鬼和尚 2020/12/31(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

758:避難民のマジレスさん[]:2020/12/30(水) 22:24:19 ID:w.ItkDtU0 [11/12]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大梵天

ここに書いてある通りです。
梵天と初禅について書いてあります。

759:避難民のマジレスさん[]:2020/12/30(水) 22:26:58 ID:w.ItkDtU0 [12/12]
すいません、こっちです。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.weblio.jp/content/amp/%25E5%2588%259D%25E7%25A6%2585%25E5%25A4%25A9

760:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/31(木) 18:26:38 ID:gisUnes60
潜在意識の働きも善くして行けるよう気を付けて行こうと思います。
今年も沢山教えて頂きありがとうございました。

761:82[sage]:2020/12/31(木) 20:36:28 ID:twalZU9E0
>>695
鬼和尚さん、ありがとうございます。
まだ何を現実だと思うかについてはまだはっきりわかりませんが、観察を続けます。

自己イメージについては、わかってきました。
自己イメージの価値が減るのが嫌なのですが、そもそもその自己イメージが本当は自分にはないのです。
そのイメージも価値も自分にはないのに執着しています。
自分が本当は何者でもない事実を突きつけられるのを恐がっていることに気づきました。
自己イメージがなければ生きていけないとまだどこかで信じ込んでいて、無意識に自己イメージに頼って生きています。
この思い込みは、それを観察していれば消えていきますか?
もっと観察しなければならないことがありますか?

それから、鬼和尚さん、今年もありがとうございました。
鬼和尚さんもコロナや病気に気をつけて、元気に過ごしてください。
来年もよろしくお願いしますm(_ _)m

762:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/31(木) 20:47:27 ID:1d4drIFg0 [201/201]
>>758>>759 それは初禅にまで入れるようになれば、梵天の住む天にも生まれかわれるというだけなのじゃ。
 ただ善事を積んだだけでは生まれかわれない天にも初禅に入れば生まれかわることができるのじゃ。
 もはや欲界からは離脱しているからなのじゃ。
 おぬしもそのような境地に入れるまで精進あるのみなのじゃ。

>>760 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>761 そうじゃ、思い込みも原因から観察できれば消えるのじゃ。
 それを詳しく観察すると善いのじゃ。
 今はそれを実践するとよいのじゃ。
 また疑問が出たら聞くと善いのじゃ。

 おぬしも体に気をつけるのじゃ。
 来年もよろしくなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

89:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/31(木) 21:03:55 ID:Dp/qMVVc0 [47/47]
第八の質問:人間は、抑圧によって、また、自分自身との戦いによって、自分自身を征服することはできないのでしょうか?
「抑圧」と「自分自身との戦い」という言葉はどういう意味だろうか? 個人が自分自身を分裂させるという意味ではないだろうか? その人は自分自身と戦うことになる。つまり、攻撃と防御を同時に行うということだ。味方であると同時に敵でもある。エネルギーは両方の側に使われる。これは決して勝利にはつながらず、その人を弱体化させ、その人の力を粉々にするだけだ。私の両手をお互いに戦わせるとどうなるか想像してみなさい。自分と喧嘩しても同じことが起こる。そのような戦いは、全くの馬鹿げたものだ。

友よ、自分と戦うのではなく、自分を知ることだ。無知から生まれた矛盾や自己撞着は、自己認識の光の中で消えていく。自己に対する勝利は、競合からではなく、知を介してやってくる。というのも、倒すべき相手はいないからだ。他はなく、無知だけがある。そしてもし無知があるとしたら? 無知に勝つために何があるのだろうか? それは知が来た瞬間に消えてしまう。 無知とは、知がないことを否定的に捉えているに過ぎない。無知と戦う者は影と戦う。その人は最初から失敗の道を歩いている。

この自己征服のための自己戦争という概念は、外の世界での敵同士の争いの反映から来ている。私たちは、外の世界の敵に対して暴力を犯すのと同じように、内なる世界で暴力を犯そうとするのだ。何という狂気の沙汰なのだろうか! 外の世界でさえ、暴力が誰かを征服したことはない。征服と敗北は全く異なるものだ。

しかし、内なる世界では、いわゆる敵を倒すために暴力を使うことさえできない。なぜならば、倒すべき人などいないからだ。自己認識は争いの結果ではなく、知ることの結果なのだ。だから私は言う「戦うな、知れ。争いを忘れ、知を選べ。」と。

そして、これをあなたの格言としよう:自分自身を発見し、知りなさい。あなたの中に、あなたの知らないことが何もないようにしよう。一隅として、暗く未検査に、放置してはいけない。自分の奥の部屋のすべてに精通していれば、その知は自己征服になる。

私たちは皆、暗い家の中や、日光や新鮮な空気が届かない隅や地下室に、蛇やサソリやコウモリが住み着いていることを知っている。そして家の所有者が家の外で生活し、家の中に入ることなく過ごしているならば、家がこのような悲惨な状態になっていることは驚くべきことでもないし、不自然でもないのではないか? これが私たちの身に起こったことなのだ。私たちもまた、そのような家の所有者であり、家に入るための扉がどこにあるのかさえ忘れてしまっている。私たちがおらず、光がないために、敵の隠れ家になってしまったのだ。

とにかく、徹底的に自分自身を観察する必要がありますね。自分自身と戦わず、焦らず着実にできるだけ観察します。

90:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/31(木) 21:25:53 ID:1d4drIFg0 [43/43]
自分自身と戦うということはできないのじゃ。
攻撃するのも防御するのも自分であるからのう。
何をしているのかわからんのじゃ。
自分自身を理解することができることなのじや。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

511:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/12/31(木) 17:36:29.90 ID:ehq1Eyn3
鬼和尚、実はその女の子にお金を騙し取られてしまいました。
踏んだり蹴ったりの年末になりました。
悪いことだと言う自覚はありました。

妹が犯罪を犯して警察のお世話になってると言ってました。
何の躊躇もなく嘘をついて人を騙すことがなぜできるんでしょう。

自らの心が引き起こしたとはいえ、そういう悪いことを考えている人間と接点を持ったことも
原因の一つだと言えますか?

512:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/31(木) 20:21:27.84 ID:55LXr8SB
>>511 そう言えるじゃろう。
 そのような者が寄って来ることもおぬしの心に原因があったからなのじゃ。
 おぬしもちょっと相手を騙して良いめを見ようとする下心があったのかもしれん。
 同じような性質の者同士が引かれ合うのじゃ。
 心を清めると善いのじゃ。
 善事を積むと善いのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

191:避難民のマジレスさん[]:2020/12/31(木) 13:27:06 ID:Ky9gXzIs0
268
山路 譲羽   さんろ じょうう(ゆずりは)
呑聲透過鬼門關 声を呑んで透過す鬼門の関
豺虎蹤多古路間 さい虎跡多し古路の間
吟情終無風月興 吟情終に風月の興無し
黄泉境在目前山 くわうせんの境目前の山在り

*譲羽山・1447 54歳 大徳寺の一僧自殺、数人が投獄される。一休、譲羽山へ退隠し断食するが刺命によ
り中止
*豺虎(さいこ)① 山いぬととら。猛獣。② 猛々しい悪人のたとえ。

くま訳
声を呑んで鬼門を通り過ぎる
猛々しい悪人が幾人も通って行った古道である。
風月に対して吟情がわくこともない
黄泉との境は目前の山だ。死は目前に迫っているのだ。
(´・(ェ)・`)つ

192:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/31(木) 21:21:03 ID:1d4drIFg0 [90/90]
山の中に来たのじゃな。
声も出せずに鬼門の関を通ったのじゃ。
古い道には獣も多いのじゃ。
風月の味わいも無いのじゃ。
生死の境は目前の山にあると言うのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

457:避難民のマジレスさん[]:2020/12/31(木) 17:39:09 ID:c2cnwhx60
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三七 精神の混乱について 2

 確かにそれは、私たちの生と全く関係がありません。どうしてあるでしょうか。私の精
神が混乱し、苦悶し、寂しいなら、どうしてそれが、何かそれ自体のものではないものと、関係することができるでしょうか。どうして真理が偽りと、幻影と関係することができるでしょうか。私たちはそれを認めたくないのです。なぜなら、私たちの希望、混乱が、私たちに何かもっと偉大な、高尚なものを信じさせるからです-それは私たちと関係していると、言うのです。絶望のなかで、私たちは真理を求めます。それの発見のなかで、自分たちの絶望が消え去るであろうと願います。
 それで混乱した精神、悲しみに支配された・乗っ取られた精神、それ自身の空っぽ、寂し
さに気づいている精神は、決して、それ自体を越えているものを見つけられないことが、わかります。精神を越えているものは、混乱、悲惨の原因が追い払われたり理解されたりするとき、生じうるだけです。私が言ってきた、話してきたことすべては、自分たち自身をどう理解するのか、です。というのは自己認識なしには、他のものはないからです。他のものはただ幻影です。私たちは、瞬間瞬間、自分たち自身の総合過程を理解できるなら、そのとき自分たち自身の混乱をきれいに片づけるなかで、他のものが生じることが、わかるでしょう。そのときそれを経験することが、これと関係を持つでしょう。しかしこれは決してそれと関係を持たないでしょう。・仕切りのこちら側にあって、闇の中にあって、どうして光の、自由の経験を持てるでしょうか。しかしいったん・ひとたび真理の経験があるとき、そのときあなたはそれを、自分たちが生きているこの世界と関係させられるのです。
 私たちは愛が何であるかを決して知らなくて、常なる口論・論争、悲惨、葛藤・抗争だけを
知っていたなら、どうしてこのすべてのものではない愛を経験できるでしょうか。しかしいったん私たちがそれを経験したとき、そのときわざわざ関係を見出そうとしなくていいのです。そのとき、愛、智恵が機能します。しかしその状態を経験するには、すべての知識、蓄積された記憶、自己同一化された活動は止まなければなりません。そのため精神はどんな投影された感動の能力もないのです。そのとき、それを経験すると、この世界に行動があるのです。
 確かに、それが存在の目的です-精神の自己中心的な活動を越えてゆくことです。精神
により測ることのできないその状態を経験してしまうと、そのときそれを経験することこそが、内面の革命をもたらします。そのとき、愛があるなら、社会的問題はありません。愛があるとき、どんな種類の問題もありません。私たちはどう愛するのかを知らないから、社会的問題と、自分たちの問題をどう扱うのかについての哲学の体系を持つのです。これらの問題は、左のでも右のでも中間のでもどんな体系・体制によっても、決して解決できないと、私は言います。それらは-私たちの混乱、悲惨、自己破壊は-自己投影されないその状態を経験できるときだけ、解決できるのです。
(´・(ェ)・`)つ

458:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/31(木) 21:05:21 ID:1d4drIFg0 [174/174]
クリシュナムルティが今まで説いてきたことは全て、自分達自身をどう理解するかだというのじゃ。
自己認識が無ければ他の全てが無いからなのじゃ。
他の全ては幻想だとさえいうのじゃ。
それだけがこの世の混乱を解決できるというのじゃ。

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