鬼和尚 2020/11/01(日)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

391:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/01(日) 12:14:02 ID:3PyiRkn60 [1/3]
身体は死なないと確信を持って進む事は不可能なのですね!
改めて悟りを求める事は死や自己を厭わない覚悟が必要な理由が理解出来た気がします。

自我を失う事を予測するのは、誰というか何の働きなのですか?
自我を見る事が何故死と認識してしまうのでしょうか?
自己の観念というものがあり、それを自分自身と思い込んでいるのは誰というか何なのでしょうか?

私は子供がおり、子供が大きくなるまではまだ死にたくないと思っています。そのような場合は死の恐れを超える事は難しいですよね?
以前お釈迦様の弟子がお釈迦様が存命のうちは悟らずに居て死後に悟った話をどこかでされていたかと思いますが、
今は死ぬ覚悟が出来ないのであれば、
止観の修行を進めて、いざと言う時に力を発揮出来るような土台を作って行く事が良いでしょうか?

あと、今は人生の目標があります。
お陰様で自分の状況は良くなってきており、理想の状態は近いと思います。
達成後は維持が目的にはなると思います。
そのようなものも悟りの障害にはなってしまうと思うのですが、
悟りを求めるならばその前には捨てなければいけないものですか?

392:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/01(日) 12:22:05 ID:3PyiRkn60 [2/3]
数息観をして意識の変化等の不思議な事が起こると、嬉しいと思いながらも、それから暫く辞めてしまいます。恐れがあるのだと思います。

死の恐れを超える勇気(死んでも良いから悟りたいという気待ち)を持たなければ、悟ることは出来ない、ということでしょうか? それはそれでどこか安心してしまう気持ちがあるのでやはり何か恐れがあるようです。

逆に言えば、修行だけは進めて止観の力を付けて、悟らないでいる事も出来るということでしょうか?
そのような人もいるのですか?

止観の技術(と言って良いものですか?)を高める事は自己を知って人生をより良くするのにも大きな力になると思いますがそうでしょうか?

393:避難民のマジレスさん[sage]:2020/11/01(日) 12:35:48 ID:3PyiRkn60 [3/3]
あともうひとつ人生についての質問なのですが、
今の状況は良くなって理想に近いと書きましたが、それは自分への理解が深められたからだと思っています。
自分が本当に求めるものを精査して不要なものは削ぎ落としていく、という感じですが、
あとはやはり環境によるものも大きいです。

この、「環境」というものを考えた時、
これまでの人生を思い返してもそうですが、
縁というか偶然というか、
「自分」の努力外から起こったものだと思います。

環境に対する自分の反応を変える事が大事だとはわかりますが、
環境や縁というものは、どのように自分にもたらされるものなのでしょうか?

また、ある程度コントロールは可能なものなのでしょうか?

395:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/01(日) 21:53:58 ID:1d4drIFg0 [104/104]
>>391 そうじゃ、それはなくなるものなのじゃ。
 
 それは阿頼耶識の働きなのじゃ。
 自我の観念を自分と思っているからなのじゃ。
 観念と自己同一化しているのじゃ。
 それが阿頼耶識の働きなのじゃ。
 
 死にたくないからこそ死を超越するべきとも言えるのじゃ。
 死は不測のものであるからのう。
 できる時に修行すべきなのじゃ。

 真の悟りを求めるならばすてるべきなのじゃ。
 それが今とは限らないのじゃ。
 世間の勤めを果たした後に捨てるがよいのじゃ。

>>392 そうじゃ、死の恐れがあれば逃避も起こるのじゃ。
 
 そのような者も多いのじゃ。
 何年も修行している者なのじゃ。

 そのようなことも出来るのじゃ。
 自分を知れば世間でも有利になれるのじゃ。
 己を知れば他人も知れるからなのじゃ。
 自他を知れば多くのことが可能になるのじゃ。

>>393 それもまた自分の心が引き寄せるものじゃ。
 お釈迦様もものごとは心に拠って作られると言っているのじゃ。
 悪い事をしていれば悪い環境に引き寄せられていくのじゃ。
 善いこと和していれば善い環境に拠っていくのじゃ。
 善事を積むと善いのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

341:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/11/01(日) 05:15:37.21 ID:2aamtiH/
鬼和尚は、寝てる時も意識があると言っていましたが、それで疲れがとれますか?
退屈ではありませんか?

343:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/11/01(日) 22:05:35.15 ID:6zVFCgNc
>>341 ちゃんと時間を決めて寝ていれば疲れも取れるのじゃ。
 八時間は寝るとかのう。
 退屈はしないのじゃ。
 思考とかは無いからのう。
 ただひたすらに安らぎの中にいるのじゃ。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

68:避難民のマジレスさん[]:2020/11/01(日) 11:14:52 ID:zvxCgIyg0
くま訳改 210
魚を釣るには工夫が必要なのである。
達磨が蒲葉を編んだ舟で禅を伝えたように禅を伝えるには工夫をするのだ。
野にある一休も箕のを編む工夫をしているのだ。
さて、誰が俗世間から離れて一番風流と言えるかな。

211
示弄業文筆僧  らう業分筆の僧に示す
苦楽愛憎影與身 苦楽愛憎影と身と
寒温喜怒境兼人 寒温喜怒境と人と
平生吟興黄泉路 平生の吟興こうせんの路
地獄門前桃李春 地獄の門前桃李の春

くま訳
遊び半分に詩文を書く僧に示す
苦楽、愛憎は、いつも表裏一体である。 
寒温、喜怒は、人の知覚の対象である。
常日ごろその心模様を観察することが、冥土へ行く路である。
地獄の門前で試験官が待っている春である

*業:1 なすべきこと。仕事。わざ。2 暮らしの手だて。生業。職業。3 学問。技芸。4 「実業界」 
 「業界人」の略。 
 〈ギョウ〉1 苦労してなしとげる事柄。2 生活のために行う仕事。3 やしき。
 〈ゴウ〉1 報いを招く前世の行い。2 怒りの心。
 〈わざ〉
 《〈梵〉karmanの訳》1 仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。2 前世の善悪の行為 
 によって現世で受ける報い。3 理性によって制御できない心の働き。
*弄する:もてあそぶ。思うままに操る。あざける。からかう。なぶりものにする。
*影身(かげみ):影法師が身に添うように、いつも寄り添って離れないこと。
*境:。視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種 
 の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) , 
味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*平生(ヘイゼイ):ふだん。いつも。つね日ごろ。
*黄泉路(よみじ)黄泉へ行く道。冥途への道。
*桃李(トウリ)」:唐の劉禹錫(りゅううしゃく)の「満城の桃李春官(しゅんかん)に属(しょく)す」の詩 
 句から、試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

69:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/11/01(日) 21:45:08 ID:1d4drIFg0 [33/33]
だいたいそんな感じなのじゃ。
文筆も真面目に修行として修めるべきだというのじゃ。
苦楽愛憎感温喜怒を全て筆で現すことも出来るのじゃ。
そのように己を知るために吟興を用いるべきだというのじゃ。
遊び半分では地獄行きだというのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

336:避難民のマジレスさん[]:2020/11/01(日) 12:31:02 ID:zvxCgIyg0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
十六 神への信念について 2

 神への信念は、「よりよい生活への強力な誘因」でしょうか。なぜあなたはよりよい生活への誘因がほしいのでしょうか。確かにあなたの誘因は、清く単純に生きたいというあなた自身の願望であるにちがいないのではないでしょうか。あなたは誘因に頼るなら、みんなのために生を可能にすることに興味がないのです。あなたはたんに自分の誘因に興味があるのです-それは私の [誘因]とは異なっています-それで私たちは誘因のことでけんかするでしょう。私たちは、神を信じているからではなく、人間であるから、一緒に幸せに生きるなら、そのときみんなのためにものを産み出す・生産するための完全な生産の手段を共有するでしょう。智恵の欠如をとおして、私たちは神と呼ばれる超智恵の観念を受け入れるのです。しかしこの「神」、この超智恵は、私たちによりよい生活を与えてくれそうにありません。よりよい生活に導くものは智恵です。そして信念があるなら、階級分割があるなら、生産の手段が少数者の手中にあるなら、孤立化した国家 [・民族]と独立政権があるなら、智恵はありえません。このすべては明白に、智恵の欠如を表示しています。よりよい生活を妨げているのは、智恵の欠如であって、神への不信ではありません。
 あなたたちはみんな、異なった仕方で信じています。しかしあなたの信念は全く何の真実性もありません。真実は、あなたのあるがまま、あなたのすること、あなたの考えることです。あなたの神への信念は、たんに自分の単調な愚かな残酷な生からの逃避です。そのうえ・さらに、信念は必ず人々を分割します。ヒンドウ-教徒、仏教徒、キリスト教徒、共産主義者、社会主義者、資本主義者などがあります。信念、観念は分割するのです。それは決して人々を一つにまとめません。あなたは少数の人々を一つの集団にまとめるかもしれません。しかしその集団はもう一つの集団と対立しているのです。観念と信念は決して統合していません。反対に、それらは分離的で、崩壊的で、破壊的です。ゆえに、あなたの神への信念は、ほんとうは世界に悲惨を広げているのです。それはあなたに瞬間の慰安をもたらしたかもしれないけれども、現実には、戦争、飢饉、階級分割、分離した個人の無慈悲な行動という形で、あなたにもっと多くの悲惨と破壊をもたらしたのです。それであなたの信念は全く妥当性がありません。もしもあなたがほんとうに神を信じていたなら、もしもそれがあなたにとってほんとうの経験であったなら、そのときあなたの顔に微笑みがあるでしょう。あなたは人間を破壊していないでしょう。
(´・(ェ)・`)つ

337:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/11/01(日) 21:41:20 ID:1d4drIFg0 [116/116]
神を信じるのはよりよい生活をもとめているからというのじゃ。
しかし、それはよりよい生活は与えてくれないのじゃ。
むしろ無智に導く逃避だというのじゃ。
神や何かの主義を信念として持つ者はそれによって分裂するのみなのじゃ。

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