鬼和尚 ◆qx3.49AOzA 2020/07/02(木)

鬼和尚に聞いてみるスレ part16
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1584893493/

685:避難民のマジレスさん[sage]:2020/07/02(木) 05:00:09 ID:JjT35e120
死の観想と死そのものは質的に違うのではないでしょうか?
死に際しての準備運動や観察に際しての不動心を身に付ける訓練にはなりそうですが
ただ、一切の社会関係が喪われていく疑似体験にはなるし、自我が社会的な存在だとすると、自我滅却には繋がるとは思う。
しかし、実際に心臓や脳細胞が死滅した後の意識を体験するのは難しいようにも思う。

686:避難民のマジレスさん[sage]:2020/07/02(木) 06:03:23 ID:fA7qRAsE0 [3/3]
人権なんて無いですよね

687:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA[sage]:2020/07/02(木) 22:17:09 ID:1d4drIFg0 [170/170]
>>685 全ての観念と実際のものも違うのじゃ。
 それでも食物を食べれば腹は満たされるのじゃ。
 観想された死も実際の死とは違うが実践すれば効果は在るのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。。

>>686 そうじゃ、無いのじゃ。
 幻想なのじゃ。
 政治のために言うだけなのじゃ。

【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】  52 
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1585172010/

652:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/07/01(水) 22:42:13.83 ID:0M/aoSul
天龍寺の佐々木住職様にクレーム入れても
彼の犯罪は止みませんでした。

魔境に落ちた暗黒卿への仏罰のプライオリティを全進全速力へ要候

658:おさかなくわえた名無しさん[sage]:2020/07/02(木) 21:38:47.96 ID:Keh/qsE9
鬼和尚。
縛るものが一つ取れたかもしれません。
感謝です。

660:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/07/02(木) 22:22:26.75 ID:SK8bN5rI
>>652 おぬしのお陰で止まったのじゃ。
 ジャンキーは全スレに泣きを入れて消えたのじゃ。
 また出るようならば今度こそ特定すると善いのじゃ。

 全ておぬしの行いの成果なのじゃ。
 大いなる善事なのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。
 ご苦労さんなのじゃ。

>>658 善かったのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】77
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1576583672/

93:太上天君 (ワッチョイ 0167-ERT+ [126.3.48.236])[]:2020/07/02(木) 16:10:21.70 ID:Y2WC4xNd0
維摩経には文殊菩薩が登場するが、釈迦の時代に文殊菩薩は居なかった。それなのに舎利子と文殊菩薩が一緒に維摩居士を見舞う話だ。
鬼和尚よ、ぬしゃあどう思うか?

ハキハキ答えよ!!!

はふんはふんおふんおふん。

294:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM  (ワッチョイ 9267-c9XW [219.192.74.62])[sage]:2020/07/02(木) 22:14:42.39 ID:xf2KfNME0
↑全てフィクションなのじゃ。
作り話なのじゃ。
それでよいのじゃ。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】79 
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1580742911/

96:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM []:2020/05/04(月) 21:42:47.39 ID:bxFwrIDU
本スレはここかのう?
誰もおらんのじゃ。

97:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage]:2020/05/05(火) 22:22:09.56 ID:aZHsLMw/
このスレが本スレのようじゃが誰もおらんようじゃのう。

101:マジレスさん[sage]:2020/06/30(火) 22:43:59.60 ID:vrmRfWiK
>>96と
>>97は
どちらが鬼和尚の書き込みですか?

107:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/07/03(金) 23:49:32.98 ID:AI3nLoJP
>>101 この↑の新しいトリがわしなのじゃ。
 騙されてはいかんのじゃ。
 天竜寺も天空寺になるのじゃ。

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/

971:名無しを整える。[]:2020/07/02(木) 19:45:01.05 ID:sjgfcVtA [1/4]
一休さんのお母さんの遺書とされている手紙である。
一休和尚(くま注:漢字は旧字をPCで直でる字に変えた。*修業→修行 以外は、ほぼ原文の通り。)
大屋徳城先生 (大正2年)

『 第三回 梅の宿
・・・・・・・・
一休さんのまだ修行中のことであらうと思はれまするが、此のお母さんから一休さんへ贈られた手紙があり
ます。其の手紙を読んでみますると、どれ程えらかつた人であるかといふことが、すぐ分かるのであります。
其の手紙にはかように書いてあります。

  我ら娑婆の縁つき無為の都におもむき候。御身よき出家に成り給ひ、
  佛性の見をみがき、其まなこより、我ら地獄に落るか、落ちざるか、
  不断添ふか、添はざるかを見玉ふべし。釈迦、達磨をも奴となし玉ふ
  程の人に成給ひ候はゞ、俗にても不苦候。佛四十余年説法し玉ひつゐ
  に一字不説とのた玉ひし上は、我と見、我と悟るがかんやうに候。
  何事も莫妄想、あなかしこ。

    九月上旬                   不生不死の身

     (千菊丸殿へ=一休さんへ)

  かへすかへすも、方便の説をのみ守る人は、くそ虫と同じ事に候、
  八萬の諸聖教をよみても、佛性の見をみかゝずんば、此の文ほどの
  ことも解しかたかるべし。

    これとても仮初ならぬ分れては
         かたみともみよ水茎のあと  

「我ら娑婆の縁つき無為の都におもむき候。」とかいてありますから、お母さんが今はのときに書いて、一
休さんに贈られたもので、いはゞ、遺言の手紙であります、其の中にかいてあることは、えらい見識の高い
ことでありまして、中々世の常の女のいふやうなことではありません。つまり、坐禪して、智恵の光を磨い
て、あつぱれの大宗師となり、お釈迦様も、達磨様も、自分の下部や、弟子位にするやうな大見識で修行を
して下さい。方便のためにお釈迦様がお説きになされたところにへばりついて本統の佛のみ教をも知らぬや
うなことでは役に立たぬ。八萬四千の御聖教は月を指す指のやうなものであるから、其の指たる御聖教の文
句に迷ふて、御聖教の本統の御心を知らぬようなことでは、誠にいひがひないことである。大に奮発して、
修行を心がけて下さい。わたしは只今此の世をたちて、未來へ赴くのでありまするが、わたしが、迷ふか、
迷はぬか。よくよく佛性をみがいた眼で眺めて下さい。わたしは不生不死と申して、二度と再び生まれも死
にもせぬ涅槃の道理を悟つたみであるぞよ。何よりも、人にたよらず。方便にとりつかず。我れと我が眼を
開き、我が心を磨いて、眞の佛道修行をなし給はれよ。これが、今はのときに申してをくかたみであるとい
ふ意味であります。』

「真面目な人」へ
此の世に生を受けて、今の君のままで時を過ごすのは残念でありましょう。
心を鎮めるのである。
君の怒り、苛立ち、焦燥は、自分に向けられたものでありましょう。
自分を知ろうとしなければ、君は一生、今のままでありますよ。
君は世界中どこにでもいる、粘着あらし君の中の一人なのである。
自分の毎日の憐れな書き込み全てを、寝る前に読み返してみるのである。
真面目な人に示す「あいうえお」歌留多を何度も読み返してみるのである。
其の上で、>>754 >>861を読んでみるのである。
    ∧_∧
    (´・(ェ)・`)
(○) (ヽ∩∩ノ),、
ヽ|〃,,, “““ ““ ““

972:名無しを整える。[]:2020/07/02(木) 19:55:16.87 ID:sjgfcVtA [2/4]
>>962
108
虚堂和尚三轉語 1/3
己眼未明底     こがんいまだ明らかならざるてい、   
因甚将虚空作布袴着 なにによってかこくうをもってふことなしてつく

畫餅冷腸飢未盈 がびょうれいちょううえいまだみたず
娘生巳眼見如盲 にょうじょうのこがん見てもうのごとし  
寒堂一夜思衣意 かんどういちやころもを思ふ意
羅綺千重暗現成 らきせんじゅうあんにげんじょう 

くま訳(観念的理解へのこだわり)
いまだに見性できないでいる者は、なぜ虚空を衣服にしようとしているのか。

絵に描いた餅ちでは、わびしかろう、いまだ飢えを満たせまい。
少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
寒いお堂で一夜を過ごすときに衣のことを考えるようなものである。
美しい薄絹の衣(美辞麗句)をいくら重ねても闇が深まるばかりである。

*虚堂智愚:1185―1269南浦紹明 (大応国師) は虚堂の法脈を受けた臨済禅を日本に伝えた。
*転語:迷いを転じて悟りに至らしめる言葉

109
虚堂和尚三轉語 2/3
劃地爲牢底因甚 透者箇不過  地に画して牢と為す底、 なにによってかしゃこをとほり過ぎざる

何事春遊興未窮 何事ぞ   いまだきわまらず
人心尤是客盃弓 じんしんはもっともこれかくはいのきゅう
天堂成就地獄滅    成就し地獄滅す
日永落花飛絮中 日は永しらっかひじょのうち

くま訳(錯覚)
地面を区切って牢としている、何でそこを通りすぎないのだ。

のどかな(言葉の)お遊びにいまだ飽き足らない
人の心は、盃に写る弓の影を見て、蛇だと錯覚したりする。
極楽浄土へ行けば、地獄は滅する
いつまでも、花が落ち、風に舞う綿毛のようであることだ。

*飛絮漂花(ひじょ):遊女などに身を落とすこと、女性がつらい境遇で、見込みもないまま苦労すること。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

973:名無しを整える。[]:2020/07/02(木) 19:58:38.83 ID:sjgfcVtA [3/4]
>>972
110
虚堂和尚三轉語 3/3
入海筭沙底    かいに入りていさごをかぞふるてい、
因甚針鋒頭上翹足 なにによってかしんぼうとうじょうに足をつまだつ

撒土筭沙深立功 どをさっしいさごをかぞへて深く功を立つ
針鋒翹脚現神通 針ぼうに足をつまだて神通を現す 
山僧者裏無能漢 山ぞうがしゃり無能の 
東海兒孫天澤風   のじそんてんたくの

くま訳
海に入り、砂を数えている。何で針の先に爪先立ちするようなことをやるのだ。

土を撒き散らし、砂を数えて、大手柄をたてたつもりでいる。
針の飢えにつま先立ちして、神通力を見せる。
山僧者裏(修験道の行者)は無能であるため、
東海の子孫である臨済宗は、本来の目的以上の役割を託されてしまった。

*東海児孫:通常、大応国師南浦紹明をあらわす(83の詩 参)
*澤風大過:易の64の卦。力量以上に背負った非常時で、家の棟がたわみ家が傾くような大変な時を表す。
(参*円楽寺:修験道の開祖、役行者が701年に開いたと伝えられる真言宗智山派の寺院)
(´・(ェ)・`)つ

977:鬼和尚 ◆qx3.49AOzA [sage]:2020/07/02(木) 22:38:22.42 ID:uCC0MvwW
本物かどうかわからんが母上はかなり偉いものじゃな。
方便と悟りをよく弁えているのじゃ。
今の僧でさえ区別がつかないものばかりであるのにのう。
えらいことじゃ。

978:名無しを整える。[]:2020/07/02(木) 22:59:26.06 ID:sjgfcVtA [4/4]
>>977
うむ。
「釈迦、達磨をも奴となし」という一節は無門関 第45則を引用してるらしいであります。
一休さんが書いたものとの説もあるようであります、
いずれにしても、一休さんはすごいであります。
此のスレが終わったら、どこかで、一休さん講読会を続けるでありますが、その際は、仮名法語等も
取り上げる予定であります。
(´(ェ)`)b

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/

31:避難民のマジレスさん[]:2020/07/01(水) 23:50:05 ID:9LpStdNw0 [1/2]
最初と最後の自由  第一部
第四章 自己認識 4

 あるがままを理解するには、 [そこに] 同一化や非難のない精神の状態を、必要とします-それは鋭敏でありながら受動的である精神という意味です。私たちはほんとうに何かを理解したいと願望するとき、その状態にあります。興味の強烈さがあるとき、その精神の状態が生じます。あるがままを、現実の精神の状態を理解することに興味があるとき、それを強いたり修練したり制御したりしなくていいのです。反対に、受動的な鋭敏さ、見守りがあるのです。この気づきの状態は、興味が [あるとき] 、理解しようとする意図があるとき、来るのです。
 自分自身の基本的理解は、知識をとおし、経験の蓄積をとおして来ません-それはたんに記憶の育成にすぎません。自分自身の理解は瞬間瞬間です。私たちがたんに自己 [について] の知識を蓄積するだけなら、その知識こそがさらなる理解を妨げるのです。なぜなら、蓄積された知識と経験は、それをとおして思考が集中しその存在を持つ中心になるからです。世界は私たちと私たちの活動と異なっていません。なぜなら、世界の問題を造り出すのは、あるがままの私たちであるからです。私たちの大多数にとっての困難は、私たちが自分たち自身を直接的に知らなくて、多くの人間の諸問題を解決するため体系 [体制]、方法、作業の手段を求めることなのです。
 では自分自身を知る手段、体系はあるのでしょうか。どんな利口な人も、どんな哲学者も、体系、方法を考案できます。しかし確かに、体系に付いていくことはたんに、その体系によって造り出された結果を産み出すだけなのではないでしょうか。私は自分自身を知る特定の方法に付いて行くなら、そのときその体系に必然的に伴う結果を得るでしょう。しかし結果は明白に私自身 [について] の理解ではないでしょう。すなわち、それをとおして私自身を知るための方法、体系、手段に付いていくことにより、私は自分の考え、活動を、様式に応じて形作るのです。しかし様式に付いていくことは自分自身 [について] の理解ではありません。
 ゆえに自己認識のための方法はないのです。方法を求めることは、まちがいなく、何かの結果に到達したいという欲望を含んでいます-それが私たちが皆ほしいものです。私たちは権威に付いていきます-人物のものでないなら、体系の、イデオロギ-の[権威]にです。なぜなら私たちは結果 [がほしい] -満足できるであろう、私たちに安全を与えてくれるであろうもの-が、ほしいからです。私たちはほんとうは自分たち自身を、自分たちの衝動と反応を、考える過程全体を、無意識とともに意識を、理解したくないのです。私たちはむしろ、結果を保証してくれる体系を、追求したいのです。しかし体系の追求はまちがいなく、安全への [願望] 、確実性への願望から出てきたものです。そして結果は明白に、自分自身 [について] の理解ではありません。私たちは方法に付いていくとき、私たちが願望するものを保証してくれる権威-教師、導師(グル)、救い主、大師-を持つにちがいありません。そして確かにそれは自己認識への道ではありません。
 権威は自分自身 [について] の理解を妨げるのではないでしょうか。権威、指導者の庇護のもとで、あなたは一時的に安全の感覚、幸福の感覚を持つかもしれません。しかしそれは自分自身の総合過程 [について] の理解ではありません。権威はまさにその本性において自分自身への充分な気づきを妨げます。ゆえに究極的に自由を破壊します。自由においてのみ、創造性がありうるのです。自己認識をとおしてだけ、創造性はありうるのです。私たちのほとんどは創造的ではありません。私たちは反復的機械 [です] 、私たち自身のでも他の一人のでも一定の経験の歌、一定の結論と記憶を何度も繰り返し演奏しているたんなる蓄音機レコ-ドです。そういう反復は創造的な存在ではありません-しかしそれが、私たちのほしいものです。私たちは内側で安全でありたいから、常にこの安全のための方法と手段を求めているのです。それによって権威を、他の一人の崇拝を造り出し、それが了解を [破壊し] 、それにおいてのみ創造性の状態がありうるあの自発的な精神の平静を破壊するのです。
(´・(ェ)・`)つ

32:避難民のマジレスさん[]:2020/07/01(水) 23:56:42 ID:9LpStdNw0 [2/2]
くまめも1-4-4
あるがままを理解するには、そこに同一化や非難のない精神の状態が必要。それは鋭敏でありながら受動的である精神という意味。あるがままを、現実の精神の状態を理解することに興味があるとき、それを強いたり修練したり制御したりしなくていい。反対に、受動的な鋭敏さ、見守りがある。
 自己の知識を蓄積するだけなら、その知識こそがさらなる理解を妨げる。なぜなら、蓄積された知識と経験は、それをとおして思考が集中しその存在を持つ中心になるから。困難は、自分たち自身を直接的に知らなくて、人間の諸問題を解決するため体系、体制、方法、作業の手段を求めること。
自分自身を知るための方法、体系、手段に付いていくことにより、自分の考え、活動を、様式に応じて形作る。しかし様式に付いていくことは自分自身の理解ではない。ゆえに自己認識のための方法はない。方法を求めることは、まちがいなく、何かの結果に到達したいという欲望を含んでいる。私たちはほんとうは自分たち自身を、自分たちの衝動と反応を、考える過程全体を、無意識とともに意識を、理解したくない。私たちはむしろ、結果を保証してくれる体系を、追求したい。しかし体系の追求はまちがいなく、安全への願望、確実性への願望から出てきたもの。そして結果は明白に自己認識への道ではない。
権威はまさにその本性において自分自身への充分な気づきを妨げる。ゆえに究極的に自由を破壊する。自由においてのみ、創造性がありうる。自己認識をとおしてだけ、創造性はありうる。私たちは内側で安全でありたいから、常に安全のための方法と手段を求めている。それによって権威を、他の一人の崇拝を造り出し、それが了解を破壊し、それにおいてのみ創造性の状態がありうるあの自発的な精神の平静を破壊する。
(´・(ェ)・`)

33:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM[sage]:2020/07/02(木) 22:47:12 ID:1d4drIFg0 [10/10]
あるがままの観察は意志があれば難しいのじゃ。
どうしても自分の見たものごとを解釈しようとしたりするからのう。
見たものごとをありのままに認める受動的な鋭敏さが必要というのじゃ。
それにはどんな方法もありえないのじゃ。
方法があれば意志がそれを実践しようとするからなのじゃ。
ただひたすら見たものを受け容れる心構えが必要なのじゃ。

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