鬼和尚 2021/08/31(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/

108:避難民のマジレスさん[sage]:2021/08/31(火) 18:48:13 ID:LIAHV41A0 [5/6]
「私」というものは、その時々によって違うようです。

「私は○○だ」とか思う時の「私」は、
自分という人間の姿形+キャラクター等を思い浮かべていて、
他人を認識している時のような対象としての人物イメージ(しかし内側から見ているのでもっと主観的)を、
体に投射している感じです。

真我探求で主体を探そうとしている時は、
ただ認識している主体を「私」と感じています。
それ自体にはキャラクターや性質とか無く、
ただ認識する者が居ると感じています。

これは前者が自我で、後者が真我なのでしょうか?

主体を感じる位置も、異なるようでした。
以前は鬼和尚の仰る通り、自分や思考は脳にあると思っていたので、主に目の後ろに自分を感じていました。
OSHOの頭の無い瞑想(オレンジブックにあったギロチンメディテーション)等をやって頭が無いとしても自分は感じられる気がすると思ったり、
マハルシのハートの話を意識するようになったりして、
この頃は中心を感じるのは主に胸のあたりです。

「私は」と言葉を思っている時は喉の辺りに感じる時もありますし、体は私なのかと観察すると、体は全て自分だと思えたりします。
だんだん主体とは何かと分からなくなってくる気がします。

109:避難民のマジレスさん[sage]:2021/08/31(火) 18:50:29 ID:LIAHV41A0 [6/6]
本来認識するもの全てが自分であり、
その中の一部に連続して固定的に感じられる「自分の体」という対象があるからそれを自分だと思い込んでいるだけだというのは納得出来る考え方で、
意識的にそのように見ようとすることはある程度可能な気がするのですが、

真理を聞いてそのように見ようとすることは、悟りを得やすくなりますか?
それとも、更なる観念を増やしてしまうだけであり
良くない事でしょうか?

110:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/08/31(火) 21:49:13 ID:1d4drIFg0 [34/34]
>>108 そうじゃ、名前とイメージを投射する対象が変れば、違うように見えるのじゃ。

 真の我などないのじゃ。
 今のおぬしが感じるのは全て幻想の観念なのじゃ。
 ただひすらにそれを観るのじゃ。

>>109 それは観念を追うことになるのじゃ。
 ただひたすらありのままに観るのじゃ。
 その結果全ては自分ではないと気付いたならば、それでよいのじゃ。
 それで厭離が起こるならば正しく観たと言えるのじゃ。
 ただひたすら自分をありのままに観るがよいのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 54 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1619894557/

514:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/08/30(月) 01:05:07.09 ID:u7T+puUm
鬼和尚

あなたは私ですか?

515:474[]:2021/08/30(月) 09:55:31.74 ID:3hY9IwOM
鬼和尚、この議論で自分の考えが深まりました。
感謝です。

517:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/08/30(月) 15:01:43.44 ID:FKrWjFct
反ワクチンを訴えてる人は、なんでそう言う思想にかぶれてしまうんですかね?
別に打たないならそれでいいし自由だと思いますが、ワクチンの危険性とか陰謀論?を大げさに叫んで
ヒステリックになってる人がものすごく多いように感じます。

勝手な印象ですけど、スピリチュアルに傾倒してる者や大麻礼賛のヒッピー、反原発、オカルト好き、エセ科学信奉者などに
その傾向が強いように感じます。
もしワクチンに効果があるのに、反ワクチン派の言説を真に受けてワクチンを打たなかった結果
コロナに感染して死んでしまったら、このようなデマを広げることは殺人に等しいのではないですか?

518:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/08/30(月) 21:38:24.78 ID:tkvcXoOd
>>514 わたしがあなたじゃろう。
 観察して確かめるのじゃ。

>>515 どういたしまして、またおいでなさい。

>>517 自分だけが世界の危険な陰謀を知っていると思い込むことで承認を得たいのじゃな。
 他人にも広めることで他人からの承認も得ようとするのじゃ。


 そうじゃ、殺人に等しいじゃろう。
 現世で苦しみ死後には地獄で苦しむじゃろう。
 うそをついて他人をも害したのであるからのう。
 哀れな事じゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 78 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1618136809/

725:マジレスさん[sage]:2021/08/31(火) 18:27:10.88 ID:3pPlLRFS
>>719
鬼和尚様、お答え頂きありがとうございます
この世に生まれたことがもう既に報いなのですね
そう言われて何故か安堵感が出ました
善行を積んで行きたいと思います

727:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/08/31(火) 21:45:29.57 ID:X6GHpxoJ
>>725 そうじゃ、どんどん善事を積むと善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

737:避難民のマジレスさん[]:2021/08/30(月) 23:56:20 ID:1z1Q5x4Y0 [1/2]
515
黄龍三關    黄龍の三關
成佛成驢手脚全 佛と成り驢と成る手脚まったし
河沙異號任生縁 がしゃの異號しょう縁に任す
黄龍關外黒雲鎖 黄龍關外黒雲とざす
積翠春風楊柳前 積翠の春風楊柳の前

くま訳
黄龍三關
仏と成り、ロバと成り、してみれば、自分の手脚は完璧である。
河の砂程多くの先師などではなく、自分の生れついての因縁に任せるのだ
黄龍の関の外側には、透関を妨げる黒雲がある。
そこを抜ければ、透き通った青空、柳を揺らす春風があるのだ。

*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069):宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍 
 派 の祖として知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
*黄龍三關:慧南禅師、学人接化に於ける常用の手段なり、是れに三關あり、曰く、生録、曰く、佛子、曰 
 く、驢脚と。會元十七慶閑章に曰く、『龍問ふ、「如何なるか是れ汝生録のところ。」閑曰く、「早晨白 
 粥を喫す、如今又饑を覺ゆ。」問ふ、「我が手何ぞ佛手に似たる。」閑曰く、「月下琵琶を弄す。」問ふ、
 「我が脚何ぞ驢脚に似たる。」閑曰く、「鷺?豬雪に立つ同色に非ず」と』あり、以って其の關内に入れば 
 積翠より吹き下す春風が楊柳の前にそよいで居る様なり。
*成仏:1 煩悩(ぼんのう)を断ち、無上の悟りを開くこと。2 死んで、この世に未練を残さず仏となる
*黒雲: 物事を妨げる不吉なもの。暗雲。
*積翠:積み重なったみどり。青空、青山、青海など一面のみどり(青)を形容していう語。
(´・(ェ)・`)つ

738:避難民のマジレスさん[]:2021/08/31(火) 00:07:23 ID:1z1Q5x4Y0 [2/2]
(´・(ェ)・`)
(おまけ)
無門關 黄龍三關(無量宗壽偈)淵藪野狐禪HPより抜粋
淵藪野狐禪師訳:
黄龍(をうりやう)の三關  
私の手は仏の手と比して、どうか?――
私は枕の後ろを手探りして分かった。
思わずカッカッと大笑いをしてしまった――
もともと、体自体が手そのもの。
我の脚(あし)は、驢馬の脚と比して、どうか?――
それを見比べるための上げ脚を未だにちっともしていないうちに、最早、ど~んと大地を踏み据えてしまっていた――
この世界を股にかけて余すところ無く歩く。
そのためには、かえって楊岐禅師の三本脚の驢馬に跨るのが何より。
人にはそれぞれ、生れついての因縁がある。
そのそれぞれが、鮮やかな機先の働きへと玄妙に通底している。――
那?顔(なた)太子は、己が肉体の骨を抜き取って元の父に還したというではないか。
どうして今更、わざわざ老爺(ラオパン)五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁(えにし)をわざわざ必要
とすることがあるであろうか、いや、全く以って無用である。
黄龍慧南禅師が示した、仏の手と、驢馬の脚と、生れつきの縁(えにし)と――
それらは、「仏ではなく」、「道ではなく」、「禅ではない」――
咎めてはいけない、『無門関』が険しいことを、いや、その険しさ故に、多くの修行者が、深い恨みを、収
縮したブラック・ホールのように、『無門関』の空間に出現させていることを。
私の居るこの瑞巖寺では、最近、無門和尚が来て居る。
繩で編んだ説法の腰掛けにどんと座り込んで、真っ向を向くと、今は昔のエピソードを、一つ一つ、商量し
ている。
商量とは言うものの、その実、それがたとえ凡であろうが聖であろうが、一刀両断にしてしまうのである―
さても……それを聴いて、どれだけのトグロを巻いた有象無象の蛇ぐさどもが、美事、昇龍となって、天空
に雷音を轟かすことが出来るか。

無門慧開禅師をお招きして会衆に法を説く立僧首座となって頂いた。その御礼にこの如何にも田舎臭い偈
(げ)を以って感謝の意を表し、奉りまする。
紹定(じょうてい)庚寅(かのえとら:西暦1230年。)三月。無量宗寿書。

*瑞巌寺の僧、無量宗壽(むりょうそうじゅ:生没年未詳)の偈。
*「楊岐禅師の三本脚の驢馬」:楊岐方会(993~1046)の公案、『僧が楊岐方会に「如何なるかこれ仏」 
 と問うたのに対し、楊岐が「三脚の驢子、踵を弄して行く」と答えた(『古尊宿語録』楊岐方会章、『卍 
 続蔵』ことから、楊岐の宗風を三脚の驢子と称する。』「五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁」の「五
 祖大満」とは禅宗第五祖弘忍大満(602~675)で、『前世に栽松道者という老人であったが、四祖道信の
 法を聴くためにみずから死んで一女の胎内に入り、この世に生まれて五祖となったという』、ここはその
 故事に引っ掛けたもの謂いである。
*?犠吒(なた):道教で崇められている少年神、もしくは中国仏教もしくはヒン ドゥー教の民話・説話の 
 登場人物である。托塔天王(毘沙門天)の三男。生後三日目に湯浴みの途中で、裸のまま海中に飛び込ん 
 で竜王の水晶宮に行き、蛟龍の背筋を引きぬき、?塲子(しごき・帯紐)にしようとした。父・李天王は後 
 難を恐れて幼いうちに殺そうとしたため、激怒した?犠吒は自ら体を切って、肉を母に骨を父に返上して死 
 んでしまった。父の精と母の血を捨てたその霊魂は、西方極楽浄土に向かい、釈迦如来に訴え、助けを求 
 めた。如来は蓮の葉や根で肉体を造って、起死回生の真言を唱えて彼を蘇生させた。
(´・(ェ)・`) b

739:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/08/31(火) 22:00:13 ID:1d4drIFg0 [360/360]
そんな感じじゃな。

 仏と成り、驢馬となるも手足は完全なのじゃ。
 河砂の如き他のさまざまな名前になるのも生縁に任すのじゃ。
 黄龍の関外では黒雲が閉ざすのじゃ。
 積翠の春風は楊柳の前に吹くのじゃ。

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