鬼和尚 2021/01/25(月)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

962:944[sage]:2021/01/25(月) 11:26:56 ID:On57x39I0 [14/14]
>>959 さん
私は英語は苦手ですので、貴重な発言集を翻訳していただいて、ありがたい限りです。
とても参考になっています。
私の質問でも、多少なりとのお役に立てられれば幸いですので、自由に使ってください。
よろしくお願いします。

963:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 16:24:37 ID:Y5LPInQE0 [22/26]
>>960
お前なんて今でも笑い者じゃんw

まぁ、それはさておき、何の根拠も持ってない事から逃げ続けてるが
死後、地獄へ行くのはお前じゃないのか?
デタラメな根拠で自殺のリスクも顧みず強迫性障害患者に家を出て働けば良くなると嘘をついた罪でな

964:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 16:31:01 ID:Y5LPInQE0 [23/26]
>>946
>おぬしがそのように多くのレスをすることが最大最高最強の根拠なのじゃ。

これ最高にアホな事言ってるよね?w

例えば、自殺の容疑を掛けられた人が懸命になって否定したら、その行為が殺人の最大の証拠って言ってるのと同じじゃんww

懸命になって否定した!はい、有罪、死刑ね!ってかww
鬼和尚ワールドって恐ろしいところですねw

こんなアホを聖者とかいう>>957も相当頭おかしいわww

965:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 16:35:35 ID:Y5LPInQE0 [24/26]

× 例えば、自殺の容疑を掛けられた人が
〇 例えば、殺人の容疑を掛けられた人が

966:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 16:59:57 ID:Y5LPInQE0 [25/26]
しかし、実に良い暇つぶしだなぁ
鬼和尚とかいう玩具でもう少し遊ばせてもらうわ

967:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 17:20:22 ID:Y5LPInQE0 [26/26]
自分の頭で考えろよ~
盲目的に偉い奴がああ言った、こう言ったに振り回されるから鬼和尚みたいな詐欺師に引っかかるんだよ

968:避難民のマジレスさん[]:2021/01/25(月) 18:52:38 ID:tAolX2QY0
修行者の端くれです。
11.5に1.15には地震がある旨視え、行者仲間には去年のうちにこういうのが視えたと伝えておきました。

似たようなことは稀にありますが、その時は体感が伴いました。
まず身体が揺れ、次に倒壊した町並みが見えて、潮の香をきき、1.15という情報が入ってきました。

いまのところ今年最大の地震は15日のインドネシアでしたが、これが合っているとして、私には日本の
地震は予測できないだろうとも思うのです。
日本だと、どうしても自分の生活に影響を及ぼすので仮に情報を得ても心が都合の良いものに曲げてしまうのでは
ないかと、却って関係のない情報の方が無垢のままに得られるかもなと。

鬼和尚はこれらどう思われますか?

971:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/25(月) 22:44:18 ID:1d4drIFg0 [250/251]
>>966 そのようなことが書けるということは全てわしの言ったとおりということじゃな。
 おぬしの病は全て詐病であり、ただのマザコンなのじゃ。
 おぬしが自ら根拠を示したのじゃ。
 これで全て解決なのじゃ。よかったのう。
 さらばじゃ。

>>968 そのようなこともあるじゃろう。
 自分を見るのは難しいものじゃ。
 その力で自分を見ると善いのじゃ。

>>969 わしは白に見ることも紫に見ることもできるのじゃ。
 さまざまな色に観ることもできるのじゃ。
 それらもまた自らの観念に拠って作り出されるものであるからのう。
 
 丹光でよいのじゃ。
 行が進むと見えてくる光を丹光というのであるからのう。
 それにとらわれれば障害になるのじゃ。
 囚われずに使えばサマーディにも速やかに至れるのじゃ。
 どんどん進むと善いのじゃ。

969:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 19:03:59 ID:czRftzgI0 [41/41]
紫の丹光を見たという人の話を聞きました。私は白です。色によって位が高いとかあるのですか?和尚さんは何色ですか?
目を閉じると見えるくるくる何かが回っているのは丹光ではないですか?

970:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 21:02:35 ID:Dp/qMVVc0 [7/7]
>>961
>>962
どうもありがとうございます。
使わせていただきます。

972:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/25(月) 22:46:53 ID:1d4drIFg0 [251/251]
>>969 色によっての位というのはないのじゃ。
 行が進めば自分でコントロールして好きな色を出すこともできるのじゃ。
 そのようにして修業の進度をはかることはできるのじゃ。

>>970 そうじゃ、どんどんやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

142:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/25(月) 20:59:12 ID:Dp/qMVVc0 [73/73]
第7章 3日目の夜 1964年6月6日 午後

最初の質問:あなたによれば、誰も真理を伝えることはできません。それではあなたが言っていることは真理ではないと言うことですか?
私があなたに言っていることは、単なる指標であり、それ自体が真理とみなされるべきではない。真理は、指標とはかけ離れている。真理は、あなたが見なければならない道標ではなく、あなたを導く道標の先だ。その導く方向を見ていると、あなたが知覚するものが真理だ。その真理を語る方法はない。口にされるとすぐに、それは偽りになる。真理は決して表現することはできない、しかしそれは自分の経験となることはできる。

第二の質問: あなたは私たちが完全に融合され、溺れることを提案していますね。どうすればいいのでしょうか?
私は自分自身の経験から、自分自身と融合することほど簡単な道はないと話す。人がしなければならない唯一のことは、心の表面でいかなる支えを求めるのもやめることだ。思考を捕らえ掴むことで、溺れることはできず、その支えのために、あなたは表面にとどまる。

私たちは思考を捕らえ掴む習慣がある。一つの思考が過ぎ去るとすぐに、私たちは別の思考を掴む。しかし、連続する二つの思考の間の隙間に入ることはない。この隙間自体が、深みの中で溺れることへの道筋なのだ。連なる思考の中で動いてはいけない – 隙間の中でそれらの間に深く潜っていきなさい。

どのようにしてこれを行うことができるだろうか? それは、思考の流れを観察することによって、気づいていることによって行うことができる。道路の側に立っている人が通り過ぎる人々を見ているのと同じように、あなたはあなたの思考を観察する必要がある。思考は単なる歩行者であり、あなたの中の心の道を通り過ぎているだけだ。ただ見ていればいい。そのいずれについても、判断を下してはならない。もしあなたが思考を無関心で観察することができれば、それを掴んでいた拳は自動的に開き、あなたは思考の中ではなく、その隙間に立っている自分に気づくだろう。しかし、その隙間には土台がないので、ただそこに立つことはできない。そこにいるだけであなたは溺れる。

そして、この溺れること自体が本当の支えとなる。なぜならば、これを通してあなたは本当の存在に到達するからだ。思考の領域で支えを求める者は、本当は支えなしで宙に浮いているが、すべての松葉杖を捨てた者は、自分自身の支えを得るのだ。

ふと、眠りに落ちるときは怖くないのに、自我が消えてゆくのを観るのが怖いというのも変だと思いました。今日は眠りに落ちるときにも、できるだけ観察してみようと思います。

143:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/25(月) 23:00:32 ID:1d4drIFg0 [70/70]
言葉では真理を示すことが出来ないから、ただ道標として自ら進む以外に無いのじゃ。
そうすれば真理を見出すことは出来るのじゃ。
集中する瞑想では数息観でも思考が止まる時を持つことが出来るのじゃ。
思考が止まってもそれを認識することが出来るのじゃ。
思考が止まっても存在する意識に没入するのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

249:避難民のマジレスさん[]:2021/01/25(月) 18:18:36 ID:68E1el720 [1/2]
305    2/2
犀牛扇子与誰人 犀牛の扇子、誰人にか与えん、
行者盧公来作賓 あん者ろ公、来って賓となる。
姓名議論法堂上 姓名を議論す、法堂の上、
恰似百官朝紫宸 あたかも百官の紫宸に朝するに似たり

仏性(仏になるための性質 )をあらわす犀牛の扇子は与えるまでもなく誰もが持っているのだ。
六祖慧能は出身がいやしくとも、見出されて五祖の客となった
身分のことを法堂上で議論しているのである、
あたかも朝廷に仕える役人のようである。

*行者盧公:六祖慧能:中国の禅僧。ここでは、出身が貧しい慧能が師に見抜かれた、ということ

*おまけ①:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【本則】
 挙す。塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。
 侍者云く、「扇子破れたり。」
 官云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」侍者対うること無し。
 投子云く、「将棋出だすことを辞せざるも、恐らくは頭角全からざん」。
 雪竇拈げて云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。
 石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無からん」。
 雪竇拈げて云く、「犀牛児は猶お在り」。
 資福一円相を画き、中に一つの牛の字を書く。
 雪竇拈げて云く、「適来、為什麼にか将き出ださざる」。
 保福云く、「和尚は年尊し、別に人に請えば好し」。
 雪竇拈げて云く、「惜しむべし、労して功無し」。

 横田観風先生訳・解説抜粋
塩官というのはお師匠さんで、ある日世話係(待者)を呼んで「わしのために犀牛の骨で作った扇子を持っ
て来てくれ」と言った。すると世話係は「扇子は破れて使い物になりませんよ」と言った。
・・・すると塩官は「扇子が壊れたなら、わたしに犀牛そのものを持ってきてくれと」言った。
・・・すると世話係は何も答えられなかった。
・・・塩官が示唆した犀牛というのを、我々が生まれついて持ってきたものが隠れて無くなったものととら
えられれば、何か答え方があった訳である。
「お師匠様、いつも持っているじゃないですか」とか。
ここでは世話係が答えられなかったという事実があるので、後の世の人達がこれを禅問答の材料にしている。
投子は「犀牛を引っ張り出してくる事は良いとしても、恐らく角は完全じゃありません」と言った。
結局、犀牛とは言葉にならない世界、形にならない世界のもの、つまり仏性、それを表に見えるように出す
となると、もう完璧ではなくなる。
欠けたようにしか出せませんよと、そういう意味。
見えないものがそのまま備わっているのに、何もかたちにして見せる事ないだろうと。
雪竇は「私ならば、その不完全な頭角の犀牛児が必要なのだ」と言った。
説明するためには必要という事。
石霜は「もし、和尚に返したら無くなってしまいます。」
だいたい誰にも備わっているものを返せというのがおかしい。
説明しなければ、返したり返さないとかできないけれども、人に知らしめるためには表現しなくてはいけな
い。
表現するにはそういうものは必要だ。お師匠さんから弟子らにいっぱい話をしないといけないとか。
雪竇は「犀牛児はなお在り」と言った。
もともと誰の中にもある。在るとか無いとかの問題でないので、禅は反対の事を言う。片方が無いと言うと
、もう一方は在ると言う。どっちも正しい。
そういう世界では無い所を求めているので、こういう言い方をしている。
資福は犀牛児を円相で描いた。これは表現できないものを丸で表現して象徴化した。さらにその中に牛(仏
性)と描いた。
すると雪竇は「そんなに立派な牛がいるのなら、どうして持ち出して来なかったのだ?」と言った。
これは宇宙そのものが牛なのだという風に表現した。
保福は「和尚は随分年取ったぞ、別の人に頼んで下さい」と言った。世話係の引退宣言。
雪竇は「惜しい事だ。お前さんも長く勤めてくれたがさっぱり功が無かったなあ」と言った。
私だったら何と言うか。「和尚はすでに持っているのに、欲張りですね」とか。いろいろある。
(´・(ェ)・`)つ

250:避難民のマジレスさん[]:2021/01/25(月) 18:28:56 ID:68E1el720 [2/2]
*おまけ②:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【頌】
 犀牛の扇子用うること多時、問著れば元来総な知らず。
 限り無き清風と頭角と、尽く雲雨と同に去って追い難し。
 雪竇復た云く、「若し清風の再び復し、頭角重ねて生ぜんことを要せば、請う禅客、各一転語を下せ」。
 問うて云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」。
 時に有る僧出でて云く、「大衆、参堂し去け」。
 雪竇、喝して云く、「鈎を抛って鯤鯨を釣りしに、箇の蝦蟆を釣り得たり」と。
 便ち下座す。

横田観風先生・訳・解説より
犀牛の扇子を用いる事久しくとも、どういうものかと聞いても、誰も知らない。
認識を超えて霊妙不可思議というものは知っているけれども、こういう形があるとかは誰も知らない。
知ろうとしてもわからないものだ。
塩官と世話係の問答について、五人(投子、石霜、資福、保福、雪竇)がいろいろ見解を述べて答えている
が、皆、悟っている人なので、そのものズバリとは言わないが、それぞれ答え方が清い風を受けるようなも
のだ。
雪竇が塩官の真似をして「誰か、弟子の中で答えが言える人はいるか?」と皆に言った。
するとある僧が出て来て「大衆、禅堂に帰れ」と言って、皆を禅堂に帰す働きを示した。
すると雪竇は誰かに出て来てもらって問答したかったのに、帰されてしまったので、喚いて「わしは皆に釣
り針(言葉)を投げかけて、誰か鯨みたいな大物がいないか釣り上げようと思ったのに、何と釣り上げたの
は余分な事をするちっぽけな蛙だったわい」と言ってすっと帰ってしまった。
(´・(ェ)・`)b

251:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/25(月) 23:12:40 ID:1d4drIFg0 [115/115]
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきかというのじゃ。
身分が低い家の出であった慧能が受けるべき賓客となったのじゃ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは役人が朝廷に集まっているのにも似るのじゃ。
俗臭紛々なのじゃ。

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