鬼和尚 2020/08/08(土)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

907:避難民のマジレスさん[sage]:2020/08/08(土) 17:01:25 ID:q42kP/Lk0
逆複式呼吸が効くような気がするので
今日は立って試していたら
上手く下腹部に空気が入った時に
頭の上の真ん中らへゆがジワンとする感じがありました。
これが快の感覚なのではと思ったのですが
合っていますでしょうか?

また、ネットでは逆腹式呼吸はお腹を引っ込めるとの説明が書いてあったのですが
鬼和尚は逆複式は気功法ではないかもしれんとのことでした。
私はそれが少し気がかりでしたが
お腹を引っ込めるというよりも
下腹部の筋肉を下にズラして空気を入れるような感覚が正しいのでは?と感じました。

鎖骨周辺に力が入らないように気を付けてやっています。

頭の中にジワンと感覚が来ると正しく出来ているでしょうか?

まずは心身を安定して強く明るくしたいと思っています。
あと頻繁にモワッと湧いてくる憂鬱で気持ち悪い感じを無くしたいです。
これは体と観念両方から起こっているのでしょうか?
子供の頃からあった気がします。
それはたまにでしたが言語化出来ない気持ち悪い感情が湧くことがありました。

908:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 18:55:31 ID:naq3jcIA0
鬼和尚を知る前、常に意識的な状態を保つといいと聞いたのでその修練をしていたのですが、これは数息観の代わりになるでしょうか
思考に飲まれていたら気付くを繰り返すようなものです
少なくとも見ている意識のようなものが確立された感じはあるのですが、一つの対象への我を忘れるような深い集中が今ひとつできません

909:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 21:00:02 ID:isBgqH420 [1/2]
鬼和尚様

いつもありがとうございます。

マハルシの言葉で、対象物の印象だけが刻みこまれた無知も、対象物も働きもない無知も、
とありますがどういうことでしょうか?

よろしくお願いします。

910:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/08/08(土) 22:40:09 ID:1d4drIFg0 [227/227]
>>907 あっているのじゃ。
 丹田に生じた気が頭に入ったのじゃ。
 正しいと言えるのじゃ。

 他に原因が無いならば心から起こっているのじゃろう。
 心の中にそれの原因を追究してみるのじゃ。
 言葉に出来なければイメージにしてみるのもよいのじゃ。
 どんどん観察すれば少しずつわかってくるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>908 それは集中ではないから数息観のかわりにはならないのじゃ。
 客観的に観察する心構えにはなるかもしれんがのう。

 集中を日々実践し続けなければ深く集中はできないのじゃ。
 数息観を五分でも毎日続けると善いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>909 それだけでは何もわからないのじゃ。
 それらがあると、言ったのか、無いと言ったのかとか前後の文脈で言葉の意味はわかるのじゃ。
 更に前後の文を貼ると善いのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

937:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/08/07(金) 23:04:04.86 ID:cCsK+SwO
>>936
www

意味不明w
精神病院に行きましょうねw

938:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/08/08(土) 07:11:04.45 ID:ZxUSoxjC
鬼和尚、質問です。
以前たしか、親からの虐待にあう子は前世で虐待するような者だったのじゃ、といった回答を見た気がします。
ということは、今世の親の性質は、子の前世の性質と酷似しているということでしょうか?
たとえば鬼和尚のご両親も、素晴らしい徳のある方ですか?

940:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/08/08(土) 22:44:17.93 ID:oynESKZO
>>937 ブーメランじゃな。
 まぶで病院に連れて行かれるとか怯えていたのじゃな。
 哀れな者じゃ。

>>938 そのようにいえるじゃろう。
 わしの親は欠点も多いが慈悲心があるのう。
 似ているといえるのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

555:太上天君 (ワッチョイ ff67-Ea0s [126.3.6.220])[]:2020/08/08(土) 19:48:52.69 ID:A6LcKgfO0
鬼和尚よ、ぬしゃあこれまでこのスレで間違ったことを言ったことがあるか?
それとも間違った発言など一切なく常にぬしゃの発言は正しかったか?

ハキハキ答えよ!!!

はふんはふんおふんおふん。

556:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ a267-2X+j [219.192.74.62])[sage]:2020/08/08(土) 22:41:26.14 ID:WJJHFjRP0
>>555 正しくも正しくなくもないのじゃ。
 人に拠って受け取り方も違うからのう。
 はふんはふんおふんおふん。とかいって実践するならそれも正しいのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

886:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 19:39:02 ID:QIfaqeEk0 [1/2]
句中玄模擬テスト
253
圓悟大病 3/4
狭路慈明色欲淫 狭路の慈明色欲の淫
庭前柏樹祖師心 てい前の柏樹祖師の心
悪魔臨済正傳境 悪魔臨済正傳の境
雲暗?稿娥落玉簪 雲暗してこうが玉さんを落とす

くま訳
慈明禪詩の方法は、狭い道である。(股に錐を刺して)情欲は抑えることは、誰にでもできることではない
のだ。
心境一如が、趙州和尚の悟った心である、
悪魔のように鋭い洞察眼をもつて、対象観察をするが臨済正伝のわしの境涯である、
雲天暗くて、?稿娥が玉かんざしを落とすのである。(禅宗の現状は暗雲たちこめ、それを艶詩で伝えるよう
としているのだ。)

*庭前柏樹子『無門関』第三十七則・『趙州録』(細川景一先生解説抜粋)
 「如何なるか是れ祖師(達磨大師)西来意」。趙州和尚、「庭前の柏樹」 
 僧が続けてたずねます。「和尚、境を将って人に示すこと莫かれ――私は禅とは何かと聞いているのです。
 境、即ち心の外の物で答えないで下さい」というのです。
 趙州和尚云く、「我れ境を将て人に示さず――私は決して心の外の物で答えてはいない」。
 この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、禅師 
 の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。・・・祖師西来意だの、
 ・・・小理屈は捨て切って・・柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。
 この消息は・・・徹底的な「無心」の心です。
 その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、・・この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達
 が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らず
 にはおかない機略があるというわけです。
 後日談があります。
 ・・隠元禅師は江戸時代、明より渡来し、日本の禅道場に法戦を挑んで各地を遍参した・・その折、京都
 の妙心寺にも上山し当時の山主、愚堂和尚と問答に及びます。
 「開山、関山国師の語録を拝見したい」 「開山さまには語録はありません」 「語録なくして、何で開 
 山と云えるか」「開山さまには語録はないが、ただ『柏樹子の話に賊機有り』という言句があります」
 隠元禅師、この一語を聞いて身震いし、「この一語、百千万巻の語録に勝る」と云ってうやうやしく礼拝 
 したと伝えられています。
*慈明石霜楚円禅師:夜坐睡らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す。
*境:6種の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のこと
*?稿娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという仙女の名。月の異称。(おまけ 参)

うむ。こう言われたら、何も問えないでありますね。問が無意味だということでありましょう。楽にはなれ
るような気はするのである。
確かに、「賊機」ありである。
(´・(ェ)・`)つ

887:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 19:44:53 ID:QIfaqeEk0 [2/2]
*おまけ: ↓「?稿娥」「玉簪」で検索して、中国サイトで見つかった詩。
昨夜三更后,昨夜三更の後
?稿娥堕玉簪 ごうが玉さんを落す
馮夷不敢受,ヒョウイ敢えて受けず
捧出碧波心 棒出すへきは心

くま訳
昨日の深夜
ゴウガ仙女が、玉かんざしを落とした
雨の神様ヒョウイは、それに気づいたが、敢えて、拾わなかった、
それでゴウガの、千々に乱れる心を引き出した

*王禹?園(おううしょう)作:954-1001、北宋(ほくそう)の詩人。低い身分から、科挙を経て官僚となっ 
 た。五言は杜甫(とほ)を学び、七言は白居易を学んで、平静淡泊ななかに知性と社会批判とを盛り込ん
で、 宋詩の風気の先駆けとなった。『小畜集』
*馮夷(ひょうい・ふうい):中国古代の神話に登場する川の神。雲車を御して空中を飛び回るこの神は、 
 また下界に雨をもたらす雨師であったとされる。こ
*捧出(ささげいだす):かつぎ出す,担出す,担ぎ出す
*碧波心:海を駆け巡る波は、時に荒々しい姿をみせる。
 『白雲深處金龍躍 白雲深きところ金龍おどり 
  碧波心裏玉兎驚 へきはしんりぎょくとおどろく』と、言う言葉が碧眼集にあるらしいが見つからな 
  かった。
*檐角・簷角(えんかく):のきさき
*江戸時代後期の詩にの一節に、
 家家檐角挂冰柱 家家のえんかく氷柱をかく  
 知是抛来幾玉簪 知る是れ抛ち来る幾玉さん

 山口旬先生 訳・解説より
 家々の軒先には氷柱(つらら)がかかっている。
 わかった、これは彼女たちが、天から投げ捨てた幾つものだ玉の簪(かんざし)なのだ。

 ↑と、いうのがあるので、玉かんざしを落として、霜(雨)をかからせ、降らせてて、恋人に思いを伝え 
 ようとする女心を、「堕(落)玉簪」に譬えているのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

888:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0 [343/343]
仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
それは狭い道というのじゃ。
臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
芸術とか風流の道なのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

170:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 21:38:37 ID:QIfaqeEk0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部

  第十四章 関係と孤立 1

  生は経験-関係における経験-です。孤立 [の状態] において生きられません。ですから生は関係ですし、関係は作用 [・行動] です。それでどうすれば関係すなわち生を理解するためのその能力を持てるのでしょうか。関係とは、人々との親しい交わりというだけでなく、ものごとや観念との親密さという意味 [でもあるの] ではないでしょうか。生は関係です-それは、ものごと、人々、観念との接触をとおして表現されます。関係を理解するなかで、私たちは充分に、適切に、生と出会う能力を持つでしょう。ですから私たちの問題は能力ではなくて―というのは、能力は関係から独立していない(関係に依存していないわけではない)からです―むしろ関係[について]の理解です-それ[理解]が自然に、すばやい柔軟性、すばやい適応、すばやい応答のための能力を生み出すでしょう。
 関係は確かに、あなたが [そこに] 自分自身を発見する鏡です。関係なくして、あなたはありません。有る[・生きる]ことは関係することです-関係することが存在です。あなたは関係においてだけ存在しているのです。そうでないとあなたは存在していません-存在は意味がありません。あなたが存在するのは、あなたが自分は有ると考えるからではありません。あなたは関係しているから存在しているのです。それで葛藤を引き起こす [原因になる] のは、関係[について]の理解の欠如です。
今、関係[について]の理解はありません。なぜなら私たちは関係を、たんに達成を促進し、変容を促進し、なりゆきを促進する手段としてだけ使うからです。しかし、関係は自己発見の手段です、なぜなら関係は有る[・生きる]ことであるからです。それが存在です。関係なくして、私はありません。私自を理解するには、私は関係を理解しなければなりません。関係は、[そこに] 私自身が見える鏡です。その鏡は歪んでいることもあるし、有るものを映し出して「あるがまま」であることもあります。しかし私たちのほとんどは、関係のなかに、その鏡のなかに、むしろ見たいと思うものごとが、見えるのです。私たちはあるがままが見えないのです。私たちはむしろ理想化し、逃避したいのです-その関係を即時の現在において理解するより、むしろ未来に生きたいのです。
(´・(ェ)・`)つ

171:避難民のマジレスさん[]:2020/08/08(土) 21:56:19 ID:QIfaqeEk0 [2/2]
くまめも14-1
生は関係における経験。孤立の状態において生きられない。生は関係、関係は作用・行動。どうすれば関係すなわち生を理解できるか。関係とは、人々との親しい交わりというだけでなく、ものごとや観念との親密さという意味 。生は関係。それは、ものごと、人々、観念との接触をとおして表現される。関係を理解するなかで、私たちは充分に、適切に、生と出会う能力を持つ。だから私たちの問題は能力ではなくむしろ関係についての理解-理解が自然に、すばやい柔軟性、適応、応答のための能力を生み出す。
 関係は確かに、あなたがそこに自分自身を発見する鏡。関係なくして、あなたはない。有る・生きることは関係すること。関係することが存在。あなたは関係においてだけ存在している。存在は意味がない。あなたが存在するのは、あなたが自分は有ると考えるからではない。あなたは関係しているから存在している。それで葛藤を引き起こす原因になるのは、関係についての理解の欠如。
今、関係についての理解はない。なぜなら関係を、たんに達成を、変容を、なりゆきを促進する手段としてだけ使うから。しかし、関係は自己発見の手段、なぜなら関係は有る・生きることであるから。それが存在。私自を理解するには、関係を理解しなければならない。関係は、そこに私自身が見える鏡。その鏡は歪んでいることもある。私たちはあるがままが見えない。私たちはむしろ理想化し、逃避したい - その関係を即時の現在において理解するより、むしろ未来に生きたい。
(´・(ェ)・`)

172:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/08(土) 22:56:41 ID:1d4drIFg0 [49/49]
関係とはつきつめれば自分と他人との関係なのじゃ。
自分がいるという認識は自分とは別の他人が居るという関係から起こるからなのじゃ。
自他の区別から自我も起こるのじゃ。
それを理解できれば自分の認識も理解できるのじゃ。

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