鬼和尚 2021/01/16(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

883:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 22:01:31 ID:mCwQsDfg0 [1/5]
怒りを捨てるとは、どうやるのでしょうか?

怒りの事象は終わっているのに、長い時間その事を思って心の中でああだこうだと怒ってしまいます。
怒っていると、体内に悪い物資が分泌されている感じがしますし、怒らないで冷静に対応したいと思いますが、なぜか怒りの感情を望んで起こしているのうな所があります。
心に怒りの対象を保持して怒っているのは何故なのでしょうか?

884:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 22:18:27 ID:mCwQsDfg0 [2/5]
自他が無いというのは、
心の中では 他人も自己も観念であり認識の対象であるからでしょうか?
また、他人の人格というものも、自分の中で想像されているものだからでしょうか?

他人を認識するとき、他人は自分の知識や経験でしか想像出来ていないと気付きました。
他人の中で起きている認識や心境などは殆ど理解出来ていないのだと。。
自分の中で他人の人格の想像をして作り上げているので、それはもはや自分の一部であり、
他者からみた自分を想像することなども、全て自分の思考や観念をモデルに作られているだけだと。。

そして他人に対する印象やカテゴライズというもの、これは払拭しずらいものだと思いました。
一度何かの形に見えてしまった模様がもうそれにしか見えなくなる事にも似ているような、、

結局罪悪感は、責める癖から生じていると思いました。責める癖が自分に向けられた時に罪悪感になるのでしょうか。
何かのせいだとか怒ったり責めたり。それでどうにかなるわけではないのですが、怒りの感情の対処法として親から受け継いで身に付いてしまっあのだと思います。
責めるという行為を辞めないといけないと思いました。

劣等感も自動的に起こる優劣判断から生じています。他者をみて優れているとか劣っているとか判断してしまうように、自分にも判断してしまいます。

ただ、他人に劣っているとか思った時は苦しく無いのに自分だと何故苦しいのか、
他人と自分の違いについてもっと観察を深めていったら、自己についてもっとわかりそうでしょう?

885:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 22:44:06 ID:mCwQsDfg0 [3/5]
人が「知らない人にいきなり怒鳴られて悲しくなった」と言った時は
「そんな事は相手の頭がおかしいから気にしない方が良い」と思えますが、
自分自身の事であれば気にしてしまいます。
それは自分に無価値感があるから、「自分は無価値だと思われているからそのようにされたのだ」「馬鹿にされた」「見くびられている」というような気がしてしまうからです。
他人に対しては、無価値感を抱いて居なければ居ないほど、そのようには思いません。
これがもし自分に無価値感を持って居なければ同様に、そのようには思わないとわかります。

自分は弱い、情けない、とかの印象があるようですし、昨日気づいたのは、「私は善い者でない」という思いもあるようでした。
それは他人にも思う事があります。弱いとか情けないとか。なので私は弱くて情けない人に嫌悪感を持ってしまいます。

そこでわからなくなるのは、その嫌悪が最初はどちらに向けられたものなのか、他人に向けられるのも自分に向けられるのも、働きとしては同じものだと思うのですが、、。
最初は自分に他人を責めたり粗末にしたり馬鹿にしたりする心があり、
それが自分を苦しめているのでは?とも思いました。

それともそこは重要ではなく、その働きが自分に身に付いてしまった原因を観るべき、という感じでしょうか?

あと、その嫌悪が他人に向いた時は嫌悪だけですが、
自分に向けられた時は辛い気持ちが発生するのは
何故なのでしょうか?

891:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/16(土) 22:56:22 ID:1d4drIFg0 [233/235]
>>883 それもまた原因から観察すれば消えるのじゃ。
 
 おぬしが怒っている自分を強い者としてイメージしているからじゃろう。
 或いは恐れや不安からの逃避じゃろう。
 そのような原因から怒りに執着することを観るのじゃ。

>>884 そうじゃ、全ては観念なのじゃ。
 他人もそのように認識しているだけなのじゃ。

 ただひたすらに観察していけば気付くじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>885 常にその原因を探すと善いのじゃ。
 そうすればはっきりわかるのじゃ。

 嫌悪する自分と、嫌悪される自分の分裂があるからじゃろう。
 嫌悪している自分に、嫌悪されていると思って辛くなるのじゃ。
 そのような観念遊戯に気付くのじゃ。
 嫌悪している自分が無ければ、嫌悪されている自分も無いのじゃ。

886:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 22:56:24 ID:mCwQsDfg0 [4/5]
ダンマパダのこの言葉について教えて頂きたいのですが
「自己」と「自分」は、何が違うのでしょうか?


自己が自分の主である。-故に、自分をととのえよ。

887:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 23:10:13 ID:mCwQsDfg0 [5/5]
鬼和尚書き込み集で検索して色々読ませて頂くこともあるのですが、
鬼和尚のトリップは偽物が使っている時もあるのでしょうか?

888:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/16(土) 03:53:19 ID:czRftzgI0 [40/40]
>879
ありがとうございました

892:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/16(土) 23:34:19 ID:1d4drIFg0 [234/235]
>>886 その自己とは善事を志し、悟りへの意欲を持つ意志によるもの言えるじゃろう。
 次の自分は感情とか思考とか、状況に流されやすい心の働きによるものなのじゃ。
 自己の意志に拠って感情や思考を統御するのじゃ。
 そうすることで悟りという偉業も達成できるのじゃ。

>>887 たまにあったが問題にならない程度なのじゃ。
 難しいことには答えられない者が偽造しているのであるからのう。
 気にしないで善いのじゃ。
 いつもご苦労さんなのじゃ。

>>888 どういたしまして、またおいでなさい。

889:避難民のマジレスさん[]:2021/01/16(土) 04:42:52 ID:9ewk5Ewk0 [8/8]
色欲は離れたほうが良いと聞きますが、
修行の障害になる一時だけでもすぐに離れるべきですか?

障害になるならばやはり大幅に遅れることは否めないでしょうか?
ちなみにですが、一度タイミングを逃すとどのくらい遅れるのでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。

890:82[sage]:2021/01/16(土) 20:11:06 ID:ye/A1Xtg0
>>882
鬼和尚さん、ありがとうございます。
3つ質問させてください。

まず、ユニフォームに何もないということは、記憶やイメージには何もないということなのでしょうか?
本という物体があれば、あやふやで実体のない記憶やイメージが維持できるという気持ちがあることも、蔵書に執着している理由です。
本という物体があれば、記憶やイメージがなくならないという考え方は変ですか?

それから、私は本の中の世界に入れることに執着しています。
幻想の世界を貴重なものだと思っていて、それは本という物体がなければ再現されないと感じています。
本が貴重に見えて、執着してしまっています。
宝石に執着するのと同じです。
どうしたら執着から離れられますか?

あと、もう一つは、子供の頃、本が欲しくてもなかなか買ってもらえなかったので、執着しています。
その場合は、どうしたら心を変えられるのでしょうか?

よろしくお願いします。

893:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/16(土) 23:41:53 ID:1d4drIFg0 [235/235]
>>889 明らかに修業の障害になっているならば直ぐに離れると善いのじゃ。
 
 遅れるじゃろう。
 人や状況によって違うのじゃ。
 特に色欲囚われ易い者ならば、一生悟りを得ずに諦めてしまう者も居るじゃろう。
 遅くなっても進める者はまだ゜ましなのじゃ。
 ただひたすらに精進あるのみなのじゃ。

>>890 記憶やイメージはそれそのものではないのじゃ。
 しかし、悟りを得ない者は記憶やイメージとその物を区別できないのじゃ。
 記憶やイメージをその物だと認識しているのじゃ。
 それは本来無い物じゃ。

 本があっても自分に記憶やイメージが保てなくなればそれはなくなるじゃろう。
 それが変かどうかおぬしが観察して確かめるのじゃ。

 それもまた原因があるからなのじゃ。
 不安や恐れからの逃避とかなのじゃ。
 
 その原因から本に執着していると観察すれば善いのじゃ。
 原因が無ければそれもまた無いと逆からも観察するのじゃ。
 そうすれば執着も消えるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

123:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/16(土) 20:50:01 ID:Dp/qMVVc0 [64/64]
私が話したように、真理は与えられない。しかし、私はあなたが背中に背負っているこの重荷を下ろす手伝いはできる。それはあなたが何年も背負ってきた重荷であり、それは非常に重く、耐え難いものになっている。あなたはこの言葉の重荷から解放されなければならない。旅人が道を歩いているうちに埃をかぶってしまうのと同じように、人生の旅の中で、言葉や考えの埃が人の上に集まるのは当然のことだ。しかし、この埃を払わなければならない。

言葉は死んだものであり、真理ではない。誰の言葉も真理ではない。集めてはならない。それらを集めることは有害だ。真理への巡礼は、この重さを背負って行うことはできない。登山家が高みを求めるために、山を登る前に荷物を捨てなければならないのと同じように、真理への旅に乗り出した人は、言葉の重荷を捨てるべきだ。言葉から解放された意識だけが、真理の高みに到達することができる。

私が教えるのは、ただ一種の非所有、言葉と思考の非所有だけだ。その重荷はあなたの旅を非常に困難にしている。荘子は「網は魚を捕るためのものである。魚を捕まえて網を捨てよ」と言った。しかし、私たちはとても悪い漁師なので、網に巻き込まれ、魚のことを忘れてしまった。自分の頭の上を見なさい。あなたは頭の上に船を乗せているが、それに乗って航海することを忘れている。

言葉は記号だ。 それは標識・指し示すものだ。それ自体が真実ではない。標識の意味を理解してから捨てなさい。標識を集めることは、死体を集めることと何ら変わらない。

言葉は月を指す指のようなものだ。指にすべての注意を集中する人は、月を逃してしまう。もし指があなたを指から引き離すなら、指は目的を果たす。しかし、逆に、指があなたを指自身に引き寄せてしまうと、指は役に立たないばかりか、本当に有害なものになってしまう。

あなたが学んだ真理についての言葉は、すでにあなたにとって不幸のもとになっていなかっただろうか? それはあなたがたを互いに、人と人とを隔ててしまったのではないか? 宗教の名の下に行われているすべての愚かさと残酷さは、言葉のためではないのか? 様々な宗教として知られているそれらの宗派は、言葉の違いだけに基づいているのではないのか?

思考中に厭離が起こることもあるのだから、思考より観察が常に良いわけではないのではないかと、自分自身への言い訳が起こり、それが逃避であることに気づきました。焦らずに一歩一歩励みます。

124:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/17(日) 00:22:47 ID:1d4drIFg0 [60/60]
言葉は悟りへの障害となる重荷であるというのじゃ。
言葉を集めるのは有害であるとまで言うのじゃ。
知識や言葉ばかり集めて自分の心を観察する実践を忘れてしまうならば、確かに言葉は有害じゃろう。
言葉は人と人を隔て、宗教を残酷なものにして、宗派をも作り上げて争いを起こしているというのじゃ。
言葉を捨てて心を観る実践をすべきなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

547:おさかなくわえた名無しさん[]:2021/01/16(土) 03:55:31.70 ID:7bmg55sG
鬼和尚、戦争は地獄と同じということですが
戦時中に生まれたり戦争に参加することになった人たちは皆
過去にそれだけの悪行を積んでいたのでしょうか?

548:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2021/01/16(土) 18:26:42.88 ID:bzT7M6al
鬼和尚はマイナンバーカードを作りましたか?
これは国民を監視するためのツールなのでしょうか?
銀行口座などと紐づけたりするのは危険でしょうか。

549:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/01/16(土) 22:30:24.50 ID:rJHYvKsm
>>547 そのように言えるじゃろう。
 戦争の可能性があるところに生まれるのであるからのう。
 時代の変化も在るがのう。
 今もまだこの地域にも可能性はあるものじゃ。
 修業ができるときにしておくとよいのじゃ。

>>548 作っていないのじゃ。
 監視もできるじゃろう。
 危険じゃろう。
 全て丸見えなのじゃ。
 悪用されれば酷い被害になるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

822:マジレスさん[sage]:2021/01/16(土) 18:32:51.02 ID:7VhX2i7K
鬼和尚はヌル山事件知っていますか?
彼は現在も元気に活躍しているようです。
彼の悪行の報いは国民からバッシングを受けたことで帳消しになったのでしょうか?
それともまだこれから報いを受けることになるのでしょうか?

823:マジレスさん[sage]:2021/01/16(土) 20:56:22.44 ID:3TuM6Vjk
妻の父親の病気の世話をつきっきりで3カ月間していました。
勿論、本人の健康や、妻の気持ちなど考えながら、ベストを尽くしたのですが(幸い元気になりました)、当時妻や妻の家との関係が悪く、心情的に複雑でもありました。
なので、「これをちゃんとすれば自分の格好がつく」などと言うような気持ちももちながらやっていたと思います。
このような場合でも善事をしたといえるでしょうか。

825:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2021/01/16(土) 22:22:46.42 ID:XJYIgJD1
>>822 知っているのじゃ。
 反省して二度としないと誓ったならば許されたじゃろう。
 そうでなければまた報いをうけることになるねじゃろう。
 本人の心がけ次第なのじゃ。

>>823 善事をしたといえるのじゃ。
 義父も感謝しているじゃろう。
 よくやったのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

228:避難民のマジレスさん[]:2021/01/16(土) 11:38:15 ID:X71OGAw20 [4/5]
くま訳全面改
小艶詩が日頃心の糸を乱してるのである、
先祖から、ご縁の糸を結んでもらえたりするのである。
洞察眼ある僧が、
袈裟をなげうって云うのである、
婚姻の赤い糸が見えてるぞ、色情をを離れてない者は直にわかるのだ。

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明頭來明頭打    みょう頭來明頭打
暗頭來暗頭打    暗頭來暗頭打
四方八面來旋風打  四方八面來旋風打
虚空來連架打    虚空來や連架打
新長老 聻     新長老、にい
乾坤一箇?梍苴僧   乾坤一箇の?梍苴僧
喝一喝云      喝一喝して云く
無人來問相如渇   人の来って相如が渇を問ふことなし、
敲破梅花一夜氷 打  かう破す梅花一夜氷 打  
 
くま訳
是非分別で来るなら、それなりに対処し、
差別なく一味平等で来るなら、それなりに対処する。
四方八方から来るなら、旋風のように対処し、
虚空から来るなら、連打して対処する。
新長老は、
天下一、がさつな僧である
喝一喝して云ってやる
誰一人として司馬相如の渇(のような人間の苦しみ)を問うて来るものはいないのであるが、
叩き割るのだ、春を告げるまだ寒い朝の梅花についた氷を。(薄い氷の様な「観念」を叩き割り、ありのま
まの真実のあり様に気付きさえすれば、そこに悟りがあるのだ)

* 明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打:「明頭来」の明は大小・長短・是非・美醜などの差別の歴然として
 いること、活人剣の働きである。「暗頭来」の暗はその反対で差別がなく一味平等なことである。殺人剣
 の働きがある。「打」の一字は、「それに即応して、行動する」という意味。
*四方八面来や旋風打:殺中の活有り、活中の殺有りというように、手目を見せず千変万化して出てくるこ
 と。そして相手がこのように縦横無尽に千変万化して出てくるならば、こちらもあたかも「旋風」つむじ
 風のように、変転自在、虚実とりまぜて応対するということ。 
*虚空來連架打:「虚空来」とは、虚空のような真空無相、清浄無一物の肚から、明だの暗だの、殺だの活
 だのという一切の定石を離れ、軌格を超越して無心に出てくること。普化和尚はこれに対しては、「連架
 打」で応対するというのである。連架というのは、小豆などの脱穀に使う農具で、太い棒の先端にクルリ
 クルリと変転自在に回転する小さい棒をとりつけたもの。相手が真空無一物の場から無心に働いてくるな 
 らば、こちらもあたかも連架のように変転自在で無心で対応するということ。
*相如が渇:侍臣に文才秀れた司馬相如がいたが糖尿病を病んで苦しんでいた。帝は、それを知らぬはずの
 ないのに、豪華に設えた承露盤の露、それは不老長寿の薬であり、盃に一杯だけでも賜ろうとしなかった。
*敲破(こうは):中国語・叩割る,叩き割る
(´・(ェ)・`)つ

229:避難民のマジレスさん[]:2021/01/16(土) 11:39:47 ID:X71OGAw20 [5/5]
おまけ: *明頭暗闘 (普化和尚の話 瑞雲院法話のページHPより抜粋) 臨済録:勘弁 参
 奇僧として知られる普化(ふけ)和尚は、唐代の人。生没年、生地、などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の 
 盤山宝積(ばんざん・ほうしゃく)禅師に師事して深く堂奥(どうおう)に入り法を密受したが、常に狂
 をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・盤山禅師が亡くなると普化は臨済宗の宗祖、臨済禅師が住む河北省鎮州へ行き、街頭や墓場で鐸
 (たく。大きな鈴)を振りながら人々に呼びかけて言った。「明頭に来たるもまた打し、暗頭に来たるも 
 また打す」。あるとき臨済和尚が一人の僧に命じて普化を試みた。その僧は普化和尚の胸ぐらをつかむと 
 言った。「明ならず暗ならざる時は如何」。普化和尚が言った。「ありがたいことに、明日、大悲院でお 
 斎(とき。食事)の供養がある」
 また普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。 
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 ・・・滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を一枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても
 受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を一つ与えると、普化はそれを受けとって言っ
 た。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言った。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振 
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
(´・(ェ)・`)b

230:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/17(日) 00:01:07 ID:1d4drIFg0 [106/106]
大体そのような感じじゃな。
聡い物には聡い教えを授け、愚昧な者には愚昧な教えを授けるというのじゃ。
さまざまな求めには、さまざまに応じ、無心の者には無心に応じるというのじゃ。
一休は気合のものであるから森羅万象に喝をいれるのじゃ。
一喝して曰く司馬相如のように誰も見抜けぬような渇を抱える者にも、氷を破って水を与えるのじゃ。

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