鬼和尚 2021/01/09(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

834:避難民のマジレスさん[]:2021/01/08(金) 23:07:04 ID:w.ItkDtU0 [31/31]
わかりました、ありがとうございます。

835:崇蓮[sage]:2021/01/09(土) 16:21:48 ID:VHpJSyVE0 [11/11]
鬼和尚さま

いつもありがとうございます。

胃の辺りに空間が出来たような違和感を感じる時に、寂しくなる事を観察しました。
お腹が空いている時になるのかなと思い、注意して観ていると、必ずお腹が空いている訳ではありませんでした。
私は元々胃が弱い体質ですが、痛みでもありません。
この空間が出来たような体の感覚にも、何か原因があるのでしょうか?

836:避難民のマジレスさん[]:2021/01/09(土) 19:32:46 ID:cTZWwPSw0 [1/3]
オームの麻原にとって地獄へ落ちたもっとも重い悪業はなんだったのでしょうか?
悟りを開いたと偽ったことでしょうか?

843:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/09(土) 23:32:55 ID:1d4drIFg0 [220/222]
>>834 そうじゃ、実践で確かめるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>835 そうじゃ、それもまた心の中の原因で起こるじゃろう。
 心と体は一つであるからのう。
 何かの原因で胃に違和感が起こり、それが寂しさになるとかのう。
 その原因もまた追求していくと善いのじや。

>>836 そのように言えるじゃろう。
 お釈迦様も悪意とか欲で嘘をつくと地獄に落ちるというからのう。
 その嘘を庇うために人をどんどん殺していく羽目になったのじゃ。
 最初で最大の悪事といえるのじゃ。

837:避難民のマジレスさん[]:2021/01/09(土) 19:41:41 ID:cTZWwPSw0 [2/3]
悟りを開いた人は、悟りの状態が消えて、無明に戻る(苦を受ける存在になることへの)恐怖も無いのですよね。
過去、未来の観念を完全に捨て去れば、それも消えてしまうものですか。

838:避難民のマジレスさん[]:2021/01/09(土) 20:04:25 ID:cTZWwPSw0 [3/3]
家の近くに瞑想コミュニティ(テーラワーダ系)のようなものがあるのですが、
鬼和尚の智慧にははるかに及ばないような者がアドバイスをしたり、
おかしな持論を言い合ったりしている様子で非常に無秩序を感じます。

仏教的には善人に当たるような人たちですが、それでも離れた方がいいですよね。(すでに距離をおいていますが)
また、最近人にもほとんど会っていませんが、一人で虚しく行くことが一番の近道ですよね。

839:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/09(土) 20:22:01 ID:JSw2mbEM0 [1/2]
毎日5分の瞑想を続けても初禅に入れる様になるのでしょうか?
出来れば長い時間やれる時はやった方が良いですよね?
しかし、それで、やったりやらなかったりするよりは、
5分でも毎日座る方が良いということですか?

15分座るより5分を3回とかの方が良いのですか?

また、その5分は義務的に座るのではなく
5分だけはしっかり集中しよう、などと決めて
集中する事に努めることですよね?

初禅の段階になればもはやそのまま座っていたい、辞める理由が無ければそのままいたい、
ような状態になるのでしょうか?

瞑想が楽しみになりできる限り座りたい、というような心境になるのですか?

844:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/09(土) 23:39:11 ID:1d4drIFg0 [221/222]
>>837 そうじゃ、ないのじゃ。
 消えてしまうじゃろう。
 過去の苦の原因がなくなり、先の不安も無いからなのじゃ。
 おぬしも実践で確かめるのじゃ。

>>838 離れたほうが善いのじゃ。
 宗教関係にはおかしな者も多いからのう。
 関わらないようにするのじゃ。
 犀の角のように独り歩むのが最適なのじゃ。

>>839 そうじゃ、入れるじゃろう。
 集中していられる時間が増えたならば長くやった方が善いのじゃ。
 
 そうじゃ、毎日少しでも実践することで進んでいくのじゃ。
 
 十五分ちゃんと集中できるならば長いほうが善いのじゃ。
 より深く瞑想に入れるからなのじゃ。

 そうじゃ、常に初心の心がけでしっかり座るのじゃ。

 なるじゃろう。
 自然に集中したまま座っていられるのじゃ。
 快によって喜びが生じて楽しくなるのじゃ。
 それもまたいずれは滅していかなければならないものであるがのう。
 一時は楽しんでよいのじゃ。

840:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/09(土) 20:55:20 ID:JSw2mbEM0 [2/2]
糸で吊られているようなイメージをすると、確かに良い感じがします。姿勢も気持ちが良いし雑念も起こりづらい気がしました。
ただ気を抜くとどんどん姿勢が崩れてしまうので、そのイメージを持ちながら数息観しても良いのでしょうか?

841:避難民のマジレスさん[]:2021/01/09(土) 20:55:23 ID:tKAk9nHE0 [11/11]
鬼和尚さま

私は今年厄年なのですが、厄年というものは本当にあるのでしょうか?あるとしたら、今までのカルマがまとめて来る年みたいな感じなのでしょうか?
新年が明けてからついてないことが続き落ち込んでいます。

今日は、行きたかった店の駐車場を間違え、違う店に止めてしまったら、その店の人にビックリするくらい文句を言われました。
乗り捨てて買い物に行ったわけでもなく、ここで合っていたか確認している段階で呼び止められ、沢山文句を言われたので腹が立ち、ネットのレビューにこのことを書こうとかと思いましたが、書こうとすると何度やっても画面がフリーズしてしまい結局やめました。
そんなつまらない事はやめろということなのでしょうか?

気落ちして元気がでません。
なにか助言を頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。

842:天佳[]:2021/01/09(土) 23:31:49 ID:zAwei6jg0 [1/2]
自分の興味のある分野の仕事に就くようになりましたが、改めて娑婆世界はなんだか幸せのゴールが無意味なもの、なんでそこに価値を見出すのか不明なことが多々あります。そういう疑問が浮かぶのを繰り返しています。そういう類の疑問が浮かんだりすると体の中がザーッと振動する感じがあります。

でもきっぱりと全てを捨てて修行に入る決心がつかないでいます。一方で、このまま生活しながら恐怖や執着を滅したいといういわゆる良いとこ取りをしたい気持ちもあります。(どちらかというと後者が本音です。恐怖を消すには前者のような覚悟がないと無理か?という思いです。)

現在の状況として、座禅にて日頃見ないようにしている孤独への恐怖、自分の役割がなくなる恐怖、「私」がいなくなる恐怖、それぞれに伴う執着、それらの記憶上の「私」を思い浮かべるとグッっと感覚を扱おうとしているさまがあります。それをみると心が落ち着きますが、刹那的です。

このようなやり方を続けることで私の恐怖や執着は消えていくでしょうか?よろしくお願いします。

845:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/09(土) 23:47:05 ID:1d4drIFg0 [222/222]
>>840 それも善いのじゃ。
 習熟すればイメージも無しで座れるようになるのじゃ。
 それまで使うと善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>841 肉体にはあるようじゃ。
 初老の時期に入って体の性質が変るのじゃ。
 若い時期のように暮らしていると病になるのじゃ。
 
 環境にはないのじゃ。
 善事をしていれば善い報いが起こるじゃろう。
 
 そうじゃろう。
 おぬしの潜在意識がとめたのじゃ。
 そのような店はいずれ消えて行くじゃろう。
 狗の様な振る舞いをする者は狗になるしかないのじゃ。
 人として振舞えば人にもなるのじゃ。
 狗にほえられたからと言って自分も狗の振る舞いをしてはいかんのじゃ。
 自分も狗になってしまうからのう。
 そのように心がけると善いのじゃ。

>>842 それでよいのじゃ。
 善いところだけを摂ろうとしていても自分を観ることができれば進んでいくのじゃ。
 そのまま実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

108:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/09(土) 21:01:10 ID:Dp/qMVVc0 [57/57]
また、このような自己賛美や魂の純粋さについての話は、本当は罪の存在を無視することに向けられていることも忘れてはならない。この話の罠にはまってしまった人が、後になってそこから抜け出すのはとても難しい。罪から自由になることは簡単だが、このような種類の危険な哲学の魔手から逃れることは非常に難しいのだ。

魂が純粋であるという事実は、理論でも原理でもなく、直接の実現だ。そして、それについて議論しても何の役にも立たない。それは、病気の人の心の中に、自分の病気が存在しないという幻想を作り出すようなものだ。もしその病人が福音としてこれを受け入れた場合、結果は回復ではなく、確かな死となるだろう。

知っている人は、実現、悟りを議論しない。彼らは修行、悟りにつながる道について話す。考慮されるべきなのは悟りではなく、修行なのだ。悟りは修行に従うように結びつけられている。悟りについて考えることは無意味だ。そして誰もが当たり前のように悟りを取るとしたら、そのような人の修行は不可能になる。

それなのに、修行のない悟りを当たり前のように受け止めてしまうのは、どれほど簡単なことなのだろうか! このようにして、人は喜びを感じるようになる。このようにして、実際にそれを取り除くことなく、罪からの自由の喜びを感じ始め、幻想の深い呪文の中で、乞食は皇帝の喜びを感じ始める。乞食が自分は皇帝だと言われるのは、何と嬉しいことだろう。そう告げる者が尊敬され、その足元にひれ伏して崇拝されるのも不思議ではない。貧しさと罪からの解放には、これほど簡単で安上がりなものはない。このインチキ哲学はあなたに非常に簡単な自由を与えるが、修行はあなたの側で多大な努力を必要とする。

私はあなたがどんな哲学や哲学者の罠にもかからないことを願っている。私はあなたがそのような早道に頼らないことを願っている。最も簡単で安あがりな方法は、魂が純粋で悟りを開いていること、魂はブラフマンそのものであり、あなたがするべきことは何もないと信じることだ - そしてもちろん、あなたがその時にたまたまやっていることは何であれ、あきらめるべきことは何もないので、最高のものであると信じることだ。

修行者がこのような観念の罠を避けるためにはどうしたら良いのでしょうか? 私の場合は正しい観察ができているか、すなわち新しい発見、心の変化があるかどうかを確認することと、本当に悟りを求めているのかを自分自身に真摯に尋ねることをしています。

109:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/09(土) 23:58:53 ID:1d4drIFg0 [52/52]
はっきり言ってしまえば全ての者がこのような罠を避けられるような方法や術はないのじゃ。
本当は悟りを求めていない者はこのような罠に引っかかってしまうじゃろう。
霊的に浄化されたとかアセンションにはいったとか、奇跡のコースを修了したとか言われてもはや修業もやめてしまうのじゃ。
そのような者は本当はそのような安っぽい金で買える権威とか名前を求めていただけであるからそれを手に入れて満足するのじゃ。
真摯に悟りを求める者は老病死の苦を超えない限り修業し続けるべきなのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

213:避難民のマジレスさん[]:2021/01/09(土) 08:01:22 ID:a9Oiz5LE0
くま訳全面改
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力である。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのである。
玄宗はそれを知らないから国を傾けたのだ。愛する者をこそ厳しく教育すべきなのだ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのである。

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洞山三頓棒 2/2
遭人罵辱長嗔情 人にあってめ辱してしん情を長ず
是即眞迷道衆生 是れ即ち其の迷道の衆生
無始無終黒山下 無始無終黒ざんのもと
無明濁酒幾時醒 無明の濁酒幾時か醒めん

くま訳
人にののしられ、はずかしめられると、怒りの感情に長く苛まれる。
これがまさに、衆生の執着による迷道である。
永遠の暗黒の下にあるのである。
自我に執着する無明の濁り酒の酔いから、いつになったら覚めるのだ。

*罵辱(めじょく・めにく): ののしりはずかしめること
*瞋恚・嗔恚(しんい・しんに):①三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨うらみなどの憎悪の感情。②怒り
 恨むこと。腹立ち。いかり。
*黒山:三千大千世界をもってして、須弥界世界つまりこの仏教界宇宙が構成されているのである。 中央
 から北に向って三ヶ所に其々、三重に囲まれている黒山がある。臨済禅師「黒山の鬼窟、誠に怖畏ふいす
 べし」
(´・(ェ)・`)つ

214:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/10(日) 00:01:22 ID:1d4drIFg0 [99/99]
善く出来たのじゃ。

侮辱されて怒っても迷いなのじゃというのじゃ。
暗い生死の道にいて夢幻をみているのじゃ。
いつそれが覚めるのじゃというのじゃ。

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