鬼和尚 2020/12/12(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

629:避難民のマジレスさん[]:2020/12/12(土) 13:30:24 ID:Q53ey9eU0
本来は起きと眠りを境界づけることは出来ないかと思いますが、
凡夫は起きている時には私が存在しているかのような誤認をしています。
起きているという実感は過去の現象を対象化する作用、
すなわちそれが阿頼耶識でしょうか?

630:蓮恵[sage]:2020/12/12(土) 14:12:00 ID:9fglb7a20 [2/2]
>>628
鬼和尚様

返答ありがとうございます
私は老子、荘子から目を慣らしていこうかと思います
鬼和尚さまが金剛経を読んでいたときは、読まれていたのは漢文だったのでしょうか

631:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/12(土) 23:39:58 ID:1d4drIFg0 [166/166]
>>629 その作用をするのが阿頼耶識と言えるのじゃ。
 それもあるものではないがのう。
 囚われずに進むのじゃ。

>>630 わしが読んでいたのは現代文の翻訳だったのじゃ。
 後で買った文庫本は漢文と現代文だったのじゃ。
 いろいろ読み比べてみると善いのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

51:避難民のマジレスさん[sage]:2020/12/12(土) 20:52:40 ID:Dp/qMVVc0 [28/28]
時代の埃が私たちの心の上に積もっている。古い習慣、古い伝統や迷信は、廃墟やさびれた家がクモの巣でいっぱいで、暗闇の鳥が住んでいるのと同じように、私たちを包んでいる。それと同じように、私たちは他人から借りた思考でいっぱいになっている。そして、真実と神についてのこれらの借りられた思考は、大きな障害となる。それらは真実を知ることから私たちを妨げている。そしてそれゆえに、自己の探求、眠っている意識を目覚めさせることができる探求は、決して私たちの中で始まることはない。

人が自分自身で真実を知ることができるようになる前に、他人から借りた知識を自分自身から取り除く必要がある。それは知ではなく、単なる情報だ。帽子の埃を払うように、他の人や古い伝統から得たすべての情報をブラシで払いのけなさい。そうすれば、あなたははっきりとした視界を持つようになり、真実と自分自身の間にあるカーテンはもうそこにはないだろう。思考の群れが壁のようにそれらの間に立っている。

真実について知ることと、真実そのものを知ることの間には、世界の違いがある。真実について知ることは、死んだ、借りた知識への隷属であり、真実そのものを知ることは、自己実現の空(そら)の自由な広がりなのだ。一方はあなたの飛ぶ能力を奪い、他方はあなたを神へ連れて行くことができる翼を与える。

私があなたに空虚について、空(くう)について話しているのは、このような理由からだ。空は思考の重荷を取り除く。人が山に登る前に自分の重荷を平地に置かなければならないのと同じように、人は真理への遠征に出発する前に、思考の重荷から解放されなければならない。登山家は軽くなればなるほど、高く登ることができるようになる。同じように、真理の山に登ろうとする者は、その重荷の無さ、空に比例して高みを目指す。頂点を目指す者、至高の存在を目指す者は、存在が無になる究極の虚無に到達しなければならない。完璧さの頂点は虚無の深淵で起こり、存在の音楽は無存在の沈黙から出てくる – そして、涅槃そのものがブラフマン、創造者、神の実現であることを知る。

できるだけの時間、自分の心を観ようとするのですが、つい忘れてしまうことがあります。あと、観察に疲れたり飽きたりするというのは、観察ができていないという証拠なのでしょうか?

52:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/12(土) 23:44:43 ID:1d4drIFg0 [24/24]
↑それで善いのじゃ。
人は忘れたり、疲れたり、飽きたりすることもあるものじゃ。
その時は誤魔化したりせずに忘れた、疲れた、飽きたと観察するのじゃ。
ただひたすらにありのままに観るのじゃ。

思考の慣習が続く限り、自分を観ることは難しいというのじゃ。
記憶からの投射である思考は今ここにあるものごとから目を逸らさせてしまうからなのじや。
思考を止めるために空を説くのじゃ。
存在が無になるまで空を念じるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

468:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/12/11(金) 23:33:50.00 ID:sB5eB+Ew
鬼和尚、宗教板で鬼和尚の体験は遍計所起色で定果色では無いという人がいます。
遍計所起色と定果色の違いってなんなんですか?

469:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/12(土) 23:36:12.91 ID:Fli+72cl
>>468 遍計所起色とは主観的な思い込みによる妄想の認識対象じゃな。
 定果色とは文字通り、定の成果として現われた認識対象じゃな。
 どちらも有るものではないのじゃ。
 囚われれば障害になるものじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

725:マジレスさん[sage]:2020/12/12(土) 02:32:05.37 ID:D5e6EZD5
>>710
私の影というのは、なんとなくそうかもと思える様になりました。
姿が私のドッペルゲンガーでないのは何故なんでしょうか?
向こうにも思考とかあるのですか?

727:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/12/12(土) 23:37:19.54 ID:Dl4H4a/P
>>725 おぬしが自分ではないと感じるからなのじゃ。
 分身ならば自分がいるとか思うのじゃ。
 何も無いのじゃ。
 幻想なのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

150:避難民のマジレスさん[]:2020/12/12(土) 10:28:01 ID:yBAO6tJo0
原文は↓②③を参考にして、読み下し文は①を参考にしてるのであります。
ここは、鬼和尚解説の通り解釈しないと、意味が通じないでありますね。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・男色
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・勇色 
③狂雲集(民友社・明治42年)・・・勇也    

くま訳改
第4句、女色多情にも勇気を出して厭離するのだ。

246
相國寺沙喝騒動 相國寺しゃかつ騒動
元來長久萬年山 元來長久萬年ざん
葉戦松杉風外聞 葉そよぐ松さん風外の間
済北蔭涼宗風滅 済北の陰涼宗風滅す
白拈手段活機関 びゃくねん手段活機関

くま訳
相國寺沙喝(禅寺の給仕係の少年)騒動・・・何か世間を騒がせた騒動があったのでありましょうか?
元來、長寿の御利益があるといわれれ、萬年山と号す。
葉がそよぐ松杉、街の喧騒から離れたところにあるのだ。
済北庵の虎関禅師の宗風は滅してしまった。
白昼堂々、気づかれぬうちに、虎関禅師は禅師の活策略を発揮していたのだ。

*相國寺:臨済宗相国寺派の大本山。山号は万年山。開創は1383年、開基は足利義満、師の夢窓疎石が第1 
 世。京都五山の第二位。
*沙喝(しゃかつ)沙弥喝食(しゃみかつしき)の略:禅宗の寺院で、食事の時に食物の名を唱え、給仕を
 する少年。沙喝(しやかつ)。喝食(かつしき)。
*済北:虎関の庵の名称。『済北集』とは、虎関師錬が著したもので全20巻からなる。五山文学(鎌倉時
 代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学)の一つ。
*虎関師錬(こかんしれん1278-1346)諡号 本覚国師、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。
 漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。白河済北庵で『元亨釈書』を著した。
*陰涼(いんりょう): 物陰になっていて涼しいこと。
*白拈賊:碧眼録に雪峰禅師が、臨済禅師を「大いに白拈賊に似たり」と評するくだりあり。白昼に堂々と 
 仕事をする盗賊のこと。昼間でも人目につくことなく巧みに盗みをはたらくほど機敏な者、つまり相対し 
 ているヒトが気づかないうちにスッと迷いや煩悩を吸い取ってくれる導師だと評している
*活作略:作略は師家が弟子を導くために用いる方法は、手段のこと。いきいきとした適切な手段。
(´・(ェ)・`)つ

151:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/12/12(土) 23:48:38 ID:1d4drIFg0 [71/71]
小坊主が騒がしかったのじゃな。
今も昔も子供は騒がしいものじゃ。
むしろ活気があると言えるのじゃ。
活気の有る善い寺というのじゃな。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

419:避難民のマジレスさん[]:2020/12/12(土) 08:14:42 ID:v4WToSgY0
最初と最後の自由 第二部質疑応答 
二九 真理と嘘について  4

 なぜ私たちには矛盾があるのでしょうか。私は何かをしました。そしてそれを発見されたくないのです。私は何か目標・水準に及ばない・達していないことを考えました-それが私を矛盾の状態に置きます。私はそれが好きではありません。近似があるところ、恐れがあるにちがいないし、矛盾するのは、この恐れです。ところが、 [何かに]なることがなく、何かであろうと試みることがないなら、そのとき恐れの感覚はありません。矛盾はありません。意識的、無意識的に、どんな水準でも、私たちに嘘はありません-何か抑圧されるもの、何かあばかれるもの [はありません]。私たちの生のほとんどは、気分と・姿態の事柄なので、自分たちの気分に依存して、気取るのです-それは矛盾です。気分が消えるとき、私たちはあるがままの私たちです。ほんとうに重要なのは、あなたが丁重な・優雅な、罪のない・汚れのない嘘を言うか、そうでないかどうかではなく、この矛盾です。この矛盾が存在しているかぎり、表面的な存在 [があるにちがいないし]、ゆえに守られなければならない表面的な恐れがあるにちがいありません。そのとき罪のない嘘と-知っているでしょう-その他すべてが続きます。何が嘘なのか、何が真理なのかを訊ねるのでなく、これらの対極なしに、この問題を見ましょう。私たち自身の中の矛盾の問題に入りましょう-それは極めて難しいのです。なぜなら私たちはあまりにも感動に依存しているからです。私たちの生のほとんどは矛盾しています。私たちは記憶に、意見に依存します。私たちは覆い隠したいと思うあまりに多くの恐れを持っています-これらすべてが自分たち自身に矛盾を造り出します。その矛盾が耐えられなくなるとき、理性・正気を失います。人は平和が欲しいのに、人がするあらゆることが、家族においてだけでなく、外側でも、戦争を造り出します。何が葛藤・抗争を造り出すのかを理解するかわりに、私たちはますます一つのものや他のもの、対極になろうとするだけです。よってより大きな分裂を造り出しています。
(´・(ェ)・`)つ

420:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/12/12(土) 23:52:53 ID:1d4drIFg0 [156/156]
矛盾は何からなろうとか、何かであろうとする時にあるというのじゃ。
矛盾があれば恐れもあると言うのじゃ。
矛盾に絶えられなくなると理性を失うというのじゃ。
それが戦争やより大きな分裂を作り出すのじゃ。
 

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