鬼和尚 2020/11/18(水)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

478:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/17(火) 23:08:31 ID:VHpJSyVE0
>>475
ありがとうございます。
読ませていただきます。

479:82[sage]:2020/11/18(水) 10:39:24 ID:Mruvi9Tc0
>>406
鬼和尚さん、ありがとうございます。
どう観察したらいいのかを思いつきました。
夢の中にいる自分を観察してみました。

夢の中から戻れなくなる自分を観察すると、とても寂しく、それでこの世に持っているものを自分だと思っていることに気づきました。
記憶や過去や未来を持っているものを自分だと思っていました。
気づいてしまうと記憶を持たないことを寂しく思わなくなりました。

その後、鬼和尚さんはさらに進むようにブログに書いてくれているので、次は寂しくないと思っている自分を観察してみました。
残っているのは薄っぺらい、空っぽの自分ですが、まだそれに執着していました。
死を乗り越えられるかどうかでわかるとブログにあったので観察してみたら、死ぬのがまだ怖かったからです。
肉体がなくなると、寂しくないと思うこともできなくなるので、怖いし寂しいです。

はっきり言って薄っぺらい空っぽの自分なので、寂しくても寂しくなくてもほとんどどうでもいいはずなのですが、無意識に恐怖が生じます。
ここから先はどう観察したら良いでしょうか?

480:避難民のマジレスさん[]:2020/11/18(水) 12:37:11 ID:2fk4qEBA0
和尚さん、無認識だと夢は見ないけど、無我は夢を見るのでしょうか?
無認識(大悟徹底)に至った人は夢を見ない以外にどのような特徴が現れてくるのか教えてくださいm(__)m

481:避難民のマジレスさん[]:2020/11/18(水) 12:54:26 ID:.ykewGRw0
いつも教えていただきありがとうございます。
数息観での座り方ですが、私の場合、いくつか試して来た結果、今は両足を床につける安楽座で、
坐蒲を使って丹田に上半身の重圧がかかるように体勢の調整をしています。
快の感覚はあるようなないようなといったところで、脱力しだいで感じるような気がしますが勘違いかもしれません。
丹田は熱くならないけども、足の裏が熱くなる感覚があります。15分くらいで尻が痛くなってきて集中力が途切れてしまいます。
このまま続けてよろしいでしょうか?

486:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/18(水) 21:57:07 ID:1d4drIFg0 [127/128]
>>479 その薄っぺらい自分から恐れが起こるのを見るのじゃ。
 自分の観念が無い気、その恐れも無いことを観察するのじゃ。
 何度も何度も観察すればそれは消えるのじゃ。
 寂しさも同じように実践すれば消えるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>480 見るのじゃ。
 まだ観念が残っているからのう。
 無意識の観念が浮かんでくるのじゃ。
 
 時々止まるじゃろう。
 行いも思考も止まるのじゃ。
 マハリシの動画とかを見てみると善いのじゃ。

>>481 それでよいのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

482:避難民のマジレスさん[]:2020/11/18(水) 13:57:13 ID:aB6Ups/s0
鬼和尚様

ラマナマハルシや鈴木大拙の本を読んだら神について書いてあるのですが鬼和尚様は神は存在しないと仰ってましたよね?ではこの2人の言う神とは何を指しているのでしょうか?

483:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/18(水) 18:34:05 ID:czRftzgI0 [24/24]
>473
おっしゃるとおりです。精進します。ありがとうございました

484:龍閃[sage]:2020/11/18(水) 21:34:11 ID:NaiMDmXA0
天人は娑婆世界に関わることはできるのですか?
逆に人間が天に関わることはあり得ますか?

485:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/18(水) 21:36:37 ID:Dp/qMVVc0 [4/4]
鬼和尚、
オショーの初期瞑想キャンプの講話を見つけたので、意味を確かめながら翻訳していきたいと思います。意味を取り違えていないかと、悟りに導くコメントをお願いします。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

The Perfect way
http://www.sadgurus-saints-sages.com/books/Osho/The%20Perfect%20Way.pdf

487:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/18(水) 22:04:43 ID:1d4drIFg0 [128/128]
>>482 それは人々が持つ観念なのじゃ。
 神の観念を持つ者には神を説くのじゃ。
 お釈迦様も人に聞かれたら神はいると答えたのじゃ。
 なぜそのようなことを言うのかと聞かれたら、人がそういうからだと答えたのじゃ。
 
 神は人が親の観念から創造した囚われに過ぎないものじゃ。
 それに囚われる者が居れば、それについて説かなければ実践しないから説くのじゃ。
 梵住経ではブラフマンと共に住む法として、ウパニシャッドのブラフマンの法を説いているのじゃ。
 神の観念に囚われている者に、居るとかいないとか説いても実践はしないからなのじゃ。

>>483 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>484 出来るのじゃ。
 しかし、人間が蟻の世界に関わらないように無意味であるから関わらないのじゃ。
 それもできるのじゃ。
 多くの善事を積んだ者ならば垣間見ることが出来るのじゃ。
 稀にではあるがのう。
 
>>485 ご苦労さんなのじゃ。
 行って見るのじゃ。

オショーのSadhana Pathを読んで実践する
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1605702581/

1:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/18(水) 21:29:41 ID:Dp/qMVVc0 [1/2]
Sadhana path 修行の道
第1章 ようこそ
私は深い闇に包まれた人間を見ている。彼は暗い夜にランプが消された家のようになっている。彼の中の何かが消えてしまった。しかし消えてしまったランプは再び点火することができる。

私はまた、人間がすべての方向を失っていることが分かる。彼は公海で道を失った船のようになってしまった。彼はどこに行きたいのか、何になりたいのかを忘れてしまった。しかし、忘れられていたことの記憶は、彼の中で再び目覚めさせることができる。

闇はあっても、絶望する理由はない。闇が深ければ深いほど、夜明けは近い。沖合で私は全世界の霊的な再生を見ている。新しい人間が生まれようとしており、私たちはその誕生の苦しみの中にいる。しかし、この再生には私たち一人一人の協力が必要だ。それは、私たちを通して、私たちだけで起こる。私たちはただの見物人でいる余裕はない。私たちは皆、自分自身の中でこの再生の準備をしなければならない。

新しい日が近づいてきて、夜明けを迎えるのは、私たち自身が光で満たされたときだけだ。それは、その可能性を現実に変えるのは私たち次第だ。私たちは皆、明日の建築物のレンガであり、未来の太陽が誕生するための光線なのだ。私たちはただの見物人ではなく、創造者なのだ。しかし、必要なのは未来の創造だけではなく、現在そのものの創造であり、自分自身の創造なのだ。自分自身を創造することによって、人間は人間らしさを創造するのである。個人は社会の構成要素であり、進化も革命も彼を通して起こることができる。あなたはその構成要素だ。

だからこそ、あなたを呼びたい。眠りから目覚めさせたい。あなたの人生が無意味で役に立たない、退屈なものになっているのがわからないだろうか?人生はすべての意味と目的を失っている。
――
これは1964年6月、オショーの初の瞑想キャンプでの講話です。
私が修行の道に入ったのも、何をしても最後には死によって失われてしまうと実感し、せめてその前に真実を知りたいと切望したからでした。
オショーが「記憶は、…目覚めさせることができる」と言っているのは、自我が無いときの記憶という意味なのでしょうか? それとも、何かを象徴していますか?

2:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/18(水) 22:10:39 ID:1d4drIFg0
それは悟りの喩えじゃな。
悟りは他に求めるものではなく、自分の心の奥にあることを喩えているのじゃ。
全て忘れてしまった者の記憶のように、悟りは何も感じない者の心の奥底にあるというのじゃ。
仏教では仏性と言ったりするものじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

369:避難民のマジレスさん[]:2020/11/18(水) 17:19:28 ID:CtskuhVw0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
二一 性について 3

 あなたは、問題について考える精神を理解しないかぎり、性はとてつもなく難しく複雑な問題になります。行為自体は決して問題ではありえません。しかし行為についての思考が問題を造り出すのです。あなたは行為を守ります・保護します。あなたはだらしなく・いいかげんに生きたり、結婚に耽る・身を任せたりします。よって自分の妻を娼婦にしているのです-それは見たところ・外見上、すべてとても体裁よく見えます。それであなたはそれくらいにしておくことに満足するのです。確かに、あなたが「私」と「私の」-私の妻、私の子ども、私の財産、私の車、私の達成、私の成功-の過程と構造全体を理解するときだけ、問題は解決できるのです。あなたがそのすべてを理解して解決するまで、性は問題として残っているでしょう。あなたは、政治的、宗教的、どのようにでも野心的であるかぎり、野心-個人としてのあなた自身の名においてでであれ、国の、党派の、宗教と呼ぶ観念の名においてであれ-で養う・飼い育てることにより自己を、思考者を、経験者を強調しているかぎり、この自己拡大の活動があるかぎり、性的問題を持つでしょう。あなたは一方で自分自身を造り出し、飼い育て・養い、拡大しながら、他方で瞬間だけでも・当分の間だけでも、自分自身を忘れよう、自分自身を失おう・我を忘れようとしているのです。どうして二つが共存できるでしょうか。あなたの生は矛盾です-「私」の強調と「私」を忘れることは、です。性は問題ではありません。問題は、あなたの生におけるこの矛盾です。そして矛盾は、精神により橋渡しできません。なぜなら、精神自体が矛盾であるからです。あなたが自分の日常の存在の過程全体を、充分に理解するときだけ、矛盾は理解されうるのです。映画に行ってスクリ-ンの女性たちを見つめること、思考を刺激する本や半裸の写真を載せた雑誌を読むこと、女性たちを見るあなたの仕方、あなたの [視線] を捕らえる・つかむこそこそした視線・まなざし-これらすべてのものごとが、誤った自己の強調の仕方をとおして、精神を助長していると同時に、あなたは親切で、愛情を持って、優しくあろうとしているのです。二つは共存できません。霊的にせよそうでないにせよ、野心的である人は、決して問題なしではありえません。なぜなら、自己が忘れられるとき、「私」が存在していないときだけ、問題は止むからです。そして自己が存在していないその状態は、意志の行為 [・作用]ではありません。それはたんなる反応ではありません。性は反応になります。精神が問題を解決しようとするとき、それは問題をもっと混乱させ、もっとやっっかいに・面倒に、もっと苦痛にするのです。行為が問題ではなく、精神が-それは純潔でなければならないと言う精神が、問題です。純潔は精神のものではありません。精神はそれ自身の活動を抑圧できるだけです。抑圧は純潔ではありません。純潔は美徳ではありません。純潔は育成できません。謙虚さを育成している人は、確かに謙虚な人ではありません。彼は自分のうぬぼれ・高慢さを謙虚さと呼ぶかもしれません。しかし彼は高慢な・傲慢な人です。そういうわけで、彼は謙虚になろうと努めるのです。高慢さは決して謙虚さになれませんし、純潔は精神のものごとではありません-あなたは純潔になれません。愛があるときだけ、あなたは純潔を知るでしょう。愛は精神のものでも、また精神のものごとでもないのです。
(´・(ェ)・`)つ

370:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/11/18(水) 21:52:20 ID:1d4drIFg0 [132/132]
問題について考える時、それはとてつもなく難しく複雑な問題になるというのじゃ。
そこには欺瞞があるからなのじゃ。
自分のものという観念への囚われと、自分を忘れようとする逃避の矛盾になるのじゃ。
高慢な者が謙虚に成ろうと努力するのと同じなのじゃ。

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