鬼和尚 2021/07/11(日)

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 78 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1618136809/

527:マジレスさん[sage]:2021/07/08(木) 23:42:08.82 ID:6AATSnY7
鬼和尚、人は死んだらどうなりますか

530:マジレスさん[sage]:2021/07/10(土) 04:04:31.35 ID:dCqYGK9h
日本人が流されやすいのは何故ですか?
意思を持ってないで他人ばかり気にしてる国なのはなぜですか?

533:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/07/11(日) 21:42:36.92 ID:xhiicz1n
>>527 肉体は動かなくなり、土に還るのじゃ。
 しかし、意識はなくならないのじゃ。
 生きている人間の眠りの意識に入るだけなのじゃ。
 悟っていなければ生まれかわるのじゃ。
 悟っていればもはや生まれないのじゃ。
 全てであるだけなのじゃ。

>>530 集団で行動するように条件付けされるからじゃな。
 それが正しいことと教育されるから、他人の意見が気になるのじゃ。
 それに気づけば流されることもなくなるのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

618:避難民のマジレスさん[]:2021/07/10(土) 23:37:33 ID:caBPdlkw0 [2/2]
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因亂寄坊城小納言詩 乱に因りて坊城少納言に寄す 詩
當代菅儒小納言 当代菅儒少納言
詩文家業動乾坤 詩文の家業乾坤を動かす
英雄亂世好風月 英雄乱世に風月を好む
長劍大弓酬主恩 長劍だいきゅう主恩にむくゆ

くま訳
戦乱に際して、坊城少納言に寄す
当代の菅儒小納言殿、
詩文の家業は天下を動かすものであります。
英雄は乱世においても風月を好むものであります。
長劍、大弓で主恩に酬いるのであります。

*wikiによると、東坊城和長が少納言に叙せられたのは、一休さんの死の5年後でありますが、おそらく、 
 この人の事でありましょう。
 東坊城和長の『和長卿記』1494年の条に「秘伝に云う、一休和尚は後小松院の落胤の皇子なり。世に之 
 を知る人無し」とある
 1479年には文章得業生となり、1486年に少納言を兼ね、同年11月15日に従五位上に叙された。1520年 
 に権大納言に任ぜられる。1522年に氏長者「北野の長者」に任ぜられる。同年に権大納言を辞任。1529 
 年、薨去。享年70。
 和長が8歳の時に始まった応仁の乱によって、朝儀に必要な有職故実や紀伝道の知識も喪失の危機にあっ 
 た。こうした状況の中で和長は菅原氏の紀伝道をこれまでにない方法で再興し、存続させると言う課題に 
 取り組むことになった。元来、紀伝道とりわけ菅原氏の人々の間では古来から受け継いできた伝統的な学 
 説を守り続けることが最も重要なことと考えられ、自らの手で新たな説を立てたり、著作を書いたりする 
 ことには積極的ではなかった。和長もこの考え方を重要視し、例えば紀伝儒(紀伝道に伝わる儒学)を正 
 統視する立場から五山の宋学などの新しい学問に対しては批判的な態度を取っていた。
 当時の紀伝道の人々は文章家として、仏事などの行事に用いられる願文や諷誦文、祭文などの制作を依頼 
 されることが多かった。

 東坊城家(本姓・菅原氏高辻庶流五条庶流)は、五条長経(1242-1315年)の次男東坊城茂長(1284–1343 
 年)を祖とする堂上家である。ただし、茂長の時代には「坊城」と称し、孫の秀長・言長兄弟の時代に分 
 立して「東坊城」「西坊城」と称したことから、秀長をもって祖をする考え方もある。極官は室町時代の 
 東坊城益長(1407–1474年)以降、代々文章博士・大学頭・少納言・大蔵卿等を経て権大納言を極官とす 
 る。家業は紀伝道で、代々天皇の侍読を務めた。歴代当主の中には漢学の才を認められる者も多い。
(´・(ェ)・`)つ

619:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/07/11(日) 22:29:18 ID:1d4drIFg0 [304/304]
昔の官位は貴族の世襲だからわかっていたのじゃろう。

それでよいのじゃ。

乱によりて坊城小納言に寄す詩なのじゃ。

当代の菅儒者である少納言なのじゃ。
詩文の家業は天地も動かすのじゃ。
英雄は乱世でも風月を好むのじゃ。
長劍大弓で主恩に報いるのじゃ。

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