鬼和尚 2020/12/22(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

676:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 00:13:11 ID:1QHAiUWA0 [4/6]
>>674

>>>667 そうじゃ、それは意志に拠って引き起こせるものではないのじゃ。
> 引き起こそうとすれば自我が起こるからのう。
> 悟道を待つのじゃ。

これは修行しても無駄ということですか

677:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 00:41:22 ID:1QHAiUWA0 [5/6]
>>671

>>>660 それはただの思い込みであるからいかんのじゃ。
> 自分を正しく知って愚かであると知るのが真の賢者なのじゃ。
> 自分を観察して知ると善いのじゃ。

自分を正しく知って賢者であると知ったら、それは真の賢者ではないということですか

678:避難民のマジレスさん[]:2020/12/22(火) 01:44:56 ID:f0QYNBRY0 [2/2]
認識を離れた所においては全てが何の問題もなく整っているのですね。

679:崇蓮[sage]:2020/12/22(火) 08:49:22 ID:VHpJSyVE0 [10/10]
>>671
そういう事だったのですね。
納得です。
これからは陽気を沢山引き寄せるように実践し続けます。

連日の質問にお答えいただき、ありがとうございます。
精進します。

685:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 22:26:21 ID:1d4drIFg0 [180/182]
>>676 それは修業を徹底して行った後にくるものじゃ。
 何もしなければ来ないのじゃ。
 自分をどこまでも追及する事で悟りは自ずからやってくるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>677 賢者というものはないのじゃ。
 それを知る者が自らを賢者と知る筈は無いのじゃ。
 おのれの愚かさに気付くことができるだけなのじゃ。

>>678 そのようにも言えるじゃろう。
 もはや何の問題も無いのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

680:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 09:08:01 ID:QGY8QVgQ0 [1/3]
瞑想を睡眠の代わりに出来る人とは、どんな人なのですか?
体質によるのですか?
私は代わりに出来そうでしょうか?

食事は多くはないですが睡眠時間が長い・・というか睡眠時間のリズムがズレているのだと思います。
早く寝ても6時とか7時に起きるのはキツくて、子供の頃からそうでした。
9時とか10時だと楽に起きれて、早朝に寝たとしても10時頃には起きられます。昼過ぎまでは寝ていられません。
睡眠時間だけの問題ではなさそうです。

そのような性質の者はどうやっても社会に合わせた早起きはつらいものだと諦めなければならないでしょうか。

681:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 10:14:23 ID:QGY8QVgQ0 [2/3]
「気が沈む」という言葉がありますが、
この気が沈む状態というのは、「気」とも関係があるのですか?
実際に気が沈んでいたり停滞していると気持ちの気も沈んだりしますか?
気を巡らせたり上に登らせたりする事で
気が沈む状態を避けられますか?

瞑想をしていたら自然に丹田から気が登りやすくなるとのことなので、
気の観点からも心身にも良いのですか?

682:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 10:19:33 ID:QGY8QVgQ0 [3/3]
自分という観念は1番最初に立ち上がるものなのですか?

記憶に依存した観念が無くなると、
例えば目の前のものを見ても物の境目とかも分からなくなってしまうのではないでしょうか?
言葉なども認識出来なくなってしまいませんか?

観念を観ることと、観念に依存せずに観る事を使い分けられるようになるのですか?

686:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 22:56:30 ID:1d4drIFg0 [181/182]
>>680 それは正しい姿勢で座ることができる者なのじゃ。
 正しい姿勢で座れば体の力も完全に抜けるために心身ともに安らぐのじゃ。
 修練によってそれも可能になるのじゃ。
 おぬしも日々続ければ可能になるのじゃ。

 昼から始まる仕事に就けば善いのじゃ。
 探せばいくらでもあるものじゃ。
 自分で起業してもよいのじゃ。

>>681 心が沈めばそのような気が引き寄せられるのじゃ。
 全ては心で作られているからのう。
 心が陽気ならば平気なのじゃ。
 心が弱くなっていると周りの気に引きずられたりることもあるのじゃ。

 それだけでは沈んだ気が回ってしまうのじゃ。
 イメージで赤い陽気に変えるのじゃ。

 そうじゃ、気からも心身に善いことなのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>682 一番ではないのじゃ。
 感じたものが始なのじゃ。
 そこからそれを感じる主体としての自分が認識されるのじゃ。
 
 わかろうとすればわかるのじゃ。
 言葉も認識しようとすればできるのじゃ。
 
 使い分けられるようになるのじゃ。
 自在なのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

683:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 14:09:13 ID:Bu/sFb3Q0 [1/2]
うっかり怖い話を読んでしまい、一人の時に瞑想が出来なくなってしまいました。
なんとなく前よりは怖がりがマシになったから大丈夫だろうと油断してしまいましたがダメでした。
(これも自我の抵抗なのでしょうか。)

前もそうだったのですが、時間が経過して記憶が薄れると大丈夫にはなるのですが‥
幽霊は居ないし自分に心霊現象は起きないと信じたいですがどうしたら信じられるでしょうか。
その怖い話では、家族も体験したとかで、やっぱり気の所為ではない何かというのは存在するかも知れないと思ってしまいます。
複数の人が同時に心霊現象を体験する場合があるのはなぜですか?

何か起こったとしても鬼和尚に助けを念じたら助けてくださったりは可能なのでしょうか?

あとは何か瞑想音楽などをかけてしまうのも良いでしょうか。集中が削がれるので本当は無音が良いですが・・

684:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 14:35:33 ID:Bu/sFb3Q0 [2/2]
ヨーガ・スートラに、
「あるいはなんでも自分にとって好ましいものを念想すること」
という一節がありますが、
音楽などでも良いのですか?

その際は念想するのでも
実際に聴くのでも良いですか?

対象として相応しいものと
相応しくないものは何でしょうか?

688:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 23:28:56 ID:1d4drIFg0 [182/182]
>>683 その恐れの原因を心の中に追究するのじゃ。
 原因から恐れが起こり、原因が無ければ恐れが無いことを心の中に観察するのじゃ。
 そうすれば消えるのじゃ。

 誰もが自分の心の中の世界を見ているのじゃ。
 誰かが何かを見たとか聞いたとか言えば聞いた者も自分の世界のお化けを見るのじゃ。
 
 無理なのじゃ。
 自分で自分を救うのじゃ。
 
 音楽をかけてもよいのじゃ。
 
>>684 それもよいのじゃ。
 実際に聞くのも善いのじゃ。
 自分が実際に聞いて見て瞑想がやりやすいものがよいのじゃ。
 そうでないものはふさわしくないのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

71:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 20:56:30 ID:Dp/qMVVc0 [38/38]
意識している間、正しい感覚の中では、誰も何か間違ったことをしたことがないということを心に留めておきなさい。すべての罪は愛着から生まれる。それは愛着そのものだ。私にとって、愛着だけが罪深い。観察は愛着を追放する。それゆえに、観察とは何か、それがどのようにもたらされるのかを理解することが重要なのだ。

では、自己観察とは何だろうか? 静かに座って、昨日正しいマインドフルネスの実験について話したときに説明したように、私の中で起きていることを、それがどんなことでも観察する。内側には思考と情熱の世界がある。私はその世界を観察する。海辺に立っている人が海の波を見るように、私はそれを見続けている。クリシュナムルティはこれを「選択のない気づき」と呼んでいる。それは完全に切り離された観察だ。

切り離されたとは、私が選択も決断もしないことを意味する。私はどんな情熱や欲望にも善悪のレッテルを貼らない。善と悪、徳と悪徳の間で判断を下すことはない。ただ観察するだけだ。私はただ、知っていることと見ていること以外には何の興味もないかのように、超然と離れて立っているだけの見者になる。目的が忍び寄る瞬間、選択や判断が入ってきた瞬間、観察は終わりを迎える。その時、私は観察しているのではなく、考え始めているのだ。

どうか、考えることと観察することの違いを理解するようにしてほしい。この過程では、私たちは考えることはしない。考えることは意識の中の意識的行為だ、一方、観察は無意識の中に意識が入り込むことだ。思考が入ってくるとすぐに、人は善と悪を区別し始め、抑圧が微妙な形で始まる。すると無意識はそのドアを閉じ、そしてその神秘の知は私たちから隠されている。無意識はその秘密を、思考ではなく観察を通して明らかにする。なぜなら、抑圧がなければ、無意識の衝動や性癖は、自然に、ひとりでに、ありのままに現実の中で立ち上がってくるからだ。そうなると、それらの衝動、性癖、情熱を隠す必要はもはやない。無意識は、ありのままで、完全に隠されずに私たちの前に立っている。それは何と恐ろしいことだろう! 自分の心の奥底にあるありのままの姿を見ると、人はどれほど怯えてしまうのだろうか! 目を閉じたくなる。この深い観察を放棄し、世俗的な平面に戻りたくなる。

オショーは選択や判断が入ってきた瞬間、観察は終わりを迎えると述べています。私の場合、どこか一点に集中していない限りは、観察をしてても縁起により勝手に思考が始まり、それに続いて好悪の感情が生じることがあるのですが、その思考や感情自体を観察できることもあります。起きていることに巻き込まれずに、新しい発見がある場合には、完全ではなくとも観察ができていると判断してよいのでしょうか?

72:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 23:34:57 ID:1d4drIFg0 [34/34]
心に起こることが観えていたならば観察しているのじゃ。
それに失敗はないのじゃ。
感情や選択に巻き込まれてしまった時でさえ、それを観続けることはできるのじゃ。
それもまた自分のした選択とか想いと見ることもできるのであるからのう。
もはや失敗だとか終わりだとか想ってやめてしまう時に観察は終わるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

764:マジレスさん[]:2020/12/22(火) 20:40:46.26 ID:vJigj3of
>>762
ありがとうございます

どんな修行すれば道行く人が鬼和尚を見て悟れるのでしょうか?
あと年末の災いの情報もっとありませんか?
3月だと言うから保存食を食べてしまいまして。
この時期のテロなんて政府のミスデレクションしか思いつきません。

765:マジレスさん[sage]:2020/12/22(火) 20:53:37.10 ID:r6C9r4qM [1/2]
>>762
鬼和尚はなんで宗教板でハブられたの?

766:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/22(火) 22:03:34.69 ID:7iCVrFJI
>>764 常に己を追及するのじゃ。
 自分がなにものであるのか常に追求していればわしを観るだけでも悟れるのじゃ。

 そんなに激しい災いでもないようじゃ。
 やはりコロナからストレスが溜っているから起きるのかもしれん。
 保存食はいらないじゃろう。
 
>>765 そのように感じるならばおぬしが宗教板でハブられているからかもしれん。
 コピペしか出来ないとか書かれて泣いているのかもしれん。
 本当に精神病院に強制入院させれるのかと怯えているからかもしれん。
 わしのブログを読んで修業すると善いのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

173:避難民のマジレスさん[]:2020/12/22(火) 20:32:10 ID:xpD5ITNM0
260
題江口美人勾欄曲 かうこう美人こうらんの曲に題す
見色聞聲吟興長  見識聞声吟興長し
明心悟道没商量  明心悟道もつ商量
愁人不識普賢境  愁人はしらず普賢の境
歌吹樽前総断腸  そん前にかすいしてすべて断腸

第四句:柳田聖山先生訳[樽が歌うて、腸しぼる]
    平野宗浄先生訳[ただ酒樽を前にしての眼や歌えの遊興三昧。そのあとはすべて断腸の思いをする 
    だけである]

中西明子先生訳
第三句:煩悩を捨てきれぬ我が身をただ悲しむ者には普賢菩薩があらわれるに至る境涯がわからない
第四句:遊びに興じ酒樽の前で私は、言い切れぬ悲しみとこの上もない悦びを抱く

くま訳
謡曲『江口』の遊里から聞える曲と題して
自然の音を聞き、花を見て詩興がのり、いつまでも吟じていたい。
ありのままの心を明らめるのだ。悟りに至る道は無分別の道である。
煩悩を愁う人は、悟りを求める思い極まり、普賢菩薩があらわれる境涯を知ることはないのである。
酒樽の前で、歌い、演奏する、何もかも全てのことに興がのり愉快なのだ。

*江口美人:神崎川が淀川から分岐する場所で摂津国江口の娼家にいる遊女。江口:は日本最古の遊里
*勾欄:遊女屋
*見識聞聲 明心悟道:(聞声悟道 見色明心・碧眼録78)香厳が小石の竹にぶつかる音を聞いて悟ったこ 
 とと、霊雲が、満開の桃の花を見て悟ったこと。
*没商量:思慮分別をさしはさむ余地のないことで、その思いはかり難さをいう
*愁人:詩を吟じる者、または学者
*普賢:文殊と共に釈迦如来の二脇士をつとめ、文殊が仏の智・慧・証の徳を代表するのに対し、普賢は仏 
 の理・定・行の徳を代表する。
*普賢境:悟りを求める仏道を行おうとする心即ち菩提心を究め、普賢菩薩があらわれるに至る境涯
*断腸:①はらわたがちぎれるような切実な悲しみや思いにせめられること、②わらってお腹が痛くなるほ 
 ど愉快であること
(´・(ェ)・`)つ

174:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 23:47:05 ID:1d4drIFg0 [81/82]
そんな感じじゃな。
悟りの道があれば歌舞音曲も分別を没し心を明らかにすることができるというのじゃ。
それを愁える者は普賢菩薩の境地をしらんのじゃ。
普賢菩薩も鈴

175:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/22(火) 23:48:06 ID:1d4drIFg0 [82/82]
をもったりしているからなのじゃ。
歌って踊って酒樽の前で憂いを忘れるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

440:避難民のマジレスさん[]:2020/12/22(火) 20:16:59 ID:xpD5ITNM0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三三 表面性について 2

 まず初めに、私たちはこれらのことをしていることを、認識しているでしょうか。私たちは [認識] していません。それらを正当化します。「私はこれらのことをしないなら、何をすべきだろうか。もっとひどく・悪くなるだろう。自分の精神はばらばらになる・まいってしまうだろう。今少なくとも、私は何かもっとよいものに向かって格闘している」と、私たちは言います。私たちは格闘すればするほど、ますます表面的になります。私はそれを初めに見なければならないのではないでしょうか。それが-あるがままの自分を見ること、自分が愚かであること、浅いこと、狭いこと、嫉妬していることを承認することが-もっとも難しいことの一つです。私はあるがままの自分を見るなら、それを認識するなら、そのときそれをもって出発できます。確かに、浅い精神は、あるがままから逃避する精神です-逃避しないことは、困難な究明を、無為の否定を必要とします。私が自分が浅いことを知った瞬間、すでに深まる過程があるのです-私が浅さについて何もしないなら、ですが。「私は卑小だ。それでそれに入ろうとしている。この卑小さ、この狭める影響の全体を、理解しようとしている」と、精神が言うなら、そのとき変容の可能性があります。しかし卑小であることを承認して、読書により、人に会うことにより、旅をすることにより、猿のように絶えず活動的であることによって卑小でなくなろうとしている卑小な精神は、やはり卑小な精神です。
 またあなたは、私たちがこの問題に正しく接近してこそ、ほんとうの革命があることも、  
わかるのです。問題への正しい接近は、私はあなたに保証しますが、山をも動かすとてつもない確信を与えてくれるのです-自分自身の先入観、条件づけという山です。浅い精神に気づくとき、深くなろうとしないでください。浅い精神は決して大いなる深さを知ることができません。それはたくさんの知識、情報を持てます。それは言葉を反復できます-活動的である表面的な精神の道具一式全体を、知っているでしょう。しかしあなたは自分が表面的で浅いことを知るなら、浅さに気づいて、判断なく、非難なく、そのすべての活動を観察するなら、そのとき浅いものごとは、あなたがそれに作用することなしに、全く消滅してしまったことが、すぐにわかるでしょう。それは、結果への、達成への熱心な願望ではなく、忍耐、見守りを必要とします。達成、結果が欲しいのは、浅い精神だけです。
 あなたはこの過程全体に気づけば気づくほど、ますます精神の活動を発見するでしょう。
しかしそれらを終わらせようとすることなしに、それらを観察しなければなりません。なぜならあなたは終わりを求めた瞬間、またもや「私」と「非私」の二元性に捕らわれるからです-それは問題を継続させます。
(´・(ェ)・`)つ

441:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/22(火) 23:56:39 ID:1d4drIFg0 [166/166]
浅い精神に気付いていなければ深い精神に気付くことも無いのじゃ。
浅い精神に気付くことでもっと深い精神にも気付く機会ができるのじゃ。
それは徐々に深く観ることができるのじゃ。
それについて考えたりすることも障害になるのじゃ。
結果を期待せずにただひたすらに心を観続けるのじゃ。

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