鬼和尚 2021/03/05(金)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

286:天佳[]:2021/03/05(金) 10:31:15 ID:oJFdEYMY0
>>285
ありがとうございます。
精進します。

287:避難民のマジレスさん[]:2021/03/05(金) 11:08:00 ID:Djeezqjw0
wifiを消して家でネットを使えなくしたら、修行時間が5倍くらい増えました。良かったです。
ところで世親の唯識三十頌を読んでいたのですが、安慧の註釈で阿頼耶識は色と名を対象とする、つまり観念として構成する作用であるということが書いてあった気がします。
色界を超越した無色界においては、色を色として認める色欲を去っているが、名を名として認める無色界欲があるという状態であるということで、対象のないサマーディ(無相の心定)はどちらも去っているということで大丈夫でしょうか。
色という観念を離れている無色界から、色という観念を構成するプロセスに集中すれば、阿頼耶識が観られるでしょうか。
よろしくお願いいたします。

288:避難民のマジレスさん[]:2021/03/05(金) 20:00:48 ID:w.ItkDtU0 [39/39]
そうですか、わかりました。そのようにやってみます。

最近良いことがありました。自我を手放すことへの根本的な恐怖や思考が自分だとする観念を最大限の関心を持って観察したらスーッとその恐れが消えてしまいました。

そして、思考の背後にじっとして動かない意識のようなものが自分だという感覚になりました。
それは阿頼耶識なんでしょうけどそれでも嬉しいです。自分じゃないという安心感があるからです。

290:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/03/05(金) 22:24:34 ID:1d4drIFg0 [72/73]
>>286 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>287 そういえるじゃろう。
 もはや対象が無いのであるからのう。
 名色共に無いのじゃ。

 阿頼耶識を観るには先ず無我になる必要が在るのじゃ。
 自我があれば主体が在ると想うから、主体の基盤である阿頼耶識も見えないのじゃ。
 サマーディに入ったら自分を観察して滅するのじゃ。
 そして阿頼耶識も観られるようになるのじや。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>288 そうじゃ、実践するとよいのじゃ。

 善いことじゃ。
 更に進んでいくと善いのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

289:龍閃[sage]:2021/03/05(金) 20:09:37 ID:B7GpJbvc0 [2/2]
慈悲を持って生きている人というのは、一般的に「優しい人」「思いやりのある人」「人格者」と呼ばれる人とある程度一致するといえますか。

291:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/03/05(金) 22:26:10 ID:1d4drIFg0 [73/73]
>>289 そうじゃ、言えるじゃろう。
 慈悲を持っていれば他人にもわかるものじゃ。
 そのような者に福楽も付き従うのじゃ。
 慈悲をもって生きるのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

231:避難民のマジレスさん[sage]:2021/03/05(金) 20:39:25 ID:Dp/qMVVc0 [112/112]
信仰とは簡単なものだ、なぜならば人は何もする必要がないからだ。その意味では、知はそう簡単ではない。知とは生の完全な変容だ。信仰は外側の衣服であり、知は内側の革命だ。単純な信仰は、あなたの魂が努力している贖罪の頂点に到達できるようにするよりもむしろ、あなたを盲目的な信仰の眠りに簡単に戻しうる。「宗教(Religion)」は信仰ではないが、残念ながら宗教(religion)は信仰だ。私にとって「宗教」とは何かというと、世界の宗教の概念とは一致しない。その点では、カール・マルクスが宗教をアヘンだと決めつけたのは正しかったが、本当の宗教についてそう言うのは大きく間違っている!

あなたは、シャスターラへの信仰、神の言葉への信仰、教師への信仰を持つように言われてきた。私は全くそうは言わない。私が言いたいのは、自分自身を信じなさいと言うことだ。自分自身を知ることによってのみ、シャスターラが何を言ったか、神が何を言ったかを知ることができる。 自分自身を信じていない者にとって、他の信仰に従うことは無駄なことだ。あなたは誰か他の人の足で立つことができるだろうか? ブッダは、「自分自身を灯明にしなさい。自分自身を避難所としなさい。自分自身の避難所以外に適切な避難所はない。」と言った。 私も同じ事を言う。

ある夜、あるサドゥーが客人だった別のサドゥーに別れを告げようとしたとき、別のサドゥーが「夜はとても暗い。どうやって行けばいいのでしょうか?」と言った。 主人はランプを灯して、それを客人に渡した。しかし、客が階段を降りようとしたとき、主人はランプを吹き消した。場所は再び暗闇に包まれた。すると主人は言った、「私のランプはあなたの道を照らすことはできません。そのためには、あなた自身のランプを持っている必要があります。」 客人はサドゥーのアドバイスを理解した。この理解はその人自身の人生の道を照らすランプとなり、二度と消されることはなかった。

智慧に関しても、鵜呑みにしてはいけないのですね。自分の願望から出たものと、そうでは無いものを、実践して体験する以外に見分ける方法はないのでしょうか。また、智慧に関してもうひとつ質問がございます。私の経験ですと、自分自身の変容が伴う場合と、ただ知識のみが得られる場合があります。鬼和尚が実践して確かめよと述べられたのは、後者に関してでしょうか?

232:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/03/05(金) 22:48:46 ID:1d4drIFg0 [120/120]
↑ そうじゃ、自ら実践して見分ける以外にないのじゃ。
 経典でさえもそのようにするべきなのじゃ。

 後者になるじゃろう。
 変容が起きたのならばもはや正しいことは確かめられたのであるからのう。
 知識でしかないものが正しのかどうか、自ら確かめるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

708:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/03/05(金) 22:53:49.65 ID:FfTngeiM
>>698
最初の方の質問にも共通しますが自分でコントロールできないような状況になったらどうなるのか、という恐れがあるようです
そして自分でコントロールしなければならない(自我)という思いが恐れの原因でもあるようです
でも生きている以上変な状況になりたくないのは当然です
この矛盾をどうしたら良いと思いますか?すべてを捨てる覚悟というのは、どうなってもいい、と保身を捨てるということですか?
その後安心は来ますか?

709:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/03/05(金) 23:30:08.14 ID:3VKkgqzB
>>708 それは今全てをコントロールしているという錯覚から起こるものじゃ。
 実際には人は何もコントロールできていないのじゃ。
 最大の苦である死がいつくるかもわからんからのう。
 事故とか病とかで五分後には死んでいるかもしれん。
 他の老病とかの苦もコントロールできないのじゃ。
 そのような状況でコントロールできないことを恐れるのは無意味なのじゃ。

 今ここにある自分をよく観察してみるのじゃ。
 
 自分とは何かがわからないままコントロールとか矛盾とか保身を考えるのは観念遊戯なのじゃ。
 自分が何かわからないのに何をコントロールするのじゃろうか?
自分が何かわからないのに何と何が矛盾していると想うのじゃろうか?
自分がわからないのに何の身を保つのじゃろうか?

自分を知り、自分の何を守り、何を捨てて善いのか知ることで安心も生まれるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

337:避難民のマジレスさん[]:2021/03/05(金) 00:52:15 ID:r3/lY5EY0
くま訳全面改
歌舞前の四歳の女子
婚約していた相手と因縁が深かったのである。
その恩を捨てて仏道に入ったのだ
座主、作家が誰であるか追及するのが禅なのだ。

344
賛端師子    端ししを賛す
弄師子處正明心 師子を弄するところ正に心を明きらむ
不托回頭口若暗 回頭にたくせず口おしのごとし
讀誦蓮經風雪燭 読じゅれん経風雪のしょく
漁歌一曲五更吟 漁歌一曲五更の吟

くま訳
白雲守端禅師を賛す
守端禅師が思い廻らすすことは、明らかに正しいことである。
考え思いを廻らすことに頼らず、沈黙することもある。
法華経を読誦することをもって吹雪の中の、目印の灯りとすることもあれば、
漁歌一曲明け方に吟じる風流人でもある。

*賛端師子:白雲守端禅師(1025-72)楊?等方会(992-1049)の弟子。五祖法演(不明 – 1104年)の師匠
*不托(ふたく):信用しない、頼まれない、頼まない(中国語翻訳サイト)
*回頭:① 頭をめぐらすこと。ふりむくこと。
*弄する:心の中をあれこれとたどってみる。思いめぐらす。
(´・(ェ)・`)つ

338:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/03/05(金) 23:16:42 ID:1d4drIFg0 [155/155]
端師子の賛じゃな。

端師子は修業に拠って心を正しく明らかにしたのじゃ。
思考を廻らさず、言葉も口にしなかったのじゃ。
風雪を灯りにして法華経を読んだのじゃ。
漁歌を朝に歌うこともあったのじゃ。

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