鬼和尚 2020/11/16(月)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

465:避難民のマジレスさん[]:2020/11/16(月) 05:50:35 ID:qeIDuOOU0 [1/7]
464
「考える我はない」と気付いている「気付き」があるではないですか?この「気付き」は何ですか?また鬼和尚は「全てを見ている者がいるじゃろう」と言っています。つまり認識者の存在を認めている訳ですよね。
いたずらに仏教を特別扱いするのは、これもまた執着だと思います。

466:避難民のマジレスさん[]:2020/11/16(月) 05:52:35 ID:qeIDuOOU0 [2/7]
「客観はない」と言うのも現象学のスタートラインです。

467:避難民のマジレスさん[]:2020/11/16(月) 06:20:16 ID:qeIDuOOU0 [3/7]
鬼和尚のコメントからすると
心=記憶の集合体と考えてらっしゃるようです。
数息観をすると、記憶からの連想(心による創作活動)が止み、「数字を数える」と言う作業に向かう訳ですね。数字を数えていることは、記憶の連想ではないですからね。
と言うことは、別に数字でなくても良く、目をつぶった時に現れる瞼の裏の光の観察でも良いわけです。違いますか?
ただ、「数えられている数」は物理的光よりも、より「心的現象」に近いと言うことは言えるでしょう。数えられている数は、物理的には存在しない訳ですから。数えられている数は心理現象な訳です。つまり、数息観をすることよって「心理現象を観察する」と言う態度(準備)を確立する訳ですね。
これは、心理現象か物理現象かに関わらず、「現れ」をあらわれるがままに観察し、記述すると言う現象学の技法に近いと言えます。
ただ、仏教の方がより直観主義的で、記述にさほど関心がないのに対して、学問としての現象学は記述に力をいれて、観察内容を他者と共有し検討する事を重視している違いはありますが、仏教にもこの側面が全く無い訳ではない。座禅の仕方や悟りに至るまでの過程を詳細に記述している学派もある。つまり、これは「座禅の現象学」であり「悟りの現象学」と言う側面もあるわけです。
やはり、現象学は学問だから、言語化と共有の方に力点が置かれており、「悟り」を目指している訳ではないからね。
やはり、究極的には「似て非なるもの」ではあるよね。修行の成果を共有しようと言う視点が強いところは、「大乗的」とも言えるのかもしれないけれど。

468:避難民のマジレスさん[]:2020/11/16(月) 06:24:24 ID:qeIDuOOU0 [4/7]
登山に例えると仏者は最短で山を登頂することが目的で、現象学者は登頂し、かつ「登山記」を書くことが目的となる。

469:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/16(月) 21:17:35 ID:1d4drIFg0 [124/124]
>>465 気づきは能力なのじゃ。
 見ているものとは自我ではないのじゃ。
 
>>466 それもただの観念なのじゃ。
 観念遊戯なのじゃ。

>>467 わしは心は記憶とは考えていないのじゃ。
 心には思考とか感情とか分別等の働きもあるからのう。
 それは記憶ではない働きなのじゃ。
 それはおぬしの妄想なのじゃ。
 今ここに書くとおりおぬしは自分の信念に従って妄想を披露しただけのじゃ。
 思考はそのように妄想を繰り返すだけなのじゃ。

 数息観は観察する態度を確立するものではないのじゃ。
 わしの書いたことを全く理解せずに自分の記憶による妄想だけを繰り返しているのじゃ。
 わしが書いた通りなのじゃ。
 先ずわしの書いたことを理解出来なければ話にもならないのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

585:マジレスさん[sage]:2020/11/15(日) 19:30:00.93 ID:XlZjLdnl [2/2]
鬼和尚とかいう統失なんかボロカスのタコ殴りに論破されまくって、終わりの頃には逃げ回ってたからね。
今は定期的にコピペを貼って即逃げしてるみたい。

590:マジレスさん[sage]:2020/11/15(日) 23:17:52.21 ID:eAMjIdXA
>>589
あれ、鬼和尚?

松沢病院から退院ですか?

592:マジレスさん[sage]:2020/11/16(月) 14:11:39.20 ID:esXg26gA [1/2]
>>585
タコ殴りにしたというのはあなたの妄想なんじゃないですか?
御覧なさい
未だに鬼和尚は平然と活動を続けていますよ?

593:マジレスさん[sage]:2020/11/16(月) 14:13:51.07 ID:esXg26gA [2/2]
>>589
流石は真実を見通す目を持つ鬼和尚
荒らしなんかに負けずにこれからも頑張ってくださいね
応援しています

594:マジレスさん[sage]:2020/11/16(月) 14:24:45.20 ID:WBMUn3wq
>>592
あぁ、隔離スレでなんだかやってるみたいだね。

しかも、その隔離スレって瞬殺された人達をアク禁にしてまで自問自答をしてるだけらしいよ?

実力があるのなら宗教板で一目浴びてるでしょ。

595:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/11/16(月) 21:19:23.02 ID:AUXpOzKq
>>590 おぬしは東京に生まれ育った者じゃな。
 何でもお見通しなのじゃ。

>>593 おぬしもそれがわかるとはさすがなのじゃ。
 愚者に惑わされずに修行に励むのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

94:避難民のマジレスさん[]:2020/11/16(月) 20:28:24 ID:cbNVEJfo0
224
地獄 二首 2/2
黄泉境界幾多勞 くわうせんの境がい幾ばくか勞す
劒是樹頭山是刀 剣は是れ樹頭 山は是れたう
朝打三千暮八百 朝打三千ぼ八百
目前獄率眼前牢 目前は獄率眼前は牢

くま訳
黄泉の国へ行く境界線を越えて行くのは、幾らか苦労するのだ。
地獄の樹木は剣で出来ており、山には刀が植えてあるのだ。
禅修業では、朝三千、暮八百、警策で打たれるのだ。
目前には獄率が警策を持って立ち、眼前には、地獄の牢獄があるのだ。

*剣樹:枝・葉・花・実などがすべて剣でできているという地獄の樹木。
*刀山(トウセン):地獄にあるという、刀剣を植えた山。つるぎの山。
(´・(ェ)・`)つ

95:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/16(月) 21:09:57 ID:1d4drIFg0 [46/46]
黄泉の境界には幾多の労苦があると言うのじゃ。
つまり死ぬ時のことじゃな。
死の恐れと苦痛が剣の樹とか刀の山の如く襲い掛かるのじゃ。
朝には三千も打たれ、暮れには八千も打たれるような苦なのじゃ。
そして目の前には地獄の羅卒がいて牢がある如くなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

365:避難民のマジレスさん[]:2020/11/15(日) 21:54:53 ID:EYmr2PAU0
鬼和尚、いつもありがとうであります。

最初と最後の自由 第二部質疑応答
二一 性について 1

質問
 私たちは逃避できない身体的、心理的必要としての性を知っています。そしてそれは、私たちの世代の私的な生における混沌の、根本原因であるように見えます。どうすれば私たちはこの問題を取り扱えるのでしょうか。

 私たちは、自分たちが触れるものは何でも、問題に変えてしまうのは、なぜでしょうか。私たちは神を問題にしました。愛を問題にしました。関係を、生きることを問題にしました。そして性を問題にしました。なぜでしょうか。なぜ、私たちがするあらゆることが問題、恐怖なのでしょうか。なぜ私たちは苦しんでいるのでしょうか。なぜ性が問題になってしまったのでしょうか。なぜ私たちは、問題とともに生きることに服従する・甘んじるのでしょうか。なぜそれらを終わらせないのでしょうか。なぜ来る日も、来る年も、自分たちの問題を持ち運ぶかわりに、それらに対して死なないのでしょうか。性は確実に今日的な意義のある・当を得た問題です。しかし第一の・主要な問題があります-なぜ私たちは生を問題にするのか、です。働くこと、性、金を稼ぐこと、考えること、感じること、経験すること-知っているでしょう、生きることにかかわること全体を-なぜそれは問題なのでしょうか。それは本質的に、私たちがいつも特定の視点から、固定した視点から考えるから、 ではないでしょうか。私たちはいつも中心から周辺に向かって考えています。しかし周辺が、私たちのほとんどにとって中心であるし、そのため私たちが触れるどんなことも表面的です。しかし生は表面的ではありません。それは完全に生きることを要求します。私たちは表面的にだけ生きているから、表面的な反動・反応だけを知っているのです。私たちが周辺でするどんなことも、必然的に問題を造り出すにちがいありません。それが私たちの生です。私たちは表面的なもののなかで生きています。そして表面的なものの問題すべてとともに、そこで生きることに満足しています。私たちが表面的なもののなかで、周辺で生きるかぎり、問題は存在しています-周辺は「私」とその感動・感覚です。それは客観化されることも主観的になることもできます。それは普遍的なものと、国と、精神により作り上げられた何か他のものと同一化されることもできます。
 私たちが精神の領域の中で生きるかぎり、複雑さがあるにちがいありません。問題があるにちがいありません。それが、私たちが知っているすべてです。精神は感覚です。精神は蓄積された感覚と反応の結果です。それが触れるどんなものも、必ず悲惨、混乱、終わりなき問題を造り出します。精神-昼も夜も、意識的、無意識的に機械的に働いている精神-が、私たちの問題のほんとうの原因です。精神はもっとも表面的なものです。私たちは精神を育成することに、それをますます利口に、ますます微妙に、ますますずるがしこく、ますます不正直で曲がったものにすることに、数世代を使ってきましたし、自分たちの生全体を使います-そのすべては、私たちの生のあらゆる活動において明らかです。まさに私たちの精神の本性そのものが、不正直で曲がって、事実に向き合う能力がないことです。それが問題を造り出すものです。それが、問題自体であるものです。
(´・(ェ)・`)つ

366:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/11/16(月) 21:06:51 ID:1d4drIFg0 [130/130]
性が問題という者に何も問題は無いというのじゃ。
それを問題にするのは宗教的な信念によるものなのじゃ。
観念によって作り出された問題に過ぎないのじゃ。
それを見ることができれば問題は何も無いのじゃ。

コメント

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