鬼和尚 2020/08/06(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

901:避難民のマジレスさん[sage]:2020/08/06(木) 07:18:30 ID:czRftzgI0 [24/24]
禅の修業をすると落ち着いてくるというのは、潜在意識から湧き上がってくる思考や感情の見極めがついて踊らされることが少なくなるということですよね

902:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM[sage]:2020/08/06(木) 21:44:01 ID:1d4drIFg0 [225/225]
>>901 そのようにもいえるじゃろう。
 肉体の習慣によっても心が鎮まるのじゃ。
 常に重心が下に落ちていると動揺しないのじゃ。
 それも瞑想に拠って習慣付けられるものじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

931:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage]:2020/08/05(水) 23:24:56.08 ID:wYxF3ize
>>930
そうかそうか、精神病院に行きましょうねーw

932:おさかなくわえた名無しさん[]:2020/08/06(木) 11:55:08.25 ID:ntcEGefF
>>930
鬼和尚様、これを見て下さい。↓
https://www.youtube.com/watch?v=EKtHvE5YoVU

鈴木大拙:出演 犬養道子:聞き手 「婦人の時間 この人 この道」

>心身が動かないのじゃ。
 死んで生きているのじゃ。

体が動いているし、笑顔も見せています。
これでも悟っているのですか?

933:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/08/06(木) 21:46:39.12 ID:1bEookjw
>>931 まだまだ糞便に塗れているのう。
 下剤を飲むと善いのじゃ。
 働いて不細工な嫁をもらうとよいのじゃ。
 性悪女に騙されないようにするのじゃ。

>>932 それでも悟っているのじゃ。
 死にながら動き、笑顔を見せているのじゃ。
 死んで生きているのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

547:マジレスさん (ワッチョイ f767-57Ok [60.112.200.22 [上級国民]])[]:2020/08/05(水) 23:25:20.05 ID:A+WyrriC0
>>545
そうかそうか、精神病院に行きましょうねーw

548:太上天君 (ワッチョイ ff67-Ea0s [126.3.2.169])[]:2020/08/06(木) 10:51:25.93 ID:B4RLoROi0
鬼和尚よ、はいぎぃ~ぬしゃあチョンか?チャンコロか?チョッパリか?

ハキハキ答えよ!!!

はふんはふんおふんおふん。

550:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8  (ワッチョイ a267-2X+j [219.192.74.62])[sage]:2020/08/06(木) 21:45:15.05 ID:GTtA+UPj0
>>547>>548 まだまだ糞便に塗れているのう。
 下剤を飲むと善いのじゃ。
 働いて不細工な嫁をもらうとよいのじゃ。
 性悪女に騙されないようにするのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

209:武蔵 ◆Ss4Z2p/EDw [sage]:2020/08/06(木) 18:29:31.15 ID:/NrlTNR6
昨日警察から電話かかってきパソコンとスマホを返すと言われました
最初「免許ある?」と聞かれてあると答えたら車で来れるか聞かれて車がないから家にきてくださいと言った
その30分後に警察は家に来た
パソコンとスマホとモバイルルーターの返却があったが、パソコンに違法ダウンロードした漫画やAVがあるからそれを消してほしいといわれた
部屋にあがりパソコンを起動させたがキーボードが認識しなくて30分ほど格闘したがパソコンにログインできないので警察は
じゃあ動画と漫画は消しといてくださいと言って帰った
もし他の件で他の警察に捕まった場合、うちとしては消してと頼んだからねと言われた
また俺が警察に捕まると思ってる
確かにインターネット絡みで4回も警察沙汰おこしてるから5回目も6回目もありあそうだが
トレントをアンインストールした
今年から違法ダウンロードの刑罰が厳しくなったらしい
もう俺は警察にマークされてるからへたなことはやめておこう

211:鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 [sage]:2020/08/06(木) 21:48:22.35 ID:GTtA+UPj
>>209 そうじゃ、身を慎むと善いのじゃ。
 これからは善事を重ねると善いのじゃ。
 福楽がついてくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

鬼和尚の仏教購読会 別館
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/

880:避難民のマジレスさん[]:2020/08/05(水) 23:28:37 ID:88HzfH7Q0 [3/3]
>>879
鬼和尚、ありがとうであります。
151の詩、くま訳修正
看経看教無間業
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
→経、教を詠だけでは、無間地獄へ入ってしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

881:避難民のマジレスさん[]:2020/08/06(木) 19:08:05 ID:24iU9Zco0
句中玄の応用と実践・贋艶詩創作講座
251
圓悟大病 1/4
涅槃堂裡絶言詮 涅槃堂うら言詮を絶す
棒喝機關法座禪 棒喝機關法座の禪
睡裏花顔猶醉眼 睡裏の花顔猶ほ酔眼のごとし
春風断膓海棠前 春風はらわたを断つ海棠の前

蔭木英雄先生部分訳
涅槃堂裡絶言詮・・禪寺の病室で園悟は言語詩文を超絶して悟った

くま訳
涅槃堂において圓悟は、言葉・観念の世界を超えたのである。悟ったのである。
棒喝、弟子の能力に合わせて関門を与え、説法で導く禪
花のように美しい寝顔を見る、まだ酔い覚めやらぬようだ、とは、
春風の心地よさに、たまらなく興趣を誘われる、カイドウの花の前での創作である。

*圜悟克勤(えんご こくごん1063-1135):宋代の禅僧。諡は真覚大師。五祖法演の法嗣。『碧巌録』の 
 著者。
*機関禅:(天神九十五先生解説抜粋)「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」臨済の四料簡・四照 
 用、雲門の三句、洞山の三路・五位等を挙げて仏道修行の標準としている。
 「機関」とは「理致」と対する言葉であり、前者は公案などがその例、事象を義や理によって理解せずに 
 「事象を端的に掴む」ための方便であり、後者は経典・論書の道理を使って修行僧を指導することをいい 
 ます。・・・道元禅師は、「機関・理致」という対立を超えたところをもって、仏道参究の標準とされま 
 すので、身心を究めることの他に、何が必要であろうかと批判・・・夢窓国師なんかは「若し本分を論ぜ
 ば、理致となづけ機関となづくべき法門なし。」とされます
*法座:①説法をする人の着く座席。②説法の行われる集会。法席。法筵(ほうえん)
*海棠(カイドウ):1 バラ科の落葉小高木。枝は紫色で垂れ下がり、葉は楕円形。4月ごろ、紅色の花
 が下向きに咲き、実は丸く、黄褐色に熟す。
*悟りをあらわす言葉色々:言亡慮絶、意路不到、心言路絶、絶言絶思、名言道断、言語道断心行処滅、  
 言詮不及、意路不到

法演も雁艶詩を弟子にすすめていたらしい(小艶詩提)。雁艶詩は、伝統ある「機関」だったのでありますね。
句中玄の応用実践という理解でよいでありましょうか?

三玄三要;89の詩 参 前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>906
(´・(ェ)・`)つ

882:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/06(木) 22:19:00 ID:1d4drIFg0 [341/341]
↑そうじゃろう。
機関でも修行者の本心に関していたならば己を極める役に立つのじゃ。
悟ってしまえば一緒なのじゃ。
梵我一如なのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

62:避難民のマジレスさん[]:2020/08/05(水) 22:27:49 ID:88HzfH7Q0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部

   十三章 欲望(願望) 1

 私たちのほとんどにとって、欲望は実に問題です-財産、地位、力、慰め [安楽・快適さ] 、不死、継続 [存続] への欲望、愛されたい [という欲望] 、何か永久的な [もの]、 満足させ持続するもの、何か時間を超えているものを持ちたいという欲望です。では欲望とは何でしょうか。私たちを駆り立て強制しているこのものは何でしょうか。私たちは持っているものやあるがままの私たちに満足すべきであると、私は提唱しているのではありません-それはたんに私たちが欲しいものの対極であるだけです。私たちは欲望とは何であるのかを見ようとしています。私たちは仮に、ためらいがちにそれに入ってゆけるなら、たんに一つの欲望の対象の代わりにもう一つの欲望の対象を用いるだけではない変容をもたらすであろうと、私は思います。これが一般に私たちのいう「変化」という意味なのではないでしょうか。一つの特定の欲望の対象で満足しないと、私たちはその代用物を見つけます。私たちは、一つの欲望の対象から、私たちがより高くより高尚でより洗練されていると考えるもう一つへと、永遠に動いているのです。しかしどんなに洗練されていても、欲望はやはり欲望です。そしてこの欲望の動きには、終わりなき格闘、対極の葛藤があるのです。
 ゆえに、何が欲望なのか、それは変容させられうるのかどうかを見出すことが、重要ではないでしょうか。欲望とは何でしょうか。それは象徴とその感動 ・感覚ではないでしょうか。欲望は、その到達の対象を伴った感動・感覚です。象徴とその感動を伴わない欲望があるでしょうか。明白に、ありません。象徴は、私に感動を与えてくれる絵、人物、言葉、名前、イメ-ジ、観念であるかもしれません-それが私にそれが好きだとか嫌いだとか感じさせるのです。その感動が楽しいなら、私はその象徴に到達したい、所有したい、すがりつきたいと思うし、その楽しみにとどまるのです。時々私は、自分の傾向と強烈さに応じて、絵、イメ-ジ、対象を変えるのです。私は一つの形の楽しみに飽き、疲れ・うんざりし、退屈してしまいます。それで新しい感動、新しい観念、新しい象徴を求めます。私は古い感動を拒絶して、新しいものを採り入れます-新しい言葉、新しい意義、新しい経験をもったもの、です。私は古いものに抵抗して、より高くより高尚でより満足させてくれると考える新しいものに屈します。こうして欲望には、抵抗と屈することがあります-それには誘惑が関与しています。そしてもちろん、欲望の特定の象徴に屈することには、いつも挫折への恐れがあるのです。
 私は自分自身の欲望の過程全体を観察するなら、いつも対象 [がある] -私の精神が、さらなる感動のためにそれに向けられているもの-があるということ、そしてこの過程には抵抗、誘惑、修練が関与しているということが、わかります。知覚、感覚、接触、欲望があります。そして精神はこの過程の機械的な道具になります-そこでは象徴、言葉、対象が中心です-そのまわりに欲望すべて、追求すべて、野心すべてが築かれるのです。その中心が「私」です。私はその欲望の中心を解消できるでしょうか-一つの特定の欲望、一つの特定の欲望や渇望ではなくて、欲望、あこがれ、希望-そこにはいつも挫折の恐れがあります-の構造全体を、です。私は挫折すればするほど、ますます「私」に強さを与えてしまいます。希望、あこがれがあるかぎり、いつも恐れの背景・下地がありますし、それがまた・さらに中心を強めるのです。そして革命は、その中心においてだけ可能です-表面にではありません-それはたんに逸脱・散漫の過程 [であり] 、有害な行動につながる表面的変化であるだけです。
(´・(ェ)・`)つ

163:避難民のマジレスさん[]:2020/08/05(水) 22:28:49 ID:88HzfH7Q0 [2/2]
くまめも13-1
 欲望とは何か。私たちを駆り立て強制しているこのものは何か。私たちはそれに入ってゆけるなら、たんに一つの欲望の対象の代わりにもう一つの対象を用いるだけではない変容をもたらす。一つの特定の欲望の対象で満足しないと、その代用物を見つける。一つの欲望の対象から、より高く、高尚で洗練されていると考えるもう一つへと、永遠に動いている。しかしどんなに洗練されていても、欲望はやはり欲望。この欲望の動きには、終わりなき格闘、対極の葛藤がある。
 ゆえに、何が欲望なのか、それは変容させられうるのかどうかを見出すことが、重要。欲望とは何か。それは象徴とその感動 ・感覚。欲望は、その到達の対象を伴った感動・感覚。象徴は、感動を与えてくれる絵、人物、言葉、名前、イメ-ジ、観念-それが私にそれが好きだとか嫌いだとか感じさせる。その感動が楽しいなら、私はその象徴に到達したい、所有したい、すがりつきたいと思うし、その楽しみにとどまる。時々私は、自分の傾向と強烈さに応じて、絵、イメ-ジ、対象を変える。私は一つの形の楽しみに飽き、疲れ・うんざりし、退屈する。それで新しい感動、新しい観念、新しい象徴を求める。
 欲望の過程全体を観察。精神が、さらなる感動のためにそれに向けられている対象がある。この過程には抵抗、誘惑、修練が関与している。知覚、感覚、接触、欲望がある。精神はこの過程の機械的な道具になる - そこでは象徴、言葉、対象が中心 - そのまわりに欲望すべて、追求すべて、野心すべてが築かれる。その中心が「私」。その構造全体を解消できるか。私は挫折すればするほど、ますます「私」に強さを与えてしまう。希望、あこがれがあるかぎり、いつも恐れの背景・下地がある。それがまた・さらに中心を強める。そして革命は、その中心においてだけ可能 - 表面にではない - それはたんに逸脱・散漫の過程、有害な行動につながる表面的変化であるだけ。
(´・(ェ)・`)

164:避難民のマジレスさん[]:2020/08/06(木) 20:02:54 ID:24iU9Zco0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部

   十三章 欲望(願望) 2

 私はこの欲望の構造全体に気づくとき、いかに私の精神が死んだ中心に、機械的な記憶の過程になってしまったかが、わかります。私は、一つの欲望に疲れてしまうと、自動的にもう一つ [の欲望] において自己を充足させたいと思います。私の精神はいつも感動という見地に立って経験しています-それは感動の道具です。特定の感動に退屈すると、私は新しい感動を求めます-それは神の悟り・実現と呼ぶものであるかもしれません-しかし、それもやはり感動です。私はこの世・世界とその苦労はもうたくさん(うんざり)なので、平和が、永続する平和が欲しいのです。それで私は瞑想し、制御します-その平和を経験するために、自分の精神を形造ります。その平和を経験することも、やはり感動です。それで私の精神は、感覚、記憶の機械的な道具、死んだ中心です-そこ [中心] から私は行動し考えるのです。私が追求する対象は、象徴としての精神の投影です-それ [精神]は、そこ [象徴] から感動を引き出してくるのです。「神」という言葉、「愛」という言葉、「共産主義」という言葉、「民主主義」という言葉、「国家 [・民族] 主義」という言葉-これらはみな精神に感動を与える象徴です。ゆえに精神はそれらにすがりつくのです。あなたと私が知っているように、あらゆる感動は終わりになります。それで私たちは、一つの感動からもう一つへ進むのです。そしてあらゆる感動はさらなる感動を求める習慣を強めます。こうして精神はたんに感動と記憶の道具になるだけです。その過程に、私たちは捕らわれるのです。精神はさらなる経験を求めているかぎり、感動という見地に立って考えられるだけです。そして自発的で創造的で命がけの・生き生きして心を打つほど・打ちのめすほど新しいかもしれないどんな経験でも、それ [精神] は即時に感動に還元し・縮小して、その感動を追求します-そのときそれは記憶になるのです。ゆえに経験は死んでいます。精神はたんに過去の淀んだ水たまりになるだけです。
 もしも私たちがとにかくそれに深く入って行ったなら、この過程に慣れ親しんでいるのです。そして私たちは [この過程を] 越えてゆく能力はないように見えます。私たちは越えてゆきたいのです。なぜなら、この終わりなき日課、この機械的な感動の追求に疲れているからです。それで精神は、真理の、神の観念を投影します。それは命がけの変化を [夢見] 、その変化において第一の役割・主役を演じること、などなどを夢見ます。ゆえに決して創造的状態がありません。私は、私自身にこの欲望の過程が続いていることが、わかります-それは機械的、反復的です-それは精神を日課の過程に拘束して 、[そこに] 創造的自発性のない過去の死んだ中心にするのです。また突然の創造の瞬間-精神のものではなく、記憶のものではなく、感動 [のもの] や欲望のものでもないものの [瞬間]- があります。
 ゆえに、私たちの問題は、欲望を理解することです-それはどこまでゆくのだろうかとか、どこで終わりになるのだろうか、ではなく、欲望の過程全体を-渇望、あこがれ、燃えたつ・燃えさかる欲求を、理解することです。私たちのほとんどは、ほとんど所有しないことが欲望からの自由を表示していると、考えます。それで、なんと私たちは、わずかなものしか持たない人たちを崇拝するのでしょう!腰布、ロ-ブは、欲望から自由でありたいという私たちの欲望を象徴しています。しかし、それもまたとても表面的な反動 [・反応] です。あなたの精神が無数の欲、無数の欲望、信念、格闘でもって損なわれているとき、なぜ外側の所有物をあきらめるという表面的な水準から始めるのでしょうか。確かに、革命が起こらなければならないのは、そこで、です-どれぐらい所有するかや、どんな服を着るかや、どれぐらい食事を摂るかに、ではないのです。しかし私たちの精神はとても表面的であるから、私たちはこれらのものごとに印象づけられ(感銘を受け)るのです。
(´・(ェ)・`)つ

165:避難民のマジレスさん[]:2020/08/06(木) 22:10:38 ID:24iU9Zco0 [2/2]
くまめも13-2
欲望の構造全体に気づくとき、いかに精神が死んだ中心に、機械的な記憶の過程になってしまったかが、わかる。私の精神はいつも感動という見地に立って経験してる。
永続する平和が欲しい。それで私は瞑想し、制御する- そのために、自分の精神を形造る。その平和を経験することも、やはり感動.それで私の精神は、感覚、記憶の機械的な道具、死んだ中心- そこから私は行動し考える。私が追求する対象は、象徴としての精神の投影- 精神は、象徴から感動を引き出してくる。「神」、「愛」、「民主主義」という言葉-これらはみな精神に感動を与える象徴。ゆえに精神はそれらにすがりつく。あらゆる感動は終わりになる。一つの感動からもう一つへ進む。そしてあらゆる感動はさらなる感動を求める習慣を強める。こうして精神はたんに感動と記憶の道具になるだけ。どんな経験でも、精神は即時に感動に還元し・縮小して、その感動を追求する- そのときそれは記憶になる。ゆえに経験は死んでいる。精神はたんに過去の淀んだ水たまりになるだけ。
私たちは越えてゆきたい。なぜなら、この終わりなき日課、この機械的な感動の追求に疲れているから。それで精神は、真理の、神の観念を投影する。その変化において主役を演じることを夢見る。ゆえに決して創造的状態がない。突然の創造の瞬間-精神のものではなく、記憶のものではなく、感動や欲望のものでもないものの瞬間 - がある。
 ゆえに、問題は、欲望を理解することではなく、欲望の過程全体を理解すること。私たちは、ほとんど所有しないことが欲望からの自由を表示していると考える。しかし、それもまたとても表面的な反動・反応。あなたの精神が無数の欲、無数の欲望、信念、格闘でもって損なわれているとき、なぜ外側の所有物をあきらめるという表面的な水準から始めるのか。精神はとても表面的であるから、これらのものごとに印象づけられ感銘を受ける。
(´・(ェ)・`)

166:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/08/06(木) 23:15:29 ID:1d4drIFg0 [47/47]
クリシュナムルティも瞑想するというのじゃ。
もっともそれは自己を忘れるサマーディにまで達しなければ瞑想とは言われないというがのう。
瞑想の全てを否定しているのではないのじゃ。
瞑想に拠って精神から感動を引き出してくるという洞察も可能になるのじゃ。

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