鬼和尚 2020/09/01(火)

鬼和尚に聞いてみるスレ part17
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1598506868/

25:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 00:43:20 ID:WMlbyn5g0 [6/6]
鬼和尚様

昨日も私の質問に答えてくださり本当にありがとうございます。
全てに還るってなんかいいですね。
何に還るのかわかりませんけど

26:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 14:35:51 ID:4IphjdbQ0
鬼和尚様

横ですが、貯金していないと老後が悲惨なことになる。とのことですが、悟っても貯金していないと老後が悲惨になるのでしょうか?

よろしくお願いします。

27:避難民のマジレスさん[sage]:2020/09/01(火) 19:10:47 ID:czRftzgI0
動画で面白い研究がありました。下は脳波で、左から一般人、ユリゲラー、坊さん、気功師だそうです。
一般人は思考により脳波がざわついているのに対し、他はシータ波以外脳波は出ていません。
お坊さんはほとんど脳波が出ていず、深い瞑想にあることが科学的にわかります。
http://uproda11.2ch-library.com/e/es002930666615874611266.jpg

30:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/09/01(火) 22:38:26 ID:1d4drIFg0 [7/8]
>>25 文字通り全てなのじゃ。
 空も海も日も月も星も含めた全てであるのじゃ。
 それに戻るまで精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>26 悟っていればもはや苦は無いのじゃ。
 悲惨も無いのじゃ。
 今すぐにでも安楽に死ねるからのう。
 何にも執着しなければ苦も悲惨も無く安楽なのじゃ。

>>27 そうじゃ、深いのじゃ。
 脳も働かない境地があるとわかるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

28:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 21:08:19 ID:Ydx3TflE0
悟りを開くと性欲はきえてしまうんでしょうか

29:崇蓮[sage]:2020/09/01(火) 21:32:26 ID:ck5w8PBg0 [2/2]
 鬼和尚さま、先程、義父母に対して「もうどうでもいいや」という気持ちになってしまいました。投げやりな気持ちです。あともう少しでも無くなりそうと思った怒りの感情が中々無くならず、結果、こう思ってしまいました。
 私は我儘なんです。物の置く位置とかが自分の思い通りにならないと怒りが湧いてくるんです。そんなちっぽけなくだらない事で怒りが起こるんです。
 義父母に悪意はありません。

 自分が嫌です。どうすればいいでしょうか?

31:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/09/01(火) 22:41:27 ID:1d4drIFg0 [8/8]
>>28 消えるのじゃ。
 対象がなくなるからのう。
 無理に起こすこともできるがのう。
 無意味なのじゃ。

>>29 そのような気持ちも心の中の原因から起こるものじゃ。
 原因から起こることを観察できれば消えるのじゃ。
 義父母にも何か執着や期待することがあるから苦も起こるのじゃ。
 何も期待しなければ苦も無いじゃろう。
 観察して確かめるのじゃ。

 自分を責めてはいかんのじゃ。
 それもまた原因から観察して滅するのじゃ。
 ただひたすら精進あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

281:マジレスさん[sage]:2020/09/01(火) 03:56:05.40 ID:lfyFk0JD
恋と出会うまでの九月となりました。
年末の件は何か変化ありましたか?
何故『年末』だと特定できるのですか?
もう残り3ヶ月ちょいなので月に2回聞いても良いですか?

283:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/09/01(火) 22:43:25.37 ID:r6gMLddg
>>281 何も無いのじゃ。
 日付を辿っていくと黒く見えるのじゃ。
 おぬしも観てみるのじゃ。
 何度でも聞くと善いのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

950:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 20:16:53 ID:CccXjOcY0
事件であります
163   1/2
前年辱賜大燈國師頂相 前年大燈國師の頂相を賜ふことをかたじけなうす
予今更衣入浄土宗   予今えを改めて浄土宗に入る
故茲奉還栖雲老和尚  故にここにせい雲老和尚に還し奉る 

離却禪門最上乗    禅門最上乗を離却して
更衣浄土一宗僧    えをかふ浄土一宗の僧
妄成如意霊山宗    みだりに如意霊山の衆と成って
嘆息多年晦大燈    嘆息す多年大燈をくらますことを

くま訳
前年大燈國士の肖像画を頂いたことを、かたじけなく思います。
私はこれから、僧衣を改めて、浄土宗に改宗します。
故に、ここに、栖雲老和尚に対して、画を返還し奉る。

禅門最上の達磨の禅を離却して、
僧衣をかえて、浄土宗の僧になります。
今まで無分別にに、如意庵や徳禅寺で僧となり、
嘆き、苦しんでいます。長年大燈國師の法灯をたぶらかしてきました。

*頂相(ちんぞう・ちんそう・ちょうそう)または頂像は、禅僧の肖像画、または肖像彫刻のこと。
*最上乗禅:達磨の系統の禅をいったもの(この上ない乗り物としての禅の意)。中国唐代の宗密が、禅に
 外道禅・凡夫禅・小乗禅・大乗禅・最上乗禅があるとしたのによる。

結局、最後には大徳寺住持になり、今やその墓所は宮内庁管理下でありますから、臨済宗と浄土宗で、一休
さんの取り合いでありましょうが、本人にとってはどうでも良い事なのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

951:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/09/01(火) 22:48:32 ID:1d4drIFg0 [369/369]
そうじゃ、もはや宗派などどうでもよいのじゃ。
どこにでも行ったりきたりするのじゃ。
自在なのじゃ。
今までこんなに自由だった者はいなかったじゃろう。
これからもいないじゃろう。
それが一休が愛される理由なのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

238:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 19:57:02 ID:CccXjOcY0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部
第二一章 力と悟り(実現) 3

 おそらく、この点に至るなかで、私たちは意識的精神を使ってきました。私たちは議論・論争に付いてきました。私たちはそれに反対したり受け入れたりしてきました。私たちはそれが明確に、またはぼんやりと・おぼろげにわかりました。さらに遠くへ行き、もっと深く経験するには、見出すための静かで鋭敏である精神を必要とするのではないでしょうか。それはもはや観念を追求していません。なぜなら、あなたが観念を追求するなら、言われていることに付いていく思考者がいるし、そのためあなたは即時に二元性を造り出すからです。あなたがこの根本的変化という事柄にさらに入ってゆきたいなら、活動的な精神が静かであることが必要ではないでしょうか。確かに、精神が途方もない困難 [を理解できる] 、二つの分離した過程としての思考者と思考、経験者と経験されるもの、観察者と観察されるものという複雑な意味合いを理解できるのは、それが静かであるときだけです。革命- [そこに] 「私」のないこの心理的、創造的革命は、思考者と思考が一つであるとき、思考を制御している思考者といった二元性がないときだけ、訪れるのです。創造的エネルギ-を解放するのは、この経験のみであると、私は提案します-それ [創造的エネルギ-]が今度は、 根本的革命 [をもたらし] 、心理的な「私」の粉砕をもたらすのです。
 私たちは力の道を知っています-支配をとおした力、修練をとおした力、強制をとおした力、です。政治的な力をとおして、私たちは根本的に変化させたいと願います。しかしそういう力は、さらなる暗闇、崩壊、邪悪・弊害、「私」の強化を生み育てるだけです。私たちは個人的にも、集団としても、様々な形の取得に慣れ親しんでいます。しかし私たちは愛の道を試したことがありません。それがどういう意味なのかを、知ることさえもないのです。思考者、「私」という中心があるかぎり、愛は可能ではありません。このすべてを悟ると、どうすべきなのでしょうか。
 確かに根本的変化、創造的、心理的解放をもたらせる唯一のものは、日常の見守り [です] 、意識的とともに無意識的な私たちの動機に、瞬間瞬間気づくことです。私たちは、修練、信念、理想は「私」を強めるだけで、ゆえに全く無効であることを悟るとき-日毎にそれに気づき、それの真理がわかるとき、思考者は自分の思考から、自分の観察から、自分の経験から、常に自分自身を分離しているときの中心点・核心に至らないでしょうか。思考者が自分の思考-すなわち彼が支配しようとしているもの-から離れて存在しているかぎり、根本的変容はありえません。「私」が観察者 [であり] 、経験を集め、経験をとおして自分自身を強める者であるかぎり、根元的変化、創造的解放はありえません。その創造的解放は、思考者が思考であるときだけ、訪れるのです-しかし隔たりは、どんな努力によっても橋渡しできません。どんな思索、どんな言葉による表現・言語化、どんな形の思考も、「私」に強さを与えるだけであることを、精神が悟るとき、思考者が思考から離れて存在しているかぎり、制限、二元性の葛藤があるにちがいないことがわかるとき-精神がそれを悟るとき、そのとき、それは見守っているし、いかにそれが経験からそれ自体を分離し、それ自体を主張し、力を求めているかに永続的に気づくのです。その気づきにおいて、精神が目的、目標を求めずに常にもっと深く広くそれを追求するなら、思考者と思考が一つである状態が訪れるのです。その状態には努力がありません。なることがありません。変化させたいという願望がありません。その状態には、「私」はありません。というのは、精神のものではない変容があるからです。
(´・(ェ)・`)つ

239:避難民のマジレスさん[]:2020/09/01(火) 20:08:43 ID:CccXjOcY0 [2/2]
くまめも21-3
根本的変化という事柄にさらに入ってゆくには、精神が静かであることが必要。精神が、二つの分離した過程としての思考者と思考という複雑な意味合いを理解できるのは、それが静かなときだけ。創造的エネルギ-を解放するのは、この経験のみ。それが今度は、心理的な「私」の粉砕をもたらす。
根本的変化をもたらせる唯一のものは、日常の見守り、意識的、無意識的な動機に、瞬間瞬間気づくこと。修練、信念、理想は「私」を強めるだけで、ゆえに全く無効であることを悟るとき-日毎にそれに気づき、それの真理がわかるとき、思考者は自分の思考、観察、経験から、常に自分自身を分離しているときの中心点・核心に至る。思考者が思考から離れて存在しているかぎり、根本的変容はありえない。その創造的解放は、思考者が思考であるときだけ、訪れる-しかし隔たりは、どんな努力によっても橋渡しできない。どんな思索、どんな言葉による表現、思考も、「私」に強さを与えるだけであることを、精神が悟るとき、思考者が思考から離れて存在しているかぎり、制限、二元性の葛藤があることがわかるとき、そのとき、それは見守っているし、いかにそれが経験からそれ自体を分離し、それ自体を主張し、力を求めているかに永続的に気づく。その気づきにおいて、精神が目的、目標を求めずに常にもっと深く広くそれを追求するなら、思考者と思考が一つである状態が訪れる。その状態には努力、なること、変化させたいという願望がない。その状態には、「私」はない。というのは、精神のものではない変容があるから。
(´・(ェ)・`)

240:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/09/01(火) 22:56:38 ID:1d4drIFg0 [71/71]
静かな精神が必要とクリシュナムルティは言うのじゃ。
それを得るには瞑想が必要なのじゃ。
思考の無い静かな精神で今ここにある心の働きを観ることができるのじゃ。
それが得られなければ全ての観察は私を強めるばかりなのじゃ。

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