鬼和尚 2021/07/29(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

982:避難民のマジレスさん[]:2021/07/29(木) 08:52:39 ID:g1AfBZ8A0
鬼和尚様

昨晩も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。
最後には法も捨てるんですね。
追加で質問してすみませんが「もともと道程はない」や「最終の帰着点はない」も本当なのでしょうか?

983:避難民のマジレスさん[sage]:2021/07/29(木) 19:07:34 ID:57Gnrs9c0
快への逃避を目的としてしまったら
探求ではなくなっているのですね。

胸の快に集中するときは、
真我探求とは別の集中の行であると自覚して
実践することは問題ないでしょうか?

984:避難民のマジレスさん[]:2021/07/29(木) 20:21:05 ID:IlAZi/oc0 [3/3]
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/shapeup/1436016111/
ダイエットに気功をすすめているスレがあったのですがこのスレ主のいうとおりに
したら痩せられると思いますか?

985:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/29(木) 23:15:14 ID:1d4drIFg0 [274/274]
>>982 そうじゃ、自分を観ることができれば悟りはやってくるものじゃ。
 マハリシのようにいきなり悟る者もいるのじゃ。
 そこには固有の道など無いのじゃ。
 個人個人が自らの煩悩を滅したり、恐れを乗り越えるために修業の道程が作り出されるのじゃ。
 本来無いものなのじゃ。

 大悟徹底すれば全てであるのじゃ。
 それは終わりではなく真実に参入したという始まりなのじゃ。
 そこからお釈迦様のように衆生に教えを説いたりすることもできるのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

>>983 それならば問題は無いのじゃ。
 もともと胸に集中する法もあるからのう。
 別に観察をするとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>984 ちゃんとやればやせられるじゃろう。
 かなりの運動になるのじゃ。
 実践して確かめるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  33 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597157592/

301:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/07/28(水) 20:20:42.51 ID:oG3uLtMm
歳をとると、身体が衰えてくるのは仕方がないと思いますが
気力やモチベーションも若いころのようにはいかないと思います。
実際、高齢になって何かをやろうとする意欲が沸かない、やる気が起きないと
言っておられる方が自分の周りにもいます。
修行どころでもないでしょう。

どうすれば気力ややる気・モチベーションをを高齢になっても維持できますか?

305:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/07/29(木) 23:01:44.22 ID:n8mEmff7
>>.301 修業のためには常に死を想えばよいのじゃ。
 死が確実に迫っていることを覚悟して、自らに問いかけるのじゃ。
 自分はこのまま死んでもよいのかと。
 そして死の苦から抜け出すには悟りを得るしかないと正しく知るならば、修業もやる気が出るのじゃ。
 若い時より死が近くなっていることを自覚すれば、怠けている時など無いと自らを奮い立たせることも出来るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

656:避難民のマジレスさん[]:2021/07/29(木) 03:51:45 ID:mPXTyadk0
483
示衆      衆に示す
忍辱仙人常不經 忍にく仙人常不きゃう
菩薩果滿已圓成 菩薩果滿ちすでに円じゃう
撥無因果任孤陋 発無因ぐわ孤ろうに任す
一箇盲人引衆盲 一箇の盲人衆盲を引く 

くま訳
示衆
釈迦の前世である忍辱仙人は、人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという常
不軽菩薩である。
菩薩の修行は既に完成しているのだ。
因果の法理を否定する野狐禅の師に任せたら、
盲人が盲人を引き連れて道案内をするようなことになるのだ。

*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*常不軽:「法華経」常不軽菩薩(ぼさつ)品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽
 んずることなく礼拝したという。常不軽菩薩。
*因果撥無(いんがはちむ):「撥無」は払いのけて顧みないこと)因果の理法を否定する邪見。
 因果の道理を否定し、無化してしまうこと。道元禅師は、「百丈野狐話」の一則を『正法眼蔵』で採り上 
 げ、不落因果を撥無因果とし、不昧因果を深信因果であるとした。
 不落因果は、まさしくこれ撥無因果なり、これによりて悪趣に堕す。不昧因果は、明らかにこれ深信因 
 果なり、これによりて、きくもの悪趣を脱す。 『正法眼蔵』「深信因果」巻
*孤陋(ころう):世間から離れて、見識が偏り、狭いこと。
(´・(ェ)・`)つ

657:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/29(木) 23:30:33 ID:1d4drIFg0 [322/322]
それでよいのじゃ。

 衆に示すのじゃ。

 忍辱仙人は常に不軽なのじゃ。
 それによって菩薩の成果は既に満ちて円成しているのじゃ。
 無因果を発すれば孤陋に任せることになるのじゃ。
 一人の盲人が沢山の盲人を率いるようなものじゃ。

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