は本来仏であるが故の「自心」の徹底肯定であり、それは頓悟によって可能なことであり、
またそれが故に仏法はあまねく目前に現成しているということにあると考えられる

佛眼三自省(読み下しなどは、今回は断念)
是身壽命,如駒過隙,何暇閑情?妄為雜事。既隆釋種,須紹門風。
諦審先宗,是何標格?道業未?甓,去聖時遙。善友師教,誠不可捨。
自生勉勵,念報佛恩。惟已自知,大心莫追。報緣虛幻,不可強為。
浮世幾何,隨家豐儉。苦樂逆順,道在其中。動靜寒溫,自愧自悔。

*おまけ2「南禅院参道彫刻」石畳に彫られた仏教の教えである万物のもととなる、地・水・火・風・空の
 5つのシンボルの彫刻。(詩の解釈とは無関係である。幾何・禅でヒットしたのである)
 https://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/9a9b7c96c8d9d0589cba7bd9e05bfd38
(´・(ェ)・`)b

789:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/09/19(日) 22:59:22 ID:1d4drIFg0 [384/384]
 
 それでよいのじゃ。

 仏眼遠禅師の三省に曰くなのじゃ。

 報縁は虚幻であるから強いて成すべからずなのじゃ。
 浮世の生活は家の豊貧に随うのじゃ。
 苦楽順逆、道はその中に在るのじゃ。
 動静寒温、自ら愧じ、自ら悔いるのみなのじゃ。

 自ら悔い、自ら愧じる、温と寒なのじゃ。
 見よ見よ、三界は本から安心はないのじゃ。
 愚にして迷うは正にこれ衆生の楽しみとするところなのじゃ。
 蜜を嘗めてなお井戸の底の苦しみを忘れるようなものじゃ。

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