鬼和尚 2021/01/15(金)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

879:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 07:34:59 ID:czRftzgI0 [39/39]
>875
脳内の阿頼耶識(潜在意識)による認識まで滅したら、日常生活が送れななくなるのではと思いますが。
自我が戻ればまた元のように生活できる。でも、その際には認識が偽物とわかっているから悟っているということでしょうか。

880:避難民のマジレスさん[]:2021/01/15(金) 08:00:12 ID:w.ItkDtU0 [32/32]
座禅を組もうとして、呼吸に意識を合わせると開始数秒でかすかにだが気持ちいい、楽だ。という感覚になります。これは初禅に入ったと思っていいんでしょうか?やけに早くないですか?

881:82[sage]:2021/01/15(金) 15:45:37 ID:24WCaJMs0
>>861
鬼和尚さん、ありがとうございます。
観察してみたのですが、私にとっての蔵書は、元スポーツ選手にとってのユニフォームと同じだと気づきました。
たとえもう今は役に立たなくても、自分の歴史が入っているように感じて、それを失いたくないのです。
アイデンティティーを感じるのです。
それが蔵書かユニフォームかはどうでもよくて、自分の歴史や行動の証みたいなものを失いたくないのです。
それを失うと自分を失ったように感じてがっかりします。
もし、私が元スポーツ選手で、ユニフォームに執着して苦を感じていたら、鬼和尚さんは私にどうアドバイスしますか?

882:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/15(金) 21:54:07 ID:1d4drIFg0 [232/232]
>>879 しようとすれば出来るのじゃ。
 むしろ自由になるのじゃ。
 阿頼耶識を使うことも使わないこともできるのじゃ。
 それが悟りなのじゃ。

>>880 喜もなければ初禅ではないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>881 ただひたすらにそれを観るようにいうだけなのじゃ。
 それの袖がよいのか、文字のところがよいのか、しりのところが良いのか、ひたすらに観るのじゃ。
 詳細に観ていくとそこに何も無いことに気付いていくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

121:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/15(金) 20:38:33 ID:Dp/qMVVc0 [63/63]
第6章 3日目の朝 1964年6月6日 午前

私はあなたに真理を与えることはできない。もし誰かが、あなたに真理を与える能力があると言うならば、その人はあなたに虚偽を与えることにより始めていることは間違いない。誰も真実を与える能力を持っていない。これは与える者の能力についての批評ではなく、真実が生きているものであることを示しているだけだ。それは、与えることも奪うこともできる無生物ではない。それは生きた経験であり、自分自身で獲得しなければならない。

死んだものは人から人へ移すことができるが、経験は移せない。私が持っていた愛、愛の経験をあなたに移すことができるだろうか? 私が出会った美しさや音楽をあなたに与えることができるだろうか? このありふれた身体で、私がこのような並外れた経験をした喜びを、あなたに与えられるならどんなによいだろうか! しかし、そうする方法はない。落ち着かないし、苦しいが、何もできない。なんと無力なことか!

私の友人は生まれつき目が見えない。私は彼に視力を移すことができたらと願ったが、それは不可能だった。もしかしたら、目は体の一部であり、移植できる日が来るかもしれない。しかし、真理を見る視力は、どんなに強く願ったとしても、決して移すことはできない。それは魂のものであって、肉体のものではないのだ。

自己の世界で達成されるものは何でも、自己の努力によってのみ達成される。魂の世界では、借金も、借物も、他人に頼ることもできない。誰も借りた足でそこを歩くことはできない。そこには自己から離れて避難する場所はない。真理に到達するためには、あなた自身が自分自身の避難所にならなければならない。これは避けられない条件だ。

私はあなたに真理を与えることができないと言ったのは、これが理由だ。言葉だけが伝えることができる、言葉は命がなく、死んでいる-そして真理はいつも後ろに残っている。そして、この言葉の伝達は、全く本当の伝達ではない。生きているもの-その意味、その魂、その本質である経験-は、言葉と一緒に行くことはない。言葉は空の薬莢のようなものであり、火薬のない弾丸のようなものだ。それは死体、死人のようなものだ。あなたにとって重荷となるだけで、決してあなたを解放することはできない。言葉によって、あなたは真理の死体を運ぶだけだ。死体には真実の鼓動はない。

欲望や情熱もまた、不安や恐れからの逃避でしかないと頭では分かります。が、直接不快をもたらすことと違って、一時的な快をもたらす心の働きを厭離するのは、特に難しいと感じます。そのような快をもたらす心身の働きの連鎖も、気をつけて粘り強く観察します。

122:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/15(金) 21:55:48 ID:1d4drIFg0 [59/59]
真理は誰もが自分で見出さなければならないのじゃ。
言葉として伝えることは出来ないのじゃ。
オショーは言葉は命が無く、死んでいるというのじゃ。
言葉ではわからないことを自らの心を観察して気付くのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

226:避難民のマジレスさん[]:2021/01/15(金) 12:40:07 ID:X71OGAw20 [3/3]
283 5/8
拈衣 
小艶平生心亂絲 小艶平生心しを乱す、
慈恩先祖手中絲 慈恩先祖手のし
順老明巖衲僧 順老みょうげんの衲僧
擲袈裟云 袈裟をなげうって云く、
是甚脚下紅絲 是れ何の脚下の紅しぞ。

嗣法の儀式で衣を授かる衣
小艶詩が日頃心を乱してるのである、
けど、先祖のお陰さま、ご縁に恵まれてるのである。
順爺は鋭い洞察眼ある僧なのである。
袈裟をなげうって云ったのである、、
これ何の因縁であるか。

*拈衣(ねんえ):衣は嗣法の信として師之を弟子に授く、弟子衣を拈じて法語を挙して披す。
*順爺:一休さんのペンネームの一つ、と、どこかで読んだような気がするのである。
(´・(ェ)・`)つ

227:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/15(金) 22:33:00 ID:1d4drIFg0 [105/105]
糸に掛けているのじゃな。
小艶等で日頃から心の糸を乱していると、
先祖の霊が婚姻の糸を結んだりするのじゃ。
明厳の僧が袈裟を擲って言うのじゃ。
足を結ぶ婚姻の赤い糸がついていると。

まだ色情から離れていない者は直ぐにわかるというのじゃ。

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