鬼和尚 2020/12/17(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

647:崇蓮[sage]:2020/12/16(水) 22:19:50 ID:VHpJSyVE0 [4/5]
>>646
そうだったのですね。

私は直感で鬼和尚さまが本物だと思ってしまったので、鬼和尚さまはどの様にお釈迦さまの教えを判断したのか気になり、質問をさせていただきました。


また質問です。
天人はみんな前世の記憶があるとの事ですが、娑婆世界にいる家族や大切な人のもとに行きたいとか思わないのでしょうか?

648:避難民のマジレスさん[]:2020/12/17(木) 20:39:04 ID:fzOv7dEw0
肉体が壊れ色界や無色界に転成しても、識に迷って彷徨うのだと思います。
識によって生存していると勘違いしていながら。
解脱をした人は存在していると言えない。とブッダが言っていた気がするのですが、
鬼和尚もそのような感覚なのでしょうか。生きながら本物の死を迎えたという感じで。

649:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/17(木) 22:29:17 ID:1d4drIFg0 [172/172]
>>647 そのように想う者もいるようじゃ。
 しかし天と娑婆世界では時間の経過が違うから大抵は会うこともできないのじゃ。
 全てが繋がっていいることを理解すれば嘆くことも無いのじゃ。

>>648 そうじゃ、死んで生きているのじゃ。
 自我はもう完全に死んでいるのじゃ。
 個人は無いのじゃ。
 肉体が残って法を説くのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

61:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/17(木) 20:39:19 ID:Dp/qMVVc0 [33/33]
私は一人ではなく、四方八方人に囲まれている。そして、私は社会の中にいるので、人生のあらゆる瞬間に誰か、あるいは他の人と接触し、関係を持つ。これらの相互関係が、私たちの人生のあり方のように思える。そして、私の行動の善し悪しは、その人間関係が良いか悪いかで決まる。

私たちは良い行動を教えられている。それが社会のために必要だから、社会的必要性だからだと教えられている。しかし、社会はあなたには何の関係もない、あなたの素朴で生まれながらの性格とは関係ない。その観点から見れば、あなたがいなくなっても社会は何も失わない。誰かとの関わりや何かとの関わりがあってこそ、社会にとって重要な存在になる。社会にとって重要なのは、あなたではなく、あなたと他者との関わりだ。社会にとって重要なのは、あなたではなく、あなたの行動だ。したがって、善行が社会から伝えられる教育の目的であることは、驚くべきことではない。社会にとって人間とは、その人の行動であり、それ以上のものではない。

しかし、この善行の教育、社会が教える道徳は、錯覚を生み出している。それは非常に根本的な錯覚を生み出している。神を悟り、宗教に到達したいと願う人たちが、真理と正義に到達するためには徳を積む必要があると信じるのは当然のことだ。神の実現は正しい行いによってのみ可能であり、真理の到来の前に徳を身につけなければならないと信じるのは当然だ。宗教と真理の実現は、道徳だけの生活から発展すると信じるのは当然で、道徳は基底であり、宗教は頂点であり、道徳は種であり、宗教は実であり、道徳は原因であり、宗教は結果であると信じているのだ。この考え方は非常に明快で正しいように見えるが、この一見単純明快な考え方は全く誤解を招くものであり、真の事実を歪曲した見方をしていることを、私はあなたに伝えたい。真相は全く違うものなのだ。

実際のところ、道徳を教えても、宗教的なことはおろか、人を道徳的にすることはできない。単なる善行は人を道徳的にはしない。変容には内面の浄化が必要なのだ。自分の内面を変えなければ、行動を変えることはできない。中心を変えずに周辺を変えようとするのは夢物語だ。その努力は無益なだけでなく、有害だ。それは自殺行為だ。それは自分自身に苦悩を押し付けることに他ならない。

この抑圧は社会の要求を満たすものであることは間違いないが、個人はその下で亀裂が入り、粉々になってしまう。それは人の中に裂け目、二面性を作り出す。人格は、その自然な単純さを失い、自分自身の中の葛藤に苦しむ。
それは連続的な闘争であり、勝利で終われない永遠の内部抗争だ。これは、個人を犠牲にして社会の要求を満たすことだ。私はこれを社会的暴力と呼ぶ。

お釈迦様や鬼和尚が善行を説くのは、悟りを得たいと思わない人に対しても、少しでも福楽がもたらされるようにという慈悲からでしょうか?

62:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/17(木) 22:46:28 ID:1d4drIFg0 [29/29]
↑そうじゃ、善事は人の環境をよくするものじゃ。
 悟りには間接的にしか役に立たないのじゃ。
 自分の心を観察する事で悟りもやってくるのじゃ。
 善事はそのための環境を造るだけなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

742:マジレスさん[sage]:2020/12/17(木) 02:01:05.03 ID:GuFuxBV2
鬼和尚は現実で関わる人たちからの印象や評価はどのようなものですか?
誰かに「鬼和尚さんって~ですよね」とか言われていたらその内容が知りたいです。
悟った前と後とで他人からの印象や評価が変わったのかどうかも教えてほしいです。

746:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/17(木) 22:18:14.47 ID:E3ZBEQVp
>>742 友人はわしを超人と言ったのう。
 同い年の同級生であるがもはや体が効かないというのじゃ。
 わしは真夏でも真冬でも外で元気に働けるからなのじゃ。
 智慧に拠って肉体の正しい強化もできるからなのじゃ。

 同じ友は悟る前は今にも死にそうとか言ったものじゃ。
 常に死を思っていたからじゃな。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

160:避難民のマジレスさん[]:2020/12/17(木) 20:24:40 ID:B8f1YkOs0
250
蛙       あ
慣釣鯨鯢笑一塲 けいげいを釣るに慣れてわらひ一場 
泥沙碾歩太忙忙 泥沙に歩をきしりてはなはだ忙忙
可憐井底称尊大 あわれむべしせい底に尊大と称す
天下衲僧皆子陽 天下の衲僧皆しやう

カエル
鯨釣りに慣れて、お笑いの一席である。
小者の奴らが、うるさく寄って来て、せわしないのである。
憐れむべきは、井戸の中で我尊しと称していることである。
天下の禅僧は皆、力量無いのに、天下を取ったつもりになり、やがて滅ぼされる運命の子陽のような奴らである。

*鯨鯢(けいげい):「鯨」は雄鯨「鯢」は雌鯨
*一場:①一つの場所。ある場所。②その場限り。わずかの間。③ひとまとまり。一席。
*泥砂・泥沙(でいしゃ):どろとすな。また、価値のないもののたとえ。でいさ
*碾(きしりて・テキスト読み)、ひく/うすでひく/うす/ひきうす/いしうす
 きし・る軋る/轢る/輾る 1 堅い物が強くすれ合って音を立てる。きしむ。2 すれ合わんばかりに近 
 づける。3 かじる。かむ。
*忙忙(セワセワ):せわしくて落ち着かないさま。せかせか。
*子陽:公孫述・前漢・後漢交代期の軍閥の一人。字(あざな)は子陽。蜀郡太守となり、その地の豊かさを
 頼りに自立して、まず、蜀王と称し成都に都を置いた。ついで劉秀(光武帝)が帝位についた年、天子を
 称して成家(成王朝の意)を建てた。10余年にわたり後漢と対抗したが、内政にみるべきものはなくや
 がて、破られて、一族とともに滅亡した。
(´・(ェ)・`)つ

161:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/17(木) 23:01:00 ID:1d4drIFg0 [76/76]
そのような感じじゃな。
戦乱の前から仏教の諸流派はかなりの権力をもっていたのじゃ。
後の一向一揆のように国も左右するほどの権勢だったのじゃ。
そのような僧は笑うべきものというのじゃ。
どんなに尊大に成ってもいずれは滅ぼされる定めというのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

430:避難民のマジレスさん[]:2020/12/17(木) 19:29:36 ID:cBRCBlc20
最初と最後の自由 第二部質疑応答
三一 即時の悟りについて 2

 結局、生とは何でしょうか。それはいつのときも何か新しいものなのではないでしょうか。それは何か常に変化を受けていて、新しい感情を造り出しているものです。今日は決して昨日と同じではありません。それが生の美しさです。あなたと私はあらゆる問題に新たに出会えるでしょうか。あなたは家に帰るとき、自分の妻と子どもに新たに出会えるでしょうか。挑戦に新たに出会えるでしょうか。あなたは昨日の記憶の重荷を負っているなら、そうすることができないでしょう。ゆえに、問題の、関係の真理を理解するには、それに新鮮に近づかなければなりません-「開いた精神」をもってではありません。というのは、それは意味を持たないからです。あなたは昨日の記憶の傷跡をもたずに、それに近づかなければなりません-それは、各挑戦が生じる毎に、昨日の応答すべてに気づく、という意味です。昨日の残り、記憶に気づくことにより、あなたは、それらが格闘なしにいつの間にかなくなるし、ゆえにあなたの精神が新鮮であることを、見つけるでしょう。
 準備なしに、即時に真理を悟れるでしょうか。私はできると言います-私の何かの空想・気まぐれからではなく、何かの幻影から [言うの] ではありません。心理的に、それを実験してみてください。するとわかるでしょう。どんな挑戦、どんな小さな出来事でも取り上げて・選んでください-何か大きな危機を待たないでください-すると、自分がそれにどう応答するか、わかるでしょう。それに、自分の応答に、自分の意図に、自分の態度に気づいてください。するとあなたはそれらを理解するでしょう。自分の背景を理解するでしょう。あなたは自分の注意全体をそれに向けるなら、即時にそれができると、私はあなたに保証します。あなたが自分の背景の充分な意味を求めているなら、それはその意義をもたらします。そのときあなたは一撃で、真理を、問題の理解を発見します。理解は今、現在、すなわちいつも時間がないもの、から生じます。それは明日であるかもしれないけれども、それはやはり今です。たんに延期すること、明日あるものを受け取る準備をすることは、あなた自身が、今あるものを理解するのを妨げることです。確かに、あなたは今あるものを直接に理解できるのではないでしょうか。あるがままを理解するには、あなたは邪魔され、注意散漫であってはなりません。自分の精神と心をそれに向けなければなりません。それはその瞬間に、完全にあなたの唯一の興味でなければなりません。そのとき、あるがままは、その充分な深み、その充分な意味を、あなたに与えてくれます。よってあなたはその問題から自由です。
(´・(ェ)・`)つ

431:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/17(木) 22:58:17 ID:1d4drIFg0 [161/161]
自分を理解することと、悟りは瞬時にやってくるものじゃ。
気付くことであるからなのじゃ。
それに長くかかるものがいるのは、自分の恐れや障害があるからなのじゃ。
自分の全てを捨てる覚悟と決意で観察すればそれは即座に現われるのじゃ。

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