鬼和尚 2021/01/05(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

796:避難民のマジレスさん[]:2021/01/04(月) 22:50:07 ID:w.ItkDtU0 [20/24]
わかりました、無色界禅定にもいくつか段階があるそうですがwikiを読んでもいまいち段階ごとの違いがわかりませんでした。無色界禅定の段階にはそれぞれどんな違いがあるんですか?

797:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 00:28:51 ID:iz.rzU0s0
初禅とはどのような感じなのですか?
自分は初禅に入ったと自覚(思考)はあるのですか?


死の間際に初禅に入れれば、善悪の行為に関係無く天に行けるのですか?

それは瞑想中に初禅になれるだけではだめで、
死の間際である必要があるのですか?
ということはかなり熟達して不動心もないと難しそうですし
無意識にも初禅に到れるような状態なのですか?

798:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 10:59:06 ID:r8O/k0DE0 [1/3]
罪悪感や対人苦手の原因に無価値感があると気づいたのですが、
更に無価値感の原因を探さないとならないでしょうか?
それとも無価値感が無ければ罪悪感も対人への苦手感も起こらない事を観察すれば良いですか?
原因(無価値感) 自体は無くさなくても大丈夫ですか?

無価値感の原因は多分1つではなく記憶にない事や積み重なったりした経験からの印象とか感覚のようなものなので、これの原因についての捜索が難しそうです。

799:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 10:59:16 ID:r8O/k0DE0 [2/3]
罪悪感や対人苦手の原因に無価値感があると気づいたのですが、
更に無価値感の原因を探さないとならないでしょうか?
それとも無価値感が無ければ罪悪感も対人への苦手感も起こらない事を観察すれば良いですか?
原因(無価値感) 自体は無くさなくても大丈夫ですか?

無価値感の原因は多分1つではなく記憶にない事や積み重なったりした経験からの印象とか感覚のようなものなので、これの原因についての捜索が難しそうです。

800:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 10:59:54 ID:r8O/k0DE0 [3/3]
重複になってしまいすみません。

807:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/05(火) 21:38:55 ID:1d4drIFg0 [211/213]
>>796 初禅ではもはや欲を離れているのじゃ。
 思考や感情などの心の働きは在るのじゃ。

 二禅では思考や感情などの心の働きも止むのじゃ。
 瞑想による喜びと安楽があるのじゃ。

 三禅では智慧が生じ、安楽のみ在るのじゃ。

 四禅では楽もなくなり全ての感受もなくなるのじゃ。

>>797 もはや欲が無いのじゃ。
 欲がないことをわかれば自覚するのじゃ。
 思考もまだ在るのじゃ。

 悪事をしていれば無理なのじゃ。
 肉体は動物とかになるのじゃ。
 心には楽があるがのう。

 必要は無いのじゃ。
 いつでも初禅に入れる境地ならばいけるのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>798 そうじゃ、その無価値感の原因も探さなくてはいかんのじゃ。
 原因が残っていればその原因からまた無価値感が起こってくるじゃろう。
 大抵は親とか友人による条件付けが根本の原因なのじゃ。
 後はそのイメージを強化するために後から付けられた原因なのじゃ。
 根本の原因から観察すると善いのじゃ。

801:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 11:41:33 ID:oedGxrP20 [1/3]
無価値感は自己イメージから連想されて、色々な行動に影響している事に気付きました。

些細な思考や行動でも「どうせ自分は。。」という思考が土台の方にあり、それが自己卑下的な態度を生み、認められないと怒りなどを生み出す原因にもなっています。

無価値感があるから価値を持ちたい、価値ある事をしたいとも思って、それに一生懸命になったりしています。
無価値感が無い状態が想像できませんが、
まずはこの無価値感があることやどう影響しているかを見て行けば良いでしょうか?

802:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 11:43:45 ID:oedGxrP20 [2/3]
あと、根底に無価値感があっても、表面的には活発であったり優しいとかポジティブとか、人格的に良い人に見える人もいると思いますが、
表面的な性格というのはどのように決まっていくのですか?性質や価値観や偶然の出来事や条件付けなどで、それぞれ決まっていくのでしょうか?


私はネガティブな方向に惹かれがちです。
そういった好みの問題でも、フォーカスする方向が決まったりもしてしまうのでしょうか?
自覚できたなら明るい物も好むようにとか意識的にしていった方が良いでしょうか。
教えて頂いた通り赤をイメージするようにもしています。
明るい暗いそれ自体に良いも悪いも無いとは思うのですが、暗い方を好む癖みたいなのが出来たら生まれ変わりとかにも影響したりして良くないでしょうか?

803:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 12:00:15 ID:oedGxrP20 [3/3]
ちょっと気になったのですが、
自己イメージから無価値感が連想されると書いたのですが
寧ろ自己イメージの一部に含まれている感じがしました。
自己イメージとは様々な観念の総体ですか?
それとも無価値感に自己を投射しているだけですか?

804:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 17:30:29 ID:VD6Z0STY0 [1/2]
行為と報いについて色々知りたいのですが
詳しく書いてある本などは無いでしょうか?

行為が報いになって現れるのにはどの位の時間がかかるのですか?

善行と悪行はそれぞれプラスとマイナスのようなものですか?
相殺されてゼロになることもあるのですか?

また、そのカルマは受けていれば無くなるものなのですよね?
天に産まれてもその徳を使い切ってしまったら落ちてしまうと仏教で聞いたことがありますが・・

808:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/05(火) 21:57:51 ID:1d4drIFg0 [212/213]
>>801 それもよいのじゃ。
 その原因も探すのじゃ。
 親がおぬしの価値についてどのように言っていたとか、思い出してみるのじゃ。
 それがなかった時のことも思い出してみるのじゃ。

>>802 そのような原因で決まるじゃろう。
 明るくしようとしないでよいのじゃ。
 無理な方向付けは疲れるだけなのじゃ。
 自分の性質に拠って自然に行えば善いのじゃ。

 生まれかわりに影響するのは自分の行ないのみなのじゃ。
 善事を積むと善いのじゃ。

>>803 無価値であるという観念を肉体や心に自分として投射しているのじゃ。
 それがなければ無価値な自分も無いのじゃ。
 
>>804 ダンマパダを観ると善いのじゃ。

 かなりの時間がかかるのじゃ。
 
 それもあるのじゃ。
 盗みをした後に布施をしたら報いが軽くなるとかのう。
 お釈迦様も以前に悪事をした者も善事で償うならば福楽もくるといっているのじゃ。
 懺悔告白することでも軽くなるのじゃ。

 いずれは全て無くなるのじゃ。

805:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 17:42:25 ID:VD6Z0STY0 [2/2]
観察によって苦が無くなる事と、カルマとはどう違うのですか?

また人の観念による苦は主観的なものですが、
(ある人にとっては楽であったり苦であったり)
観念的な苦は報いとは違う物なのでしょうか?

カルマでは無く、観念遊戯で無駄な苦悩を持ってしまっていたということですか?

806:避難民のマジレスさん[]:2021/01/05(火) 20:10:18 ID:w.ItkDtU0 [21/24]
蓮コラって何であんなに気持ち悪いと感じてしまうんでしょう?
私は蓮コラを見ると気持ち悪いという思いに付随してゾワッとした不快な想念エネルギーが湧いてくるんですが、鬼和尚の場合どうですか?
鬼和尚も蓮コラを見たら気持ち悪いとは感じるでしょうがそれに付随してゾワゾワする想念エネルギーは湧いてきますか?

809:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/05(火) 22:02:54 ID:1d4drIFg0 [213/213]
>>805 カルマは無いのじゃ。
 観察すれば苦がなくなることはあるのじゃ。

 報いは環境になるものじゃ。
 そのような苦をもたらす親のもと生まれたのも報いによるものと言えるのじゃ。
 ただひたすらに心を観るのじゃ。

>>806 それも経験とか観念によるものじゃ。
 皮膚病の末期である蜂窩織炎等を連想するのじゃろう。

 わしは何も感じないのじゃ。
 何もわかないのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

100:避難民のマジレスさん[sage]:2021/01/05(火) 21:09:40 ID:Dp/qMVVc0 [53/53]
そして、もしこれらのことに目を向けることができれば、全体の状況はすぐに変化する。私たちが幽霊や霊だと思っていたものは、単なる影だったのだ! 私たちが走っていたので、これらの幽霊や霊は追いかけて走ってきた – そして、これは私たちをさらに走らせた! 私たちが走るのを止めた瞬間、それらは無生命となり、私たちが見るとすぐに、それらは存在しなくなる。それらはただの影にすぎない。そして確かに影は何もできない。醜さの影があったので、それを覆うために、私たちはそれを花で飾った。こうして私たちは錯覚を起こした。今、それがただの影であって他には何もなく、それを覆う必要がなくなったことがわかると、私たちは影から解放され、それが常にそこにあった影であったことに気づくのだ。そして、このまさに実現は、私たちに美の視覚、最も美しいものの視覚を与えてくれるのだ。

私はこの視覚を持っている。私は影から逃げるのをやめ、そのことが私に影の向こう側を見る力を与えた。そしてそこで見たもの、その真理は、すべてを変えた。真理はすべてを変える。その存在そのものが革命なのだ。だから私はあなた方に恐れないようにと言う。そこに本当にあるものを見なさい。夢や想像の中に避難所を探してはならない。これらの避難所を手放す勇気のある者は、真理に守られている。

今朝、ある人から「自分を直接知るとはどういうことですか」と聞かれた。自分を直接知るということは、自分についての他人の意見を受け入れないということだ。自分の思考、情熱、行動、希望、願望、欲望の中に隠されたものが何であるかを自分自身で見なさい。目的地に着いた後で新しい場所を見るように、これらのものを直接見なさい。馴染みのない人や見知らぬ人を見るように、自分自身を見なさい。それはあなたに多くの良いことをするだろう。何よりも、それはあなたが心の中に作った自分自身の彫像を粉々に粉々に砕くだろう。この偶像が粉々に砕け散り、あなたは夢の国から現実の国へと移る。

私たちが正直で善良な者になる前に、まず、自分の中にある真実でないものや、悪を隠すために作り出した真実と善の幻想を払拭しなければならない。これらの幻想は、いずれにしても自己欺瞞である。無駄に自分のために架空のイメージや人格を作る人はいない。それは必要に迫られて行われる。それは、自分の目に映る屈辱から自分を守るために行われているのだ。自分の中に宿っている動物を垣間見ると、その動物の存在そのものが自分を苦しめ、自分の中で屈辱を感じる。

未だに瞑想で深い意識に落ちていく時に身体に緊張が生じます。この恐れを気をつけて観察します。眠りに落ちる時には緊張が生じないのは興味深いです。

101:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/05(火) 23:29:34 ID:1d4drIFg0 [48/48]
自分自身の欺瞞を観ることはなかなか難しいものじゃ。
それは屈辱とか苦からの逃避として作り上げたものであるからのう。
逃避していることから逃げずに直面しようとするから今までとは反対の視点を持たねば成らないのじゃ。
困難なことであるが全て乗り越えて進むしかないのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

204:避難民のマジレスさん[]:2021/01/05(火) 08:12:31 ID:EuqmL.060
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看杜詩 二首2/2
涙愁春雨又秋風 涙して愁ふ春雨又た秋風
食頃難忘天子宮 じきけいも忘れ難し天子の宮
詩客名高天宝事 詩客の名は高し天宝のじ
寒儒忠義也英雄 寒儒の忠義また英雄

くま訳
涙して愁う春雨又秋風
片時も忘れ得ぬ天子の宮殿
詩人杜甫が、玄宗皇帝楊貴妃を詠んで名高き天宝時代の事である。
冷遇される儒者の忠義心も英雄のものである。

*食頃(じきけい・しょうけい):食事をするほどの、短い時間のこと。しばらくの間。頃は、首をかしげ
 るほどの短い時間を表す。
*詩客:詩人、ここでは杜甫のこと。
*天宝:「日本の禅語録十二 一休」の解説(P306)によると、「漂泊詩人、杜甫。かれが明主と仰ぐ玄宗
 は、楊貴妃にうつつをぬかして、天下を混乱におとし入れる。天宝とは、そんな時代の名である。それは、
 詩人の忠節心のたかまりと表裏する。杜甫をよむ一休は、応仁・文明の日本を読んでいる」とあります。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ

205:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2021/01/05(火) 23:31:32 ID:1d4drIFg0 [95/95]
まだ泣いているのじゃ。
食べるのも忘れて天子を想うというのじゃ。
それが杜甫だというのじゃ。
儒者でも忠義の英雄だというのじゃ。

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