鬼和尚 2021/02/26(金)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

238:蓮恵[sage]:2021/02/25(木) 22:07:05 ID:9fglb7a20 [2/2]
鬼和尚様


以前、集中を深くするために心のブレーキを外すというようなことを仰っていた気がしますが、心が荒れているときや、落ち込んでいる状態でも心のブレーキのようなものを緩めてもよいのでしょうか。

239:避難民のマジレスさん[]:2021/02/25(木) 23:45:14 ID:w.ItkDtU0 [28/30]
わかりました、ありがとうございました。

240:避難民のマジレスさん[]:2021/02/26(金) 00:00:52 ID:87SUUXN20 [2/2]
>>200
です。
ありがとうございます。
その呼吸法を実践していて、頭がスッキリします。

寝る前のヨーガの呼吸の割合は、どのくらいがいいですか?

よろしくおねがいします。

245:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/26(金) 23:13:01 ID:1d4drIFg0 [60/61]
>>238 そのような時はやらないほうがよいじゃろう。
 修業のときだけやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>239 どういたしまして、またおいでなさい。

>>240 寝る前は呼吸を止めずに吐く時だけ二倍にすると善いのじゃ。
 その時、呼吸の数を数えれば数息観になるのじゃ。
 メラトニンが出て眠りやすくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

241:避難民のマジレスさん[]:2021/02/26(金) 07:44:32 ID:w.ItkDtU0 [29/30]
腹を観察して厭離しようとしてるんですが、腹をただ見ていても厭離が起きたかどうかよくわかりません。
腹を見ても腹を部分的に見てもあらゆる側面から見てもただ腹と呼ばれている「それ」が目に入るばかりです。
思考を挟まずに見るのが大事とのことですが私の場合、この世界は心が生み出した夢であり、よってこの体も夢の一部であり私ではない。ということを念頭において眺め観察すると厭離が起きやすいようです。このようにこの世は夢だという考えを頭に置いときながら観察するのもありですか?

またただ腹が見えるばかりなのはどうしたらいいですか?集中しすぎると観察対象と一体になってしまうので距離を置く感じで観察しています。

242:蓮恵[sage]:2021/02/26(金) 13:50:57 ID:VDaFgkTI0
鬼和尚様

精神を落ち着かせる法というのは、善し悪しは置いておいて、大乗仏教においては小乗の行として忌み嫌われるところではないでしょうか

なぜならば心を良くしようとする人間が残るからです
となると、無為に座るしかないのではないでしょうか

243:236[sage]:2021/02/26(金) 19:24:20 ID:CzD5N9lE0
>>237
鬼和尚さん、ありがとうございます。
もう一度厭離について教えてください。

じつは、私は自分の苦を観察していて、自分が生きてただ死んでしまうものだと思うと、疎外感や無価値感が起こることに気づいたのです。

それで、以前鬼和尚さんが、自分がただ生きて死ぬものだと思っていることが苦の原因で、それが真実かどうかに関わらず、原因がなければそれが消えることを観察すれば苦が消えると教えてくれたことを思い出しました。
そこで自分は、次は地球ではない別の星の、全く想像外の生命体に生まれ変わり、その時には全体と一体感を持っていて幸福を感じるような人生になると思ってみたのです。
すると、苦がなくなった気がしました。
かなり楽になってしまいました。

でも、理由がわかりません。
私は本気で別の星の生命体になれると信じているわけではないので、孤独感や無価値感はなくなったわけではなく、自分の苦ではなくなったのかもしれないと思ったのです。
しかし、実際に苦はなくなったので、自分の苦かどうかは関係ないのかもしれません。

鬼和尚さんに、これは厭離になるのかを確認したいです。
鬼和尚さんからすると、厭離になるのでしょうか?
なるとしたらどういう原理なのでしょうか?
自分という観念が苦を生んでいるとしたら、別の星に生まれ変わると思っただけで、苦が消えたのは、なぜなのでしょうか?
それともこれは逃避なのでしょうか?

244:避難民のマジレスさん[]:2021/02/26(金) 20:03:34 ID:jQXQ.Ey60 [9/9]
>>237
ありがとうございます。
では、まずは二禅を目標に頑張ります。

246:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/26(金) 23:18:55 ID:1d4drIFg0 [61/61]
>>241 それは観察ではなく、空の法になるのじゃ。
 ありのままに観るのが観察なのじゃ。

 腹にどのような特徴があるのか詳しく観察してみると善いのじゃ。
 しわが多いとか、毛が生えてるとか、詳しく観ていくのじゃ。
 どんどん細かく見ていけば厭離もできるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>243 それも厭離になるのじゃ。
 原因が無く、苦もない状態が観察できたからなのじゃ。
 
 その観察もまた自分という根本原因から一時的に離れられたからなのじゃ。
 逃避ではなく観察できたのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。

>>244 そうじゃ、日々精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

212:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/26(金) 21:27:41 ID:Dp/qMVVc0 [105/105]
真理を知る前に知ることができるのは言葉だけだ、真理ではない。それらの言葉は、他の人や聖なる書物、神の化身やティールタンカラ、悟りを開いた人たちからのものだろうが、その意味と解釈はあなたのものになる。あなたの「私」はそれらの中にあるだろう。多くのいわゆる宗教の間にこれほどまでに多くの対立や相違があるのは、このためではないだろうか? ブッダとキリストの間には、何か対立や敵対が存在しうるのだろうか? 解釈の違い、対立、敵対はあなたと私の間にあり、私たちはそれをすべて彼らの名の下に貫いているだけなのだ。

宗教は真理を知る者から生まれ、宗派はただ聞いて信じるだけの者によって組織されている。そして、それゆえに多数の宗派が存在する。真理を知るという経験は唯一無二であり、その経験はすべての人にとって同一だ。しかし、信仰の場合はそうではない。知は一つであり、唯一無二のものだが、信仰は信じる人の数と同じくらい多いのだ。

「宗教(Religion)」はダルシャンの結果であり、真理の洞察の結果であるが、宗教(religions)は真理を見ないことの結果だ。「宗教」は知る者によって設立されるが、宗教は知らない者によって組織される。そして、彼らが善意の努力をしても、宗教は無宗教になってしまうのだ。人間は、その全歴史を通して、この呪いの犠牲者であり、この言葉の矛盾の犠牲者であり続けてきた。

>>210 ありがとうございます。そのように修正します。
話しながらの観察に少し慣れてきました。複雑な会話はまだできませんが、よく知っている人との簡単な会話は観察できるようになってきました。この文をタイプしながらも観察できていますが、さらに観察の時間を増やせるよう精進します。

213:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/26(金) 23:47:06 ID:1d4drIFg0 [108/109]
↑よいことじゃ。
どんどん実践すれば上達していくのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。

214:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/26(金) 23:50:25 ID:1d4drIFg0 [109/109]
言葉は常に受け取る者によって解釈が違ってしまうとオショーは言うのじゃ。
解釈の違いに拠って宗派が生まれ、闘争も起きてしまうのじゃ。
実際に同じ教祖の宗教でも派閥が多く生まれ、闘争も起きているのじゃ。
宗教が教祖によって正しく説かれても、言葉に拠って真理を知らない者たちが派閥を作り、争いを始めてしまうのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

830:マジレスさん (アウアウエー Sa72-DFeu [111.239.157.99])[sage]:2021/02/26(金) 13:36:05.92 ID:3pvoOG/ja
>>829
鬼和尚様
今日は面接に行ってきました
仕事は工場のゴム製品のプレスです
自分に合ってそうな職場でした
即決で決まり来週月曜から出勤です

831:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ 3a67-oL1e [219.192.74.62])[sage]:2021/02/26(金) 22:24:23.30 ID:E8mfAwzR0 [2/2]
↑よかったのじゃ。
 なんでもやってみるとよいのじゃ。
 実践してみてはじめて自分がわかるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

322:避難民のマジレスさん[]:2021/02/26(金) 00:11:30 ID:Iacc0dmo0 [1/2]
くま訳改
第三句:毒にあたれば毒の作用が知れるのだ。
第四句:西天がこの地であると野狐もわかったのだ。

337
脚下紅絲線   脚下紅糸線
持戒爲驢破戒人 持戒は驢となり 破戒は人となる
河沙異號弄精神 河沙の異號精神を弄す 
初生孩子婚姻線 初生孩子婚姻の線 
開落紅花幾度春 開落紅花幾度の春

ヴィート・ウルマン先生訳
戒を守ればロバになる、戒を破れば人になる。
河の沙の粉ほど無数のことについて考えて無駄に精神を費やした
初生の子供、婚姻の線
赤い花が何回春開いて落ちたか

くま訳
戒を守らねばならないとして、守るのであれば、ロバに生れ変るであろう、戒を破っても法を越えない様で
あって初めて人になれるのだ。
河の砂ほど数多の戒律に囚われても精神を弄するだけである。
生れたばかりの赤ん坊にも婚姻線はあるのだ。
咲けば散る花を幾春繰り返したことか。

*脚下紅絲線:脚下の纏綿、即ち修行の戒律等を云ふ、却って戒律に苦しめらるる様にては、他生は驢馬と 
 生まるるならん、戒によらず自ら戒にあたるは、蓋し人間界に生を受けんと。(大成脚注)
 纏綿(てんめん):まといついて離れにくいさま。特に、愛情が深くこまやかなさま。
*河沙異號:恒河沙の数程の数多の名目の戒、實び精魂を飜弄することである。
(´・(ェ)・`)つ

323:避難民のマジレスさん[]:2021/02/26(金) 00:12:56 ID:Iacc0dmo0 [2/2]
*おまけ:壁巌録 第八十則「趙州初生孩子(趙州孩子六識)」
 挙。僧問趙州。      挙す。僧、趙州に問う。
 初生孩子還具六識也無。  初生(ショショウ)の孩子、還って六色を具すや無しや?
 趙州云。急水上打毬子。  趙州云う。急水上に毬子(キュウス)を打す。
 僧復問投子。       僧、復、投子に問う。
 急水上打毬子。意旨如何。 急水上に毬子を打す。意旨如何?
 子云。念念不停流。    子云う。 念念不停流。

 釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説抜粋
 *挙:あげる。問う、尋ねる
 *六識:分別、判断、心を生じる認識作用。 眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの認識作用。
 *毬子(キュウス):手毬、まり。
 *投子:ジョ州投子山の大同禅師の事(819-914)
 *意旨:言わんとするところ。意味。
 *念:心、想い。” “釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説

 禅問答の、ああ言えば、こう言う類のやりとりに、趙州和尚が 如何に対応されたか。
 「無我」が悟りの境地であるならば、・・・「赤ん坊」と「仏」の違いはどこにあるのか?
 その様な問題に関して何かを答えたとしたら、急流に投げた毬が、転々としながら流れに流されて、果て 
 しない議論になるだろう、という事。・・・
 そして、もう一つが、この僧とのやりとりにおける投子和尚の極めて直裁な答えであります。投子和尚の 
 答えは、「念念不停流。」です。
 念(想い)から念へ、想いというものは、流れてとどまらないものだ、という訳です。

 ・・赤ん坊に六識があるか否か、つまり赤ん坊を仏の境地と言われる「無我」と見なせるかどうか、とい 
 う問いは、まさに、「無我」という言葉に囚われて、溺死寸前の禅僧と言えるかも知れません。
 ・・・仏とは「我」を自覚認識した上で、自身を浄化させる事によって、「我」を極力減少させ、自他を 
 平等に見る眼を得た人、ここに身贔屓にとらわれない「仏知見(如実知見)」が得られる訳ですが、まさ 
 に、この様な境地を体得した人をこそ仏と言うのでしょう。
(´・(ェ)・`)b

324:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/27(土) 00:02:07 ID:1d4drIFg0 [148/148]
戒だけを守って心を忘れればロバとなり、戒よりも心を大事にすれば人となるのじゃ。
このようにして何度も生まれかわり河砂の如く多くの異なる名前で心を苦しめてきたのじゃ。
初めて生まれた子にも婚姻の線が在るのじゃ。
そのために花が開いては落ちるような春を何度も迎えているのじゃ。

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