鬼和尚 2021/02/20(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

188:避難民のマジレスさん[]:2021/02/19(金) 23:44:48 ID:w.ItkDtU0 [19/23]
そうですか、鬼和尚は禅定の段階が進んでいっても一定の段階で過去の膨大な記憶の閲覧が起こったりエクスタシーを感じることはないんでしょうか?

189:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/20(土) 00:41:35 ID:1QHAiUWA0 [11/13]
>>186
今日、悩みのない状態を経験しました
決断も迷いなくできました
このような状態があることが初めてわかりました
子供の頃は悩みはなかったと思いますので本当は初めてではないと思いますがまるで初めてのような感じです
たぶん治験薬の効果だと思います
それでもそのような状態があり得るということが分かったことはよかったと思います

190:避難民のマジレスさん[]:2021/02/20(土) 02:35:30 ID:w.ItkDtU0 [20/23]
境地瞑想に入ったらエクスタシーを感じるというのは何なんですか?

エクスタシーを感じたことが瞑想の高い段階に入れたという指標という訳ではないということでしょうか?

197:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/20(土) 22:06:02 ID:1d4drIFg0 [47/49]
>>188 記憶が起こるのは初期の段階で起こるものじゃ。
 そもそも真のディヤーナではいかなる思考も記憶も起こらないようにするのが目的であるから、雑念は捨てられるのじゃ。

 初禅に入れば継続的に快が起こるようになるのじゃ。
 喜、楽と呼ばれるのじゃ。
 それらも捨てられるべきものなのじゃ。
 全てを捨てて進むのじゃ。

>>189 おぬしの観察の成果じゃろう。
 更に実践あるのみなのじゃ。

>>190 初禅に入れば喜、楽が常にあるのじゃ。
 気がブラフマランドラに入るからなのじゃ。
 現代医学で言えば脳内麻薬が出るからとなるじゃろう。
 心身に善いことをしたから褒美が出るのじゃ。

 初禅に入れた指標にはなるじゃろう。
 それにも囚われれば障害になるのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

191:132[]:2021/02/20(土) 04:22:54 ID:f8WtvBAc0
魂はなくても心はあるとかないとか言うとおかしなことになります。
つまり、鬼和尚は、「プリウス」などない、有るのは金属の塊だと
プリウスがあると考えると、そこに「プリウス」という概念しかみないから「プリウスなどないのじゃ」と言うのでしょう。
もっと言うと「鉄の塊」もない訳で「鉄」も「塊」も概念です。
そうではない「何か」を観察せよとおっしゃりたいのでしょう。言葉を越えた何かを。
魂でも心でもないが、そこに現れている現れを観察せよと。

192:避難民のマジレスさん[]:2021/02/20(土) 09:08:23 ID:IRroufNs0 [2/2]
>>187
ありがとうございます。
今世でどれだけ心身を厭離しても、阿頼耶識を滅しない限り、
再び地獄に落ちる可能性があるということでしょうか。それは嫌ですね。

193:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/20(土) 13:24:12 ID:1QHAiUWA0 [12/13]
>>186
答えられない相手に質問を止めるのも慈悲と思います

194:132[]:2021/02/20(土) 13:24:13 ID:LIFxEtB60
心の働きを観察する

「雨が降っている」と見ている。
「雪が溶けていく」
「外は寒そう」と感じている。(続く)

198:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/20(土) 23:18:53 ID:1d4drIFg0 [48/49]
>>191 そうじゃ、魂というものは見ることも感じることもできないが、心の働きは感じられるのじゃ。
 今ここで心の働きを観察する事で心は苦から離れられるのじゃ。
 観念遊戯をして時間を浪費するよりよほど有意義なのじゃ。
 実践に拠って確かめるのじゃ。

>>192 そうじゃ、大悟徹底して輪廻を離脱しない限り、また地獄に落ちることもあるのじゃ。
 どこまでも悟りを追求していくことが大事なのじゃ。
 実践あるのみなのじや。

>>193 仕事の上で尋ねることならば、どこまでも聞くと善いのじゃ。
 そのために仕事が失敗したら相手のせいになったりすることもあるからのう。
 どんなことをしても仕事をやり遂げることが真の慈悲なのじゃ。
 
>>194 それでよいのじゃ。
 更に実践あるのみなのじや。

195:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/20(土) 15:57:12 ID:1QHAiUWA0 [13/13]
便秘になりました
今は出ましたが

治験薬の説明書には予想される副作用の一覧の中に便秘がありました
私の場合直接の因果関係はわかりませんが
おそらく薬の副作用で
やる気がなくなり普段よりも身体を動かさなくなったこと
食欲が増して肉を食べたこと
が考えられ
間接的な因果関係はあると思います

念のため治験薬の服用は中止しようと思いますが
鬼和尚の見解はどうでしょうか

196:137[sage]:2021/02/20(土) 20:02:44 ID:PQgLwEb60
>>187
鬼和尚さん、ありがとうございます。

今日も観察していたら、自分を価値の劣るものだと思う感覚が薄れて、自分を価値だと思っている気がしてきました。
世界があると自分を価値や意味のようなものだと感じます。
世界は価値や意味でできているからです。

じつは二年前も同じことに気づいて、鬼和尚さんにここでそれを報告したことがあります。
でも、自分を劣っていると思っていることには気づくことができなかったので、だんだん無意識に逃避してしまったのだと思います。
今回はそれに気づけたので、自分を価値だと思っていることから逃避しないでいられるようです。

自分を価値のような観念ではないと思うと、苦がなくなってとても楽になります。
楽になってぼうっとしているだけになります。
世界の観念がないと自分の観念がないことを観察する場合、これだけで良いのでしょうか?
これでいつか完全に厭離できるのでしょうか?

199:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/20(土) 23:22:33 ID:1d4drIFg0 [49/49]
>>195 薬はどんなものでもあまり飲まないほうが善いのじゃ。
 肝臓が悪くなるからのう。
 一定の成果が出たと想うならばやめるとよいのじゃ。
 無駄にはならなかったのじゃ。
 
>>196 今はそれで善いのじゃ。
 観察の効果が出てきたのじゃ。
 厭離できているのじゃ。
 そのまま続けると善いのじゃ。
 
 続けていて変化がなければ、その知識は捨てて新たな自分の発見を目指すと善いのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

198:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/20(土) 20:35:00 ID:Dp/qMVVc0 [99/99]
真理はあなたの中にある。それは私の中にある。それは明日あなたの中にあるのではなく、今ここで、この瞬間に、あなたの中にあるのだ。私はある。私の存在自体が私の真理だ。私が見たものは真理ではないかもしれないし、それはすべて夢かもしれない。私も夢を見ていて、その間に見ているものは真実のように見える。あなたは私にとって夢なのかもしれない。私が夢の中にいて、あなたはここにまったくいないのかもしれない。しかし、見者は偽りではありえない。見者は夢の中にいることができない、なぜならばもし、いたとしたら、それが夢であることがわからないからだ。夢は夢を見ることがでない。真理でないものは真理でないものを知ることができない。夢を見るためには、自分自身が夢ではない者が必要だ。真理でないものを見るためにさえも、真の見者が必要だ。したがって私は、私が真理であると言う。真理は私の存在だ。私はそれを求めてどこかに行く必要はない。

自分の中から真理を掘り出すだけでいい。井戸を掘るのと同じように、真理を掘り出さなければならない。水の泉を覆う石や土の層が常にいくつかあるが、それらの層を取り除くとすぐに泉は解放される。同じように、あなたの自己も他のもの、非自己に属するものの層によって圧迫されている。あなたはこれらの層を突破するだけで、数え切れないほどの過去世を通して探し求めてきたものが達成される。

これまでのところ、あなたは真理に到達することができなかったが、それは、あなたが遠く離れたところでそれを探していたからだ、実際のところ、それはいつもとても近くにいる。本当に探しているのはそれ自身なのだ。あなたの魂の井戸を掘り出さなければならない。瞑想はそのための手段だ。瞑想の鋤を使って、自己の上に積み重なった土の層、他者性の層を取り除かなければならない。それが唯一の救済策であり、唯一の治療法だ。これが私が話したいことだ。

静まった心を観察します。

199:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/20(土) 23:24:56 ID:1d4drIFg0 [100/100]
真理とは今ここに自分の中にあるものだとオショーは言うのじゃ。
それは一度も自分から離れたことは無いのじゃ。
それが見出せなかったのはどこか外にあると思って知識を求めていたからなのじゃ。
井戸を掘るように自分ではない知識をどこまでも掘り下げて観ていくことでそれは現われるのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

305:避難民のマジレスさん[]:2021/02/20(土) 17:13:16 ID:.7dvj9vM0
くま訳改
第二句:世間の者は嘲笑い、怒り狂うのだ。
第三句:一匹の猿から尻尾を取れば、
第四句:そのような者が忽ち現われるのだ。

331   
思舊齋 二首 1/2 旧齋を思ふ
山陽長笛子雲吟 山陽の長笛子雲が吟
蜜漬茘子素老心 蜜茘子にひたす素老の心
熟處三年六十劫 熟處三年六十劫
一聲望帝月西沈 一聲の望帝月西に沈む

くま訳
故人を偲ぶ詩に付いて思う。 
向秀が詠んだ、山陽長笛・故人を偲ぶ詩は、漢の子雲の詩に基づいているのである。
そのままでも美味の茘子を蜜漬にするような実に度が過ぎた技巧である。
詩文の奥義は大昔からあるのだ。
望帝が杜鵑に生れ変ったことが詠まれた時代(4‐5千年前)から、月は西に沈むのだ

*齋:朝の粥に対し、午時の食をいふ。僧侶に食事を供養するをいふ。又転じて亡霊の為に読経するこをも 
 いふ。(禅学大成脚注)
*山陽長笛:晋書向鷹傳に、「秀、山陽の舊鷹を經、隣人笛を吹くものあり、聲を撥すること寥亮(りょう 
 りょう)たり、秀、乃ち思舊賦を作る」と。(禅学大成脚注)
 笛の音を聞いて故人を偲ぶ詩のパターンがあるらしい。
*寥亮(りょうりょう):声や音が澄みとおるさま。声高くほがらかにひびくさま。
*向秀(しょう しゅう:三国時代の文人。三国時代(黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から 
 西晋による中国再統一(280年)まで)
*子雲:揚雄、紀元前53年-18年漢の文人・学者(甘泉賦、長揚賦、逐貧賦)
*熟処:① よくなれたところ。住みなれた場所。② 学芸、武術などの奥深い肝要なところ。奥義
*望帝杜宇(ぼうていとう)は、古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望
 帝の魂が鳴いて教えてるのだと語り継いだ
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯
 に滅ぼされた

向秀は、竹林の七賢と呼ばれ、荘子の注釈書を書いて絶賛された。隠者仲間が「無用な人間である」という
かどで処刑された途端、役人になり、その変節を笑われると、「隠者は気難しいだけで聖王の心に及びませ
ん。敬慕するに足りましょうか。」といった人とのこと。
(´・(ェ)・`)つ

306:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/20(土) 23:40:39 ID:1d4drIFg0 [141/141]
大体そんな感じじゃな。

山陽の長笛は子雲が吟じたのじゃ。
その味はれいしの実を蜜につけて素の味わいを失くしたようなものじゃ。
三年もつけて六十劫も漬けたような味を出そうとしているのじゃ。
ほととぎすが鳴けば月は西に沈むというように自然をありのままに詠むがよいのじや。

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