鬼和尚 2021/07/15(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

910:善慧[sage]:2021/07/15(木) 03:54:24 ID:RWC13U6A0
>>909 鬼和尚さま、猫の餌やりは本当に善事なのでしょうか?
狭量ですが、住む場所もなく、食べ物だけ与えられて喜ぶ人間はいないのではないでしょうか。
食べ物の充足は繁殖スピードを鼠算にしてしまい、梅雨時期などは安心して眠る場所もなく争いが絶えません。
近親相姦も防げないので、可哀相な子猫も見掛けるようになりました。
猫に限らず、生き物との関わりにおいて、何が善事か悩んでしまいます。

911:避難民のマジレスさん[]:2021/07/15(木) 04:24:13 ID:KC7wU8H60
鬼和尚、自分は野良猫に餌をやっていたら、子供を産んで
今は6匹のネコに餌をやっています。
隣家の敷地に入って、糞をしたりするので困ります。

田舎なので、雨が降っても大丈夫です。
広い車庫や倉庫があるし、家の裏は波板が張ってあるので
夏はその下で寝っそべっています。
メスは避妊手術をしています。
それでも善事になりますか?

912:龍閃[sage]:2021/07/15(木) 20:27:31 ID:ObV6Uclo0 [3/3]
将棋や麻雀などの勝敗のあるゲームにおいて、「相手を負かしてやろう」とか「相手の弱みにつけ込んでやろう」というように考えるのは、悪事に含まれますか?

914:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/15(木) 21:55:33 ID:1d4drIFg0 [253/254]
>>910 慈悲の心で行えば善事なのじゃ。
 思考に因れば何でも慈悲でも、善事でもなくなるのじゃ。
 それはしばしば人を過たせるものじゃ。
 論理的思考に因れば全て死ねば衣食住も繁殖もせず苦しむこともないという結論になるからのう。
 そしてそれは人も又同じであるという結論にもなるのじゃ。

 慈悲の感情に従う時、むしろ深い智慧が生まれるのじゃ。
 自他の同一を感じ、その利益を求められるのじゃ。
 おぬしが食べるものも無くさまよっていれば食べ物を貰っただけでもありがたく思うじゃろう。
 他の衆生も己の身に代えて思えるのじゃ。
 それを実践すると善いのじゃ。

>>911 避妊手術以外は善事になるじゃろう。
 トイレを作ればそこでするようになるじゃろう。
 己の身に引き比べて更に実践あるのみなのじゃ。
 
>>912 ならないのじゃ。
 悪意で衆生を害したのではないからのう。
 ただの遊戯なのじゃ。

913:避難民のマジレスさん[]:2021/07/15(木) 21:24:58 ID:rlAecqNg0 [32/32]
鬼和尚様

先日は質問に答えていただき本当にありがとうございました。
抜隊が何故嘘をついたのか疑問です。

鬼和尚様のブログの自己敬愛の法を読んだのですが、これは観念遊戯にはならないのでしょうか?

915:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/15(木) 21:56:29 ID:1d4drIFg0 [254/254]
>>913 ただ無知であったのじゃろう。
 
 ならないのじゃ。
 それは実践する法であるからのう。
 おぬしも実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

626:避難民のマジレスさん[]:2021/07/14(水) 23:19:20 ID:IU0vfEmI0
469
賛普化     普けを賛す
徳山臨濟奈同行 徳山臨済、同あんをいかんせん、 
街市風?莖群衆驚 街市の風てん群衆驚く。
坐脱立亡多敗闕 坐脱りゅうぼう敗けつ多し、
和鳴隠隠寶鈴聲 くわめい隠々たり宝れいの声。

柳田聖山先生訳
徳山の棒、臨済の喝も、(普化が)一緒ではどうにもならず、
町のフーテン沙汰は、群衆を慌てさせる。
座って死んでも、立って死んでも、(普化の死にようには)到底敵わず、
響き合ってありありと(姿なき虚空に聞こえる)、宝塔の鈴の音だった。”

くま訳
徳山さんも臨済さんも、普化さんが同行するとなると、ちょぴっとなぁてな感じでありましょか?
街中で騒ぎを起こして町民を驚かせるでありましょうから。
坐って解脱しても、立ったまま昇天しても、(消えてしまった)普化さんにはかないませぬ。
かすかに聞える鈴鐸の音だけを残して普化は消えたのだ。

うむ。普化さんみたいなくまになりたいものであります。

*普化(ふけ、生没年不詳)唐代の禅僧、臨済義玄(? – 867年)『臨済録』の中で、臨済がシテの立場、 
 普化はワキの役どころを演じているが、その行動が異様なものが多く、風狂僧や神異僧の部類に属する。
 師の入滅前の、門弟子たちに対する「私の本当の姿を描けるか」という問いに対して、普化のみが、ただ 
 トンボ返りをうったことで、師に喜ばれ、「風狂を演じあげて、世間を騒がせよう」と賞賛されたと伝え 
 られている。
 また、その名も、通称であり、本名はおろか、受戒の僧名も明らかではない。普化とは、神出鬼没の普化
 が、突然に街頭に現れ、道行く人の耳もとで鈴を振り乞食した、つまり「普く化を求めた」ことから付い 
 た俗称である。この場合の「化」は、「施し、布施」の意味である。
 また、その寝泊りする場所は、墓地であったという。日が昇ると、市場に現れたという。そして、鈴を振 
 りながら叫ぶ「明るいのが来れば打つ、暗いのが来れば打つ」と。それを聞いた臨済が小坊主を使って探 
 りを入れる。「全くどこからも来なければ、どうするんだ」と。普化の答えは、「明日は、大悲院でお斎 
 (とき)があるよ」という意外なものであった。
 翌日、普化が臨済院を訪れる。臨済は歓待する。普化の食べ方がおかずだけを平らげるという異様なもの 
 だったので、臨済が「まるでロバだ」と批評する。普化は「メー」と鳴く。臨済は絶句。すかさず普化が 
 「小僧(=臨済)には、片目しかないね」と言って去って行く。
 というのが、『臨済録』中の、臨済と普化の有名な逸話である。了然大悟した筈の臨済の上を行く存在と 
 して、普化は重要な役割を演じている。
 その最期に付いては、https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>924 ”普 
 化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋 ”

 これは、道教の尸解(しかい)に類したもので、仏僧でも、高僧の最期としては、達磨にも見られるよう 
 に、珍しいものではないらしいのである。
(´・(ェ)・`)つ

627:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/15(木) 22:01:34 ID:1d4drIFg0 [308/308]
それでよいのじゃ。

普化の賛じゃな。

徳山や臨も同行しないのじゃ。
街中の風狂は群集を驚かすのじゃ。
坐脱立亡には誰もが負けるのじゃ。
宝鈴の音があわせて隠隠と響くのじゃ。

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