鬼和尚 2021/02/16(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

146:避難民のマジレスさん[]:2021/02/16(火) 01:01:54 ID:w.ItkDtU0 [16/18]
https://youtu.be/UEPIg2CWRuM

深い瞑想(サマーディ)の入り口に立つと見える世界とは



上の動画ではサマディの入り口ですでにとんでもない奇妙奇天烈な体験が起こると言っていますがいまだ初禅の私はそんな体験したことありません。私の思ってる初禅は初禅じゃないということでしょうか?



質問2
動画の方が言うそうしたすごい体験というのは第何禅で起こるものなんですか?

147:132[]:2021/02/16(火) 04:38:18 ID:v6Vl1mIg0

>>141 それもまた幻想なのじゃ。
 映画を次々に見ているようなものじゃ。
 個我の幻想から生まれた幻想なのじゃ

それとは、生まれ変わりの事ですよね。
魂が「気」のようなものだとすると、不死とか悟りのようなものが何となく実感は出来ますね

148:避難民のマジレスさん[]:2021/02/16(火) 18:25:13 ID:w.ItkDtU0 [17/18]
以前どこかで鬼和尚が
「観察するには二禅くらいの集中力が欲しいのじゃ」
みたいなことをおっしゃっていましたが、二禅並みの集中力って相当じゃないですか?
私はまだ二禅すら行ったことないですよ。一度二禅に行けるようになってから観察に再取り組みした方がいいですか?

150:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/16(火) 22:05:21 ID:1d4drIFg0 [37/38]
>>146 それは嘘であるから信じなくて善いのじゃ。
 にせものが多いから気をつけるのじゃ。

 起こらないのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

>>147 そうじゃ、プラーナがアートマンであるとヴェーダでも述べているのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>148 それも日々の実践で容易になるのじゃ。

 
 肝心なのは観察している時に雑念に囚われてしまわないことなのじゃ。
 雑念に囚われなくなったら観察すると善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

149:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/16(火) 19:09:14 ID:czRftzgI0 [5/5]
これは本当ですか?
http://www2.memenet.or.jp/~iyashi/tamasilevel.htm
http://www2.memenet.or.jp/~iyashi/reberukani.htm

151:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/16(火) 22:07:08 ID:1d4drIFg0 [38/38]
>>149 嘘なのじゃ。
 でたらめなのじゃ。
 にせもののグルが多いから気をつけるのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

190:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/16(火) 20:47:35 ID:Dp/qMVVc0 [95/95]
人の存在と、知識の間には大きな溝がある。人は一つのものであり、その人が知っていることは全く別のものだ。人格は二つに分かれている。その人の内なる存在と外なる殻の間には葛藤と二元性がある。そして、その自然な結果が偽善なのだ。そのような人は、自分の中に実際には存在しない誰かとして自分自身を見せ始め、存在する人を隠し始める。この行為は無宗教だ。他人の生を台無しにするだけでなく、自分の生も台無しにしてしまう。これは自己欺瞞だが、それは宗教的だとして通用する。

教理や教義の知的な教えは、これだけしかできない:外側の包みを変えること。しかし、精神的な革命のためには、それ以外の取り組み方が必要だ。その取り組みは、教義ではなく、自己実現の道を歩くこと、修行であるべきだ。それは説教の取り組み方ではなく、治療の取り組み方だ。真理について考えるのではなく、真理に目を開くことだ。

宗教とは、目を開く方法だ。目が開かれれば、神の視覚は簡単に実現する。しかし、教義はあなたの目を開かないだろう。それどころか、それに惑わされている人たちは、自分の目が閉じていることを忘れ、論じる真理は、自分の目で見たのではなく、他人の目で見たものであることを忘れてしまう。他者によって見られる真理は、他者によって食べられる食事のようなものだ。それは他の誰の何の役にも立たない。

真理の実現は、完全に私的で個人的なものであり、決して譲渡可能なものではない。それは受け取ることも与えることもできない。それは自分自身で得なければならない。それは盗まれたり、施しで受け入れられたりすることはできない。それは財産の一部ではなく、自分自身そのものだ。真理は財産ではなく、自分自身そのものであり、それゆえに譲渡することはできない。これまでのところ、誰もそれを誰かに与えたことはない。また、未来の誰もがそれを誰かに与えることはできないだろう。なぜならば、与えられた瞬間、それは真理であることをやめて、物になるからだ。物は与えることも、奪うこともできる。真理は、自分自身の中で、自分自身によって達成されなければならない。それは主観的だ。実際には、それは本当は達成されるものではない – 人はそれにならなければならない。それはあなた自身あること、あなた自身の実存なのだ。

特に何も思い浮かびません。ただ観察します。

191:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/16(火) 23:06:30 ID:1d4drIFg0 [96/96]
知識は自他の人生を台無しにしてしまうとまでオショーは言うのじゃ。
実際に多くの知識を集めても、自分について知らなかったばかりに破滅する者は多いのじゃ。
不要な知識に囚われて自己の探求を怠れば、破滅が待っているのじゃ。
自らの実践によって自己の探求をすることができるのは自分だけなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

663:おさかなくわえた名無しさん[]:2021/02/16(火) 10:23:57.00 ID:L/LLvHf1
鬼和尚、座禅の後に気功をするようにしました。
宇宙の事を想像すると気持ちいいです。

664:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/02/16(火) 17:08:17.47 ID:nSAHd73b
鬼和尚は森元の発言を責めるのは低能しかいないと思いますか?
低能発見器として役に立つので、選挙権とか取り上げると国のためになるとか思いますか?

665:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/02/16(火) 21:59:35.10 ID:RGzyOGHN
>>663 善いことじゃ。
 毎日続けると善いのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>664 わしは何も想わないのじゃ。
 おぬしがそう思うならばそうではないじゃろう。
 おぬしがそう思わないならばそうじゃろう。
 おぬし次第なのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

970:マジレスさん[sage]:2021/02/16(火) 04:07:41.52 ID:0IJPngl3
>>963
ですが私は幼少の頃より物覚えが悪く、キャッチボールも下手でした。
それと好きな事は見つけ難いですが。自己啓発の本でも同じ事書いてありますが見つかったためしがありません。

974:マジレスさん[sage]:2021/02/16(火) 21:01:18.53 ID:h3/Q03YM
>>969
鬼和尚様、ありがとうございます
今日晴れたのでハロワに行ってきました
お目当ての求人に応募しました

975:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/02/16(火) 21:58:08.07 ID:XBgEo9ai
>>970 絶対に出来ない嫌なことの反対がすきなことなのじゃ。
 嫌なことをどんどんかきしるしていって残ったのがすきなことになるのじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>974 善いことじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

297:避難民のマジレスさん[]:2021/02/16(火) 00:38:02 ID:yHQUUtXM0
一休さんの元気がでる説法!
327
送僧行脚    僧の行脚を送る
参禪学道扣玄人 参禪学道玄をたたく人
世界蒲鞋脚下塵 世界のほあい脚下の塵
象骨老師三九旨 象骨の老師さんくの旨
常成飯頭苦心身 常に飯ぢゅうとなって心身を苦しむ

くま訳
行脚に出発する僧を見送る
参禪して、仏道を学び、奥深い道理を尋ねる人よ、
世界は足下のわらじの塵である。
象骨山に崇聖寺(すうしょうじ)を開いた雪峰義存は、投子大同(とうすだいどう)、洞山良价(とうざ
ん・りょうかい)にそれぞれ三度九度会いに行ったがなかなか大悟できなかったが、徳山の下で大悟した。
その間常に禅寺の食事係となって心身を苦しめたのである。

*玄:奥深い道理であり、あらゆる事物の根本の道。
*扣(たたく):①ひかえる。ひきとめる。 ②たたく。うつ。 ③さしひく。へらす。 ④尋ねる。問う。
*雪峰義存禪師922-908:象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。 
 三度、投に到り、九度洞山に上りて、参學甚だ黽(つと)むるも、縁遂に徳山に契(かな)ひ、祖の法を嗣 
 承す。善知識を求むるに汲々たるをいふ。
 洞山の命令で徳山宣鑑 に師事して、巖頭に諭されて大悟した。巖頭、欽山と3人で巡歴の旅が有名。
*飯頭(ハンジュウ・はんとう):禅寺で、粥飯(かゆめし)を大衆(だいしゅ)に供する役僧.
(´・(ェ)・`)つ

298:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/16(火) 23:10:48 ID:1d4drIFg0 [137/137]
大体その通りじゃな。

参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、世間を草履についた塵の如く捨てるのじゃ。
象骨の老師もかつては師匠に三度九度と道を尋ね、常に飯係となって苦心したのじゃ。

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