鬼和尚 2020/12/24(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

696:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 16:50:51 ID:UhQUFYPg0 [1/2]
仏陀によると
善人との親近、正法を聞くこと、如理作意(法について良く考えること)、法を実践する事
以上の4つ(預流支)を多修していると預流果となって、地獄、畜生、修羅、餓鬼などに転生しなくなり、疑いが尽きて、悟りへ至る事が決定したものとなるらしいですが、鬼和尚はどう思われますか。

697:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 17:21:42 ID:UhQUFYPg0 [2/2]
鬼和尚は悟りを開いたあとも数息観をされているのでしょうか。

698:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/24(木) 22:03:49 ID:1d4drIFg0 [185/185]
>>696 そのような基準も修行者の励みになるようにと創られたものじゃ。
 それに囚われれば迷いにもなるものじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>697 しているのじゃ。
 もはやわしには必要ないが衆生に教えるために実践するのじゃ。
 自分がしていないものを他人に勧めることはできないからのう。
 おぬしも実践あるのみなのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

75:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/24(木) 20:37:24 ID:Dp/qMVVc0 [40/40]
第5章 2日目の夜 1964年6月5日 午後
最初の質問:道徳的であることは悪いことだと思いますか?

私は道徳的であることは悪いことだとは見なさないが、道徳的であるという幻想は悪いことだと見なす。それは本当の道徳の邪魔になる。

偽りの道徳は、外側の塗装、覆いだ。偽善を満足させる以外の目的はなく、私からしてみれば、偽善とエゴイズムほど不道徳な心の状態はない。偽りの道徳は謙虚さとエゴイズムからの解放の見せ物を作るが、その下ではエゴが養われ、繁栄している。あなたはこの国のいわゆる求道者や聖人たちの中に、私が言っていることの真実が見えないだろうか? 努力によって採用され、育成され、達成されたこのいわゆる道徳は、私の見解では、演技以外の何ものでもない。多くの場合、人の心の中にあるものは正反対のものだ。表面に見えるものは、内面にはない。上には花があり、下には茨がある。そして、行動と内なる存在との間の絶え間ない戦い、意識と無意識との間のこの橋渡しのできないギャップが、人格を分裂させ、崩壊させてしまうのだ。そのような人には調和はない。そして、調和も音楽もないところには、喜びもない。私の見解では、本当の道徳的な生とは、喜びの表現だ。

道徳とは、喜びの表現であり、自然発生的な表現だ。喜びが自分の内なる存在から流れ出るとき、それは善行や道徳として外に表現される。そのような人から発せられる至福の香りは、まさに生の善良さだ。

それゆえに、争いではなく、調和を作ってほしい。どうかこの真実を見ようとしてもらいたい。私の言うことをただ聞くのではなく、生きてみなさい。そうすれば、私たちがいかに自分たちの手で、生を争いと内なる二重性の無秩序の中に投げ込んできたかがわかるだろう。

道徳は、木に花が咲くように、自ずとやってくる。それは達成ではない。瞑想の種が蒔かれ、道徳の作物が収穫されるのだ。道徳は努力によって達成されるものではない。瞑想によって達成され、到達されるものなのだ。瞑想からは、平穏と調和と美しさが流れてくる。そして、自分の中で平穏である者は、他の人を落ち着かなくさせることはできない。自分の中に音楽を持っている者は、自分の音楽の響きが周囲から反響していることに気づき、自分の中に美を持っている者は、自分の振る舞いがすべての醜さを消し去る原因になることに気づくだろう。これらすべては、それ自体が道徳ではないだろうか。

例えば怒りが生じた時に、それを表現すると自他を傷つけることがあります。その場の観察ですぐに怒りを厭離できれば良いのですが、それがうまくいかない場合はどうしたら良いでしょうか? もしその場を離れることができるのなら、離れてじっくり観察したり、気分転換に自然の中を歩いたりするのですが。

76:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/24(木) 22:23:56 ID:1d4drIFg0 [36/36]
怒りが起こっていると気付いたならば何もしないようにするのじゃ。
怒りがある時、どのような行いも怒りによって暴力的なものになってしまうからなのじゃ。
仕事かをしなくてはならないときには丁寧に行うことを心がけて行うと善いのじゃ。
怒りが収まったら普通に動くと善いのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

775:マジレスさん[sage]:2020/12/23(水) 23:20:51.95 ID:pGLU00hD [2/2]
>>773
なるほど、和尚様ありがとうございます
今日から実践してみます

778:マジレスさん[sage]:2020/12/24(木) 12:19:50.08 ID:r7GjgcdB
>>775
その人は和尚でもなんでもない運送屋のおっさんですよ
何の資格もどこから許可を得たわけでもなく、ただ自分勝手に
和尚を名乗ってるだけなので気を付けてくださいね
本人が認めていることですので嘘だと思うなら直接尋ねてみましょう

779:マジレスさん[]:2020/12/24(木) 13:22:20.52 ID:xMcd4FLw [1/3]
鬼和尚にお尋ねします。
お坊さんじゃなかったんですか?
私はてっきりお坊さんだと思って質問したんですけど、悟りをひらいたとか嘘なんですか?
質問に答えるのはいいと思いますけど、そういう嘘はダメでしょ。

780:マジレスさん[sage]:2020/12/24(木) 13:27:45.62 ID:xMcd4FLw [2/3]
トラックに不動明王とか描いて、ルームミラーに数珠を下げて、お経を唱えながら走ってる長距離運転手とかなのかなぁ。

783:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/24(木) 22:00:38.01 ID:Q/wXdANW
>>775 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>779 お坊さんとは何じゃ?
今この国に居る臨済宗とか名乗る私度僧のことかのう。
 お釈迦様の教えとは何も関係ない明治後に作られた新興宗教臨済宗の者が坊さんならば、この世に真の僧侶はいないことになるのう。
 よく調べてみると善いのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

178:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 10:37:39 ID:Fdz43.Xw0 [1/2]
見るところ全てが風流であるというのが悟道なのだ。桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのだ。&それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようなのだ。わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのだ。
  ○⌒\  
  (二二二) メリクリ
(⌒(´・(ェ)・`)
(  o  つc旦
(__し―J

179:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 12:52:02 ID:Fdz43.Xw0 [2/2]
262
元日賀官軍凶徒 元日官軍の凶徒を破るを賀す
元正先破豪   元正先づ豪を破る
處處凱歌高   處處凱歌高し
百萬朝廷卒   百萬朝廷の卒
不能損一毛   一毛を損するあたわず

元日に官軍が凶徒を破ったことを祝す
元旦にまず、勢いのある敵を破ったのである
彼方此方で凱歌が聞えるのである。
百萬の朝廷の兵卒には
一人の戦死者もいなかったのである。

元正(がんしょう.がんしょう): ①一月一日。元日。元旦。がんせい。②元正天皇680―748.奈良/第 44代
の天皇 (在位 715~724) 。奈良朝第2代の女帝。母元明天皇の譲を受けて即位した。養老2 (718) 年には
『日本書紀』ができあがり,同7年には三世一身の法が打出された。辺境に隼人
蝦夷の反乱もあり,内外多端であった。
豪:①力や才知などがすぐれている。すぐれた人。②見かけが大きく勢いがある。度はずれている。
(´・(ェ)・`)つ

180:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/24(木) 22:28:25 ID:1d4drIFg0 [84/84]
その通りじゃな。
朝廷の兵が勝ったと言うのじゃ。
実は勝ち組につくのが朝廷であるからいつでも勝っているがのう。
実は乱世の始まりだったのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

444:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 11:40:24 ID:Fdz43.Xw0 [1/2]
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三四 些細な・取るに足りないことについて 2

 そこで、私の精神が些細であり、些細なものごとに携わっていることに気づくと、それはこの条件から自由になれるでしょうか。精神は、まさにその本性そのものにより、些細ではないでしょうか。記憶の結果を除いて、精神とは何でしょうか。何についての記憶でしょうか。どう生き残る・生き延びるのかについて [の記憶]-身体的にだけでなく、また心理的に、一定の性質、美徳の発達 [をとおし] 、経験を貯えておくこと [をとおし] 、それ自身の活動においてそれ自体を確立することをとおして [どう生き残るか]です。それは些細ではないでしょうか。記憶の、時間の結果である精神は、それ自体において些細です。それは、それ自身の些細なものごとから自由になるには、何ができるでしょうか。それは何かできるのでしょうか。どうかこれの重要性をわかってください。精神、すなわち自己中心的活動は、その活動から自由になれるでしょうか。明白に、できません。それがすることは何でも、やはり些細です。それは神について憶測できます。それは政治的体制を工夫・考案できます。それは信念を考案できます。しかしそれはやはり時間の領域の中に・圏内にあります。その変化は、やはり記憶から記憶へ [の変化] です。それはやはりそれ自身の制限に縛られています。精神はその制限を壊せるでしょうか。それともその制限は、精神が静かであるとき、それが活動していないとき、それ自身の些細なものごと-それらをどんなに偉大であると想像しようとも-を認識するとき、壊れるのでしょうか。精神がその些細なものごとを見てしまい、それらに充分に気づいて、そのためほんとうに静かになるとき- そのときだけ、
これら些細なものごとがなくなる可能性があるのです。精神は何に携わるべきかを、あなたが探究しているかぎり、それは些細なものごとに携わるでしょう-それが教会を建てようと、祈ろうと、神殿・聖堂に通おうと、です。精神自体が卑小で、小さいし、たんにそれは卑小であると言うだけで、あなたはその卑小さを解消しなかったのです。あなたはそれを理解しなければなりません。精神はそれ自身の活動を認識しなければなりません。そしてその認識の過程において、それが意識的、無意識的に築いてきた些細なものごとへの気づきにおいて、精神は静かになるのです。その静けさに、創造的状態があるし、これが、変容をもたらす要因です。
(´・(ェ)・`)つ

445:避難民のマジレスさん[]:2020/12/24(木) 11:50:03 ID:Fdz43.Xw0 [2/2]

  ○⌒\  
  (二二二)
(⌒(´・(ェ)・`)
(  o旦とI
(__し―J
あと8回でKの講読会は終了であります。

446:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/24(木) 22:26:46 ID:1d4drIFg0 [168/168]
些細なものごととは本来しなくてもよいようなものごとなのじゃ。
金とか権力とか名声のための行い等なのじゃ。
そのような囚われに気付く時にそれは解消されるのじゃ。
実はやらなくてよい行いであったと気付くからなのじゃ。
 

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