鬼和尚 2020/08/07(金)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

903:避難民のマジレスさん[sage]:2020/08/07(金) 07:08:01 ID:czRftzgI0 [25/25]
>902
はい、わかりました

904:避難民のマジレスさん[]:2020/08/07(金) 12:06:32 ID:YZLCtrs20
和尚様、OSHOラジニーシの良い説法を見つけたので共有しておきます。
悟りを開くまでの4段階のステップについてです。
https://youtu.be/6i8bnb4dvvg

OSHO: Only That Which You Have Experienced Has to Be Trusted

905:龍閃[sage]:2020/08/07(金) 20:25:12 ID:2KCzfOuA0
ジャラール・ウッディーン・ルーミーは悟っていますか?

906:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/08/07(金) 22:17:05 ID:1d4drIFg0 [226/226]
>>903 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>904 善いことじゃ。
 どんどん見ると善いのじゃ。

>>905 悟っていたかもしれん。
 まだ翻訳された本が多くないからよくわからんがのう。
 オショーもお勧めなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

934:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage]:2020/08/06(木) 21:57:17.77 ID:QPNi19G+
>>933
そうかそうか、精神病院に行きましょうねーw

935:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/08/07(金) 21:34:39.80 ID:xXodyPt4
鬼和尚、鈴木大拙が悟っていた根拠をはっきりと教えて下さい。
私は悟っていないと感じています。
米国に12年間居る間に米国人と結婚しているし、『日本的霊性』では一部分浄土真宗を
取り上げ、わけの分からない説明をしています。
慈悲などは全く感じられません。

悟っていたのは『わら1本の革命』の福岡正信だと思っています。粘土団子の人です。
その本の冒頭に生と死の事が書かれています。
彼は病気(肺炎)で入院している時に死の恐怖に襲われ、外出して近くの山で
一晩過ごした時、明け方にゴイサギの鳴き声で一気に目覚め、「この世には何も
ないじゃないか」(生も死も無い)と気づきました。
それから彼の自然農法が始まりました。これは画期的な事です。

936:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/08/07(金) 22:43:51.38 ID:q0xlraah
>>934 それがおぬしの見性じゃな。
 哀れな者じゃ。

>>935 知恵が在るのじゃ。
 死ぬまであったのじゃ。
 それ以上は自ら悟らなくてはわからないじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

 それは生死を超えた気付きで悟りではないのじゃ。
 まだこの世があり、農業もあるのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

551:マジレスさん (ワッチョイ f767-57Ok [60.112.200.22 [上級国民]])[]:2020/08/06(木) 21:57:02.46 ID:63uY+stN0
>>550
そうかそうか、精神病院に行きましょうねーw

553:マジレスさん (ワッチョイ 6f93-1p6g [14.10.59.64])[sage]:2020/08/07(金) 18:42:10.25 ID:FNFm/u7Q0
鬼和尚。
仮に人類滅亡となると、何が原因で人類が滅びる確率が高いですか?
核戦争、環境汚染、隕石衝突、大地震、氷河期、ウィルス。
見解をお聞かせください。

554:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ a267-2X+j [219.192.74.62])[sage]:2020/08/07(金) 22:21:28.13 ID:85SNLVYF0
>>551 ウーバーイーツで働くと善いのじゃ。
 おぬしと同じニートでも月に四十万稼いだものも居るというのじゃ。
 働いて働いて手を見るのじゃ。

>>553 今は環境汚染じゃな。
 動物が居なくなり、やがて作物さえもとれなくなるかもしれん。
 それにウィルスが蔓延してとどめとなるかもしれん。
 未知のウィルスにはまだまだ人類は弱いとコロナでわかったからのう。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

213:マジレスさん[sage]:2020/08/07(金) 03:53:53.04 ID:ieZXhdaJ
>>209
ポジティブで有益な趣味が見つかります様に。
趣味やスポーツに熱中する事になれば
不要な事はしなくなる様な気がします

214:武蔵 ◆Ss4Z2p/EDw [sage]:2020/08/07(金) 21:39:10.61 ID:0p2G61kH [1/2]
>>211
鬼和尚様ありがとうございます
15年ひきこもってあつめたAVを少しずつ削除しています
15年のアカです

215:武蔵 ◆atit3tpFTo [sage]:2020/08/07(金) 21:40:59.56 ID:0p2G61kH [2/2]
>>213
今日はiPHONEを郵便局にもっていっていきました
夕方、病院に薬とりにいって帰り荷図書館に本を返してまた本を借りてきました

216:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/08/07(金) 22:45:43.85 ID:85SNLVYF
>>214 よいことじゃ。
 ものがないほうが心は軽くなるのじゃ。
 執着がへるからのう。
 どんどん実践するとよいのじや。

鬼和尚の仏教購読会 別館
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

883:避難民のマジレスさん[]:2020/08/07(金) 20:46:39 ID:nELsQgfM0 [1/2]
句中玄の事例
252
圓悟大病 2/4
巫山夜々夢難驚 ふざんやや夢驚き難し
艶簡題詩對鐵檠 艶簡詩を題して鉄けんに対す
只爲檀郎呼小玉 只檀郎が為に小ぎょくを呼ぶ
風流可愛美人情 風流愛すべし美人の情

蔭木英雄先生 訳・解説
夜ごとの巫山の(神女と契った)夢は覚めがたく
恋文に詩を書きつけて鉄の燭台に向かう 
それはただ愛する男性に(自分の存在を知らせようと、侍女の)小玉を呼ぶようなもので 
風流な美人の心情は愛すべきである。

小艶詩に依拠する転句は、己事究明・見性成仏を自証させる為に、手段として文字言語を援用するという喩
えである。それは月と指の関係である。月(真理・仏性・美人)を相手(修行者・檀郎)に見つけさせる為
には、指(文字言語・小玉を呼ぶ声)が必要である。故に結句の“美人の情”とは、檀郎つまり修行者に、
自己の内なる仏性を自証させる慈悲心なのである。このように考えると、艶詩を吟ずる事は、一休宗純に
とっては、薫化衆生の大乗仏教精神である。

くま訳
巫山の夜毎の逢瀬の夢は、覚め難い。
恋文の詩を書く為に、鉄の燭台に向かう、
ただ、愛しい人に気づいてもらいたい一心で、侍女の小玉を呼ぶ、
その風流な思いを愛すべし。美人が思いを募らせている切ない思いを。

*巫山之夢:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗 
 る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおり  
 ます。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょ 
 う」と告げた。という故事。168の詩参:
*驚く:1 意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける。びっくりする。感嘆する。2 はっと気がつく。
 3 目が覚める。
*小玉:五祖法演が陳提刑(圓悟も聞いていた)に提唱した小艶詩に依っている。『大慧武庫(一休さんの 
 愛読書らしい)』(おまけの詩 参)
*巫山之夢:168参:巫山の雲雨と同義:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に 
 「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南 
 の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、 
 この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。という故事
*檠(けい、きょう、ぎょう、ともしび):、ともしび/灯台/矯める/ゆだめ
*檀郎:女性からみて、男性の恋人。「愛しいあのお方」。詩詞では、普通名詞として使われる。
(´・(ェ)・`)つ

884:避難民のマジレスさん[]:2020/08/07(金) 20:51:28 ID:nELsQgfM0 [2/2]

*おまけ:小艶詩 (カメ法師先生HP・解説)
一段風光畵不成 一段の風光、画けども成らず
洞房深處説予情 洞房深き処、予情を説く
頻呼小玉元無事 頻りに小玉を呼ぶも元より事無し
只要檀郎認得聲 只檀郎が声を認得せんことを要す

この第三句は、禅門での「無門関第十七則・國師三喚」の考案の著語としてしばしば用いられる。
小玉という侍女を女が頻りに呼んではいるが、これと言った用事があるわけでもない。という意味。
頻りと呼んでいるのは、第四句にあるように、窓外の意中の君(檀郎)に私はここにいますよ、ということ
を知らせたいがため。次女を呼んでいる真意は、次女に用があるのではなく別のところにあるというもの。

くま訳
素晴らしい景色は、描こうとしても描き切れない、私の思いも言葉に現しきれない
遊郭の奥の部屋で我が思いを述べる、
頻りに侍女の小玉を呼ぶが、元より用事などないのだ。
ただ、恋しい檀那さんに気づいてく欲しいのだ。
(´・(ェ)・`)つ

885:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/07(金) 23:04:40 ID:1d4drIFg0 [342/342]
巫山の女子の夢を夜毎に見るのは驚くべきことでもないという意味じゃな。
何ゆえ用も無いのに小間使いを呼ぶのかという謎掛けじゃな。
それもまた公案といえるじゃろう。
仏の名を唱えるのは仏を呼びたいからではなく、己が仏になるためなのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

167:避難民のマジレスさん[]:2020/08/07(金) 21:30:15 ID:nELsQgfM0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部

   十三章 欲望(願望) 3

 あなたの問題と私の問題は、精神がいったい欲望から、感覚から自由でありうるかどうかが、わかることです。確かに、創造は、感動とは何の関わりもありません。真実、神、何であれ、 [それらは] 感動として経験されうる状態ではありません。あなたが経験をするとき、何が起きるでしょうか。それはあなたに一定の感動、得意や憂鬱の気分をもたらしたのです。当然、あなたは憂鬱の状態を避けよう、脇へ置こうとします。しかしそれが喜び、得意の気分であるなら、あなたはそれを追求します。あなたの経験は楽しい感動を生み出しました。そしてあなたはそれをもっと(多く)欲しいと思います。もっと(多く)は、精神の死んだ中心を強めます-それ [中心] は常にさらなる経験を渇望しています。ゆえに精神は何も新しいものを経験できません。それは何も新しいものを経験する能力がありません。なぜなら、その接近はいつも記憶をとおし、認識をとおしてであるからです。そして記憶をとおして認識されるものは、真理、創造、真実ではありません。そういう精神は真実を経験できません。それは感動を経験できるだけです。そして創造は感動ではありません。それは、瞬間瞬間、何か永続的に新しいものです。
 そこで(今)私は自分自身の精神の状態を悟ります。それは感動と欲望の道具であること、というよりむしろ感動と欲望であること、それは決まった日課に機械的に捕らわれているということが、わかります。そういう精神は決して新しいものを受け取ったり、打診する・感じ尽くす能力がありません。というのは、新しいものは明白に何か感動を越えたものであるにちがいないからです-それ [感動] はいつも古いものです。それで、この機械的過程とともにその感動は、終わりにならなければならない、のではないでしょうか。もっと多くを欲しがること、象徴、言葉、イメ-ジに伴ったそれらの感動の追求-そのすべては終わりにならなければなりません。そのときだけ、精神が、あの創造性の状態にあることが可能です-そこ [創造性の状態] に、新しいものがいつも生じうるのです。あなたは、言葉により、習慣により、観念によって催眠術をかけられることなく理解して、新しいものをして常に精神に影響を与えさせることが、いかに重要であるかがわかるなら、そのときおそらく、欲望の過程、決まった日課、退屈、経験への常なる渇望を、理解するでしょう。そのときあなたは、本当に求めている人にとって、欲望が生においてほとんど意義がないということが、わかりはじめるだろうと、私は思います。明白に、一定の身体 [・物質] 的必要はあります-衣・食・住とその他すべてです。しかしそれらは決して心理的欲求に[なりません]- 精神が欲望の中心としてそれ自体を築き上げるものに-なりません。物質的必要を越えたどんな形の欲望も-偉大さへの、真理への、美徳への [欲望も] -心理的過程になります。それ [心理的過程] によって精神は、「私」という観念を築いて、それ自体を中心において強めます。
あなたはこの過程がわかるとき、反対なく、誘惑の感動なく、抵抗なく、それを正当化したり判断したりすることなく、ほんとうにこれに気づくとき、そのとき精神は新しいものを受け取る能力があるということ、新しいものは決して感動ではないということを発見するでしょう。ゆえに、それは決して認識され、再び経験されえません。それは 、[そこに] 招待なく、記憶なく、創造性が訪れる存在の状態です-それが真実です。
(´・(ェ)・`)つ

168:避難民のマジレスさん[]:2020/08/07(金) 21:45:20 ID:nELsQgfM0 [2/2]
くまめも13-3
 問題は、精神が欲望から、感覚から自由でありうるか。創造は、感動として経験されうる状態ではない。経験をするとき、一定の感動、得意や憂鬱の気分をもたらした。当然、憂鬱の状態を避けようとする。しかしそれが喜びの気分であるなら、それを追求する。経験は楽しい感動を生み出した。そしてそれをもっと欲しいと思う。もっとは、精神の死んだ中心を強める- 中心は常にさらなる経験を渇望する。ゆえに精神は何も新しいものを経験できない、なぜなら、その接近はいつも記憶をとおし、認識をとおしてであるから。そして記憶をとおして認識されるものは、真理、創造ではない。そういう精神は真実を経験できない。それは感動を経験できるだけ。創造は感動ではない。瞬間瞬間、何か永続的に新しいもの。
感動はいつも古いもの。それで、この機械的過程とともにその感動、もっと多くを欲しがること、象徴、言葉、イメ-ジに伴ったそれらの感動の追求-そのすべては終わりにならなければならない。そのときだけ、精神が、あの創造性の状態にあることが可能。新しいものをして常に精神に影響を与えさせることが、いかに重要であるかがわかるなら、そのときおそらく、欲望の過程、決まった日課、退屈、経験への常なる渇望を、理解する。そのとき、欲望が生においてほとんど意義がないということが、わかりはじめる。
物質的必要を越えたどんな形の欲望も-偉大さへの、真理への、美徳への欲望も- 心理的過程になる。心理的過程によって精神は、「私」という観念を築いて、それ自体を中心において強める。
あなたはこの過程がわかるとき、それを正当化したり判断したりすることなく、ほんとうにこれに気づくとき、そのとき精神は新しいものを受け取る能力があるということ、新しいものは決して感動ではないということを発見する。ゆえに、それは決して認識され、再び経験されえない。それは 、記憶なく、創造性が訪れる存在の状態 - それが真実。
(´・(ェ)・`)

169:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/08(土) 00:00:18 ID:1d4drIFg0 [48/48]
記憶を通して認識されたものは真理、創造、真実ではないというのじゃ。
クリシュナムルティも認識が記憶に依存していると観念の世界に陥ると理解していたのじゃ。
記憶への依存が無くなれば認識は真実を知る器官になるのじゃ。
そのような記憶に依存した認識が無い時、存在の状態が真実と成るのじゃ。

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