鬼和尚 2021/02/14(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

132:避難民のマジレスさん[]:2021/02/13(土) 22:23:52 ID:ZlZ6/t1g0 [6/7]
生まれたときの環境ですか?
地方都市の、やや名士の家に生まれました。
父方は実業家や政治家が多く母方は公務員や教育関係の仕事についていました。
父方は武道との関わりが深く、母方はインテリタイプが多いですかね。
両家は余り調和はしていませんでしたね。

133:蓮恵[sage]:2021/02/14(日) 01:04:43 ID:9fglb7a20
鬼和尚様
最近、幸福否定理論なるものを知りました

人ら潜在的に幸福(人間的成長、人生に対する喜び)を否定するような意志を潜在的に持っているとの理論です。
そのため成長の機会や幸福を感じると、それに抵抗するような反応が心身に生じるとのことでした。

極端な例であれば、自分の幸福を否定するために犯罪を犯すようなことでしょうか

ttps://note.com/forestpub/n/n8e7749dbd5fc
① 自分が幸福に向かう時に、あるいはすでに幸福が訪れている時
② その喜びを意識にのぼらせまいとする強い力が働く
③ その時に、心身症と言われる疾患に見られる症状や異常行動が一時的に生じる

幸福否定の意志は無意識に働き、巧妙に隠れるとのことです(幸福に対する抵抗があるなどと、受け入れられる人間は少ないでしょう)

鬼和尚様の考えをお聞かせていただきたいです

134:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 11:56:26 ID:1QHAiUWA0 [5/5]
うつ病の治験薬を服用し始めました。
その副作用だと思いますが、
あれ、さっきまで何してたっけ?
ということが頻繁にあります。
これは時間の観念がない状態を体験できているのではないかと思います。

138:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/14(日) 23:08:49 ID:1d4drIFg0 [33/34]
>>132 白い衣を着ているのう。
 医者ではないようじゃ。
 何かを研究していたようじゃ。
 死ぬまで本をよんでいたのじゃ。

>>133 それはまだ考えが浅いのじゃ。
 人は自己イメージに沿った生き方をする故に自己イメージが矮小な者は幸福を拒否するのじゃ。
 自己イメージが健全であると成功するのじゃ。
 それが本当ならば世の中に成功するものは居ないということになるのじゃ。
 サイコサイバネティックを学ぶと善いのじゃ。

>>134 記憶がおかしいようじゃ。
 時間は元々ないものじゃ。
 更に自分を追求するのじゃ。

135:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 15:11:32 ID:IgocChfU0
丹田を揃える感覚というものが一向に掴めません。

丹田はどれくらいの大きさでしょうか?
それぞれの丹田の位置を知覚することは出来ますか?

揃った時の頭の中に生じる快の感覚は強いものですか?

なんとなく心地よいかも?でも気のせいかも?位では揃っていないでしょうか?

ピッタリ揃わないと、数ミリでもどこかズレていたらダメなのでしょうか?
完全に揃わなくとも正しい姿勢に近づくと快感が強くなったりもするのですか?

快の感覚の想像がつかないですが、擬音で表すとビリビリ来るような感じのものですか?ジワーっと言う感じですか?

136:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 17:01:29 ID:5RSFlgSc0
背筋を伸ばして揃える時、
足や手の形は楽であれば何でも良いのでしょうか?

足と手を組む事にも気を巡らせる意味があるようですが、サマディ に入る為に必須では無く、
やれるならやったほうが良いけど
拘る必要は無いといった感じでしょうか?

私は普段椅子に座って作業しているので、
作業の合間に休憩がてら椅子に座ったまま肘掛けに手を掛けながら瞑想しても、問題無いでしょうか?

137:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 17:34:38 ID:5ZHkm9Sw0
鬼和尚さん

鬼和尚さんのブログの「人形の喩え」に、

「 因縁を観察する法では、自分があるという観念から刺激に対して好悪の感覚が起こり、それが愛別離苦とか、怨憎会苦等の苦に繋がると観察するのじゃ。
 それによって我という認識が、苦の元になっていることを気づかせるのじゃ。

 これによってただ言葉で話しても実現できない自我の厭離が可能となるのじゃ。」

という文章があるのですが、私は今ちょうど、自我があるから苦が起こることを観察しています。
大きな苦があって、その原因が観念の自分にあるからです。
その自分はただの観念なのに、大きな苦になっているので、この苦をなくしたいからです。

そのあとどうしたら、ブログにあるような自我の厭離に進めるのでしょうか?
ブログの文章だけでは理解しきれなかったので、教えてください。
よろしくお願いします。

139:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/14(日) 23:13:30 ID:1d4drIFg0 [34/34]
>>135 直径十センチぐらいじゃな。
 
 快は強いのじゃ。
 
 少しは揃っているのじゃ。
 
 大体で善いのじゃ。
 快の強さに拠ってわかるのじゃ。
 
 いつのまにか来るものじゃ。
 
>>136 何でも善いのじゃ。
 
 拘らなくて善いのじゃ。

 問題ないのじゃ。
 姿勢を正して日々実践することが大事なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。 

>>137 その観念の自分を観察するのじゃ。
 それもまた原因から起こるものじゃ。
 原因がある時にそれは起こるじゃろう。
 原因が無い時には起こらないじゃろう。
 それをありのままに観察するのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

185:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 21:07:32 ID:Dp/qMVVc0 [93/93]
あなたは、あなたではないもの、世界について、物質の世界についての情報しか持つことができない。あなたでないものについては、あなたは知を持つことができない。外側に関係するものは何でも、外側からしか知ることができない。あなたはそれに非常に近いかもしれないが、それはまだ遠くにあるだろう。私たちとの距離がどんなに小さくても、それがなくなることはない。それは常にあるのだ。だから、私たちは自分以外のものには親しむことができるだけで、それの知を持つことはできない。私たちは何かについて知ることはできるが、その何か自体を知ることはできない。

距離を完全に無くすことが、すべての知の前提条件だ。そうして初めて、自分の内なる存在に入ることができるのだ。しかし、距離のあるものは、決して距離のあるもの以外の何物でもあり得ない。現実に距離がないならば、その場合にのみ、そうでないことはあり得る。距離は、それが幻想である場合にのみ無くすことができる。それが現実であるならば、その排除は不可能だ。

私から離れていない存在はひとつ、ただひとつある。この存在が私から離れていることは不可能だ。私がその存在だ。そう、それは私自身なのだ。その存在だけで、本当の知が可能なのだ。この存在からの距離は幻想に過ぎない、なぜならばどうやって自分自身からの距離があり得るのだろうか。私だけが自己の中心であり、ここに私の内側の入り口、私の内側の住まい、そして完璧さの玉座がある。このことだけを知ることができる。

もう一つの事実を思い出してほしい。私たちは世界を知ることはできない。世界と交わり、情報を集めることができるだけだ。しかし、自己については、唯一の知が可能だ。だから、自己についての情報は無いし、アートマンについての情報も無い – 魂の知のみが可能だ。だからこそ、物体の場合は、物質的なものの場合は、私たち以外のものの場合は、経典や聖典の専門家であれば十分だが、自己の場合はそれだけでは十分ではないのだ。

わかるようでわからない話でした。特に三番目の段落の「私」が、自我の意味で使われているのか、記憶では認識できない存在の意味で使われているのか、よく分かりません。ただ、自分の内側に注意が向くのを感じました。

186:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/14(日) 23:19:58 ID:1d4drIFg0 [93/94]
それは自我なのじゃ。
自我とも存在は離れていないのじゃ。

187:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/14(日) 23:22:10 ID:1d4drIFg0 [94/94]
外側の世界について知ることは出来ないというのじゃ。
ただ情報を持つことができるだけなのじゃ。
自己についてのみ知ることが出来るというのじゃ。
それは存在と自己が同一であるからなのじゃ。
そこに距離の無い知である、気づきが起こる可能性があるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

661:おさかなくわえた名無しさん[]:2021/02/14(日) 18:47:43.94 ID:/nyjuVHg
鬼和尚、昨年亡くなった日本史講師の竹内睦泰氏の死因を霊視してください

662:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/02/14(日) 22:14:27.31 ID:y8Y8MCMT
>>661 病死じゃな。
 消化器とか肝臓の当たりが悪かったようじゃ。
 健康が大事なのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

957:マジレスさん[sage]:2021/02/14(日) 06:23:38.85 ID:nIz3mt31
私は学問含め、多くの事で頭があまり良くなく、平均的な能力もない無能なのですが
これは前世で無能の人に酷い事をしたからなのか?
または前世でナマケモノだったからなのでしょうか?

963:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/02/14(日) 22:11:45.99 ID:bWbUDeo2
>>957 それは今の世で熱心に学ばなかったからなのじゃ。
 今から好きなことで頭脳を磨くと善いのじゃ。
 誰でも好きなことでは優秀になるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

293:避難民のマジレスさん[]:2021/02/14(日) 07:40:37 ID:phtihVVY0
325
心念所作
三十年來江海情 三十年來江海の情
空吟野水釣船横 空しく吟ずや水てう船の横たはるを
偶然我負子陵業 偶然に我子陵が業にそむく
興在詩非勦絶名 興は詩に在りてさう絶の名にあらず

くま訳
心のはたらきと所作(の我が実際)
三十年来俗世間を離れていた心のはたらき。
空しく吟じ、野川の釣船で横たわり過した。
たまたまわしは、子陵の生き様に反することになった。
詩作は楽しみであり、滅ぼしつくすものではないのだ。

*四念住;肉体が不浄のものであると知る「身念住」・感覚されるものは畢竟苦であると知る「受念住」・
 心は無常であると知る「心念住」・事物は無我であると知る「法念住」。常楽我浄の四?莖倒を退治する修
 習法
*隋自意三昧
*江海:① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。③ 量が莫大なことをたとえていう語。
*情ā:1.人間の心のはたらき。こころ。きもち。意地。2.快・不快を主とする意識の主観的側面。
*勦絶(ソウゼツ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*子陵:厳光(げん こう)紀元前39 -41)後漢時代初期の隠者・字は子陵、若くして才名あり、のちの光武
 帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を
 惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、
 長安に召し出された。厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけ 
 だった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝 
 の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥 
 したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山で農耕をして暮ら 
 し、その地で没した。
(´・(ェ)・`)つ

294:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/14(日) 23:37:25 ID:1d4drIFg0 [135/135]
そんな感じじゃな。

三十年来野に暮らしたのじゃ。
川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのじゃ。
偶然子陵とは別の生業をすることになったのじゃ。
しかし、詩は楽しいからやめないのじゃ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました