鬼和尚 2020/11/12(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

453:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/12(木) 19:19:51 ID:h5P9mv0k0 [18/18]
現代でまかり通っている医学常識で健康維持・増進には何の役にも立たないというものはありますか?
一日30品目とかは否定されているようです。

玄米はミネラルを排出するから貧血になる、有機野菜は寄生虫の心配がある、砂糖は脳の栄養源、
止めるのがストレスならタバコは吸った方がいい(肺癌とタバコに因果関係はない)、動物性タンパク質不足は病気を招く、
無農薬野菜は発がん性の危険あり。

最近読んだ学者の本では上記のようなことが書かれていました。
専門家も人によって言ってることが全く違うので何を基準に置いて考えるべきなのか難しいです。

454:善慧[sage]:2020/11/12(木) 20:22:52 ID:Q5d60WRs0
鬼和尚さま、心よりお礼申し上げます。良い師に巡り会えたことを両親に伝えたいです。
まことでないものを、まことであると見なしていたのは、私自身も同様でした。
寂しくて迎合するために、ずっと自分を偽っていたので、好きな食べ物すら疑わしいのです。
修行的には遠回りですが、これから自分の中の真を少しずつ見つけたいと思います。
鬼和尚さま、この度は本当にありがとうございました。

455:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/12(木) 21:48:42 ID:1d4drIFg0 [120/120]
>>453 玄米は体に善いものじゃ。
 ちゃんと作れば有機野菜も善いのじゃ。
 砂糖よりははちみつとか果糖がよいのじゃ。
 たばこはいかんのじゃ。
 動物性蛋白質はかん゛になるのじゃ。
 
 昔の自然の暮らしに戻るのが善いのじゃ。
 そのような基準をもつと善いのじゃ。

>>454 どういたしまして、またおいでなさい。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

369:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/11/12(木) 19:10:28.24 ID:c9XWgtti
株で50万くらい含み損があります。
そのうち値上がりするだろうと根拠のない思い込みを持ったのが大失敗でした。
最近は日経平均が好調ですが、買った株が悪くて全く上がる気配がありません。
高い勉強代と諦めてすぐに売却すべきでしょうか。

370:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/11/12(木) 21:52:39.39 ID:SbP6OrS1
↑損切りしたらよいのじゃ。
 損きりが苦手な者は配当金狙いの株を買って増やすとよいのじゃ。
 日本では高く売れる株主優待を狙うのも善いのじゃ。
 配当金でまたその株を買い足していくと、複利になるから意外に早く資金が増大するのじゃ。
 REITも買うと善いのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

88:避難民のマジレスさん[]:2020/11/12(木) 20:12:18 ID:1HJphfiA0
221
童謡 二首 1/2
童謡逆耳野村謳 童謡耳にさからふやそんの歌
唱起家々亡國愁 唱起すかか亡國の愁
十年春雨扶桑涙 十年春雨扶桑の涙
稼穡艱難廃址秋 かしょく艱難廃址の秋

武田鏡村先生訳
近ごろの子どもがうたう歌を聞くと、野卑な歌ばかりで耳になじまない。
あちこちの家々では、国を亡ぼすような歌をうたい始めたぞ。
この十年ふりつづいた春雨は、日本の国の涙にほかならない。
生計するも困難な廃墟にも秋はめぐってくる。

くま訳 
童謡は耳障りな、下品な歌である。
このような歌が、巷で歌われるとは、亡国の兆しではないかと愁う。
十回目の春雨の時季節を迎えた、日本国の涙であろう。
農作業をして刈入ををするのも困難な大徳寺炎上後の廃墟にも、秋は廻り来る。

*鄙野(ヒヤ)下品で洗練されていないこと。また、そのさま。野卑
*逆耳: 耳障りである,耳に痛い
*鄭衛之音、亂世之音也、比於慢矣。桑間濮上之音、亡國之音也、其政散、其民流、誣上行私而不可止也。
『礼記』・楽記  
禮記の樂記に曰く、「鄭衛の音は乱世の音なり、慢に比し、桑閒濮上の音は亡國の音なり、其の政は散じ、 
其の民は流す、上を誣ひ、私を行ひ、しかして止むべからず」と。即ち其の鄙野の音を聞いて愁ふるなり。
*廃址(ハイシ):建物や城などのすたれたあと。
*濮上之音 :(ぼくじょうのおん):国を滅ぼすような淫乱な音楽のこと。春秋時代、衛の霊公が濮水の 
 ほとりで聞いた音楽が気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が殷を滅亡させた淫 
 靡な音楽だといってやめさせた故事から。
 鄭衛之音(ていえいのおん): 同 濮上之音。「鄭」と「衛」は春秋時代の国の名前で、両国の音楽はみ 
 だらなものであったとされている。『礼記』「楽記」
(´・(ェ)・`)つ

89:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/12(木) 21:45:57 ID:1d4drIFg0 [43/43]
中国の迷信では国が滅びる時は先ず子供の歌に兆しが現われるというのじゃ。
今おかしな童謡が聞こえるのも亡国の予兆ではないかというのじゃ。
十年も続く雨は日本の涙なのじゃ。
乱世で仕事もなく廃れていく家々があるばかりなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

356:避難民のマジレスさん[]:2020/11/12(木) 20:14:11 ID:1HJphfiA0 [1/2]
最初と最後の自由 第二部質疑応答
十九 祈りと瞑想について 4

 瞑想の始まりは自己認識です-それは、思考と感情のあらゆる動きに気づくこと、自分の意識の層すべてを-表面的な層だけでなく、隠れた、深く隠された活動を-知ることです。深く隠された活動、隠れた動機、応答、思考、感情を知るには、意識的精神に平静さがなければなりません。すなわち、意識的精神は、無意識の投影を受け取るために静かでなければなりません。表面的、意識的精神は、その日常の活動、生計を立てること、他の人たちを欺くこと、他の人たちを利用する [・搾取する]こと、問題から逃げ出すことに-私たちの存在の日常の活動すべてに-携わって・従事しているのです。その表面的精神は、それ自身の活動の正しい意義を理解して、よってそれ自体に平静さをもたらさなければなりません。それは、たんなる厳しい管理により、強制により、修練により、平静さ、静けさをもたらせません。それは、それ自身の活動を理解することにより、観察することにより、気づくことにより、それ自身の無慈悲さが-それが召使いに、妻に、娘に、母などに、どのように話しかけるのかが-わかることによってだけ、平静さ、平和、静けさをもたらせるのです。表面的、意識的精神が、その理解をとおして、そのすべての活動に、こうして充分に気づくとき、それは強制により麻痺させられたり、願望により厳しく管理されて [静かになるの]ではなく、 自発的に静かになるのです。そのとき、それは、無意識の、精神の多くの多くの隠れた層の-人種的本能、埋もれた記憶、隠された追求、まだ癒されていない深い傷の-ほのめかし、暗示を受け取る位置にあるのです。それが永遠のものを受け取る位置にあるのは、これらすべてがそれら自体を投影してしまって理解されるとき、意識全体が重荷を負っていない [とき] 、どんな傷によっても、どんな記憶によっても、まったく足かせをはめられていないときだけです。
 瞑想は自己認識です。自己認識なしに、瞑想はありません。あなたがいつのときも自分の応答すべてに気づいているわけではないなら、自分の日常の活動を充分に意識し、充分に認識していないなら、たんに部屋に閉じこもって、自分の、自分の大師の写真の前に坐って瞑想することは、逃避です。なぜなら、自己認識なしに正しい考えはないし、正しい考えなしには、あなたのすることは、たとえどんなにあなたの意図が高尚であっても、意味がないからです。こうして祈りは、自己認識なしには意義がありません。しかし自己認識があるとき、正しい考え [があるし]、ゆえに正しい行動があるのです。正しい行動があるとき、混乱はないし、ゆえにあなたをそれから導き出す他の誰かへの懇願はないのです。充分に気づいている人は、瞑想しています。彼は祈りません。なぜなら、彼は何も欲しくないからです。祈りをとおし、厳格な統制をとおし、反復とその他すべてをとおして、あなたは一定の静けさをもたらせます。しかし、それはたんなる鈍さであり、精神と心を疲労困憊状態に陥らせるのです。それは精神を麻痺させることです。そして排除-あなたが集中と呼ぶもの-は、真実につながりません-どんな排除も決してできません。理解をもたらすものは自己認識です。そして正しい意図があるなら、気づくことは、あまり難しくありません。あなたが自分自身の過程全体を-たんに表面的な部分だけではなく、あなたの存在全体の総合過程を-理解することに興味を持っているなら、そのとき、それは比較的たやすいのです。あなたはほんとうに自分自身を知りたいなら、自分の心と精神を探し出して、それらの充分な内容を知るでしょう。知ろうとする意図があるとき、あなたは知るでしょう。そのときあなたは非難や正当化なしに、思考と感情のあらゆる動きに付いていけるのです。あらゆる思考とあらゆる感情が生じるままに付いていくことにより、あなたは平静さをもたらします-それは、強制されたのではなく、厳しく管理されたのではなく、なんの問題も、なんの矛盾も持たないことから出てきたものです。それは、風のない夜・夕べに、穏やかに、静かになる池に似ています。精神が静かであるとき、そのとき、測ることのできないものが生じるのです。
(´・(ェ)・`)つ

357:避難民のマジレスさん[]:2020/11/12(木) 20:34:25 ID:1HJphfiA0 [2/2]
最初と最後の自由 第二部質疑応答
二十 意識と無意識の精神(意識的 [精神]と無意識的精神)について 1
質問
 意識的精神は、無意識的精神について無知で [あり] 、[それを] 恐れています。あなたは主に意識的精神に呼びかけて・に取り組んでいますが、それで充分でしょうか。あなたの方法は、無意識の解放をもたらすでしょうか。どうすれば充分に無意識的精神に取り組めるのか、どうか詳細に・詳しく説明してください。

私たちは、意識的と無意識的精神があることに、気づいています。しかし私たちのほとんどは、意識的な水準で、精神の上の層においてだけ機能します。それで私たちの生全体は、実質的に・実際上それに制限されるのです。私たちは、いわゆる意識的精神に住んでいるので、 [そこから] たまに・ときにほのめかし、暗示がある [ところの] より深い無意識的精神に、決して注意を払わないのです。その暗示は今のところ、私たちの特定の意識的要求に応じて、無視され・軽視されたり、歪曲されたり、翻訳されたりするのです。そこで質問者は、「あなたは主に意識的精神に呼びかけていますが、それで充分でしょうか」と訊ねます。私たちのいう意識的精神とはどういう意味なのかを、見てみましょう。意識的精神は、無意識的精神とは違っているのでしょうか。私たちは意識を無意識から分割しました。これは正当化されるでしょうか。これは真実でしょうか。意識と無意識の間に、そういう分割があるでしょうか。意識が終わって無意識が始まる [ところの] 明確な障壁、境界線があるでしょうか。私たちは、上の層、意識的精神が活動していることに気づいています。しかしそれが、一日中活動してる唯一の道具でしょうか。もしも私がたんに意識の上の層にだけ呼びかけていたなら、そのとき確かに私の言っていることは、価値がないでしょう。それは意味がないでしょう。けれども私たちのほとんどは、意識的精神が受け入れたことにすがりつくのです。なぜなら、意識的精神は、一定の明白な事実に適応することが都合がいいことを、見つけるからです。しかし無意識は反逆・反抗するかもしれないし、しばしばそうします。それでいわゆる意識と無意識の間に葛藤があるのです。
 ゆえに私たちの問題は、こうなのではないでしょうか。実のところ、意識と無意識といったような二つの状態 [があるの]ではなくて、唯一つの状態があるのです。唯一の存在の状態があります-それは意識です。けれどもあなたはそれを、意識と無意識とに分割するかもしれません。しかしその意識は、決して現在についてのものではなく、いつも過去についてのものです。あなたは終わって・過ぎているものごとだけを意識します。あなたは、私が伝えようとしていることを、瞬間後で、意識するのではないでしょうか。あなたはそれを瞬間後で理解します。あなたは決して今を意識したり気づいたりしません。あなた自身の心と精神を見守ってください。すると、意識は過去と未来の間で機能していること、現在はたんに過去から未来への通路であることが、わかるでしょう。ゆえに意識は、過去から未来への動きです。
(´・(ェ)・`)つ

358:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/11/12(木) 21:42:34 ID:1d4drIFg0 [126/126]
意識は一つしかないのじゃ。
日常でも感じられる心の働きを意識と呼び、感じられない部分を無意識と呼ぶだけなのじゃ。
それは記憶に依存しているものであるからいつも過去のことになるのじゃ。
自らの心の働きを観察すればそれは過去と未来の間で機能しているとわかるのじゃ。

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