鬼和尚 2020/12/13(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

632:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/13(日) 00:20:12 ID:1QHAiUWA0
恐れが起きる瞬間を観察できました。
テレビで見たり人から言われたりした恐ろしいというイメージを、きっかけがあってから、心の中で再生していました。
そのせいか、特に何かをしていなくても、基本的に楽しい感じがしています。

633:避難民のマジレスさん[]:2020/12/13(日) 00:24:00 ID:Q53ey9eU0 [2/2]
阿頼耶識が滅すれば全てが終わるとわかります。
精進します。

634:82[sage]:2020/12/13(日) 17:14:10 ID:cQSY31zU0
>>486
鬼和尚さん、ありがとうございます。
その薄っぺらい自分を観察していたら、それとはまた別に、無意識に執着や苦を感じてしまう心が出てきました。
心の自動的な反応のような感じです。

そして、自分が一番恐れているのは、人や何かに奪われることだと気づきました。
その原因は、奪われると、自分が弱肉強食の、いつ転落するかもわからない恐い世界を生きるしかないことを認めざるを得なくなるからです。
そういう世界を生きて死ぬしかないことを認めるしかなくなって絶望したくないから、奪われることを恐れています。

鬼和尚さんは以前、そういう世界を生きることは人間として生まれたからには仕方のない報いで、そこから抜け出すには修行するしかないと教えてくださったのですが、恐怖心はそのままです。
普段は、自分のしたことが返ってくるんだと思ってなるべく善行をするようにしています。
そういう真理を知って、普段は普通に生きていられます。
でも、観察すると、本音の恐怖心が出てきます。

悟りに近づくためにはこの恐怖心をどうしたら良いのでしょうか?
この恐怖心を滅することが修行になるのでしょうか?
もしそうなら、どう観察したら良いのでしょうか?

637:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/13(日) 21:26:38 ID:1d4drIFg0 [167/168]
>>632 善い気付きなのじゃ。
 厭離ができたのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>633 そうじゃ、それができれば大悟徹底なのじゃ。
 精進在るのみなのじゃ。

>>632 その恐怖の原因を心の中に探すのじゃ。
 それもまた原因から自動的に起こる反応でしかないと観察して気付けば、消えるのじゃ。
 原因から恐れが起こり、原因が無い時は恐れが無いと観察するのじゃ。
 実践あるのみなのじや。

635:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/13(日) 19:25:10 ID:h5P9mv0k0 [25/25]
ワーケーションという新しい働き方が注目されています。
「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語で、
観光地やリゾート地でテレワーク(リモートワーク)を活用しながら、
働きながら休暇をとる過ごし方のことを言うそうです。

なんだか余裕のある恵まれた人向けの仕事という感じがしてピンときません。
鬼和尚はワーケーションに憧れますか?
みんなが好きな場所で好きな仕事できたらそりゃいいでしょうけど、そんな世の中になりますかね?
誰かは現場でキツイ労働をしないといけないように思うのです。

636:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/13(日) 20:41:41 ID:T8M1UgP60
たたら製鉄で動物の骸を用意すると良い鉄が出来るのはどういった仕組みなのでしょうか?
魂でも吸いとられるのですか?

638:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/13(日) 21:28:54 ID:1d4drIFg0 [168/168]
>>635 わしは憧れたりしないのじゃ。
 それができるものもいるじゃろう。
 誰かは現場にいなければならないじゃろう。
 囚われなくて善いのじゃ。

>>636 動物の肉体に有る燐が役に立つというのじゃ。
 触媒として作用するから鉄が割れなくなるというのじゃ。
 魂は無いのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

53:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/13(日) 21:11:50 ID:Dp/qMVVc0 [29/29]
真理が未知のものである以上、思考によってどうやって知ることができるのか? 思考もまた知られているものだ。努力は全く不合理だ。既知のものから未知のものへの道はない。既知のものが未知のものへと導くことはできない。未知のものは考えることができない。それは不可能だ。既知は既知の輪の中を移動することしかできない。既知の領域の中でどんなに頑張って考えても、その領域を超えることも、その領域から出ることもできない。私は間違いなく移動するだろうが、それは水車を回す雄牛のように、円を描くように移動するだろう。私はどこにも行くことなく、同じ地面を何度も何度も覆うだろう。これまで誰も、考えて真理にたどり着くことはできなかった。その目的地に到達した者は、別の方法でやってきたのだ。私は、マハヴィーラも老子もブッダもイエスも思想家だとは思わない。彼らの達成はどれも思考の結果ではなかった。では、どうやって目的地に到達したのだろうか? それは、思考の道を歩いたのではなく、思考の道から飛び降りたのだ。既知の道を歩いても、未知の世界には到達できない。その道を離れて、未知の中へジャンプしなければならないのだ。

どうか「ジャンプ」という言葉の意味を理解して欲しい。この「ジャンプ」をよく知るのだ。あなたもそれをしなければならない。あなたは思考のレベルに立っている。思考の中に立っていて、思考の中に生きていて、そこからあなたは無思考の領域にジャンプしなければならない。沈黙以外の何もない世界に飛び込まなければならない。あなたは音から静寂へとジャンプしなければならないだろう。このジャンプのことを考えれば、そこに行けるのだろうか? あなたはどうやってジャンプするかを考えるのだろうか? 違う。あなたは再び思考の輪に自分を縛り付けることになり、それはどこにも連れてはいかない。

考えるな – 目を覚ますのだ! 思考の過程を観なさい。それが円の中でどのように移動するかを観なさい。単に観るのだ。そして観ていると、ある幸いな瞬間に、何の努力なしにジャンプが起こり、空虚の底知れない深さにあることを見つけるだろう。既知の海岸を離れた瞬間、あなたのボートは未知の海の上を滑らかに航海していることに気づくだろう。

そして、このように未知の海を航海することは、なんという喜びなのか! 何と表現すればいいのだろう? 落ち着きがないと見ることができない。涙で満たされた目には見えない。それが喜びの涙であろうが 悲しみの涙であろうが 何の違いもない。 何かで満たされた目は真理を見ることができない。真理を見るためには、空っぽの目が必要だ。何も入っていない鏡のような目だけが、すべてのものを見ることができるのだ。

思考では先に進めないことが理論と実践で分かっていても、思考に執着し、期待している感情が残っています。これを厭離するためには原因から観察する必要がありますが、例えばどのような原因があり得るでしょうか?

54:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/13(日) 21:59:45 ID:1d4drIFg0 [25/25]
思考が自分と思うならばそれをもっと詳しく観察すると善いのじゃ。
オショーも思考の過程を観よと言っているのじゃ。
それはただの観念を対象とする道具に過ぎないのじゃ。
思考は対象とする観念がなければ存在しない虚ろな道具なのじゃ。
石の観念があれば石について思考が起きるものじゃ。
おぬしは石についての思考なのじゃろうか。
犬の糞の観念があれば犬の糞についての思考が起きるものじゃ。
おぬしは犬の糞についての思考という存在なのじゃろうか。

そのように対象が無ければ存在し無いものはただの道具であり、在るものではなく、幻想であり空であると観るが善いのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

470:468[sage]:2020/12/13(日) 07:11:16.56 ID:yaL0W8i9
>>469
ありがとうございました。

471:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/12/13(日) 11:15:59.06 ID:mWWYdGNe
人は皆違うからそもそも多様と言えるのでは?と思います。
黒人や白人などという中途半端な仲間を作り、同じ人間という錯覚が差別や他の弊害をもたらすのでは?と。
物事には一長一短があり、攻撃性なども考慮する必要はあると思いますが、それらを社会に求めるのは愚かしいのですかね?

473:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/13(日) 21:23:50.89 ID:XqcLskBU
>>470 どういたしまして、またおいでなさい。

>>471 そうじゃろう。
 社会は無く個人がまとまっているだけなのじゃ。
 社会には何も期待しないようにするのじゃ。
 自分の目標を追求するのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

152:避難民のマジレスさん[]:2020/12/13(日) 13:56:13 ID:YjUB.3ns0
ふむふむ。
小坊主が騒がしい→活気の有る善い寺と、読み解けばよいのでありますね。

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題白樂天像   白楽天の肖像画と題して    
勲業名高白樂天 勲業名高し白樂天
自然流樂絶塵縁 自ねん流樂してじん縁を絶す 叢林こころざしを失す山林のともがら
叢林失志山林輩 叢林こころざしを失す山林のともがら
莫訝雙林寺裡禪 訝るなかれ双林寺りの禪

くま訳
詩の功績を以て名高い白楽天
自然の流れを楽しみ、俗世間から離れる。
禅宗五山叢林派の寺院は志を失ってしまい、山林派と同類になってしまった。
不審に思ってはいけない、公案禅を取り入れた曹洞宗の双林寺における禅を。

*勲業:国家や君主に尽くす働き、仕事。功業。絶塵(読み)ゼツジン
*絶塵:1 俗世間から離れること。絶俗。
*叢林:禅林:禅宗寺院のこと。中世以後の五山制度及びそれに所属していた寺院を一括した総称としても 
 用いられている。
*山林派・林下(りんげ、りんか]);中世以降の臨済宗を中心とする禅寺のうち、在野の寺院を指す呼称 
 である。京都において五山十刹など幕府の庇護と統制下にあった「禅林」または「叢林」の一派に対し、 
 林下は座禅修行に専心する厳しい禅風を特色としている。代表的な林下の寺院としては臨済宗大応派の大 
 徳寺や妙心寺が挙げられる。
*雙林寺 (群馬県渋川市) 1444年 -1452年)、州正伊が開創した寺 一休さん56歳頃
 ↑、くま調べ通りだとすると、京都から遠く離れた群馬の最新情報であります。一休の會裡徒の中には
 曹洞宗の人もいたそうなので、この一件には一休さんが一枚かんでるのかもしれぬと、愚考し 
 てみたである。
*ところで、白楽天は、どのように関連するのか。
 融通無碍な白楽天の生き様が、禅の存亡にかかわる事態に対して、是々非々で臨もうとする一休さんの心 
 情にマッチしたのかなと、これまた、愚考してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

153:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/13(日) 23:40:39 ID:1d4drIFg0 [72/72]
そんな感じじゃな。
林に掛けたのじゃな。
曹洞宗に負けるなというのじゃな。
洒落なのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

421:避難民のマジレスさん[]:2020/12/13(日) 08:01:15 ID:mOloVa0k0
最初と最後の自由 第二部質疑応答 
二九 真理と嘘について 5
 なぜ私たち自身に-表面的にだけでなく、はるかにもっと深く、心理的に-矛盾があるのかを理解することは、可能でしょうか。まず最初に、矛盾した生を生きていることに、気づいているでしょうか。私たちは平和が欲しいのに国家 [・民族]主義者です。私たちは社会的悲惨を避けたい。それなのに私たち各自は個人主義的で、制限され、自己閉鎖的です。私たちは常に矛盾の中で生きています。なぜでしょうか。それは、私たちが感動の奴隷であるから、ではないでしょうか。これは否定されるべきでも、また受け入れられるべきでもありません。それは感動、すなわち願望の含意のたいへんな理解を必要とします。私たちは、すべてが互いに矛盾の中にあるとても多くのものごとが欲しいのです。私たちはあまりに多くの矛盾する仮面です。私たちは、それが自分たちに似合う・都合がよいとき、仮面をつけるし、何か他のものがもっと利益になり、もっと楽しいとき、それを否定します。嘘を造り出すのは、この矛盾の状態です。それに反して・対比して、私たちは「真理」を造り出します。しかし真理は確かに、嘘の対極ではありません。対極を持つものは真理ではありません。対極はそれ自身の対極を含んでいます。ゆえにそれは真理ではないし、この問題をとても奥深く理解するには、私たちがその中で生きている矛盾すべてに気づかなければなりません。私が「私はあなたを愛している」と言うとき、嫉妬、妬み、不安・心配、恐れが伴います-それは矛盾です。理解されなければならないのは、この矛盾です。それに気づく [とき]、どんな非難も正当化もなく気づくとき-たんにそれを見ているとき-だけ、それを理解できるのです。それを受動的に見るには、正当化と非難の過程すべてを理解しなければなりません。
何かを受動的に見ることは、たやすいことではありません。しかしそれを理解するなかで、自分の感じ [方] と考え方の過程全体を理解しはじめます。自分自身の中の矛盾の充分な意義に気づくとき、それはとてつもない変化をもたらします。そのときあなたは、何か自分があろうとしているものではなく、あなた自身です。あなたはもはや理想を追いかけ、幸せを求めていません。あなたはあるがままのあなたです。そこから前進できるのです。そのとき矛盾の可能性はありません。
(´・(ェ)・`)つ

422:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/13(日) 23:45:11 ID:1d4drIFg0 [157/157]
常に矛盾があるのが人の心だというのじゃ。
平和を望んで国家を守るために戦争をしたりするのじゃ。
そのような矛盾を理解するには、矛盾の過程全てに気付かなければならんというのじゃ。
肯定も否定もせずに観る時に変容も起こるのじゃ。
 

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