鬼和尚 2021/01/18(月)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
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900:避難民のマジレスさん[]:2021/01/17(日) 23:53:23 ID:K1rZw1Fc0
鬼和尚様

今日も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。こんなに苦しい世界なのに安楽な自分というイメージが湧きません。鬼和尚様は虐げられてる人を見ても安楽な心のままでいられるのですか?

901:避難民のマジレスさん[]:2021/01/18(月) 16:36:25 ID:GSJta7gE0
鬼和尚、無我は名色(観念)が生起されるが、それに囚われていない状態。つまり、観るなどの誤見が起こらない。
無認識は名色が生起されない。全てが一瞬も留まらない状態(空)である、ことが会得された段階。
つまり、無我まで行った後は、名色が生起する以前の状態に留まり、名色の作用を観ることで終わると言うことでしょうか。

902:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/18(月) 23:15:46 ID:1d4drIFg0 [238/238]
>>900 常に安楽なのじゃ。
 それもまた夢幻に過ぎないからのう。
 肉体だけが自分であると思えばそれが苦になるのじゃ。
 全てであれば苦も無いのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>901 無我でもまだ名色に囚われているのじゃ。
 無我でなくなるのは自己による名色であるからのう。
 無我になれば自己による名色がなくなるから、名色を生む阿頼耶識の作用も見やすくなるのじゃ。
 それが観られたならば終わりなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

127:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/18(月) 20:36:23 ID:Dp/qMVVc0 [66/66]
言葉や言葉から形成された思考があなたの意識を混雑させないとき、光はその自由な瞬間を見つけて入る。それは輝きわたり、あなたは知に到達する。あなたは意識の窓とドアを開かなければならない。そして今意識を取り囲んでいる壁も、同様に取り除かなければならない。そうすれば、あなたの本性である光に出会うだろう。実のところ、空(そら)に出会うには、空のようにならなければならない – 空(くう)、自由、無限に。思考はこれを許さない。雲のようにあなたを取り囲んでいる。これらの雲は散らされなければならない。それならばいったいどうして、私はこれ以上あなたの心の上に思考の雲を広げることができるだろうか?

私があなたに伝えていること、あなたに伝えたいが、できないことは、そのような思考やアイデアではない – それは経験、直接の実現だ。それが単に私が伝えたいと思っていた思考であったならば、私はあなたに伝えることができただろう – そして、その経験が外の世界のものであったならば、何らかの言葉がそれを伝えていただろう。しかし、この経験は外の世界のものではない。それはすべてを経験する者の経験だ。それは知る者の知だ。そして、そこに困難がある。

受け入れられた知識では、知るものと知られるものは別々であり、見ているものと見られているものは区別されるが、自己の実現においては、それらは別々ではない。そこでは、知るもの、知られるものと知はすべてひとつだ。そしてここでは、言葉は全く役に立たない。言葉はこの文脈で使われることを意図していない。そのように使うことは、言葉の能力を超えて、その可能性を超えて、それを引き伸ばすことだ。この綱引きの中で、言葉が不具になったり、命を失ったりするのも不思議ではない。そして、それらは真理の身体、外面的な形を示すが、真理の心に触れることはできない。真理は、言葉が存在しないときにのみ知ることができる。

言葉はいったいどのようにして真理を表現することができるのだろうか? 思考のない状態で得られるものは、思考によって地縛りにすることはできない。空(そら)を縛る方法はあるのだろうか? そして空を縛ることができれば、それを空と呼ぶことができるのだろうか? しかし、なぜ私たちは真理をこのように考えないのだろうか? 真理は空よりも限りなく、無限ではないのか?

ここまで訳を書き終わったあと、思考が心に浮かびませんでした。観察あるのみ。

128:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/18(月) 23:20:48 ID:1d4drIFg0 [62/62]
言葉や言葉から生成された思考は悟りの邪魔になるというのじゃ。
思考が無い時に気づきも起こるのじゃ。
そして言葉に拠って表現できない真理を体現できるのじゃ。
難しいことではあるがのう。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

555:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/01/17(日) 23:10:16.80 ID:8YCQ2T3n
鬼和尚はこの世界にいる池沼、自分の意志をもちえないもの修行しようのないものは
一体何のためにいるのかわかりますか?
死後どうなるのですか?

557:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/01/18(月) 02:25:33.70 ID:RZQux6Gr
鬼和尚
精神安定剤を飲まないと発作が起こり、心身ともに悪影響がでます。
薬を飲むと思考や感情も暴走することがなく、体調も正常に戻り、善事を行うこともできます。
薬は体に悪いことを知っていますが、それ以上に薬を飲まないとまともな人生が送れない状態です。
薬に頼って精神を落ち着かせて、善事を心がけて生涯を終えても、来世は天に生まれることはできますか?
もしも上記のように残りの一生を過ごした場合の生まれ変わりについて教えていただきたいです。
薬というチートを使っては、良い環境であっても精神や体が弱く生まれるなどのペナルティーなどはあったりするのでしょうか?

558:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/01/18(月) 22:53:49.13 ID:PSUweAs1
>>555 自らの行いの報いを受けるためなのじゃ。
 それは誰でも変らないのじゃ。
 死後は少しは楽になるじゃろう。
 おぬしも善事を積むと善いのじゃ。

>>557 天に生まれることができるじゃろう。
 行いの報いが出るのであるからのう。
 そのようなものはないのじゃ。
 悪事ではないからのう。
 むしろ自分の心身を良くするための行いであるから心身がよくなるじゃろう。
 
 脳が乱れるのは腸に原因があるからなのじゃ。
 半日断食をして下剤を飲むとかして腸の大掃除をするとよいのじゃ。
 少しはよくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

233:避難民のマジレスさん[]:2021/01/18(月) 13:58:26 ID:eA/TPUFU0
287 臨済録パロディーで山居を嘆く
山居
孤峰頂上出身途 孤峰頂上出身の途
十字街頭向背衢 十字街頭かうはいのちまた
空聞夜夜天涯雁 空しく聞く夜夜天涯の雁
郷信封書一字無 郷信の封書一字も無し

くま訳
孤峰頂上は、解脱した者の道である。
街中にあれば、迎合したり、対立したりすることもあるのである。
山居していると、空しく夜毎雁の鳴き声を聞くことになるのである。
故郷からの便りはない。封書どころか、一字とてないのである。

*出身:解脱する、解脱せしむるの両方の意味があり(円覚寺HP解)
*向背:正面を向くことと背面を見せること、迎合と背棄。(円覚寺HP解)
*昔漢の蘇武、雁の足に書をつけて故国に放つ、時の昭皇帝の上林宛てに幸ありし時、雁の足に文付け来る、
 帝の傍らに下り来る、之を取って見、蘇武の書の細々しき誠忠の程、伺わさせられて、やがて帰国叶い、 
 元の燗に復しけりと。故に音信を一に雁書ともいひ、その昔を偲ぶなり(国訳大成 脚注)

おまけ:臨済録 上堂 (沢田天瑞先生・庭園の構想に関する研究Ⅲより)
 一人在孤峰頂上無出身之路、 一人は孤峰(こほう)頂上に在って、出身の路無く
 一人在十字街頭亦無向背。  一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。
 那箇在前、那箇在後。    那箇(なこ)か前に在り、那箇かしりえに在る。
 不作 維摩詰、不作 傅大士。 維摩詰となさざれ、ふだい士となさざれ。
 珍重            ちんちょう
 
円覚寺HP解説抜粋
 孤峰頂上にあって、人を導く方便を持たない・・・、徳山禅師を念頭においていると言われます。
 峻厳一徹の徳山禅師は、誰がなんと言おうと三十棒を与えたのでした。
 しかし、臨済禅師は、そうではなく、人に応じて自在に教えを説かれました。
 否定するだけではなく、相手の境地に応じた教えを説いたのです。
 ですから臨済禅師は、この二人のありようを示しておいて、自分は後者を取ると言いたいのだと思われま 
 す。

沢田天瑞先生訳
 一人は孤峰の頂上ともいうべき悟りの絶対的な世界な世界にとどまって、その世界から出て活動する路がなく、
 もう一人は十字街道ともいうべき世俗の相対的世界にとどまって、進退の自由を失っている。
 いずれに優劣があるかといえば、いずれも取るべきものがみられない。
  維摩居士か、それとも傅大士か、などとこの二人をなぞらえて考えてはならない。
 ご苦労さま。
 
*維摩詰:維摩経に登場する主人公で、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪。学識 
 に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。
*傅大士(ふたいし):[497~569]中国、南北朝時代の在俗仏教者。善慧大士と号し、双林寺を建て、大
 蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。俗に「笑い仏」といわれる。
(´・(ェ)・`)つ

234:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/18(月) 23:31:24 ID:1d4drIFg0 [108/108]
孤峰頂上の途に出る身なのじゃ。
十字の街頭には背を向けるのじゃ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのじゃ。
故郷の便りには一字も無しじゃ。

今度は字に掛けているのじゃな。

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