鬼和尚 2020/09/28(月)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

195:避難民のマジレスさん[]:2020/09/28(月) 18:59:44 ID:Dp/qMVVc0 [2/2]
>>194 ありがとうございます。
自分が何を自分と思っているのか、心に尋ねてみると、「心の機能ではなく、どのように意味づけているのかの解釈か」などと思考による分析が始まったのですが、巻き込まれない限りはそのようなことも敢えて止めようとはせず、観察を続けていれば良いでしょうか?

196:193[]:2020/09/28(月) 20:23:19 ID:87SUUXN20 [7/7]
>>194
返信ありがとうございます。

今日は10秒くらい入ることができました。
引き続き様子見ながら過ごしてみます。

197:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/09/28(月) 21:36:09 ID:1d4drIFg0 [51/51]
>>195 そうじゃ、それを続けながらも囚われず、観察し続けると善いのじゃ。
 それもまた自己を追及することになるからのう。
 それによって気づきがもたらされることもあるじゃろう。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>196 そうじゃ、どんどん実践するとよいのじゃ。
 自分を忘れた状態を受け容れられるようになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】 53 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1597354447/

222:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/09/28(月) 05:39:15.96 ID:k0RS9a7V
鬼和尚は芸能人の一連の自殺は闇の組織による犯行だと思いますか?

223:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/09/28(月) 14:22:20.31 ID:5V6L3vSJ
クローゼットに死体が吊られている
これは何のメッセージ?
そして次の被害者は誰?
悟りを開いたブッタなら
即判明しますね?

226:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/09/28(月) 19:28:36.09 ID:VKMmeC/u
人間、歳をとると昔ほど娯楽を求めなくなるような気がします。
TVドラマや映画、音楽などに以前ほど熱中しなくなります。
酒を飲んでもしんどいし性欲も衰えてきます。

かと言って、それが成長の証という訳でもないんですよね?

228:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/09/28(月) 21:40:35.69 ID:LbY3f8Rp
>>222 違うのじゃ。
 陰謀論に騙されてはいかんのじゃ。
 ストレスが溜ると自殺も増えるのじゃ。
 それだけなのじゃ。

>>223 次はおぬしじゃ、というメッセージかもしれん。
 恐ろしいことじゃ。
 いつ死んでも善いように必死に実践あるのみなのじゃ。

>>226 そうじゃ、ただ単に飽きてきたのじゃ。
 同じような話や音楽を人を変えて演じているだけであるからのう。
 酒も女子も体力の衰えと共に飽きるものじゃ。
 
 これからは真実の喜びを求めて生きると善いのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

720:マジレスさん (ワッチョイ 2f93-Rhw/ [14.10.59.64])[sage]:2020/09/28(月) 19:30:39.92 ID:R6Fx8vQu0
動物性タンパク質はなぜ摂りすぎるとよくないのでしょうか?
タンパク質自体はたくさん摂らないといけませんよね?
何からタンパク質を摂取するのが一番いいですか?

721:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ 2267-F8K1 [219.192.74.62])[sage]:2020/09/28(月) 21:43:56.37 ID:C4hzXP1y0
>>720 そうじゃ、人には良くないのじゃ。
 もともとそんなにたくさん食べられなかったからなのじゃ。
 人が猿だった時期には野菜が中心で、動物は滅多に食べられなかったのじゃ。
 そうであるから人のからだは動物を効率よく消化して、吸収するのが苦手なのじゃ。
 
 たくさん摂るとよいのじゃ。
 豆とか芋とかじゃな。
 バナナ等の果実も善いのじゃ。
 実践あるのみなのじや。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

387:マジレスさん[sage]:2020/09/28(月) 18:28:41.23 ID:g6ZyVOjg
鬼和尚、少光天の解説をお願いします。

388:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/09/28(月) 21:48:17.98 ID:C4hzXP1y
>>387 色界四番目の天じゃな。
 二禅によって入れるのじゃ。
 体が光っているのじゃ。
 上の天より光が少ないから小光天なのじや。

鬼和尚の仏教講読会 別館2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/

13:避難民のマジレスさん[]:2020/09/28(月) 20:24:39 ID:X/vQDPl.0
187          1/9
文安丁卯秋 大徳精舎有一僧   文安丁ほうの秋 大徳精舎に一僧有り
無故而自殺矣 好事之徒遂讃之官 故無くして自殺す 事を好むの徒 遂に之を官にしんす
繋其餘殃而 居囚禁者七五輩   その余おうにかかりて しん禁におる者しちご輩
足爲吾門之大亂 時人喧傳焉   我が門の大乱と為すに足る 時の人喧伝す
予聞之 即日晦迹山中      予之を聞いて 即日あとを山中にくらます
其意盖出於不忍耳        その意けだし忍びざるに出づるのみ 
適学者自京城來         たまたま学者の京城より来たり
説本寺件件之故 愈弗勝慨嘆   本寺件々の事を説く いよいよ慨嘆に堪へず
作偈言懐 時値重陽 故成九篇云 偈を作り懐を言ふ 時に重陽にあふ 故に成九篇を成すと云ふ

地老天荒龍寶秋         地老い天ある龍宝の秋
夜來風雨悪難収         夜来風雨あらうして収め難し
對他若作是非話         他に対して若し是非の話をなさば
髣髴雲門關字酬         雲門の関字の酬いに彷彿たらん

山折哲雄先生訳
大徳寺のある僧が
「故なくして」自殺した。物好きがいて幕府に通報したところ、
連座して獄につながれる者がでた。
もつて我が宗門の一大事が勃発したのであるが、世間はこれをみて騒いだ。
自分はこれをきいて、即日山中(譲羽山)に入つてを身をくらましたが、
それはそのような不祥事に我慢することができなかつたからだ。
たまたま情報通の奴がやつてきて、
ことの顛末を話してくれたが、いよいよもつて慨嘆にたえなかつた。
時あたかも九月九日の重陽節にあたつていたので、想うところをのべて九偶を作つた。以下のごとし。

くま訳
天地荒れ果てた龍宝山大徳寺の秋
夜来の風雨が嵐になり、収まらない。
誰かに対して若し、是非の話をするならば、
雲門の関字の公案に対する、返事をほうふつとさせるのである
(大燈國師が年かかって透関して開悟した、雲門の関、のことである)

*重陽:9月9日菊の節句
*天荒地老:((成語)) 経過した時間が長い(中国語辞典)
*関:大徳寺開山の宗峰妙超禅師 (大灯国師)は師の南甫紹明禅師 (大応国師)より「雲門の関」の公案を与え
 られ辛苦参禅修行三年にして、雲門の「関」を透過し、悟りの境地を得たという。そのときの境地を詩偈に
 して大応に示し悟りの認可を与えられたのである。 

 是か非か、問われて、その答えの出るところの内側にいるのだ。是是非非だということでありましょう
 か?
(´・(ェ)・`)つ

14:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/09/28(月) 21:29:29 ID:1d4drIFg0 [7/7]
関を透過したのならばもはや是も非もないのじゃ。
非是非非じゃな。
しかし、世間はそうは見ないじゃろう。
煩わしいことじゃと、すべて捨てて山の中に入ったのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

291:避難民のマジレスさん[]:2020/09/28(月) 20:44:26 ID:BDVNOiQA0
最初と最後の自由 第二部質疑応答
八 気づきについて 3

 質問者はまた、誰が気づくのかを知りたいのです。あなたがどんな種類のでも奥深い経験をするとき、何が起きているでしょうか。そういう経験があるとき、あなたは自分が経験していることに気づいているでしょうか。あなたは怒っているとき、怒りや嫉妬や喜びのほんの瞬間に、自分が喜んでいる・うれしいことや怒っていることに気づいているでしょうか。経験者と経験されるものがあるのは、経験が済んでいるときだけです。そのとき、経験者が経験されるものを、経験の対象を観察するのです。経験の瞬間には、観察者も観察されるものもどちらもないのです。経験することだけがあるのです。私たちのほとんどは経験していません。私たちはいつも経験する状態の外側にいるのです。ゆえに誰が観察者なのか、気づいているのは誰なのかについてのこの疑問を、訊ねるのです。確かにそういう疑問は間違った疑問なのではないでしょうか。経験している・経験があった瞬間、気づいている人物も、彼がそれに気づいている対象もどちらもないのです。観察者も観察されるものもどちらもなくて、ただ経験している状態だけがあるのです。私たちのほとんどは、経験する状態に生きることは極めて難しいことを、見つけます。なぜなら、それはとてつもない柔軟性、すばやさ、高度の敏感さを要求するからです。そして私たちが結果を追求しているとき、成功したいとき、目的を視野に持つとき、計算しているとき-そのすべてが挫折をもたらします-それは否定されるのです。何も要求せず、目的を求めていなくて、結果と共にそのすべての含蓄を捜し出していない人、そういう人は常に経験する状態にあるのです。そのときあらゆるものが動きを、意味を持ちます。何も古くありません。何も焼け焦げていません。何も反復的ではありません。なぜなら、あるがままは決して古くないからです。挑戦はいつも新しいのです。古いのは、挑戦に対する応答だけです。古いものはさらなる残り滓を造り出します-それが記憶、観察者です-彼は観察されるものから、挑戦から、経験から、自分自身を分離するのです。
(´・(ェ)・`)つ

292:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/09/28(月) 21:33:23 ID:1d4drIFg0 [94/94]
気付くという経験があれば、そこには経験する者も経験されるものもないというのじゃ。
それらは本来無いものであるが、記憶に拠って作り出されるのじゃ。
結果を追求しているとそのように観念に囚われてしまうのじゃ。
何も求めず、結果も探し出さない者が気づきという経験もできるというのじゃ。
 

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