鬼和尚 2020/12/19(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

652:崇蓮[sage]:2020/12/18(金) 23:32:02 ID:VHpJSyVE0 [6/6]
>>651
「そうではなくて、この地球上に実際にいる人物で」と思ったのですが、
そもそも、本当は私など無いのにあると思っている私が、「実際にいる」とか「いない」とか考えても意味のない事のように感じてきました。
ありがとうございます。
私も観世音菩薩を感じられるように精進します。

また教えてください。

>> そのように自ら己と思う働きを見つけ、観察すれば全てを順に観るより無我に達するのは早いじゃろう。

>>名前とイメージによる観念は絶え間なく変化しているものじゃ。

と鬼和尚さまは仰っていましたが、
「何をしている時に自分らしく感じるのか」と言う事を観ようとしても、次々に自分というものの観念も変化するのであれば、「自分らしく感じる自分」というものが捉えられないと思うのですが、これはどのように解釈すれば善いのでしょうか?
この二つの事は相反するように感じます。

今まで逃避し続けてきたので、自分の楽しいと感じる事が判らないのです。
自分のイメージがなかなか観れなくてもどかしいです。

653:82[sage]:2020/12/19(土) 10:43:57 ID:GMSErvxY0
>>637
鬼和尚さん、ありがとうございます。
そのまま観察していたら、だんだん奪われることの恐怖は消えて、それより物そのものを失うことが苦痛だと感じることに気づきました。
そして、それは、物を失うと自己イメージを失うからだとわかりました。
自己イメージを自分として自分の想像の中で使っているので、そのイメージが変わるのが嫌なのです。
周りのことを考える時、頭の中では周りのことはイメージなので、自分のこともイメージです。
自己イメージは自分じゃないと思っても、生活していると、ほぼずっと自己イメージを使って生活していることに気づきました。

質問なのですが、自己イメージをも持たないで行動したり、周りや自分のことを考えることはできるのですか?

655:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/19(土) 22:37:45 ID:1d4drIFg0 [174/174]
>>652 そうじゃ、全てはおぬしの心が作り出しているのじゃ。
 慈悲の心に観世音菩薩も居るのじゃ。
 
 そのように変化するものも今ここにおいて自分を感じるものを見つければ、捉えることもできるのじゃ。
 例えば以前に思考が自分と思っていたとしても、今は感情が自分と感じるならば今ここで感情に投射する自我を見つけると善いのじゃ。
 そのように今ここに常に集中して観察すれば正しく観ることができるのじゃ。
 
 過去も未来も思わずただ今ここにある自分を観るのじゃ。
 そうすれば今楽しいことも、今の自分のイメージも見えてくるのじゃ。
 今ここを観るのじゃ。

>>653 できるのじゃ。
 それを証明するために一切のブッダ達はいたのじゃ。
 自己イメージが自分の主体であり、自分を守るものとか思うとそのように考えるのじゃ。
 実際にはそれは主体ではなく、自分を守っても居ないのじゃ。

 例えば価値の無い荷物を持っている旅人が、それを捨てても大丈夫かと思うようなものじゃ。
 それを捨てればむしろ荷物が減って楽なる野じゃ。
 或いはごみ屋敷に住む者がごみが自分を守っているとか思うようなものじゃ。
 ごみは実際には自分を守らず、捨てたほうが安楽なのじゃ。
 そのように自己イメージとは無価値な荷物であり、ごみのようなものと知るが善いのじゃ。
 それを捨てればむしろ智慧が湧き、老病死を超える道に入れるのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

65:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/19(土) 20:59:49 ID:Dp/qMVVc0 [35/35]
人の個人的な生活の中で起こる爆発と、社会の中で起こる爆発-暴力、レイプ、不道徳、蛮行-は、すべて抑圧の結果だ。人は抑圧のために道徳的で自然な生活を送ることができず、ある日突然その緊張に屈してしまう。偽善に頼る者は、この内なる葛藤から自分自身を救うことは間違いない。その者は自分ではない者のふりをしている。常に何らかの役割を演じているので、どんな内なる葛藤からも解放されている。

偽善もまた、抑圧に基づく道徳から生まれる。それは、自分自身を内なる葛藤から解放するための手段だ。すでに述べたように、私たちのいわゆる道徳的な生活の中では、自然発生的な感情が成長し、表現されることを許さず、実際には存在しない感情を表現してしまう。二つの過程のうちの最初のものは抑圧につながり、二つ目は偽善につながる。最終的には、最初の過程はあなたを狂人に変え、二つ目は偽善者に変える。これらの結果はどちらも良いものではなく、どちらもあなたにはふさわしくない。残念ながら、私たちの文明は、この二つの選択肢しか提供していない。しかし、第三の選択肢もある:動物の生を生きることだ。犯罪者はこの選択肢から生まれる。もし私たちが動物になることから自分自身を救いたいと願うならば、私たちの文明には二つの選択肢しかない。

動物になるということは、無意識の本能に完全に身を委ねるということだ。人間の中で意識的になったものが再び無意識になることはできないので、これも不可能だ。私たちは酔うと、まさにこの無意識を求める。酔わせるものを求めるのは、動物になりたいという欲求の表れだ。徹底的に酔っぱらって無意識になったときにのみ、人間は自然と一致し、動物と一致するのだ。しかし、これは死に等しい。これは深刻であり、非常に慎重な検討に値する。

酔っているときに人間はどのようにして動物になり、なぜ動物になるために酩酊しようとするのだろうか。それは、人間の意識が動物の世界や自然の一部ではなく、神性の一部であるという事実を示している。それは魂の可能性だ。それは種であり、破壊されるべきものではなく、育まれるべきものだ。その完全な成長には、自由、解放、至福がかかっている。

では、どうすればいいのか? 文明は、私たちに3つの選択肢を与える。動物、狂人、偽善者の。ひょっとして、第四番目の選択肢があるのだろうか?

抑圧を観察するヒントやコツのようなものがありましたら、お教えください。

66:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/19(土) 23:38:30 ID:1d4drIFg0 [31/31]
抑圧を見るには先ずはそれを受け容れることじゃ。
抑圧によるどんな衝動が心の中にあってもそれを受け容れることを自分に許すのじゃ。
しかしその衝動に流されてはいかんのじゃ。
そのように長く抑圧された衝動には誰か憎むものを殺したいとかもあるかもしれんからのう。
それもまた受け入れなくてはいかんが、その衝動に流されて行動してはいかんのじゃ。
その原因から観察できれば、それもまた消えるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

485:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/12/19(土) 21:01:31.66 ID:NrU3D+3i
鬼和尚、自分について知ろうとすると、自分が無くなってしまいます。
観察方法が間違っているのですか?

486:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/19(土) 21:49:50.44 ID:XaBKG/mz
↑それでよいのじゃ。
何も無いのに好みとか欲とか執着があるのはなぜなのか、観察して理解すると善いのじゃ。
実践すれば全てが理解されるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

751:マジレスさん[]:2020/12/19(土) 20:51:04.73 ID:cGfC6DRp
>>746
鬼和尚さんはいくつですか?筋トレ、肉体改造をしているのですか?

752:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/19(土) 21:48:30.14 ID:LYGJoWH6
>>751 わしは知命を超えて長いのじゃ。
 寝る前にヨーガとか気功法をやっているのじゃ。
 たまに強健術とかもやるのじゃ。
 それだけで鬼のように元気なのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

164:避難民のマジレスさん[]:2020/12/19(土) 00:24:39 ID:QdkMQi020
くま訳改
傑作の詩文や美しい声、
一言一句が人々の心を揺り動かすが、
閻魔大王には、雅な詩文の妙味は通用しないのである。 
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。
(´・(ェ)・`)b

165:避難民のマジレスさん[]:2020/12/19(土) 14:03:14 ID:7eWkIgMw0 [1/2]
257
普明國師破百丈大智禪師法 普みょう國師百丈大智禪師の法を破る
破夏文殊宗旨勲 夏を破す文殊宗旨の勲
衲僧三昧似商君 衲僧の三昧商君に似たり
祖師大用現前境 祖師大ゆう現前の境
南嶽巫山一片雲 南がく巫山一片の雲

くま訳
普明國師が住持をつとめる相国寺は、百丈山を模して建立された建仁寺より高い格付けを、足利義満からも
らった。(ことにより、普明が百丈の法を打ち破った・・・わけではなかろう)
夏安居で文殊菩薩が宗旨において、大迦葉を打ち破ったようなものだ。
禅僧が三昧に入れば、政治家・軍人・思想家として秦の礎を築いた商君のような、働きをする。
祖師のおおいなるはたらきが、まさに現れた境涯であろう。(商君は最後には政敵に滅ぼされたが)
百丈の師であった南嶽懐譲禅師の夢に、一片の雲が流れてきた(が、直に消え去るだろう)

*知覚普明国師(諡号しごう・おくり名):春屋 妙葩(しゅんおく みょうは、1312-1388臨済宗相国寺の
 第二世・事実上の開山国師。五山文化の発展に寄与した。師 夢窓疎石の法嗣(1345)室町幕府に対して 
 五山第一の南禅寺(臨済宗)の楼門新築を提言。園城寺(天台寺門宗総本山)、比叡山(天台宗の総本山
 延暦寺)との紛争は政治問題に発展する。管領の細川頼之と対立して隠棲する。1379年頼之が失脚した
 後に入京し、南禅寺住職として復帰する。妙葩は頼之が失脚する直前に丹後を出立しており、政変への関
 与も考えられている。3代将軍足利義満の帰依を受け、初代の僧録となる。同年、義満の要請により全国
 の禅寺を統括。義満は相国寺を創建すると、師の夢窓疎石を開山始祖とし、妙葩は第二世住持となった。
 五山十刹制度を作り五山派を興した。五山文化の発展に寄与した。また多くの弟子を育て、彼らは日明貿 
 易を行う際に幕府の外交顧問となった。
*建仁寺:臨済宗建仁寺派の総本山は、栄西(ようさい)禅師により1202に創建された、百丈山を模して
 建立された。足利義満によって五山の第三位とされた。
*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814唐代。諡は大智禅師。馬祖道一の法を継ぐ。
*南嶽懐譲(なんがく かいじょう、677- 744唐。大慧禅師 弟子 馬祖道一
*大用現前(だいゆうげんぜん):大いなる作用・はたらきが自由自在に現われること。
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。
(´・(ェ)・`)つ

166:避難民のマジレスさん[]:2020/12/19(土) 14:08:17 ID:7eWkIgMw0 [2/2]
おまけ:正法眼蔵 75巻本72安居 石井恭二先生
世尊は一つの所で、九旬安居されたが、最後の日になって、文殊が突然やって来て、法会に参じた。
大迦葉、文殊に問うた、「この夏は何処で安居したのか」。
文殊は云った、「今夏は三つの所で安居した」。
大迦葉は、これを聞いて大衆を集め槌を撃って文殊を追い払おうとした。まさに?墓槌(けんつい)を挙げよ
うとしたとき、たちまち数知れず多くの寺院が表れて、その一寺ごとに一人の文殊があり、一人一人の大迦
葉があって、槌を挙げて文殊を追い払おうとしているのが見えた。
 世尊はそこで大迦葉に告げて云われた、「お前は今、どの文殊を追い払おうとしているのか」。
 そのとき大迦葉は茫然とするばかりであった。
 (39)園悟禪氏は拈古に云った、「鐘は撃たなければ響くことはない。鼓は打たなければ鳴ることはない。
 大迦葉がいま大切な涅槃に到る渡し場を占めれば、そのとき文殊は十方に坐った。その当時の仏道が顕現 
 した好場面である。惜しむべきは、一手も下さなかったことだ。釈迦老子がどの文殊を追い払おうとする
 のかと云うのを待って、一撃を与えてみればよいではないか、他にどんな収拾の仕方があるのか」。

 園悟禅師は頌古に云っている、
 大象は兎径に遊ばず、
 燕雀安んぞ鴻鵠を知らん
 令に拠ること宛ら風を成すが如し、
 破的し渾(す)べて鏃を囓するがごとし。
 遍界是れ文殊、
 遍界是れ迦葉、
 相対して各儼然たり。
 挙椎何れの処か罰せん好一箚、
 金色の頭陀曾て落却せり。
 
 大象は兎の小径では遊ばない、、
 燕雀はどうして大鵬を知ることがあろう。
 規則に拠りながら宛かも風を成すように自然である、
 的を射れば鏃(ぞく)がすべて命中するが如きである。
 世界に遍く文殊が出現し、
 世界に遍く迦葉が出現し、
 しかも相対してそれぞれは厳然としている。
 椎を挙げて何処に振り下ろして罰しようとするのか、これは好い見物だ、
 大迦葉はそのとき槌をとり落したのだ。、
 
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。”
(´・(ェ)・`)b

167:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/19(土) 23:25:43 ID:1d4drIFg0 [78/78]
応仁の乱の前には既に仏教諸派の騒乱があったのじゃ。
それが既に国が敗れる兆しであったというのじゃな。
先師の法を破るのは迦葉が文殊菩薩を破るようなものだというのじゃ。
そのような僧の三昧は国事で自ら身を滅ぼした商君のようなものじゃ。
祖師の法はそのような小事にかかわず悟りという大いなる用法を現前するものじゃ。
国も身も敗れれば国事による一時の栄光は山にかかる一片の雲の如しなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

434:避難民のマジレスさん[]:2020/12/19(土) 13:13:40 ID:65pjRgqY0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三二 単純さについて 1
質問
 単純さとは何でしょうか。それは、本質的なものをとても明確に・はっきりと見て、他のあらゆるものごとを切り捨てる、という意味を含んでいるのでしょうか。

単純さでないものを、見ましょう。-「それは否定です」とか「何か肯定的なものを、私たちに言ってください」とか、言わないでください。それは幼稚な、無思慮な反応です。あなたに「肯定的な」ものを提供する人たちは、搾取者たちです。彼らは何かあなたにあげるものを持っています-あなたはそれが欲しいし、それをとおして彼らはあなたを搾取するのです。私たちはその種類のことは何もしていません。私たちは、単純さの真理を見出そうとしています。ゆえにあなたは観念を切り捨て、裏へ置いて・忘れ去って、新たに観察しなければなりません。内面的、外面的に多く持っている人は、革命を恐れています。
 何が単純さでないのかを見ましょう。複雑な精神は単純ではないのではないでしょうか。利口な精神は単純ではありません。目的を-精神はそのために働いています、報賞、恐れを視野に持つ精神は、単純ではないのではないでしょうか。知識の重荷を負っている精神は、単純な精神ではありません。信念で損なわれている精神は、単純な精神ではないのではないでしょうか。それ自体を何かもっと偉大なものと同一化してしまって、その同一性を保とうと奮闘する精神は、単純な精神ではないのではないでしょうか。ほんの一二枚の腰布を持つことが単純であると、私たちは考えます。私たちは単純さの外観が欲しいのです。それでそれにたやすくだまされるのです。そういうわけで、とても富裕である人は、放棄した人を崇拝するのです
(´・(ェ)・`)つ

435:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/19(土) 23:45:02 ID:1d4drIFg0 [163/163]
単純ではないものとは否定とか肯定であるというのじゃ。
肯定的なものを与えるのは搾取する者ともいうのじゃ。
分別をする精神とか知識を持つ精神、欲や恐れがあっても単純ではないというのじゃ。
同一化や信念さえもあれば単純ではないのじゃ。
 

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