鬼和尚 2021/02/13(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part18
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1611967514/

129:避難民のマジレスさん[]:2021/02/13(土) 05:17:48 ID:ZlZ6/t1g0 [4/6]
126さん
よくわかります。
私も似たような所があり、大学時代は宗教や仏道修行に明け暮れました。
しかし、私が信じている宗教がわりかし世俗を肯定する世界観だったせいか、そこまで禁欲的にはならず、そこそこうまくいったような気がします。
結局、私は鬼和尚仏教を含め、様々な宗教や思想、哲学を満遍なく学んでいいとこどりをしている訳です。

130:避難民のマジレスさん[]:2021/02/13(土) 05:23:05 ID:ZlZ6/t1g0 [5/6]
鬼和尚。遡っても2歳までの記憶しか遡れないです。逆に鬼和尚の神眼で私が前世何をしていたか見てもらえないでしょうか?
前世の死ぬ寸前に何をしていたかだけでもわかれざ思い出すきっかけになるかと

131:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/13(土) 22:12:41 ID:1d4drIFg0 [32/32]
>>130 それにはおぬしの今世の環境が反映されているのじゃ。
 生まれたときの環境が特に反映されるのじゃ。
 詳しく書いてみると善いのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

182:避難民のマジレスさん[sage]:2021/02/13(土) 21:06:03 ID:Dp/qMVVc0 [92/92]
学習と智慧の区別を理解してもらえただろうか。それを理解することは必要不可欠だ。誤った知は、無知よりも自己実現の道でさらに大きな障害となる。誤った知とは、あなたが本当には知らないときに 「私は知っている 」という印象だ。このような誤った印象は、学習や学校教育による他者の考えから簡単に成長し得る。その誤った印象は、聖典の知識、言葉の知識からも生じる。そして、このような言葉の知識のために、人は自分が真理を悟ったと思っているようだ。

言葉は記憶の一部となる。言葉は質問の形になり、それぞれの質問には自動的に答えが返ってくる。人の区別の感覚は、借用された考えの中で失われ、支配される。そして人が自分の中から答えを探す前に、借用された言葉と考えの厚い層により、既成の答えが飛び出してくる。このようにして、私たちは問題を解決することができず、その答えを奪われている。もし問題が自分のものならば、それは自分の答えだけが必要とされる。借り物や中古の答えは何の役にも立たない。

人は生を借りることも、問題の答えを借りることもできない。問題の答えは外から来るものではない。それは問題の中に内在しているのだ。答えは問題の中から発展する。もし問題が内にあるならば、真理は外にはありえない。そして、真理はそれゆえに学ぶことができない。それはむき出しにされなければならない。あなたはそれを発見しなければならない。真理は訓練によってではなく、実現によってのみ知ることができる。そしてこれが、聖典を学んだ者と、魂を実現した者との根本的な違いだ。この世界では、聖典に精通していれば十分だが、霊の領域ではそうではない。聖典に精通している範囲にいるならば、それは出発点よりもはるかに劣っている。

思考している自分が常に起こるから、思考も自我を養うのでしたら、思考の他にも感情や感覚、意志など、自我が投射されるものは全て自我を養うと言えるのでしょうか?

183:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/13(土) 22:26:45 ID:1d4drIFg0 [91/92]
↑そうじゃ、全て自我を養っているのじゃ。
 それらが起こる度に自我も想起されるのじゃ。
 そして自分があるという確固とした認識をもってしまうのじゃ。
 全てを捨てて進むのじゃ。

184:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/13(土) 22:29:15 ID:1d4drIFg0 [92/92]
知識は人に誤まった達成感を与えてしまうのじゃ。
例えば水泳の知識があれば自分は泳げると想ってしまうようなものじゃ。
知識と実際の体験は全く違うものじゃ。
知識を信奉して実践をおろそかにしてしまえば、初心の者よりも後退してしまったことになるのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

291:避難民のマジレスさん[]:2021/02/13(土) 00:26:59 ID:td4//x260
324

暫時此地弄精魂 暫時此の地に精魂を弄す
臨済後身興祖門 臨済の後身祖門を興す
美譽芳聲世間外 美誉芳声世間のほか
五雲天上月林孫 五雲天上月林の孫

くま訳
ほめたたえる
しばらくの間この地で修行するのである。
臨済の後継者(月林道皎)が宗門を興した
京都五山の名誉や評判などは俗世間での話である。
天女の住むような寺で、月林道皎の孫弟子(山名宗全)が再興したのだ。

*ここで詠まれてるのは、京都五山の一つ長福寺と解してみた。
 長福寺:最初は天台宗に属していたが、1339年、月林道皎が入寺して臨済宗の寺院に改められ中興され 
 た。応仁の乱で焼失するが、山名宗全によって再興された。
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183  
 264
*五雲:五色の雲・青黄赤白黒。五色を備えた雲は、古来仙女の住むところうとされ、慶事の言葉。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
*月林道皎(げつりん どうこう/どうきょう1293-1351))松源派の僧侶。普光大幢国師。大徳寺の宗峰 
 妙超に学ぶ。後に花園上皇の帰依を受けるが、1322年に元に渡り、文宗皇帝から仏慧智鑑大師の称号を
 贈られたが、師の古林清茂が没した翌年の1330年に帰国した。梅津清景の庇護によって天台宗の寺院で 
 あった長福寺を与えられ、これを禅寺に改めて開山となった。
(´・(ェ)・`)つ

292:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/02/13(土) 23:06:05 ID:1d4drIFg0 [134/134]
そんな感じじゃな。
長福寺に滞在したのじゃな。

しばらくこの寺で精魂をいじるのじゃ。
臨済の後進の者がこの寺を興したのじゃ。
世間の名声とは無縁の寺なのじゃ。
五雲天上の者の如き月林の孫弟子なのじゃ。

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